~怪奇の集まる町~
「……にしても、無駄にでかいっすよね。紅桜警察署って」
「それに引き換え私たちの扱いときたら、大分雑だよねー」
紅桜警察署は見栄っ張りなのか、無駄にでかく事務所も空き部屋が多々ある。そんな中で恩人の葛城が課長として所属している退魔課は、警察署の裏地に小さく建てられている。
なので、警察署との間にできた路地裏を通っていかなければならないのだ。
「葛城課長。討伐任務、無事完了しました」
「さすが〈黒薔薇〉だ。感謝と謝罪の気持ちしかない」
「いえ、これが俺たちの仕事ですし、葛城課長は恩人ですから」
「そう言ってもらえると助かるよ。那津野雪椿、笹井康太、そして黒田遥斗の三人には苦労をかけるね。話は変わるけど、学校の方はどうだい?」
ここ退魔課、通称『血染めの赤ずきん(ブラッディ・ロートケープ)』では三人一組でのチームで行動する決まりで見分けがつくようにチーム名が振り分けられている。なので、遥斗のチームは〈黒薔薇〉と呼ばれている。
それはともかく葛城からまさかのプライベートの話になり真剣な表情が緩んでしまった雪椿と康太は、まだ一ヶ月も経ってない学校生活の内容を話す。
遥斗だけは冷や汗を流しているが……。
「特に問題ないっすね。友人もよくしてくれますし」
「私も同じかなー? まあ、問題があるとすれば……」
「俺も問題はありません。それでは、失礼します」
「あ、うん。また、よろしく頼むねー」
雪椿の言葉を遮断するように遮り、そそくさと課長室を出ると薄暗い廊下を歩きながら痛い指摘を受ける。
「……ねえ、遥斗は問題ありだよね?」
「そんなことない。ユキの思い過ごしだろ」
この話題を終わらせたいのか、単なる思い過ごしでやり過ごそうとしている遥斗に追い打ちをかける雪椿。
「いやいや、だって遥斗いつも寝てるじゃん。友達だって作ろうとしないし。その感じだと? か、彼女も作ろうとも思ってないでしょ」
「ああ。でも、それが問題あるか? 友人を作り、油断してボロが出たらどうする」
「……もう思いっきりボロが出てるよ! 一年生の体育テストのこと覚えてる? 百メートル走で一秒を切ってるの遥斗だけだよ⁉」
一年前から学校に通うよう葛城から言いつけられた『血染めの赤ずきん』総員はそれぞれ別の高校でチームは固まったまま勉学に励んでいる。
その中でも〈黒薔薇〉が通っている高校では、遥斗の持つ能力《瞬速》を体育テストで無意識のうちに発動させてしまい百メートル走での記録は歴代でも初めてと噂されるようになった。
「まあ、あれのおかげで興味津々な人達が集まったわけだけどさ、来る人みんな追い返してるじゃん⁉」
「だから、それはもういいだろ?」
「よくない。彼女はともかく、男友達を作るまで私が全力で……」
サポートすると言いかけたその時、雪椿は前に歩いていた遥斗が退魔課を出た瞬間になにか嫌な予感を感じ取った。それも、今この場では超が付くほどに会いたくない人物であることが。
「ハールー! 偶然だね!」
「綾女? ……ってことは〈黒揚羽〉か」
「なんだ、お前らも仕事か遥斗? 悪いな、いつも綾女が」
「こんなのもう慣れだよ、慣れ。兄貴のお前が謝るほどじゃねえ」
いきなり遥斗に抱きつき頬をすり寄らせている彼女の名は神崎綾女。遥斗の胸に当たるくらいの身長で水色のポニーテールに澄んだ瞳、ふっくらとした頬は餅のように柔らかく白いのが特徴であり一つ年下だ。その後ろで苦笑を浮かばせているのは同年代の神崎桔梗、遥斗に劣らない美形と身長の持ち主で、紫色にベリーショートの髪を後ろに流れるようにワックスで固めているが、見た目に反しておおらかな性格をしている。
「綾女お姉ちゃんは私が何とかしておくから、お兄ちゃんは葛城さんのところへ報告しに行って」
「いつも、悪いな萩。あと、雪椿も」
兄である桔梗に指示しているのは神崎萩、ピンク色のツインテールで小学生くらいの身長と童顔で間違われることも多いが一応中学三年生でしっかり者の彼女はとても頼もしい。
でも立ち去る際になぜ雪椿に謝罪していったのか、遥斗は理解できない。そんな考え事をしながら餅のように柔らかい綾女の頬を、触っていたところを力加減を誤って少し強めに抓ってしまった。
「ひふぁいでふ(痛いです)、ハフ(ハル)」
「悪い悪い。綾女の頬が柔らかいから、つい」
「ハルが触りたいのなら、どんどん触ってください!」
ちょっと、待て? その物言いは周りが誤解するからやめろ?
