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稲倉くんが来た夕食の時、ふと思い出して文化祭の話題を出してみたら驚く程よく日向が食いついてきた。よほど文化祭の準備が楽しいらしく、ディズニーランドに行く小学生みたいにきらきらした目をして「雛子たち来るんだったよな!」と言った。
どうやら稲倉くんと二人でいるときにも文化祭の話題はちょくちょくあがるらしく、稲倉くんは苦笑いしている。
「日向先輩のクラス、メイド喫茶でしたっけ」
「そう、俺もメイドやるんだ」
……メイド?
ふりふりのミニスカートのメイド服を日向が着て「おかえりなさいご主人様」って言ったり、オムライスに魔法をかけているところを想像して、飲み込んだ豚肉の生姜焼きが逆流しそうになった。日向は確かに痩せ型だけど筋肉は適度についていてどう見ても男子の体型だし、絶対に似合わない。
でも、康徳は男子校だし、メイド喫茶っていう時点でウケ狙いなのは当然だった。
おえ、とわざと吐く真似をしたら隣の日向に小突かれて、焼肉を一つ奪われた。くっそう……。
「三年C組、スリーシーメイドカフェだよ」
「スリーシーって?」
「キュート、カドルサム、カフェテリア」
英単語が私のおバカな頭に引っかかる。あーもうっ、なんで家に帰ってまで英語のこと考えなきゃならないんだ。
カフェテリアってお茶飲んだりするところでしょ?
キュートって魅力的ってことでしょ?
「……カドルサムとは」
稲倉くんに助けを求めたら、ふっ、と鼻で笑われた。くそっ、これだから秀才は……。へそピアスを見てしまったあの日から稲倉くんは私に遠慮がない。
「抱きしめたいほどにかわいい、です」
「そう、魅力的で抱きしめたいほどかわいいメイドがいるカフェ。ちょっと無理やりだけど」
やっぱりウケ狙いみたいだ。
「スリーシーカフェ来いよ」
「ハイハイ」
もちろん行くつもりはない。知代と二人だったら笑いに行ってあげてもいいけれど、今回は沙也加もいるのだ。つい二、三か月前に出会ったばかりの人に自分の兄の恥ずかしい姿を見せられるわけがなかった。
絶対行かない。沙也加に日向のメイド服姿なんて見せられない。
おまけに、たぶん和樹、来るだろうし。
「想太のクラスは何やんの? 看板、おどろおどろしかったけど」
「あー……お化け屋敷です。カースドストロードール、っていう」
どうしてこうも秀才たちは英語が好きなんだろうか。
かろうじてドールは人形だっていうのがわかった。でもストローってジュース飲むやつでしょ? ジュース飲む人形なの? ほんとにそれお化け屋敷? ていうかそれ怖いの? カースドにいたっては、どういう意味なのかさっぱり見当がつかない。
日向は意味がわかったみたいで、「こわっ」とリアクションしていたが、何が怖いのかさっぱり理解できない。
稲倉くんはちらっと私を見て、
「呪いの藁人形です」
ご丁寧にも解説してくれた。
ストローってあれね! ストロベリーのストローね、藁ってことね、納得だ。
「想太、お化けとかやるの?」
「お化けっていうか、まあ。……ネタバレになっちゃうんで言わないですけど」
「おっ、まじか。じゃあ休憩時間に行くよ」
「日向先輩来たら、超驚かしますね」
談笑する二人。
ん? 稲倉くん私に対するのと態度違わない? なんなの? 片思い中の女子なの? 好きな人にだけ態度変わっちゃう系なの?
私の心の中でのツッコミを当然知らない稲倉くんが、ちら、とこちらを見てきて思わず目が合ってしまう。「こっち見ないでくださいよ」と言わんばかりの目を向けられたから、むしろ睨み返してやった。日向は私たちの仲がいいと思っているが、大間違いである。
私は心の中で、絶対に稲倉くんのクラスのお化け屋敷なんかに行くもんか、と決めた。たいてい文化祭のお化け屋敷は二、三クラス分あるだろうし。
「ていうか雛子、誰と来るんだ? メールで三人って言ってたけど」
私が答えようとすると、自分から聞いてきたくせに日向が手で制してきた。
「待って当てる。知代ちゃん」
「それは当たってるけど、もうひとりは日向知らない人だから、一生当たんないと思うよ」
日向が「名前は?」と素直に聞いてくる。
「沙也加」
「青木さやか」
「それは違う」
「可愛い?」
「美人系かな」
「なるほど」
可愛い子とか来て彼女できたらいいなーって日向が呟く。
そりゃエリート男子校だし、秀才と付き合ってみたいなっていうミーハーな理由で来た女子の中にはきっと可愛い子もいるだろうけれど、メイド服を着て接客している日向を見て彼女になろうなんて思う人はかなりまれだろう。たぶんいないと思う。
おまけに、言ってることが知代とおんなじだ。こらえきれなくて、ぷっと吹き出してしまう。
「なんだよ」
「いや、知代もイケメン捕まえにいくみたいなこと言ってたから」
「えっ、マジで!」
複雑そうな日向の顔を見たら余計に笑えてきて、私は手で口を隠しながら思いっきり笑った。偏差値七十のくせに、思考回路が知代とおんなじ。文化祭で恋人できたらいいなあだなんていう夢見がちな考えも、うっとりした言い方も。腹筋がひくひくした。
稲倉くんが不思議そうな顔をしているから、私の代わりに日向が説明する。
「知代ちゃんって雛子のクラスの子ね。文化祭来るみたいなんだけど、ちょーっと、ふわふわっつか抜けてるっつか元気すぎるっつか」
お前が言うか。
「えっ、雛子さん、女の子の友達と来るんですか」
まるで、私に女の子の友達がいるなんて意外、とでも言いたげだ。
確かに私は日向と仲がいいし、年頃の兄妹の仲がいいなんてちょっと珍しいかもしれないけれど、さすがに他校の文化祭に一緒に行くお友達くらいはいる。稲倉くんじゃあるまいし。
「あ、稲倉くんのクラスはいかないからおかまいなくー」
「来ないほうがいいですよ、たぶん雛子さん怖くて泣いちゃうと思いますからー」
その皮肉たっぷりの言い方に腹が立って「泣かないもん」といってから、なんだか子供みたいだと思った。けれど、何を言ったら大人っぽい返しなのかわからなくて、私は黙って生姜焼きを頬張った。
日向の文化祭まで、あと四日だ。