三話 神様の匙加減 ~変貌~
「歌世ねーさん」
「馴れ馴れしいな、あんたは」
ログインしたら黒井がじゃれついてきた。
適当に頭を撫でてやる。
ログインしたら、視界に海が広がる。そんな場所が、歌世達の溜まり場だ。
「歌世ねーさんは今日もソロで?」
「あんたもソロしかしないじゃんか」
「苦手なんですよ、人多いの」
「ふーん……」
意外な台詞だった。
「初対面の相手のギルド結成に混ぜてくれって言ってきた奴の台詞とは思えんな」
「あれはねーさん方が上手かったからですよ。上手い人間の下にゲーマーは集まる。そういうものです」
「そういうもんかねえ。大暴れしてたのはゴルトスな気もするけれど」
認めるのは癪だが、あの時はゴルトスの耐久力に大いに助けられた覚えがある。
「けど、俺をタイマンで負かせたのはねーさんが初めてです」
「ふうん」
歌世にとっては興味のない話題だった。
「いつか俺、ねーさんより強くなりますから。主に組織力で」
「正面対決は初っ端から諦めてるんかい?」
「こればっかりは生まれ持った反射神経の差ですからね。運が傾けばこっちに勝ちが転ぶこともあるかもしれませんが。壁蹴りなんてウルトラテク見せられた今じゃそれも難しいかな」
「はー、そういうもんですか」
どこまで行っても、歌世にとっては興味のない話題だった。
年下の男の子というのはこういうものなのかもしれない。小さな勝ち負けに拘る。それが世界の全てであるかのように。
そんな彼を見ていると、PKだった過去とその純粋さが不釣り合いなように思えてしまう。
そのうち、ちらほらと人も増えてきた。
人数に反比例して、黒井の口数は減った。しかし、楽しそうにはしていた。
「皆も暇だねえ。狩り行かないの?」
「私はパーティー職ですから」
「僕はソロだけど、六花さんとゴルトスさん待ちです」
「へー。上手く回ってるわけだ」
「歌世さんもいないと成り立ちませんけどね」
思いもしない発言が飛んできて、歌世は驚いた。
「そう?」
「そうですよー。溜まり場に慣れてない時に話し相手になってくれて。ああ、ここに落ち着いて良いんだって思えたんです」
「僕も僕も」
「……何か特別なことをしたわけじゃないよ」
歌世はくすぐったくて、つい謙遜してしまう。
「それにしても今期のアニメは豊作ですねえ」
話が逸れたことに、歌世は安堵する。
その時のことだった。三時も過ぎた頃だ。六花がログインした。
「六花さん、こんにちはー」
「六花さん、こんこんー」
「六花さん、こんにちは」
歌世も挨拶に加わる。
「六花ねーさん、おはようございます」
「黒井君は時間帯の感覚がないね」
六花が苦笑顔で応える。
「それじゃあ今日もゴルトスが来たらパーティー組んで出かけようか。魔術師の準備はばっちし?」
「ばっちしですよ。私、新魔法を習得したから使ってみたいな」
「魔術師なんて必要ないですよ」
その一言で、空気が凍った。
放ったのは、シフだ。
「……どういう意味かな? シフ君」
六花が、穏やかな表情で訊ねる。
「狩人が二人いれば殲滅は間に合う。なにせ熟練の狩人の矢は百発百中だ。護衛すら必要ないでしょうね。護衛が動く動作の間に敵を倒してみせますよ」
そこにいたのは、経験値泥棒になるのが嫌だとパーティー狩りを自粛していたシフではなかった。
自信に満ちた、別人だった。
「けど、私達はパーティー狩りがしたい」
「黒井さん、レベル高いでしょう? 余分に取ってあるステ―タスポイントがあるはずだ。俺と黒井さんが組めばそれで護衛も後衛も他にいらない。経験値も沢山入る。護衛は百歩譲っていいとして、魔術師はどう考えても足手まといです」
「そういう言い方はどうかと思うな」
六花とシフの間に、冷たい空気が漂う。
「俺はギルドの為を思って言っているんですけどね」
「パーティーの構成職を固定してしまうような貴方の提案が良いものとは思えない」