せっかくの白い肌の一部分が赤く染まっているところを、撫でていると肩に爪痕が残るほどに強く掴まれる。
「いい加減に帰るわよ、遥斗。康太も先に帰ってるから、ね」
口角は上がっているが目が全く笑っていない雪椿、今の彼女に抵抗するつもりもなく頭を縦に振る。雪椿が約五メートルはあるアパートの屋根にその場から、軽々と飛躍したのを続いて行こうとすると自分の体重以外の何かが右腕に掴まっていることに気付く。
その正体は誰でもない綾女だ。別れが惜しいのか一向に放す気配がない。
「なあ、放してくれないか? 俺も行かないとなんだけど……」
「嫌です♪」
満面な笑みを浮かばせながら更に力を強め、微動だにして動かすことができない。
特に遥斗が貧弱なわけもなく、ましてや綾女が男を上回る怪力の持ち主というわけでもない。彼ら「ゆりかご」で育った子供たちは皆人間離れな肉体の持ち主だ。腕力や跳躍力然り、五感をも人間を超越する。
その原因となったのは〝不闇月の血〟という人体を強化させる謎の液体、もちろんこの謎の液体を盛ったのは他ならぬ「ゆりかご」の老夫婦だ。
あの老夫婦が実はテロ組織の研究員で、政府に見つからないよう密かに人ならざる者の戦闘員を作り出そうとしていたらしい。
ちなみに、老夫婦がどうやって〝不闇月の血〟を盛ったのかというと、調理の時間になると隠し味として必ず使うように言いつけられていたことから確証はないが断定できる。
警察に保護されてから体の隅々まで検査してもらい、入院生活中に葛城と情報共有したことでこの仮説に至った。
裏世界で出回っているという〝不闇月の血〟は出所も分からず、誰が一体何の目的で作り出したのかも謎に包まれた液体らしい。
そろそろ行かないとユキがうるさいからな。綾女には悪いけどここで……あれ、左腕が動かない?
いつまでも離れようとしない綾女を引き剝がすため、空いている左腕を動かそうとするが何者かに引っ張られている感覚がある。
「もう、いい加減にしなさいよ! 遥斗が嫌がってるでしょ⁉」
「雪椿さんこそ、過保護もいいところですよ! 貴女がハル自身を縛ってる自覚がないんですか⁉」
左腕には先に帰ったはずの雪椿が抱きかかえていた。
アパートの屋根から他の建造物の屋根伝いに飛び移って〈黒薔薇〉が住んでいる一軒家に帰ったと思ったのだが、いつまで経っても後を追ってこないことに疑問を持ち引き返してきたのだろう。
こうして客観的に見ていると、何の変哲もない女子高生二人がいがみ合っているだけにしか見えない。
̶̶しかし、人ならざる者となってしまった以上はもう戻ることができないことが胸を苦しめられる。
「それで、いつまで俺の腕を引っ張り合うつもりなんだ?」
これまで平然とやってのけた遥斗だったが、さすがに限界が近いのか左右から引っ張られている腕から激痛が走る。
「ほら、遥斗が痛がってるじゃない。綾女、放しなさいよ」
「そういう雪椿さんが放したらどうなんですか? 元はといえば雪椿さんが戻ってきたせいでもあるんですし」
「なあ萩! 綾女を止めてくれないか?」
桔梗が報告しに行ったきりずっと退魔課の出入り口前で、直立している萩に救援を求める。
「無理です。熱くなった綾女お姉ちゃんは、誰にも止めることはできません。それは、遥斗さんもよくご存知でしょう」
こんな時でも冷静な萩の言い分に、ぐうの音もでない。「ゆりかご」で生活している中、雪椿と綾女は毎日のように競い合っていた。主に狩りで競い合っていることが多く、大きさや数で勝敗を決めていた。その他に戦闘訓練でもよく対峙していた。
