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ブラックホールをふさいだ日、  作者: 村崎千尋
第二章 君がお化けになった日
14/31

(10)



 知代が和樹のバイクの後ろに乗って帰るそうなので、康徳の文化祭を出たあと、私と沙也加は二人きりで駅まで歩いた(私の家は駅とは逆方向なんだけど、沙也加を見送るためだ)。赤と青緑の傘の、歩行者信号ペアで駅までの道をまっすぐ歩いていく。


 文化祭の時は楽しげにしていた沙也加は、今はなぜかこわばった表情をしていた。なんだろう……緊張しているような、何かをこらえているような、そんな顔。少なくとも、楽しそうには見えなかった。


 そういえば、この前も沙也加は楽しそうな顔をしていなかった。寂しげな表情……ああそうだ、中学の頃の話をしていた時だ。


「あのさっ、雛子」


 駅までもう少し、という時、ふいに沙也加が喋りだした。


「この前さ、中学の時の話したじゃん。ウチ、中学の時、今と変わんないって」


 やっぱりその話か。


 沙也加は中学のときに何かあったのだろうか。なんだか聞いてはいけないような気がして、うまく踏み込めずに「ああ……うん」と宙ぶらりんな返事をしてしまう。けれど沙也加はそんなの気にしていないように、地面の水たまりをよけることなく一息に話しだした。


「あれ嘘なの。ウチ、中学の頃、超根暗でいわゆる陰キャラで。合唱祭の練習の時も声小さいって怒られてるような感じで、ちょっと男子ー、なんて、言ったこともないの。軽蔑されたくなくて、あの時はそう言ったけど」


 ぱしゃ、ぱしゃ。


 沙也加が言葉を一つ発するたびに、水たまりを踏みつける音が重なる。


 その言葉は今の沙也加のキャラからは想像もできなかったけれど、なんとなく、沙也加がどうしてこんなに遠い蓮野まで通っているのかの理由だと思えばうなずけた。でも、たとえ中学の時に陰キャラだったとしても、今の沙也加が高校デビューだったとしても、私と知代は全然軽蔑なんてしない。

 でも……。


「どうして、今……?」


 知代がいない時を選んで、どうして私と二人きりの時に、言うんだろう。


 沙也加が水たまりを勢いよく踏んで、答えた。


「フェアじゃないと思ったから」

「え?」

「ウチ、今から雛子のあの人否定する。あの人が雛子に嘘ついてるんだとしたら、その嘘だけを一方的に暴いて雛子のこと悲しくさせるの、なんとなく後ろめたくて」


 私の、あの人?


 もしかして、稲倉くんのことだろうか。


「ウチは千崎市に住んでるの、海晴町との境目に近いあたり。だから、海晴中学校も近くにあって、けっこう交流もあったの。海晴中の噂もバンバンうちの中学に流れてきてたし」

「……うん?」

「あの人の噂、すごく有名だったよ」

「噂?」


 沙也加が井戸端会議をするおばちゃんみたいに、誰もまわりに聞いている人なんていないのに私に顔をよせて声をひそめた。

 本当かどうかわからないんだけどね、嘘も混じってると思うけど、と何重にも前置きを積み重ねてから、沙也加はその「噂」を教えてくれた。


「中学三年の頃ね、LINEのタイムラインで写真が出回ってたの」


 稲倉くんの、上半身裸の写真が。


 沙也加が早口に言って、目を伏せた。


 写真の中の稲倉くんの上半身は穴だらけだったらしい。ピアスだらけ、と言わず、「穴」という表現をしたのは、それは、開けるのに失敗してまだふさがりきっていないピアスの穴の傷も無数にあったから。その写真は、いまだに時折、タイムラインで回ってくるそうだ。


 拡散希望、の言葉とともに。


「雛子、このこと知ってた?」

「ううん」

「そうだと思った」


 なんだか信じられないような話で、嘘か本当かなんて考えられないくらい呆然としていた。


「その写真と一緒に、『稲倉想太はやばいやつだ』って文章が添えられてて……、ベロにもピアスあいてるとか聞いたよ。もしかしたらヤクザの仲間なんじゃないかって」

「……そう、なんだ」

「ウチ、雛子のこと大事だから、あいつがやばいってわかったうえでそれでもいいっていうんなら何も言わないけど。そうじゃないなら別れたほうがいい」

「私、稲倉くんと付き合ってないけど」


 そうであるにしても! と沙也加は口調を荒らげる。


「付き合ってなくても、仲良さそうだったじゃん! 友達ではあるんでしょ! ウチはね、あいつと縁切れって言ってるの。じゃないと雛子、絶対嫌な思いをすることになる」

「でもそんなの……」

「雛子が何考えててもいいよ。ウチの言うことなんか無視してもいい。でも伝えておきたかったの。雛子に何かあって後悔したくなかったから。じゃあ」


 沙也加は押し付けるようにそう言って、駅に向かって走っていった。ローファーが遠慮なく水たまりに突っ込んで、飛沫を撒き散らす。


 残された私は、沙也加を追うこともその後ろ姿に向かって何か言うこともできない。


 ただただ、沙也加はずるいと思った。だって、そんなこと言われたら、私は沙也加のことを責められない。彼女が私のためを思って言ってくれていることは、稲倉くんの話をする前に「フェアじゃないから」と自分の話をしてくれたことから痛いぐらいによくわかる。


 痛かった。胸が。


 稲倉くんはなんのためにピアスを開けるんだろうか。LINEのタイムラインで出回った写真で、どうして稲倉くんは傷だらけだったのだろう? だれにあけられたの? 無理やり? 高校デビューはどうしたの? どうして昨日の夜、舌にピアスを開けたの?


 大事なことは何もわからない。誰も教えてくれやしない。


 私はきびすを返し、沙也加みたいに勢いよく水たまりを踏んだ。汚い水が紺色のソックスにしみを作っていくのを、黙って眺めながら家まで歩いた。



(第二章 君がお化けになった日 了)

次から三章です。

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