七話 砂漠の町の少女 ~それぞれの日常~
心が乾いていた。
何でも屋を始めてからというもの、依頼の大半は私怨によるPKだった。
それらを断って、胸躍る冒険に出かけたことも何度もあったが、目に見えない失望は心に溜まった。
名が売れる頃には新しい町に流れ行く。そんなことを繰り返しているうちに、二年の歳月が流れた。
「雷光のゴルトス。ローカルヒーローだ」
短剣でジャグリングをしながら、歌世は遠くにいるゴルトスに声をかける。
首都の闘技場で連戦連勝の英雄。ゴルトスは今、そんなものになっている。力のステータスは攻撃速度にも影響を与える。それを有効利用して彼は勝利を量産している。
「神速の噂も伝え聞くがね」
ゴルトスは淡々と返す。
ここ数年で彼もすっかり落ち着いた。
神速。
掲示板上で囁かれる歌世の通称だ。
「あれは皆で形作った都市伝説みたいなものだよ。私が知らない私の冒険が沢山掲示板に投稿されている。そのうち私は宇宙からの来訪者とでも対話するんじゃないかな」
「そのネタはもうあったな。前スレの八百五十七番だ」
短剣が一本地面に落ちた。
歌世は空中の短剣を全て掴み取り、地面に落ちた一本も持ち上げる。
「悪ノリが過ぎるのがネット民の悪いところだ」
「古くは高橋名人が腕にバネを仕込んでいたなんてデマもあったぐらいだ。人間の性質だろう」
「妖怪や魔物ってこうやって生まれたんだろうなあ」
再び、短剣でジャグリングを始める。
この短剣は、前の町で会った依頼者からもらった報酬だ。金色の短剣が四本、銀色の短剣が一本。
中でも銀色の短剣が切れ味が良くて、試し切りの機会を伺っている。
随分と、力のステータスにもポイントを振るようになった。急所狙いの一撃が弾かれることが増えたからだ。
次から次へと強靭なモンスターは増えている。
ソロに限界を感じ始めている。
イグドラシルの世界はパーティー狩り向けに調整され続けている。
それも、心の乾きを加速させる要因かもしれなかった。
「まあ、そろそろまた試合だ。通話は切るぞ」
「ああ、ありがとう。暇があったらまた話そう」
なんだかんだで腐れ縁だと思う。
別々の町に移り住んで二年、交流が続いている。
若々しい声が、耳に飛び込んだ。
「それは、あのダンジョンが墓標だからだよ」
黒いとんがり帽子に黒いローブを着込んだいかにも魔女と言った女性の口から出た言葉だった。
「墓標?」
「そう。未解明な墓標。私達はその内部を探索する冒険者ってわけ」
「奥には何か隠れてるのかな」
「財宝が沢山眠ってるらしいよ。その王は富と一緒に自らの亡骸を埋めるように指示したそうだから」
「そんなことよく知ってるなあ」
「NPC達の会話を聞いていれば回収できるよ。もっと面白いのがね……」
彼らは歩いていき、会話が聞こえなくなった。
乾いた心に、水が一滴染み込んだような気分だった。
イグドラシルを純粋に楽しんでいる者がいる。それが、歌世は嬉しかったのだ。
歌世は再びジャグリングを始める。そろそろ、今日のログアウト時間は迫りつつあった。
睡眠時間を削って冒険する。そんな日々、遠い過去のことになっていた。
歌世は随分とレベルを上げたが、リアルにリソースを割いているこの一年で随分と廃人勢に近づかれたと言ってもいいだろう。
何でも屋の看板を掲げて短い時間で依頼をこなす。それが、今の歌世のイグドラシルオンラインのプレイスタイルだった。
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シュバルツは聖壁と呼ばれている。
対人で中々倒れない聖職者。故に聖壁。
パラメーターは素速さと耐久と荷物を持つだけの腕力に多くを振り、魔力の値は必要最低限。
今のイグドラシルの世界では珍しい型だった。
そんなシュバルツだが、今は一般ギルドに移行している。レベル上げに専念したくなったのだ。
対人ギルドも年がら年中対人をしているわけではないが、やはり狩りに割く時間は削られた。
丁度、組めるレベルに知り合いの魔術師がいる。
それが、シュバルツが野に下った理由だった。
「シュバルツー。狩り行こうぜー」
新しく入ったギルドのサブマスター、巴が声をかけてくる。
「巴さん、最近シュバルツに付きっきりですね」
ギルドメンバーのサフがからかうように言う。
「こいつ中々倒れないんだ。アイテムとか結構使ってるみたいだけど。組んでて頼りになるよ」
頼りになる、という評価は何よりもシュバルツの心をくすぐった。
「たまには俺とも組んでくださいよ~」
「気が向いたらなー」
巴は、淡々と言う。
「問題は、道中のPKだが」
巴の声に、暗鬱な色が滲んだ。
