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ブラックホールをふさいだ日、  作者: 村崎千尋
第一章 君がプールに落っこちた日
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第一章 君がプールに落っこちた日



 日向ひなたは昔から、可哀想な生き物を放っておけないタイプだった。


 怪我をした小鳥を拾ってきたり、帰り道に野良犬に話しかけたり、そんなのは日常茶飯事。小学生の頃は捨てられていた子猫に内緒で餌をやっていたくらいだ。ママにバレると怒られるから、日向はいつも私にだけ「これ、内緒な」とこっそり教えてくれた。


 私は日向が共有してくれるそんな「内緒」が好きだった。汚くてひどく臭う生き物たちにも平等に日向の愛が注がれているのを見ると、なんだか安心するから。


 そんな日向だから、今更どんな生き物を拾ってきても驚かない自信はあったのだけれど――。さすがに、ボロボロでびしょ濡れの男の子を連れ帰ったときは、びっくりを通り越して少し呆れた。


「旧蓮野小のプールにつき落とされてたから、拾ってきた」


 玄関先でさらりと言い放った日向は、私の顔を見て、


「拾ってきちゃったんだから仕方ないだろ」


 先制してきた。


 おかげで私は文句のひとつも言うことができなくて、日向に言われるがままに、日向のと彼のリュックサックを受け取った。


 ぐん、と手に肩紐がくい込むくらい、そのリュックは重たい。こんなの持って学校に行くなんて自分虐めだ、マゾヒストだ、とムカついた。私なんて教科書のほとんどをロッカーに置きっぱなしにしてるのに。


 彼は日向と同じ男子校の制服を着ていたけれど、日向よりずっと背が低いから、年下だろうと見てすぐにわかった。殴られて顔が腫れていて、表情がよくうかがえない。けれど右足をつくと時折「つっ」と声をあげていたし、日向に支えられるようにして立っていたから右足を怪我しているんだなとわかった。


雛子ひなこ、リュック、そこらに置いていいから、部屋から着替えいい?」


 日向はびしょ濡れの彼を居間に連れて行くみたいだ。私はリュックを廊下の隅にぽいと投げ出して、二階の日向の部屋に駆け出した。


 日向の部屋からどうにかパーカーとスウェットのズボンを引っ張り出して居間に向かうと、日向が彼を床に押し倒していた。何やってんだこのバカ兄貴。


「非常事態に何ホモホモしてんのよ」


 後ろから思いっきり尻を蹴飛ばすと、


「俺今、切れ痔だから地味にそれ厳しい」


 ふざけた答えが返ってきた。


「現状を二十文字以内で教えて」

「バランス崩して転んだ」


 押し倒したわけではないらしい。


 日向と一緒に彼を引っ張り起こして、持ってきた着替えを渡し、私は一旦廊下に出た。廊下に投げ出したまんまの二人のリュックサックを取るためと、彼に着替える時間をあげるためだった。


 まだ春になったばかりの季節だから、夕方の廊下はすごく冷える。きっと外はもっと冷えているだろうな。そんな中でプールに落とされただなんて、日向が連れ帰ってしまうのも少しわかる気がした。


 わかる気はしたけれど、納得できるわけじゃない。犬猫じゃあるまいし、普通プールに落とされてたからといって男の子を拾ってきたりする? それに、旧蓮野小からうちまでチャリで三十分以上もかかる距離をびしょ濡れで連れて帰られたら風邪をひいてしまうかもしれない。


 日向は考えなしだ。


 優しいけど、むちゃくちゃだ。


 少し経ってからリュックを持って居間に戻ると、着替えた彼はソファでぼんやりしていて、日向が彼の制服をハンガーにかけているところだった。プールに突き落とされたという制服はびしょ濡れで、ブレザーもズボンも重たげなしわをつくっている。


「これ洗濯」


 日向が横柄に、彼のシャツを投げてよこす。


 鼻血らしき赤いシミがぽつぽつとたくさんついていて、洗濯しても落ちきるかどうかあやしいところだ。


「日向のも洗濯するけど」

「ああ、わりぃ」


 日向はワイシャツだけ脱いで、意地悪みたいにわざとくしゃくしゃに丸めて私の手にぐいと押し付ける。汗とシーブリーズとお昼のお弁当の混じった男の子臭さ(というか日向臭さ?)がむっと鼻をついた。日向がワキガになったら脱いだワイシャツは人類最強の兵器になるなあと思った。


 鼻血シャツと兵器シャツをいっしょくたにして洗濯機に押し込んで洗った。漂白剤ドヴァドヴァだ。びっくりするくらい真っ白になるだろう。


 がごんがごんと小刻みに上下する洗濯機の残像を眺めていたら、洗濯室に日向が入ってきた。


 上半身裸で首からタオルをかけているお風呂上がりみたいなかっこうで、日向は私の隣に立つ。身長差は二十センチ弱。電気交換の時くらいしか役に立たない無駄に身長の大きい日向を、私が見上げるかたちになる。


「あいつよく見たらイケメンだった」


 日向が内緒話をするような声色で私に訴えてくる。つられて私も同じテンションで返した。


「ボッコボコだけどね、顔!」

「あと、ヤバい、ピアスあいてた」


 ……はい?


