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ブラックホールをふさいだ日、  作者: 村崎千尋
第一章 君がプールに落っこちた日
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(2)


 それから数分。


 膝の痛みが治まってきたらしい彼と、私たちは、ローテーブルをはさんだ向かいに全員で正座して見つめ合っている。


 彼は顔をいっぱい殴られたみたいで目の当たりが赤く腫れていた。先ほど玄関で見たときは顔の造形の原型を止めないくらいにぼこぼこに見えたけれど、冷静になって明るいところで見たらそれほどでもなかった。でも、半分しか開かない右目は痛々しくて直視できない。


 日向は冷えてきたらしくて、部屋から持ってきたパジャマの上着に制服のズボンという奇妙なかっこうになっている。私にいたっては学校から帰ってきて着替えたよれよれの部屋着だ。服装はゆるゆるなのに空気だけはお葬式みたいで、なんだか気持ち悪くてむずむずした。


「現場の、菅本すがもとさーん」


 私が精一杯の力で茶化すと、日向は肘で私の脇腹を小突きながらもノってくれた。


「はいこちら、現場の菅本でぇす。現在、目の前に問題の少年が座っていまぁす」


 彼はいたたまれなそうにすみませんと頭を下げる。


「いやー、凄惨な現場でしたねぇ」

「あの、えっと、その」

「それでは、お名前をどうぞ」


 マイクに見立てたテレビのリモコンを日向は彼に向ける。


「あっ、稲倉いねくら想太そうたで、す、はい……」


 彼、稲倉くんは思わずといった調子で日向から差し向けられたリモコンを受け取り、うつむきがちに答える。日向はDVDプレーヤーのリモコンを手に取って「稲倉くんですかー」と笑った。男子高校生二人が向き合ってリモコンを口の前にあてがって話している、しかも実行中継ごっこだなんて、不思議な光景だった。


 これはこれで気持ち悪くて、私は正座を崩して女の子座りした。


 日向が真面目なのかふざけているのか、どっちつかずの口調で言葉を続けた。


「兄日向、妹雛子で、菅本兄妹です、どうもー」

「えっ、あっ、どうも……」

「俺三年で雛子が一年ですー、稲倉くんは何年生?」

「あっ、いちっ、一年っ、です」

「ちょっと待って日向、困ってる、稲倉くん超困ってる」


 日向の腕をグッと掴む。


「いやお前のせいだろ雛子」


 つっこまれて、そういえば私から実行中継ごっこをフったんだよなと思い出した。どうもすみませんでした。


 日向はようやくリモコンを置いた。稲倉くんも遠慮がちに、そっとリモコンをテーブルの端に寄せる。ようやく降り出しに戻ったけれど、若手芸人の渾身のギャグが滑ったような気持ち悪い空気まで元に戻ってしまって、私は次はどう茶化そうか考えた。


 でも思いつかなかったから直球で言った。


「ベロにピアスあいてるの?」

「えっ、あっ、ピアスッ、えっ、なんで」


 稲倉くんは顔を真っ赤にしておろおろしだした。先ほど端によせたリモコンと、私の顔と、自分の膝と。その三角点を、視線がいったりきたりする。なんだかひどい悪口で責め立てていじめているような気分になってしまって、罪悪感がむくむくわいてきた。


 いかにもいじめられっ子の根暗くんっていう雰囲気の男の子なのに、ベロにピアスの穴があいているっていうのがどうしても信じられない。見間違えじゃないのかって日向のことを小突きそうになった。


 でも、この反応は、あいてそうだな。


「べえーってしてみて」

「えっ、それは」

「引っ張ったりしないよ?」

「いやそういう問題じゃないだろ」


 お前ちょっとずれてるよな、と日向に突っ込まれた。こいつが一番天然ボケなのに。


「俺たちは、別に舌にピアスがあいてるからってどうこう言いたいわけじゃないよ。ちょっと興味があるっていうか、見たことないし? 見てみたいなー……なんて」


 日向が優しく、捨て猫に話しかけるようにそう言うと、稲倉くんは恐る恐るといった様子で舌を出した。すごい、さすが百戦錬磨の捨て動物ハンター、日向マジックだ。


 確かに日向が言ったとおり、稲倉くんの舌には銀色の丸いピアスがついていた。舌の中心よりは手前で、やや左より。見た目はパチンコ玉に似ている。舌にピアスをつけている人なんて身近にいないからなんだか現実味がなくて、それが舌を貫通しているなんてまったく想像できなかった。


 ……あと、なんとなくエロい。


 先ほど日向が「女子が女子がベロをべえーって見せてくるのエロくね?」と言っていたが、確かに舌をべえーっと出している姿はなんとなくエロかった。モザイクをかけたくなる。


「おおーっ」

「すげえ」

「かっこいい」

「初めて見た」

「あけるの痛そう」

「化膿したらヤバいだろ」


 私と日向で口々に感嘆していると、稲倉くんは舌を引っ込めてしまった。口をむぎゅっとつむいでいるその様子から、二度目はなさそう。


「いつ開けたんだ?」


 日向が尋ねた。


「あっ、えっと……」


 意識しなければわからないけれど、『あ』の形に口を開くと銀色がちらりと見え隠れして、ちょっとイカしてる。


「待って。やっぱ言わないで、当てるから」


 日向がてのひらをかかげて、「待った」のポーズで稲倉くんを制した。


「高校デビューだ!」


 失礼だろおい。


「高校に入ってからイケてる男の子になろうと思って春休み中に舌にピアスを開けたけど、入学して早々に内部進学組に呼び出されて殴られて突き落とされた」


 日向が正解だろと言わんばかりに一息に言い切る。想像力豊かだなあとかさすがにそれはないだろとか、なんで高校デビューであけるピアスが舌なんだとか、言いたいことはいっぱいあったけれど何も言えずにいたら、稲倉くんが苦々しく笑って「そうなんですよ」と言った。


 えっ、そうなの?


