(4)
その答えが出たのは、その日の夜のことだった。
お風呂上がりにふとスマホを見たら、沙也加から、LINEのメッセージが来ていた。
『雛子はウチのことそういうふうに思ってたんだね』
『今日のあれが雛子の本音だって、よくわかった』
『でもウチもあれが本音だから』
スマホをベッドに思いっきり投げつけた。既読をつけたのはいいものの、返事をする気にはなれなかった。今返事をしたら、また、昼間みたいに沙也加にひどい言葉を投げつけてしまいそうだった。
あんなの本音なんかじゃない。あんなこと言ってしまってごめんなさい。
そう言いたい。
けれど、意地がそれを邪魔した。結局知代からのLINEにも返せていない。
「ああ、もう」
髪の毛が傷むのもかまわずに、がむしゃらに頭をかいた。
ふと、指先に耳たぶが触れた。一つの穴も傷もない、まっさらな耳たぶに、爪でバッテンのあとをつける。チリチリとかすかに痛むけれど、思ったよりは痛くない。
――ピアスをあけよう。
ふいに、そう思った。
不思議と抵抗はなかった。この耳たぶに穴があいたら、きっと、このやるせない気持ちも、虚しさも、悲しみも、全部穴が吸い込んでくれるだろう。私のブラックホール。この先二人と絶交することになろうとも、きっとそれがあれば耐えられる。
そんな気がした。
私はスマホと千円三枚と小銭少しをジャージのポケットに入れて、部屋を出た。自室で勉強している日向に「ちょっとコンビニでジュース買ってくる」と告げたら、集中しているのか、上の空に「おー……」とだけ返ってくる。
そして家を出た。
ここらへんでピアッサーが売っていそうなお店で一番近いのは、駅ビルに入っている薬局だ。前に知代と一緒に行って、「ピアスあけたいね」「でも痛そう」なんていう会話をしたのを覚えている。
もう十二月に入り、冬が本格的になってきた。暖房の効いた家の中で着ているジャージに生乾きの髪の毛じゃ、いささか寒すぎる。
たまらず駅までのバスに乗った。運転手さんに聞いたら、ソッコーで薬局でピアッサーを買えば最終バスでこっちまで帰れるそうだ。
駅までの道のりの間、ピアスをあけた自分を想像した。すごくかっこよくて、これならひとりぼっちでも生きていけると思った。
駅について、すぐに薬局へ向かった。ピアッサーはいくつかあって、その中で一番安い両耳用のものを買った。十八歳以下は買えないんじゃないか、と一瞬思ったけれど、そんなことはなく、レジのお姉さんはあっさり売ってくれた。稲倉くんだってあんなにバコバコ空けてるんだもの、十八歳以下とか、きっと関係ないのだろう。
少し時間があったから、トイレに寄った。
化粧をするための鏡の前で、私は髪の毛をかきあげて自分の耳たぶに触れる。
この耳に穴を開けるのだと思うとぞくぞくする。きっと日向は怒るだろうけれど、なんだか自分がすごく大きな存在に思えて、そんなことどうでもよかった。ピアスをあけるのなんて私の勝手だ!
ポケットの中でスマホが震える。増えてしまった小銭に当たって、やたらと大きな音に聞こえた。
見たら、既読無視したはずの沙也加からLINEが来ていた。
『なんで無視するの?』
『知代のLINEも見てないよね?』
『自分に都合のいいこと以外返さないわけ?』
違う。そんなんじゃない。
でも、違わない。
私は薬局の袋の中からピアッサーを取り出して、包装をめちゃくちゃに引っ掻いて中身を取り出した。
わからなかった。何が正解なのか。この気持ちを沙也加に伝える方法が。
ピアッサーで耳たぶの適当な位置をはさむ。針の尖った部分が耳たぶにつきつけられるのが見えた。説明書きは読まなかったけれど、きっと、これで耳たぶを挟めば穴が開くのだろう。なんだ、ピアスをあけるなんてすごく簡単なことじゃないか。
簡単な、こ、と――。
「……あれ」
そのひと押しができない。せーので押そうとしても、せーののあとの空白ばかりが開いて、穴を開けるのを先延ばしにしようとしている。
決してビビってるわけじゃない。ピアスをあけることとか、痛いことに対して、抵抗なんか何もない。
これを開けないと、私はずっと苦しいまんまだ。わかっている。なのにどうして――?
鏡の中の自分が、怯えたような表情をしていた。
「ビビリ」
呟くように罵って、私はピアッサーをポケットの中に押し込んだ。
悔しかった。
私は中途半端だ。沙也加に謝ることも、自分が正しいと貫き通すことも、諦めてピアスをあけることも、何一つ勇気がなくて出来やしない。LINEで何を言われても言い返すことすらできないし、ピアスをあけるのだって日向に隠れてコソコソしている。
このまま帰ったら負けのような気がして(何に対して負けるのかはわからないけれど)、私は心の中でバカ野郎バカ野郎と呟きながら、残りのお金で一番高い切符を買った。
それから、たまたまやってきたテキトーな下り線の電車に乗り込んだ。普段あまり電車に乗らないからこれが混んでいると言えるのかどうかはわからないけれど、少なくとも座席のほとんどは埋まっていた。疲れた顔のサラリーマンと、ちゃらそうな学生が目立って多い。
たまたま空いていた端っこの席に座った。ジャージ姿の私は浮いているように思える。ポケットに直に突っ込んだ小銭が私が動くたびに音を立てるのも恥ずかしくて、私は座席の端に端にと縮こまるように座った。もちろん、誰も私のことなんて見ていやしないけれど。
怒ったり、安心したり、開き直ったり、また怒ったり。
今日は心の中が忙しくて、なんだか疲れてしまった。目を閉じるとやわらかく眠気がやってくる。
抗う気力も、意味も、私にはなかった。