でも、綾女が雪椿に負けそうになる度に熱くなり周りの手が付けられなくなるほど集中する。そのせいで、決着がつかない限り永遠に戦い続けるといった困った性格の持ち主だ。
「いい加減、あんたと決着をつけないといけないわね」
「望むところです」
「はーい、そこまで! そろそろ行くぞ、綾女」
お互い火花を散らしているところに、仲介してきたのは他の誰でもない桔梗だ。首根っこを掴まれ、遥斗から引き剝がされたことに腹を立てているのか仏頂面になってしまった。
「それじゃあな、遥斗。気を付けて帰れよ」
「お前に心配されるほど、落ちぶれちゃあいねえよ」
「……その様子だと、問題ないな。じゃな!」
警察の寮へと帰っていったところを見届けた後、雪椿と一緒に寮ではなく祖父母から贈与してもらった古風な一軒家で住んでいる。
孤児院に収容される前日、両親には内緒で祖父母の家に遊びに行っていた遥斗はある封筒を手渡されていた。なんでも、「本当に必要な時に開ければ、助けてくれるよ」とだけ言い残した。その時は何のことだか分からなかったが、受け取った封筒を手放さず両親に見捨てられ孤児院に収容された日、何が入っているのかと中身を確認してみるとそれは遺言状だった。
『私たちが死ぬとき、この家および財産を孫である黒田遥斗へ相続させる』
遺言状の他に封筒の中には、家の地図も同封されていた。
これによって、警察の寮ではなく祖父母の家で住むことになった。このことには何も問題などない。ただ、あるとすれば……。
「……で、なんであんたがここにいんのよ⁉」
屋根伝いに飛んで我らの自宅へと帰宅途中、偶然とはとても言い難い人物たちと出会う。ついさっき別れたはずの桔梗たちが、待ち伏せていたか笑顔で立っていたのだから。
「いやー、今晩だけでいいから泊めてくれないかなあ……なんて」
「また『純潔の白蛇』に毒でも吐かれたか?」
「は、はい……その、仰る通りで」
「あいつらの言うことなんて、無視すればいいじゃない」
「俺だって初めはそうしてたさ。でも、あいつら綾女や萩のことを悪く言い出すもんだから、つい抑えられなくて」
桔梗は思い出しただけでも許せなかったらしく、下唇を嚙んでいるところを見るとよほどの悪態を吐かれたのだろう。
紅桜警察署内に設立されている同じ退魔課、通称『純潔の白蛇』は、遥斗たちのように半身化け物になった者のみで構成された『血に染まった赤ずきん(ブラッディ・ロートケープ)』とは打って変わって、優秀な陰陽師のみで構成されたエリート集団だ。
そんなエリート集団でも性格の悪い者が多く、過半数の奴らが遥斗たちのことを毛嫌いし悪態を吐いてくるのが日常茶飯事である。
「正直、俺もあいつらは嫌いだし、別に構わないんだけど……」
ちらりと遥斗は横目で雪椿に視線を向ける。
「私は綾女を除くのなら、歓迎するわ。私たちの愛の巣を壊されたくはないからね」
いま、愛の巣とか言ったか。言ったよな? 愛の巣でもなんでもないから、康太もいるから。
「……こいつの戯言は無視していい。俺が許可する」
「なんで⁉ 私たちの愛の巣が壊されるんだよ⁉」
「一応聞くけど、愛の巣なんてどこにあるんだ。作った覚えが俺にはない!」
「雪椿さん、妄想も大概にしたらどうなんですか? ハルを独占したいからって、根も葉もない噓はどうかと思いますよ」
とまあ、綾女が火に油を注ぐものだから二人の喧嘩が勃発してしまう。もう夜中の一時を回ってることもあって精神的に限界がきているため、無視して帰ることを優先した。
ようやく、眠れる。家の目前といっても過言ではない月聖通りの月聖商店街まで来たところで、邪魔な光景が視界に入る。
