エピローグ そして世界は回っていく
「それが神速歌世の冒険譚ってわけか」
温泉のマッサージチェアに座り、女性が言う。
「まあねー。まあ大抵の町、大抵の国は回ったかな」
隣のマッサージチェアに座り、佳代子は言う。
「千早には言われたよ。せっかくの後釜候補が入って来たのに歌世に取られたって」
「雷光のゴルトスに神速歌世かぁ。なんか皆、凄い人になっちゃったんだねえ」
「ゲーム内での名声なんてリアルじゃ価値がないさ」
「それでも、覚えてくれている人がいる」
「まあね。掲示板や首都では、もうその名前を覚えている人も少ないだろうけれど」
「そうなんだ?」
「神速スレッドは一応まだあるけれど、闘技場最強議論からはゴルトスの名前は消えた。季節は移りゆく。プレイヤーも移り変わる。貴女もその一人だけれどね、六花」
六花は苦笑して、天を仰いだ。
「戻ってくる気はないの?」
「戻っても、私の装備やレベルじゃ今の最先端のプレイヤーには敵わないよ。佳代子ちゃんや恵一君の足手まといになっちゃうのがオチだ」
「最近私達全然狩ってないよー。溜まり場でだべってるばかりで。たまにヤツハちゃんがクエスト巡りに遠出するぐらいかな」
「狩りに飽きた?」
「若干」
「たまたま今がそういう時期なだけで、またやる気が起きるよ」
「そんな気もするし、そうもならない気もする。六花がいたら賑やかになるから楽しそうだ」
「そうだね。けど、私は多分復帰できないな」
「弱気だね」
「私が辞めたのは初期も初期だからね。インフレについていけなかった人間は取り残される。MMORPGの運命だよ」
「今はレベル二百越えが普通にいる時代だからねえ……」
「ひええ、ついていけないや」
「案外負けず嫌いなんだね、六花は」
「そう?」
「一般人でいるのって楽だよ。神速とか雷光とかスピリタス所属とかいう肩書は重たいだけさ」
「うーん、復帰かぁ……また寝不足な毎日になるのはちょっとなあ」
どうやら、六花は復帰する気はないらしい。
それを妥当だろうと思っている佳代子と、残念だと思っている佳代子がいる。
「この八年、どうだった?」
六花が、話題を変えた。
「ジャージがスーツになった」
「あはは、大人になったんだ」
「けど不思議ね、大人になったって実感がないんだよ。私の心は学生時代のまま。まあ、責任感はついたけどね」
「そういうもんだよ。誰だって急に大人にはなれない。器の変化にともなって中身が急に変わるわけがない。それでも佳代子ちゃんはかなり変わったと思うけどな」
「そう?」
「丸くなった。恵一君との関係もそうだけど。昔の佳代子ちゃんは、もっと過敏だったわ」
「過敏、過敏かぁ……」
「大人になってるんだよ、私達も」
「そっかぁ」
「それにしても意外だったわ」
六花は、苦笑交じりに言う。
「スーツで来たのはコーディネートの自信がなかったからなんてね」
「普段着ぐらいは買えるけど、気合を入れた服の選び方がわからないのよ」
「普段着で良かったのに」
「そうは言うけどなあ……ダサかったら一緒の人に迷惑をかけるじゃない」
「そうダサい服なんて店に並んでないわよ」
「そうかな」
「そうよ」
「気合が入りすぎて外れてる服とかたまにない?」
「うーん……それは、そうね」
「でしょ?」
二人は笑った。過去のように。
「この八年で、貴女は何を得た?」
「大学卒業の資格と、職と、ゲーム上の沢山の知り合い」
「人と繋がるゲームだからね。そうなるわよね」
「仲が良い子とはいつでも連絡が取れるし、オフで会ったりもできると思う。そこらの境界って曖昧よね」
「新時代の関係って感じよねえ」
浴衣姿の恵一が近づいてくる。
「姦しいことだな」
「おっす、恵一さん」
「私がいなくなった後の話を聞いていたのよ。随分冒険したのね」
「六花も戻ればいい。最近はだべるぐらいのことしかしていない」
「けど、私はやっぱりレベルや装備を気にして引け目を感じちゃうんだと思うわ。こうして、リアルで会うのが一番いい」
「つっても六花、たまにしか来れないじゃんか」
「たまに会うぐらいが丁度いいのよ、人間なんてね」
「そうかなぁ」
「そうだよ」
「まあちょっとした同窓会だね」
佳代子が、笑いながら言う。
「不思議な気分。私達四人でギルドを作ったあの日から、有名人が二人出て、そのギルドも残ってるなんて」
「有名人は三人だな」
「三人?」
六花が目を丸くする。
