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ブラックホールをふさいだ日、  作者: 村崎千尋
第五章 君と坂をのぼった日
26/31

(2)


 ――っていう話をした次の土曜日に和樹に呼び出されるとは思わなかった。


 目の前でポテトをつまむ憎たらしい顔を睨みながら私はハンバーガーにかぶりつく。


 休日の駅のフードコートは、お昼どきを過ぎて少しずつ人が減ってきていた。二か月前の秋祭りのポスターが貼ってあるような奥まったところを選んだせいで、駅の喧騒が随分遠くに聞こえる。つまりその分和樹が目の前にいるっていうことを嫌でも意識させられて……ああ、イライラする。


 私だって、普通に誘われたらテキトーな理由をつけて断っていたはずだ。面倒くさいし、何されるかわからないし、何より今は沙也加の好きな人だから、誰かに見られて変な誤解をされたくない。


 でも。


『稲倉想太の件で雛子に話がある』


 そんな言い方をされたら、行かないわけにいかないじゃないか。


 あの焼肉パーティーで、私は和樹にも稲倉くんを紹介した。けれど二人が特別会話したっていうことはなさそう。


 気になるのは、和樹が通っている高校が千崎高校だっていうことだ。千崎高校のある千崎市は……稲倉くんの住む海晴町の隣にある。もしかしたら、どこかで稲倉くんのことを知ったのかもしれない。


「いやー、雛子と会うの、焼肉以来だから……二か月とか三ヶ月ぶりだよね? 早いなー、もう十二月」

「世間話はどうでもいいんだけど」

「十二月といえば、クリスマス。イルミネーション」

「ねえ、和樹」

「俺と行かない?」

「行かないってば」


 即答したら、和樹は「予想外」というような驚いた顔をした。むしろ行くと思われていたことに驚いた。


「どうして? 俺のこと嫌い?」

「うん、嫌い」

「今流行りの」

「ツンデレじゃない」


 なめてんのか。


「稲倉くんのことで話って、何?」

「雛子、あいつと付き合ってるの?」


 予想を二回りくらい越えてくるその発言に、思わず「へ?」と声が上ずった。


「付き合ってないけど……それがどうかしたの?」


 和樹が少し困ったような顔をした。いつも、何も考えていないようにへらへら笑っている和樹には珍しい表情だった。その表情の裏側に、いったい何があるというのだろう。


 私は残り半分のハンバーガーを丁寧に包み紙の中にしまって、両手を膝の上に置いた。和樹もポテトを口に運ぶのをやめて、私をじっと見てきた。


 そのまましばし見つめ合い――、口を開いたのは、和樹だった。


「夏に近美のお祭り行った?」

「私?」

「雛子と、あいつ……稲倉」


 和樹はスマホを手にとって、一枚の写真を見せてくれた。


 それは、私と稲倉くんが雨の日の路地を背景に映っている写真だった。手前に私がいて、その後ろに稲倉くんが俯きがちに立っているのが少しブレて写っている中、稲倉くんの怯えたような表情だけがいやに鮮明な気がした。――みんなで海に行ったあの日、稲倉くんの元同級生だという不良たちに撮られたものだった。


 この写真が、和樹の高校の後輩のタイムラインから回ってきたそうだ。『<拡散希望>ネクラっちに彼女できてたんですけど。爆笑』という文章とともに。


「後輩にはちゃんと消せって言っといたから。でも、後輩も友達から回ってきたらしくて……、こいつ、地元でちょっと有名なんでしょ?」


 有名なんでしょ?


 和樹の口調の軽さに引っかかるものがあった。お腹のあたりが徐々に熱くなっていく。口を開けたら、その怒りがそっくりそのまま出てきてしまいそうだった。


「……」


 私はこみ上げる怒りを押さえつけるように唇を噛み締めた。指先から腕まで、ぶわあっと鳥肌がたつのがわかる。


 耐えながら、あの日のことを思い出した。あの日私の肘を掴んだ稲倉くんの手の震えを、ピアスの穴を開けられたことを話せなくてゆるゆるとしゃがみこんだその姿を。


 胸のあたりがひどく苦しかった。


「雛子まで写真撮られて馬鹿にされてるの、俺、ちょっと許せない」


 和樹が言葉を続ける。


「やめときなよ」


 思わず膝の上に置いた両手をぎゅっと握り締めた。そうしないと和樹を殴ってしまいそうだった。


「私は……っ」


 その先の言葉を続けることができない。


 もどかしく、強く、私は怒っている。何も知らないくせに、って。でも私も少し前まで和樹の側の人間だったのだ。私の和樹への怒りは、ブーメランになって私のもとに返ってくる。


「あれ、和樹と雛子?」


 間抜けな声が聞こえてきて、思わず体の力が抜けた。


「なにしてんの? 二人でずりぃよ、俺も混ぜてよ」


 真面目な話をしているというのに空気を読まずにズケズケと入り込んでくるのは、もちろん、日向しかいない。日向の後ろには、稲倉くんもいて、所在無げな顔であちこちに視線を走らせていた。


 二人は学校帰りらしい。フードコート特有のポップな雰囲気に、康徳のブレザーのかっちりした制服姿が浮いていた。そういえば進学校は土曜日の午前中に「土曜講座」っていう四時間の授業があるという話を前に日向から聞いた気がする。きっと今日もそれで学校に行っていたのだろう。


