□『廃屋の君』
僕の家はとある山奥にある。人里はなれてすぎて、村という集合で閉鎖されているようにも
思う。夜もぽつぽつと街灯があるだけで、都会からこの村にやってきた時は、肌寒ささえ覚え
た。
基本的に食べ物なんかは自給自足だ。水だけは業者が持ってくるけれど、それ以外は畑でと
れた作物や魚を食べて暮らしている。
けれど僕は知っている。そんな村の中に、ひとり肉を喰らって生きている不思議な生き物が
いることを。
その建物は実に古びていて、ぱっと見は人なんて住んでなさそうに見える。
けれども、そこにはいるのだ。その生き物が。
僕は伯父に黙ってたびたびそこを訪れた。そいつは昼も夜もいて、最初は幽霊かなにかだと
思ったくらいだったけれど、そうじゃない。それは、不思議な生き物なのだ。
「やあ、ヘイナ、僕だ、■■■だよ」
僕は今日もその生き物に声をかける。
その生き物は肉を焼いていた。いや、部屋中が獣の肉で一杯なのだ。ヘイナは関心もなさそ
うに僕をみると、軽くお辞儀をしてくれた。
僕はその生き物をヘイナと読んだ。そう、もともとここには、ヘイナという少年が住んでい
たそうだから。
「ここはお肉が一杯だね、村の人から嫌われるだろ?こんなことしてて」
それは実に何度もした話題だった。
実際、村の住人は誰一人としてここには近づかない。
でもこの話題をすると、いつもヘイナは君の方がもっとおかしいからいいって言うんだ。嫌
われ者の自分より、僕はおかしいってそういうんだ。
「はは、相変わらず失礼だな君は」
僕は苦笑する。ヘイナは頑固だけど、話していてどこか落ち着くんだ。
しばらくヘイナと話して、僕は家へと帰る。
ヘイナは肉ばかり食べているくせに、身体が弱くて話ていられてるのはいつも30分から一
時間ほどが限界だった。
「また来るよ」
そう言って僕はヘイナの廃屋を跡にした。
そして次の日、またあいつが言うんだ。
「おかしい、絶対おかしいよ」
クラスメイトだ。確かに、村から隔離されているヘイナと会う僕はおかしいのかもしれない。
村という集合は、囲わないと不安でしょうがないのだ。
僕はクラスメイトの話なんて聞きやしない、またそこへ行こうとするのだ。
いつものように廃屋に向かった僕は、その途中でやつらを見かけた。あいつと行動を一緒に
している女子たちで、特に栗色の髪の長い女子が
それを仕切っているようだ。
「こ…れ………嘘………ほんとに?……」
会話は遠くてよく聞き取れなかったけれど、きっと廃屋に通う僕の悪口や、ヘイナのことを
言っているに違いないのだ。女子というのはそういう陰口が実に多いものだから。
「やあヘイナ、今日は…」
その日もいつものようにきたつもりだったのに。
どこで間違ったろう、そこはただの廃屋になっていた。
あの生生しい肉がないのだ。ないのだ。
「嘘だ、嘘だ」
と僕は廃屋をかき乱し、ヘイナを探した。けれど、どこにもヘイナのいた痕跡がないのだ。
ただ、狂ったようにキノコが部屋中にびっしり敷き詰められていたのだ。
僕は体に軽いしびれと吐き気を覚えてその場所を去った。
「うーー、うーーー」
僕はとたんに苦しくなって、見づからの腕を噛み、頭をぶつけたりした。そうしないとおさ
まらないのだ。
気がつくと、そこはヘイナの部屋だった。
あの肉が一面しきつめられているあの部屋だった。
「なんだよ、僕は道でも間違えたのか」
そこにはヘイナがいて、いつものように肉を焼いていた。
「ああ、ヘイナ…」
僕がヘイナに触ろうとすると、急に肩をぐっと掴まれた。
「ヘイナ…!ここでなにをしているの!!」
ああ、こいつはさっきここへ来る途中で見かけた栗色の髪の女子だった。僕をつけてきたの
だ、なんてやつなんだ。
僕はその場から女子数人に引っ張られてヘイナから引きはがされた。
ヘイナはどこか、どこか、どこか笑っていた。くすくすと。笑いながら、僕が連れて行かれ
ることなんて気にも留めず、ただただ、笑って肉を切り刻んでいたんだ。
そうだ、ヘイナは初めから僕の話なんて聞いちゃいない。身体が弱いと言って、僕を追い払
っていただけなのだ。
頭から血を流し、腕に怪我を負った僕は村の診療所に連れて行かれ、詰問された。
「ヘイナ、あの場所には近づいては駄目よ」
「ヘイナ、貴方は女の子なのよ?僕なんて言葉使いはやめなさい」
「ヘイナ、貴方は病気なの、彼女の目の届かない場所へ言っては駄目よ」
すべてヘイナのことばかりだ。
なんで僕がヘイナのことで怒られなければならないのだろう。
それに、病気の人間に貴方は病気ですなんて、なんて医者なんだ。
それから数カ月して、私は私のことを思い出した。
「ヘイナ、大丈夫?もう一度言ってみて」
うんざりするような確認の山。
「私はヘイナ、両親を切り刻んで、精神病院に入れられています」
しかも、容赦もなくそう言わせるのだからたまったものではない。