それで察したのか、恵一は訂正した。
「いや、二人だ」
黒井のことは、六花には喋っていないのだった。
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六花との一泊二日の旅行を終えて、歌世はイグドラシルの世界に戻る。
最近は、ワードのアプリケーションを起動して小説を書いている時間が増えた。照れくさいので、周囲には仕事と言っている。しかし、歌世のプレイヤーである佳代子の職場は内部情報を外に持ち出すことは厳禁。仕事などできるわけがないのだ。
恋愛小説を書いているのだが、中々上手くいかない。読者の琴線を震えさせるような作品になった、という手応えがない。
それでも、続けていくのだろう。
仕事が終わるのは九時半、帰るのは十時。そのままイグドラシルの世界で小説を書いて、一時頃に寝る。それが歌世の日課になっている。
ヤツハとシュバルツも狩りに飽きたようで、普段はカードゲームのアプリケーションを起動して遊んでいる。
ゴルトスは、槌を枕にして寝ている時間が増えた。ネットサーフィンでもしているらしい。
酒を飲む時は盛り上がるが、それ以外の時間はもっぱら個人の時間だ。
皆、とりあえずログインしているという感じで、居場所はここだと思っているが、心ここにあらずといった様子だった。
場所は、森の生い茂る山の町だ。この近辺には上級ダンジョンが存在しない。だから、スピリタスの入場許可証が切れる頃に、ここに移動した。
神速も雷光のゴルトスも過去の話。今では、話題に上がることもない。
それでも、人目を避けてしまうのは癖なのだろう。
スピリタスの防衛戦にも協力していたが、歌世達はギルドマスター護衛の任を託されていたので滅多に戦闘することはなかった。
尤も、敵が来たらリヴィアが率先して倒すので、やることなんてほぼないに等しかったが。
自分が戦闘に入ると我を忘れるのがリヴィアの難点と言えた。
「お前ら、スピリタスに入んないんだな」
去り際に、残念そうに言った龍一の言葉が、印象的だった。
「なんだい、寂しいかい」
「いや、俺、受験で入らなくなるから層が薄くなるなあって」
「なんだ、そんな話か」
「楽しかったよ、歌世。愛してるぜ」
一回りも下の子供の一言に、歌世は頬が熱くなるのを感じた。
それきり、龍一とも会っていない。
いつから忘れてしまったのだろう。新しいダンジョンに向かう時の高揚感。
仲間と狩りをする一体感。
危険なゾーンで狩りをする緊迫感。
どんなゲームにもいつかは飽きが来る。そんなこと、歌世はすっかり忘れてしまっていた。
そして、歌世はなんの気なしに雑魚敵でもいじめようと町の外に出かけた時のことだった。
スライムを次々に一撃で倒している青年がいる。
装備は初期装備。新人だろう。
「ねえ、君君」
「なんですか?」
彼は周囲のスライムをあらかた倒して、振り向く。
「技量にステータスを振ってるのかな。やけにクリティカルヒットが多いけれど」
「ステータスは、振り方を考えている最中です」
ならば、伸縮自在に動くスライムの核を、プレイヤーの技量だけで正確に狙っているということか。
歌世は、感じていた。彼も、自分や龍一と同じ、ギフトを持つ存在だと。
「君、ギルドとか入る気ある?」
「探そうとは思ってます」
「うち、来ない? ほぼ飲んだくれしかいないけど」
「ちょっと不安になるフレーズですが、丁度いいかなって思います」
「じゃあ、早速要請を送るよ」
いつ引退するかわからない身だ。一緒に遊ぶのも無理だろう。それでも、触れ合う時間は多少は取れるだろう。
「君に、世界を見せてあげるよ。この世界は本当に楽しい。リアルに帰れなくなる人がたくさん出るほどだ」
「はいっ」
「ただし、君はきちんと最後はリアルに帰らないと駄目だぞ」
「はいっ」
「私の名前は、歌世。君の名前は?」
ここからまた、出会いを始めよう。
そして、大切に育てよう。
別れが苦いものにならないように。
「シンタです」
「シンタ君か。よろしくね」
ギルドメンバー加入の要請を送る。それを、相手は承諾した。
時計の歯車は動き続ける。それが運命の出会いとも気が付かぬうちに、人と人とは出会っていく。
この後、シンタが主人公となるイグドラシルでもう一度に繋がります。その続編のロープレ!で黒井は再登場を果たします。
そちらもよろしければ是非。




