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隠密医者 ~ 時代劇大好き少女がゆく(『第六部 番外編 隠密狩り』開始。3月14日第五部まで改稿)  作者: 薮田一閃@江戸でござるよ
第一部 剣術バカが行く ~ 時代劇大好き少女の師匠は、謎多き剣の達人
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今度こそ家族に

 夢の終わりとともに、目覚めた。夢の中で、誰かに抱えられていた感触が身体に残っている。


 夢の中の私は、私でない誰かの死体だった。たぶん、十年前に先生からきいた、私と同じ名前を持つ少女の骸。私の名前を呼んでいたのは、多分、前世の先生。それがなぜ、私の夢に? それに、なんで夢が死体視点なのか。死体だから自分で身体を動かせなくて、空しか見えないとか、無駄にリアルだろ。死ぬと、先生みたいに霊体が身体から離れるんじゃないのかなあ。うーむ。


 病室の天井を見つめたまま、私は再び眠りに落ちた。


 次の日の夜。面会にきた高木さんに、県立美術館のパンフレットを渡された。


「ここのページを見てみろ」


「えっと……わわ!」


 言われたままに、しおりが挟まれたページを開いた私は、思わず驚きの声をあげた。


『九月の小企画――杉正巳作品展』


……なになに、


『生涯に渡り故郷を描き続けた杉正巳氏の作品を展示します。杉正巳氏は県内の高校で美術教師として奉職する傍ら、多数の作品群を残しました。いずれも繊細な筆致で故郷の風景を描いたもので――』


 説明書きによると、十年前に先生の家が人手に渡った際に、先生の残した絵はすべて地元の美術愛好家が引き取ったらしい。それ以来、先生の作品は人目に触れないまま月日がたったが、その美術愛好家が亡くなって、家族が個人のコレクションを県立美術館に寄贈したので、今回の企画に至ったのだそうだ。


 パンフレットには、先生が遺した作品の写真が幾つか掲載されていた。どの絵も、美しい野山の牧歌的な風景が、淡い、繊細なタッチで描かれている。説明書きには「故郷の風景」と書いてあったけれど、先生は大正時代の東京生まれだし、先生が美術教師の職を辞したあとに住み着いたあの町の風景とも違う。


……この風景ってまさか?


 ページを繰り、ある絵の写真を見つけて、私の予感は確信に変わった。


『慟哭――この作品は杉正巳氏にしては珍しく、荒涼とした風景を幻想的に描いたもので、戦時中に空襲で焦土となった故郷を見た作者の、絶望感を表現したものと思われます』


 そう説明文がついたその絵は、先生の他の作品と違い、荒々しいタッチで、ただただ暗い風景が描かれていた。焼け落ちた家や木々の向こうに、真っ黒な里山が連なっている。そして、その光景を、赤く輝く不自然に大きな満月が照らしている。


――これは、先生と初めて会った小学三年生のときの夏休みに、先生が描いていた絵だ


 私は先生の傍で、先生がこの絵を描くのを毎晩眺めていた。随分昔のことだったから、忘れてしまっていたけれど。


 古い記憶がカチリと噛み合った。先生が前世で可愛がっていた「ゆき」という少女と同じ名前で同じ面影を宿す私と出会ったことで、先生は荒れ果てた故郷を目の当たりにしたときの激情を思い出し、この絵を描いたのだと思う。『戦時中に空襲で焦土となった故郷』って、適当だな、おい。


「この風景って、先生が前世で生まれ育った故郷のだよ。あと、この風景は、この間の県警武道場でみたビジョンと一緒。昨日も夢に出てきたけれど」


 高木さんが目を見開く。


「じゃあ、この真っ赤なでっかい月みたいのは?」


「昨日の夢の中でも、普通の月よりも直径で十倍くらいあったし、真っ赤だったし、本当にこんな月なんじゃないかなあ」


「なんてこった。こりゃあ……」


 本当になんてこった、だ。地平線近くの月が真っ赤に見えることはあるけれど、天頂近くにある月がこんなに大きく、赤く見えることはない。少なくとも、私達の常識では。


「もしかして、地球じゃ……ないかもねえ」


 私達は顔を見合わせた。先生は霊体見えるっていっていたし、謎の秘術を使うし、私は先生の守護の力で謎の能力が発現するし、ついでに幽体離脱しまくるし、で超常現象尽くしの十年間だったけれど、地球外は管轄外だよ。


「杉先生って、どんな世界から来たんだろうな」


 高木さんがポツリと言った。


「剣術があって、日本語が通じて、地球外っぽいって、謎だよね……」


 我々の想像力の限界だ。私が死んだら、先生の霊体って、あの世界に帰れるのかな。この世界に来て七十年以上たっても、懐かしんで絵に残すくらいだもの。きっと故郷に帰りたかったんじゃないかな。