 なんだか拍子抜けしてしまう。


 それが本当だとしたら、稲倉くんは日向とだいぶ波長が合う人間っていうことだ。すなわち天然バカ。ボケ。マゾヒストでエッチで臭い。


「ということはあけたのは春休み頃、か」

「はい。入学して一週間なんですけど目をつけられちゃって大変でした」


 日向は神妙な顔をして頷く。


「いつもいじめられてるの?」


 私が横槍をいれると、日向が一文字一文字丁寧に発音するようにして私の名前を呼んだ。「雛子」っていうよりは「ひなこ」っていう感じ。日向が私をたしなめるときの呼び方だ。けれど稲倉くんは対して気分を害したわけではないみたいで、さらりと答えてくれた。


「あっ、ええ、まあ」

「いつも殴られるの?」

「えっ、あっ、いえ」

「痛い?」

「あっ、はい、ちょっとだけ」


 その時、ご飯が炊けたことを知らせる炊飯器の「ピーッ、ピーッ」という音が聞こえて、稲倉くんの声が途切れて聞こえた。なんたって彼の声、小さいから。


「――が痛いです」


 それが伏字みたいに聞こえて、先ほど日向と乳首の話をしていたことを思い出して、なんだかものすごくおかしくなってきてしまった。わけもなく唐突に吹き出した私に、日向が冷たい視線を浴びせかけてくる。いじめられた話してるのに笑っちゃって失礼だな、とちょっと反省。


 稲倉くんを見上げたら、彼はちょっとびっくりしたような表情で、でも怒ってはいなかった。


「ごめんね?」

「あっ、いえ」


 時計を見たらもうすぐ六時半で、ちょうど我が家の夕食の時間だった。


「稲倉くん夕食食べてく?」

「えっ、そんな、いいですいいです」

「用事とかある系?」

「いやっ、ない、です、けども……」

「じゃあ決定な」


 口ごもる稲倉くんに(おそらく断ろうとしているんだろう)、日向が強引に言って立ち上がる。


「お母さんに夕飯いらないって連絡しとけよ」

「小学生か」


 私が突っ込むと、「じょーしきじょーしき」と日向が馬鹿にするように言って台所に消えていった。私は稲倉くんに台所にあっかんべえをして稲倉くんに詰め寄る。


「あいつ馬鹿だから、嫌だったら嫌って言わないとダメだからね!」

「えっ、あっ」


 まごまごしていた稲倉くんは、観念したように俯く。


「じゃあ、すみません、いただいてきます」

「それじゃあオッケーだね! お母さんに連絡しておきなよ」


 私も立ち上がって台所に向かう。


 今日の夕食は、昨日の残りのカレーだ。貧相だけどまあ仕方ないだろう。うちはママもパパも仕事大好きでおまけに激務だからなかなか帰ってこないので、自炊しなくちゃいけないんだけど、私も日向も料理はあんまり得意じゃないのだ。日向にいたってはおにぎりと卵かけご飯しか作れない。


 台所から、日向が食器をガシャガシャいわせているのが聞こえる。


「待ってスプーンが猫ちゃんのしかない」

「それでいいじゃん」

「稲倉くんにそんな可愛いやつ使わせるわけ?」


 それもそうか。


「あっ、俺、猫ちゃんで大丈夫です、手伝います」


 台所での私たちの会話が聞こえたらしく、稲倉くんがそう答えるのが聞こえた。それとともに、「ってえ!」という悲痛な声も。


「稲倉くん大丈夫かっ」


 日向と一緒に再び居間に舞い戻ったら、稲倉くんが膝をおさえて床で悶絶していた。


「状況を二十文字以内にっ」


 私が言うと、とぎれとぎれに答えが帰ってきた。


「右足が痛くて、転んで、膝を強打しました」

「三文字オーバーだよ」

「いや雛子、そういう問題じゃないから」




 その後、稲倉くんは夕食を食べて食器を洗って帰った。足は少しくじいただけらしくて、日向がテーピングをしてあげたら痛みはかなりなくなるみたい。日向がボケたり私に突っ込んだり盛り上げようとしていたけれど、稲倉くんは終始緊張していたみたいでご飯もあまり食べなかった。


 でも日向は満足げだったし、私も楽しかった。いつもふたりっきりだから、誰かと一緒っていうこと自体が新鮮だった。


 駅まで送る、という日向の申し出を断って、稲倉くんは若干右足を引きずりながら一人で帰っていった。


「もしまた殴られたら俺のとこにおいで。三年C組だから」


 帰り際に玄関で日向がそう言うと、稲倉くんは曖昧に笑った。


 きっと稲倉くんは、拾われ慣れていないんだな。でもきっとすぐに日向マジックの威力がわかるだろう。日向は拾い物の天才なのだ。

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