最近、シュバルツはPKに狙われている。原因は知れない。ただ、狙われているのは事実で、共に行動する巴はデスペナルティを何度も貰っている。
次のレベルに上がるまでの必要経験値のうちから三パーセント。中々に大きな数値だ。
前のギルドの抜け方がやや強引だったから、その嫌がらせだろうか、とシュバルツは考えている。
「それこそ、何でも屋にでも頼んでみるか」
巴が何気なく言った言葉に、シュバルツは興味を惹かれた。
「何でも屋?」
「いるんだよ、今そういう看板立ててる奴が。フードを目深にかぶっていて顔立ちは見えないが。最近は暇なのか短剣でジャグリングをしている」
「器用ですね。エッグを自分の体みたいに扱っていないとできない芸当だ」
「エッグを自分の体みたいに扱っててもジャグリングはできないなあ……」
ギルドメンバーのみゆが、憧れるように言う。
「まあ、道を変えて行ってみましょうか。そうそう待ち伏せはできないはずです」
「そうね。まあこれで駄目なら何でも屋に依頼に行こうか」
「ええ」
そう言って、二人は立ち上がる。
「俺も狩りに行こうかな」
そう言って、サフも立ち上がる。
「ソロかい? ソロやるぐらいなら混じってもらっても構わんが」
シュバルツの提案に、サフは首を横に振った。
「最近趣味職を育ててるんだ。それが随分と具合がいい。二人で遊びに行ってくるといいよ」
「わかった。じゃあ巴さん、行きましょうか」
「ああ。今日は死なないぞう」
二人は砂漠の中のオアシスを歩き始める。そのうち、周囲の光景は砂漠になり、森が現れた。
シュバルツがよく組む仲間に言わせれば、このちぐはぐな光景にも理由があるらしい。しかし、興味がなかったので聞き流していた。
森の中に入る。緊張感が二人を包む。
そのうち、何かが風を切る音がした。
「伏せて!」
前を歩いていたシュバルツは言う。
巴は従って、しゃがみこんだ。
矢が、巴の頭がさっきまであった地点を通過していく。
シュバルツは茂みの中を駆けた。今日こそ犯人の姿を確認してやる。
そうと思ったが、相手がログアウトする光が残っただけだった。
「まったく、なんだってんだ」
シュバルツは、苦い顔になるしかない。
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ヤツハは、魔法使いだ。なのでそれらしくコーディネートした服を着ている。黒いとんがり帽子に黒いローブがトレードマークだ。目は宝石のような緑色。白い肌を、黒絹のような長髪が包んでいる。
溜まり場で話し込んでいる彼女を、シュバルツは訪ねた。
「シュバルツ、こんばんは。今日も元気?」
「元気だよ。ヤツハこそどうだ」
「元気元気。今から徹夜で狩りに行けそうなぐらい」
「美容を考えて徹夜はなしにしような」
「けどレベル上げないと新しいクエスト受けられないみたいなんだ」
「またそれか。お前はクエストが絡むと人が変わるなあ」
「クエスト目的で始めたからね、このゲーム」
ヤツハはクエストに目がない。このゲームのクエストを担当するシナリオライターが好きでゲームを始めたという変わり種だ。だから、ゲーム内の設定には異様に詳しい。
クエストを受けたいからと遠出させられたことも何度あったか数え切れない。
クエスト情報サイトの数割を更新している女。それがこの眼の前にいるヤツハだ。
シュバルツはひとまず、その場に座った。
「まあ、元気と言っても狩りの直後で多少疲れてる。休憩時間をくれ」
「あいよ」
「じゃあ、ヤツハさん、俺と狩りに行こうよ」
「いや、俺達と」
ヤツハのギルドの面々が、声を上げる。
「私は不器用な魔術師だから。敵を集めてきてくれるシュバルツと組むよ」
ヤツハは苦笑して、やんわりと断る。
周囲は落胆したように肩を落とす。
「ヤツハが駄目ならお前らで組んで行けばどうだ。メンツは足りてるんじゃないか?」
シュバルツが指摘するが、沈黙が周囲に漂う。
彼らは狩りに行きたいわけではない。ヤツハと、親睦を深めたいのだ。
それが、危ういことのようにシュバルツには感じられた。
「お前、大丈夫なのか?」
個人通話でヤツハに声をかける。
「何が?」
「こんな囲い作って。いつか痛い目を見るぞ」
「皆いい人だよ。囲いなんて言い方は心外だなあ。シュバルツってそういう、私にだけ口が悪いところがあると思う」
「お前が呑気だからつい口煩くなるんだよ……痛い目見ても知らないからな」
「痛い目なんて、見ないよーだ」
「そっか。ならいいが」
深く考えての発言だろうか。シュバルツは考える。
それはなかろうと、自己完結したシュバルツだった。
その日、結局ヤツハと二時間狩った。
PKはヤツハと狩る時には現れなかった。