 私たちが黙りこくっていると、病室の入口から男性の声がした。


「あの……すみません……」


「なんでしょう?」


 高木さんが声をかけると、若い男性看護師の石川君がおずおずと入ってきた。キビキビ動く、気持ちいい働きっぷりの青年だ。


「突然すみません……あの……相原先生のお兄さんて、剣道の全日本で二回優勝した、県警の高木先生ですよね?」


「ああ、そうだけど。君は?」


「看護師の石川といいます! 俺、高校まで剣道をずっとやっていて、高木先生のこと憧れていました! 今は看護師の仕事になれるので精一杯で、剣道から離れているんですけれど、またいつか、剣道に復帰したいと思っています!」


 真っ赤な顔をして、必死に自分の想いを伝える石川君が微笑ましい。うんうん、実に初々しいのう。気合をいれて話すのも、体育会系っぽくて好感度大だ。


「そうですか。剣道は奥が深い。何歳になっても新しい発見がある。両立は大変だと思うけれど、仕事も、剣道も頑張ってください」


 石川君を見る高木さんの眼差しが、すごく優しい。


「はい! 頑張ります! 面会お邪魔して申し訳ありませんでした!」


 石川君は、ピョコンとお辞儀をして、真っ赤な顔のまま出て行った。私と高木さんは顔を見合わせて互いに微笑みを交わした。こうやって、誰かの背を追いながら、世代を超えて剣の道が繋がれていく。高木さんと私が、先生の背を追ったように。


 それから五日がたった。


 昨日から、うつらうつらと眠っている時間が多くなったよ。


 もっとも、眠っているように見えて、実は中途半端に幽体離脱して、ベッドの上の自分の身体を見下ろしているのだけど。身体に戻るにはかなり集中が必要で疲労が激しいから、高木さんとの面会時間に備えて気力と体力を温存しておこう。


 そろそろ、かな。今日は、大事なことを伝えなきゃ。


「よう、今日はどんな調子だ?」


 あ、来た。よし、身体に戻ろう。なんか、戻るのに時間がかかるようになったなあ。


 ゆっくりと目をあけて、高木さんを見る。呼びかけても私がなかなか目を開かなかったので、心配そうに私を見ている。


「昨日からさっきまで、ずっと眠っていた。たぶん、いよいよ限界だと思う」


「そう……か」


「高木さん、あのね。私、両親があんなだったから、子供のころ本当にコミュ障で、いつも一人ぼっちだったよ。先生と高木さんが親身に接してくれたお陰で、なんとか人の輪に入れるようになったよ。本当にありがとう」


「ああ」


 私の左手を、高木さんが両手で握ってくれた。高木さんの大きな左手の竹刀だこがごつごつしている。剣士の手だ。


「先生と出会って、剣術と出会って、高木さんと出会えて、本当によかった」


「ああ」


 せいいっぱいの体力を振り絞って、高木さんの手をぎゅっと握りかえす。あー、もう、元の握力の十分の一も出ないや。


「長い間、ずっと見守ってきてくれてありがとう。大好きだよ、高木さん……もし生まれ変わったら、今度こそ家族になりたいな……」


「ああ。俺もそう思っているよ」


 高木さんの声がひどく掠れて、手が少し震えていた。


「先に逝くね……孤独死なんてしちゃ……ダメだぞ……」


 急に、身体の力が抜けてきた。しゃべるのって、こんなに体力を使うんだ。もうひと踏ん張り。


「わかった。安心して、向こうで待ってろ」


「あと……無理しすぎるのも禁止……だよ……」


「ああ、約束する」


 優しく囁くような高木さんの声を聞いて、私はせいいっぱいの笑みを浮かべた。


「うん……」


 私は目を閉じて、再び眠りについた。もう、やり残したことはないよ。


 そのあとは、幽体離脱して自分の身体の上にプカプカ浮かびながら、一部始終を眺めていた。もう、自分の身体に戻る力はない。


 高木さんがナースコールを押すと、看護師さんがやってきて、手早く心電図や血圧のモニタをセットした。


 徐々に脈が遅くなり、血圧が低くなっていくのを、自分で眺めていた。高木さんはずっと、枕元にいてくれた。


 私の心臓が止まったのは深夜だった。


 死亡確認にきた当直医に一礼をした高木さんが、物言わぬ私の頭を撫でながら


「有希、よく頑張ったなあ。偉かったなあ」


と優しく語りかけるのを見て、胸がいっぱいになった。


 ああ私は本当に死んだんだ、と実感した瞬間、自分の霊体が身軽になるのを感じた。

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