「いいじゃねえか。一緒に遊んでこうゼ!」
「や、やめてください」
「無理すんなって、お姉さんも本当は遊びたいんでしょ?」
飲み屋隣りの路地裏で二十代半ばといったところか、スーツ姿の女性が酔っ払った、二人のがたいのいいチャラ男に絡まれて困っている。
葛城に『困っている民間人がいれば必ず助けろ』と教えられた。
ここは睡眠をとるべきか、教えの通りに動くかと悩む前に身体が動いていた。通り過ぎるところを瞬時に反転させる。
「桔梗、ちょっと手伝え」
「……お前なら、そう言うと思ってたよ」
遥斗の取る行動が分かっていたらしく、既に桔梗も体を反転させて後ろについて来ていた。
少し戻ったところに問題の路地裏がある。
このまま真上から飛び降りてもいいけれど、そうすると不審に思われるに違いないと判断した遥斗は少し遠くから偶然通りかかったところを装って助けることにした。
この時間は人通りが少ないため、多少派手な行動を見られたとしても大抵は飲んだくれた酔っ払いが多い。念のためにオフィスと八百屋の間にある路地裏に飛び降りて、作戦を実行することにした。
「いい加減にしてください! 警察を呼びますよ?」
「はっ、そんなことする度胸もないくせに、なにを強がってんだ。それより、俺らと……」
酔っ払いが女性の顔との距離を近づけようとした瞬間、目の前に何かが通り抜け飛んできた方向に目を向ければ、投球し終えた構えの遥斗が不気味な笑みを浮かべている。
「おおっと、手が滑った……なんてね、次は脳天ぶち抜くぞ?」
「この、ガキ! なめんじゃねえぞ、ゴラァ!」
「先に手を出したのは、そっちだからこれは不可抗力ってことでよろしく!」
「うわっと⁉」
帽子を被ったチャラ男が殴り掛かってくるところをうまく利用し、遥斗の背中に隠れていた桔梗が一本背負いで地面へと叩きつける。仲間がやられたとなれば、敵討ちにくるという典型的なパターンで処理し終えた桔梗を襲おうとするが無念にも届かず、遥斗が顎を蹴り上げそのまま顔面にかかと落としを決める。
「そこのあんた、大丈夫か?」
「え、ええ。助けてくれて、ありがとう」
「い、いえ! 俺たちは当然のことをしたまでですから!」
急に姿勢を正したことには突っ込まないでおこう。……桔梗の後ろで黒いオーラを放ってる萩がとてつもなく怖いから。
スーツの上からでも分かる胸の膨らみ、おそらく桔梗の視線はそこに釘付けになっているのだろう。そうに違いない。
これは最近、分かったことなのだが、どうやら萩は兄の桔梗のことが好きらしい。
……兄としてではなく異性として、だ。
今日のようなことが前にもあったのだがその時も萩は黒いオーラを放っていたことを覚えている。
助け出した女性を見送ったあと、一秒でも早く眠りにつきたかった遥斗たちは再び人間離れした跳躍力を生かし屋根伝いに家へと飛躍していく。
「お兄ちゃん、あの人の胸……見てたでしょ?」
「そ、そんなことはないぞ⁉」
「鼻の下を伸ばした顔で言っても、信憑性ねえぞー」
あの女性のことを思い出しているのだろう、完全に鼻の下が伸び切っている。嫉妬から生まれた兄妹喧嘩を無視して、ようやく家に辿り着いた遥斗は玄関を開けると二階の自室へと運ぶ。
木造建築なために廊下を歩くたびギシギシと鳴り響くが、そんなことはどうでもいい。玄関から手前に設置された階段を上り一番奥にある部屋が遥斗の部屋だ。
扉を開ければ、すぐ左にベッドがある。
けれど、そのベッドに妙な二つの膨らみがあるのに気付き、一瞬でも早く眠りたかった遥斗はこれ以上のごたつきはごめんなので、少し歩くことになるが大広間の座敷で眠ることにした。