「けど、その方が経験値が入るのは事実だ」
「いいですよ、マスター」
杖を持っている魔術師が、気まずげに俯いた。
「私、素早さ特化の剣士も持っているので、護衛に回ります。確かに、急所を貫けるなら、詠唱が必要な魔術師は不必要だ」
「けど、貴女、魔術師が好きなんでしょう?」
「でも……」
「いいじゃないですか、本人がそう言ってるんだから」
シフはそう言って、片手を掲げる。
「流行の最先端に乗ろうじゃないですか、僕達も」
六花はしばらく砂でも噛んだような表情をしていたが、そのうちひとつ頷いた。
「毎回同じ構成で出発するとは限らない。それは、シフ君も承知しておいてね」
「支援のレベルも上がる。パーティーにとっては良いことしかないでしょうね」
歌世は驚いてしまって、話に入り込めなくなってしまった。そもそも、パーティー狩りが門外漢な側面もあるが、それ以上にシフの変貌ぶりが驚きでならなかった。
あの気弱な青年は何処に行ってしまったのだろうか。
「邪魔だな、あいつ……」
黒井が、小さな声で言った。
歌世にしか届かないような、そんな小さな、小さな声だった。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
その日は、結局六花達はパーティー狩りに出かけた。
魔術師の新スキルを試したがっていた彼女は、気の毒としか言いようがない。
現状、タンカータイプの前衛がゴルトスしかいないのも問題だ。
まだまだ人数不足なのだ。
黒井の言葉が、佳代子の脳裏にこびりついて離れなかった。
闇を収束したような声だった。
まるで、厄介な何かを見つけたかのような声。人を人と見ていないような声。
何か問題が起こらなければ良いが、と佳代子は思う。
ギルドの問題が気になりはしたが、親睦会の日がやって来た。
佳代子は、その日は歌世となることを諦め、オフラインで小料理屋に向かうことにしたのだった。
姿見に自身を写し、色々着替えをしてみる。
(……ジャージにジーンズでいっか。気合入れるようなもんでもないし)
お洒落にはとことん無頓着な佳代子だった。
小料理屋につくと、顔なじみの面々と混じる。
幹事がついて、皆が注文を始める。
何処かで、聞いた声がした。
集団で盛り上がっている中での声だ。
「それでさー、田代のアホがさー」
はて、何処で聞いた声だろう。ここのところ、毎日聞いている声のような。
しかし、彼と同じ講義を近くの席で受けていた記憶はそこまでない。
彼の話しぶりに、どっと笑い声が湧いた。
気のせいだろうか。
佳代子は烏龍茶を飲みながら考える。
「佳代子ー、あんたちょっとお洒落しなよー」
「ジャージにジーンズってコンビニ行く時の服装じゃないんだからさー」
「うん、それもそうだね。けど金がないんだ、私には」
複数のグループに別れての会話になる。
何処かで聞いた声は、その中に埋もれていった。
「私が使ってるシャンプーはねえ」
「あー、私は……」
「あ、高い奴だ。佳代子は?」
「イオンのボトルに詰めるやつの一番安い奴」
「佳代子ちゃん……」
「女子力……」
心なしか、友人達が引いている気がした。
「バイトしよう」
友人達の一人の睦月が、拳を振りかざして力説する。
「バイトしてお金を得て女子力上げよう、佳代子ちゃん。ヤバイよ。今の佳代子ちゃんはヤバイ」
「スカウターで五ぐらいかなあ」
「スカウターって何?」
叫び声のように言う。
「スカウターはスカウターだよ」
その時、脳裏に蘇る声があった。
「歌世はきっと、リアルでも実用重視なんだろうな」
ダインの声だ。
ダインの声と、近くのグループから聞こえてくる声は、酷く似通っている気がした。
(やっば……)
リアルバレは流石にしたくない。佳代子は声のトーンを落とした。
「まあ私も卒業する頃には一人前のレディだよ」
「佳代子ちゃん、喉どうしたの? 急に声低くなったよ?」