「いいのよ、ヘイナ、それでいいの」
医者がそれで満足するれば解放される。
あの不思議な生き物も幻覚だったのだと納得させられる。
私は施設を出してもらえなかった、当然と言えばそうなのだろうが、いつも個室でひとり、
退屈な時間を過ごしていたが。唯一たまにの面会があった。それはあの栗色の髪の女子、私の
姉だった。
「ヘイナ、気分はどう?」
これは開口一番にいつも聞かれるが答えはいるも同じだ。
「最悪です」
実の姉だというのに、私にはこのひとを姉だと思うことができない、それはなぜかはわから
ないが、そうなのだ。
小さい頃から一緒で、もちろん姉ではあるのだが。
「いつここから出られるの?」
私は当然のことを何度も聞いた。精神病院は、逆効果だ。ここにいた方が精神を病んでいき
そうな、そんな施設だった。
私はいつも個室で本ばかりを読んでいた。特にやるべきことも、自由もないからだが、注文
をかけた本は施設の者が用意してくれた。
「私はヘイナ、両親を切り刻んで、精神病院に入れられています」
週に一度のメンタルケアは、ただの拷問だ。
「いいのよ、ヘイナ、それでいいの」
まるで同じ時間を繰り返し体感しているような、そんな異常な錯覚さえ覚える。こんな生活
を強いられていたら、そのうち壊れてしまう。そんな時だった。
またあの姉との面会になったので、面会室に連れられていくと、ふと見えたのだ。あの不思
議な生物が。
「……」
恐怖だった。鳥肌が立った。それは、じっとこちらを見つめて手招きしている。
「…いや、いや、そこには、いきたくない…!!」
私は錯乱して、施設の人間をはじき飛ばし、施設から逃げ出した。
施設といっても、所詮は田舎だ。隔離所のようになっているわけではない。
遠くから大勢の大人が追いかけてくる。
私は何人かの大人を■■した。やはり、病人でも容赦なく襲いかかればなんとかなるものだ
った。
「…はあ、…はあ」
服に汗がべっとりとはりついて気分が悪い。
蝉の鳴き声がやけにうるさい。季節は、あの秋から夏になっていたのだ。私は大人を逃れよ
うと知らず知らずのうちに、あの場所に来てしまっていた。不気味な生物のいた、あの廃屋に。
夏の匂いと蒸し暑さが身体を侵食していく。
私は耐えられずに廃屋の中に入る。するとそこには、肉も、きのこもない、ちょっとした研
究施設のような状態になっていたのだ。
「なに、…これ…」
部屋の奥に机がある、そこに張られているのは私の、私の写真。私の写真が一面に、張り巡
らされていた。ご丁寧なことに、そこには詳細なデータまでもが張られていた。これじゃあま
さに標本だ。
「椎名 アキナ…、誰?私じゃないの…?」
そこには椎名アキナという人物のありとあらゆる情報が記載されていた。しかもしれは、常
に更新して貼り付けているような乱雑な形で。
「6月20日、面会、自身をヘイナだと思いこんでいる、順調…」
この文章に、倒れそうになった。
「これ、あいつと面会した日じゃない…、思いこんでいるって、どういうこと…?」
その瞬間、背後からすごい音が鳴って、私は体制を維持できなくなった。
身体から血が、血が、どんどん流れていく。
地面にあおむけに倒れた。その視線は天井にあって、そいつを見ることができた。栗色の髪
の毛、姉だ。信じられないことに、拳銃で撃たれたのだ。
ああ、今のショックで思いだした。ああ、あの廃屋の君は貴方だったのね。両親を切り刻ん
だのは…、椎名 ヘイナ、私の…姉…。両親を切り刻んだのは、私じゃ…、なかった…。
そこで意識が途切れた。
「……あ…」
再び目を覚ましたのは、いつもの施設だった。隣いたのは栗色の髪の毛の姉だった。
「大丈夫?貴方、とてもとても大けがをしたのよ?」
姉が手を握って心配そうに見てくる。
「自分が誰だかわかる?」
私はぼうとした頭でその問いに答える。
「私はヘイナ…、両親を切り刻んで、精神病院に入れられています…」
姉はそれを聞くと満足したように笑った。
「ええ、そうよヘイナ、良かった、きちんと覚えていたようね」
その真っ白な個室から姉を見送る。外からはまばゆいばかりの光が差し込んでいた。
姉が私に一冊の本を持ってきてくれていた。それは、私がこのあいだ注文をした本だった。
私はその本を持ちあげて、部屋の角へと叩きつけた。
監視室から見ていた施設関係者が私をとり押させようと部屋に入ってくる。
「私はアキナよっ!!私はお父さんもお母さんも殺してない!!殺したのはあいつよ!!返
して!!ふたりをかえして!!」
私はすぐに目を塞がれ、口をふせがれて、身体をがんじがらめにされ、二台に固定されて、
暗い暗い穴へと乗せられていった。
もう叫ぶことも、泣くこともできない。恐ろしいくらいの後悔が襲ってきたけれど、
もう、遅かったのだ。
姉が何故このようなことをしたのか、そもそも何をされていたのか、
それを知るすべは、もうないのだから。