 このご時世、高校生が耳にピアスの穴を開けるなんてよっぽどすごいデザインのものじゃなきゃ当たり前といってもいいのに、日向の口調からすると「ありえない」とでも思っているみたい。まったく、日向はおじいちゃんみたいだなあ。もっと柔軟な思考をね……。


「俺、一言も耳なんて言ってない」


 つまり「ヤバい」ところにピアスの穴があいているのだろう。眉毛や鼻にもそれらしきものはついていなかったけど。


 ということは、つまり、その……。


 乳首か。


「日向見たの?」

「見たんじゃない、見えたの」

「エッチ」

「なんでだよ、ヤらしいところじゃねえだろ」


 まあ、日向は年頃の女の子の前で、平気で上半身裸になるようなヤツだし、さっき彼のこと押し倒していたし、どうってことないのだろう。でも私は違う。人の乳首を見て、ピアスついてるからヤバいなんて告げ口してくるなんてちょっとエッチだと思う。いやかなりエッチだ。


 男の子ってそういうものなんだろうか。マゾヒストでエッチで、あとすごく臭い。


「男の見たって何も思わねえよ。女子だったら……かもしれないけど」

「エッチ。十八禁ものだよそれ」

「いやいや、そこまでいかねえだろ。でも女子が、ベロをべえーって見せてくるの、エロくね?」


 一瞬、頭の中がフリーズした。PCのマウスポインタが青い丸に変わり、ぐるぐるとまわる様子が思い浮かぶ。えっ? ベロってもしかしてあれだよね? 口の中についてるやつだよね?


「お前どこだと思ってたわけ?」

「乳首」

「エッチ」

「うるっさい」


 とんだ勘違いだ。顔がかあーっと熱くなるのがわかる。恥ずかしくなると顔が赤くなるタイプなのだ。私はそれを日向に見られまいと、振動する洗濯機の蓋に突っ伏した。洗濯機に入って、一緒に揉み洗われたい。大量の漂白剤に浸けられて真っ白で純粋な幼き日に戻りたい。


 何が乳首だ、バカ。一番エッチなのは私じゃないか。


「ベロ、ですかぁ……」


 上半身とともに声も振動する。


「ベロでした」


 日向が笑いをこらえているような声でそう返してくる。


「着替え渡したら『ありがとうございます』って言われたんだけど、ベロに銀色のやつ、ついてて。あれはピアスだわ。俺、そっこー逃げてきちゃったもん」

「舌ピはヤバいね……」

「ヤバいだろ」

「うん、ヤバい」


 だって、舌ピアスといえばヤンキーとかホストのような、チャラチャラした人を思い浮かべる。たとえば写真に向かってべえーっと舌を出しながら中指を立てているような、あるいは成人式でリーゼントに派手な長ランを着てきてしまうような、そんなイメージ。


 でも彼と日向は同じ高校だ。日向の通っている男子校は、県でも十本の指に入る進学校。私立だし、素行の悪そうな人が入れるところではない。


 おまけに殴られてプールに突き落とされた? 絶対にヤバい人じゃないか。鈴木組とか山田組とかマフィアとか裏組織とかそういう系に違いない。なんていう人を拾ってきちゃったんだ、日向のバカ。


 その時、居間のほうから何かが落ちる鈍い音が聞こえてきて、私は思わず洗濯機から体をぴょいと起こした。日向も固まって居間のほうを見つめている。舌ピアスのお不良様がついに暴れだしたんだろうか。日向はともかく、私はあまり腕っ節が強いほうじゃない。女の子だし。


 日向のあとに続いて居間に様子を覗ったら、ソファの脇で彼が膝を抱えて悶絶していた。


「大丈夫かっ」


 日向が駆け寄る。


「状況を二十文字以内にっ」


 私も声をあげる。


 彼はソファの脇のローテーブルに肘をついて起き上がりながら、死にそうな声で言った。


「ソファから、落ちて、膝を、強打しました」

「八文字オーバーだよ!」

「いや雛子、そういう問題じゃないから」

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