「ちょっといわしたみたい。風邪かな。マスク買ってこようかな」
「温かい飲み物飲んだほうがいいよ。注文するね」
流石に、ダインとクラスが同じというのはないだろう。あんまりにも可能性の低い偶然だ。
けど、その偶然がもし起こっていたならば。
佳代子は念のため、声を変えざるを得なくなった。
ダインと似た声の相手に視線を送る。相手も、佳代子を見ていた。しかし、苦笑して、すぐに自分のグループの面々に視線を向けたのだった。
(……たまたま、たまたま)
そう、祈るように念じて、佳代子は目の前の食事に集中し始めた。
酷く気疲れする二時間だった。二次会は各々のグループに分かれてカラオケへ行って盛り上がり、三次会で少しアルコールを摂取して家に帰った。
「もう、遅いかな……」
そう呟きつつも、エッグを起動する。
中毒だな、と自分でも思う。
佳代子から歌世になってログインすると、魔術師の子と鉢合わせした。
「やあ、こんばんは。今日は、どうだった?」
「あ、歌世さん。狩人、凄いですね。次々と敵を倒していって。自信、なくしちゃいます」
「それでも、魔術師好きなんでしょ?」
「スキル使うの、好きなんです。支援に転向しても良いかな……」
「気が早いんじゃないかな、二日で」
「けど、その方がギルドは上手く回る。それは、やむないことなんです」
「ん~。ソロできないのが辛いね」
「まったくもって。時間帯が合えば支援さんとペアもできるんだけど、シフ君ログイン時間が長いから」
「かっさらわれちゃう、か……」
「ごめんなさいね、愚痴っちゃって」
「いいんだよ。聞くことしかできないけどね」
沈黙が漂った。
歌世は、両手を後頭部に置いて、壁に寄りかかる。
「私とペアするか」
「無理ですよ」
「試してみなきゃわからんぞー」
「ワンモーションで敵を倒せる狩人ならともかく、魔術師は、無理です」
「そう、自分の可能性を狭めるのは良くないな」
そう言って会話に入り込んできたのは、ゴルトスだった。
「試してみたら面白いことになるかもしれん。もっとも、動きの勉強が必要なのは歌世だがな」
「言ってくれるね」
相変わらず合わない相手だ。歌世は、鼻白む。
「モンスターを集める練習なんてしたことないだろうがよ」
「それぐらいセンスでできるさ」
「お前にセンスがあることは否定せんが、練習をしないとできないことだってある」
「あの、今日は私、落ちます。それで、明日までどうするか身の振り方を考えてみようと思います」
そう言って、魔術師の彼女は落ちていった。
「千早ちゃん、だっけ。さっきの子」
「名前も知らずに喋ってたのかよ」
ゴルトスが横に座る。歌世は少し距離を置いて、座り直す。
「なんだか変なことになっちゃったね。リアルでも、オンラインでも」
ダインに連絡をする勇気がない。あの声をもう一度聞く勇気が起きないのだ。
「すぐに収まるさ」
そう、ゴルトスは飄々と言ってのけた。
「なんでそう思う? 狩人無双なんだよ?」
「その狩人無双が可能になって二日。廃プレイヤーの中ではもっと前から話題になっていただろう。まあ、弱職だった狩人をやりこんでたプレイヤーの総数そのものが少ないだろうが」
「うん」
「後は、神様の匙加減次第さ」
「? わかりやすく言ってよ」
「どうにかなるってこと」
そう言うと、ゴルトスは薄く笑った。
歌世は、不思議な心境だった。ゴルトスを鬱陶しく思う気持ちと、親に優しく言い聞かされたような安堵感が同居している。
「神様の匙加減、ねえ」
「慣れとかないと、お前も辛いぞ」
ゴルトスはそう言って、立ち上がった。
「買い物行ってくる」
「帰って来なくていいよ」
「またな」
「うん、また」
(慣れとかないと、辛い、か……)
それはもっともな気がする。実際、千早は辛い思いをしているのだから。
歌世は、神様の匙加減とやらが上手い具合に働くことを祈った。
ダインのことは、忘れつつあった。