 日向がテーブルの上の和樹のポテトをひとつ口の中に放った。


「なに? デート?」

「うん、デート」


 和樹がさらりと当たり前のように答えるから、思わずテーブルの下で脛を蹴飛ばした。


「デートじゃないから! 呼び出されたの! 和樹に!」

「じゃあ一緒に飯食おうよ」


 ちょうど私と和樹が座っていたのは四人がけのテーブルだった。私と和樹が向かい合うように座っており、日向が和樹の隣に自分のリュックサックを無造作に置く。稲倉くんが困ったようにテーブルの脇に突っ立っていた。


「想太、雛子の隣でいいよな?」

「あ、はい」


 嫌そうな顔をされると思ったけれど、予想外に、稲倉くんはすんなりそれを受け入れた。


 そっか、私たち友達だからか――なんだかちょっぴり嬉しくなる。


「隣、失礼します」

「え、あ、うん」

「隣が俺ですみませんねえ」


 ……前言撤回。口調がいやに刺々しい。


 それから、私以外の男子三人はおのおの食べ物を買いに行った。私だけが食べかけのハンバーガーとともに、ぽつんと残される。一口かじったら、冷めてバンズが固くなっていた。


 最初に戻ってきたのは、ハンバーガーを買ってきた稲倉くんだった。


「おかえりー」

「……っす」


 会話もそれきりで、隣同士に座って、ハンバーガーをかじる。


 稲倉くんとコンビニで再会したあの夜、どうしてすんなり会話できたのかわからないくらいに、何を話したらいいのかわからなかった。糸口が見つからない。そもそも会話する必要あるのかな? そこから疑問。でも気まずい。


「デートですか?」

「え?」

「あの人と」


 あの人、というのは和樹だろう。


「だからさっきも言ったけど、呼び出されただけだって」

「それデートじゃないんですか?」

「喋ってただけだよ」

「どんなこと喋ってたんですか?」


 一瞬、写真のことを言おうか迷った。けれど言っても困らせるだけかもしれないと思って、結局、


「経済理論について」


 嘘をついた。私も和樹もバカだから休日にそんなことを話すために会うわけがなかったけれど、稲倉くんは特に深追いしてくることもなく、「そうですか」と納得してくれた。


「稲倉くんは日向に連行されたの?」

「あ、いや、今日は俺から誘ったんです」

「あ、デートだ」

「バカなこと言わないでくださいよ」


 いつもの蔑むような目で睨まれた。久々だな、と思った。


「そういえば、春村、あいつ、知代さんといい感じなんですよね?」

「あ、そうらしいね。付き合うことになるかな?」

「本人はそのつもりらしいっすよ」


 隣同士の位置で、顔を見ずに話すのはなんだか新鮮で、表情がわからないからこそなんとなく話しやすかった。そうだよね、別に、意識しなくてもいいんだよね。いつも通り、いつも通り……。


 いつも通りを意識し始めると、途端にわからなくなってくる。


「川田も、沙也加さんのこと、ちょっと気になってるっぽいですよ」

「そうなの? でも、沙也加は川田くんのこと普通に友達って言ってたー」

「川田どんまいですね」

「ほんとにね。せっかくLINE続いてるのに」


 ふと稲倉くんのほうを見たら、彼も私を見ていた。かちりと目が合う。


 私がテーブルの上のスマホを手に取るのと、稲倉くんがブレザーのポケットからスマホを取り出すのは同じタイミングだった。どうやら考えていることは同じらしい。


 私と稲倉くんはこの前晴れて友達になったというのに、いまだに連絡先を交換していない。LINEを交換して特に話すことなんてないだろうけれど、友達は、連絡先を交換してなきゃいけないものなんだ。たぶんね。


「ええと、電話番号で」

「わかりました。番号は――」


 事務的にLINEの連絡先を交換する。新しく追加された友達の欄に、『稲倉』と苗字だけのシンプルな名前が載っている。私はほかの人と名前がかぶらないように名字も縮めて入れて『すがひな』で、トップ画像も知代と沙也加とのプリクラだ。稲倉くんの嫌いそうな「女子」って感じ。


 案の定、稲倉くんが「なんか、女の子ですね」と無感情に言った。


「まあ、女子だから」

「女子力はないのに」

「あるし。料理できるもん私」


 あと洗濯機も回せる。一通り家事は全部できるから、このままお嫁に行けるくらいだ。


「部屋汚いって日向先輩が言ってましたけど」

「汚くないしー」

「あと家でステテコ履いてるって」

「なんで日向そんな私のこと稲倉くんに喋ってんの!」


 それからしばらくして、日向と和樹が返ってきた。二人共牛丼にしたらしく、お揃いの大盛りの牛丼を前に何やら中学時代の思い出話に花を咲かせている。


「関根がさー」

「それいつのことだっけ」

「中三の夏」

「あーそんなこともあったっけ」


 それ以降、和樹がちょっかいを出してくることもなく、あの写真の話が出ることもなく、ただご飯を食べてテキトーにおしゃべりをして解散した。和樹はバイト、稲倉くんと日向はこれから学校の別館に戻って自習するのだという。


 ひとり取り残された私は、駅ビルの百円均一でハンディモップとコロコロテープを買って帰路についた。


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