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消えたかった

『出逢った時のこと、覚えてるよね? 目が覚めたら、あなたが居たの』


 もちろん覚えてる。

 場所はあたしのおじいちゃんの家。

 おじいちゃんが死んでから、ずっと空き家になっていた。

 あたしはママとケンカして家出して、その空き家に隠れようとした。

 そしたら先に、月乃が居て、おじいちゃんのベッドで寝てた。

 あたしは白雪姫を見つけた小人の気分になった。

 それくらい、月乃の寝顔はキレイだった。

 あたしの気配に気づいて目を覚ました月乃は、あたしが月乃が何者か知らないことに驚いていた。

 後で知ったけど、月乃が出てる映画は、大人向けの芸術作品みたいなのばかりだった。

 あたしはアニメやバラエティぐらいしか観ない。

 ……芸能ニュースなんて、まったく観てなかった。

 月乃は最初、あたしのフリをしようとした。

 つまり、おじいちゃんの孫のフリ。

 普通なら怒るところだけれど、そんな気なんて起きないくらい、嘘をつく彼女はミステリアスな魅力を放っていた。

 嘘がバレたら、泣き出した。

 真珠のようにキラめく、大粒の涙……

 そんな感想を持ってしまうくらい……すべての理不尽を飲み込むぐらい、月乃は美しかった……

 家出して、行くところがないのだと、彼女はあたしに泣きついた。

 あたしは月乃に同情した。

 詳しい話を聞きもしないで、あたしは月乃が、あたしと似たような境遇なのだと決めつけた。


『わたし達二人で暮らそうって話したよね? とっても素敵な夢だった』


「ええ」

 画面に向かって浅くうなずき、慌てて口を押さえる。

 ここはネットカフェの個室。

 扉は閉めてあるし、誰かが覗きにきたところであたしの姿なんて見えないけれど、黙って入り込んでお金を払わずに使っているという後ろめたさはある。

 ……二人で暮らす。

 最初にそれを言い出した時、あたし達はどんな日々を想像していたのだろう。

 それを言い出した時はまだ、おじいちゃんの秘密の研究のことなんて知りもしなかったのに。


『わたし達、力が欲しかったのよね。二人で暮らすための力。もともとは、ただそれだけの力が欲しかっただけだったのよね……』


 何の力もない子供だけで二人で暮らすなんてできるわけがない。

 お金とか、自分で働ける力とか、あたし達が求めたのは、そんなマトモな力じゃなかった。

 もっとすごい、魔法みたいな力が欲しかった。

 そしてその力は、おじいちゃんの地下室にあった。


『乾杯』


 ファンデーションで塗り固めた右手を上げて、月乃がグラスをかかげる仕種をする。

 あたしも心の中で乾杯と唱えて、月乃の仕種の真似をする。


『こうやって薬を飲み干したのよね。何だか心中するみたいだった』


 良く覚えてる。

 あの日のことも、その後も。

 出逢ったばかりのあたしと月乃は、これからどうするのかを話し合っていた。

 これからどうやって生活していくか、二人で夢物語で盛り上がっていたところに、ママがあたしを捜しにきた。

 玄関のドアが乱暴に開けられて、ママの金切り声が、おじいちゃんの寝室にまで響いてきた。

 あたしと月乃は慌てふためいて、思わず地下室に隠れてしまった。

 地下では袋のネズミなのに。

 あたしは家になんて帰りたくなかった。

 ママもパパも、あたしと口を効くのも面倒くさがっているくせに、あたしに立派な娘であるように求め、その欲を口に出して言うだけで自分が立派な親になれるみたいに思い込んでる。

 それに月乃も、家出少女だなんてバレたら、警察に突き出されて無理矢理家に戻らされてしまう。

 どうかママが地下室の扉に気づきませんように、なんて、祈るだけでは無駄なのはわかっていた。

 逃げたかった。

 逃げ続けたかった。

 隠れて、隠れて、隠れ続けたかった。

 おじいちゃんの地下室には、大きな薬棚があった。

 フラスコとかビーカーとか、実験に使う道具もたくさんあった。

 あたしのおじいちゃんは昔、どこか遠くの大きな施設で、何か良くない研究をしていたらしい。

 ママもおじいちゃんも詳しい話はしてくれなかったし、そもそもママはあたしをおじいちゃんに近づけたがらなかったけど、ぼんやりした噂は伝わっていた。

 部屋の隅に、鍵のかかった棚があった。

 鍵はあたしが持っていた。

 おじいちゃんが病院の枕の下に隠してて、亡くなる直前に“捨ててくれ”って言ってあたしに渡した。

 その鍵を、あたしはポケットに忍ばせて、いつも持ち歩いていた。

 おじいちゃん自身への思い入れなんかではなくって、あたしはただ、形見の品を持ち歩くっていう行為自体に憧れていた。

 大人の指示に、意味もなく逆らいたいって気持ちもあった。

 遺言に、たいした意味なんて感じてなかった。


『美秀ちゃんのおじいさまは、素晴らしい人だった。あんな薬を作った才能もすごいけど、その発明を世に出さないって決心したのはもっとすごいことだと思うの。開発のための犠牲は許されるものではないし、わたし達はこんなことになっちゃったけど、それでもわたしは、美秀ちゃんのおじいさまを尊敬してるよ』


 月乃の見えすいたおべっかに、あたしは首を縦にも横にも振れないで、苦々しく、ただ、笑う。

 あの日、鍵を開けた棚の中に、あの薬があった。

 薬と一緒におじいちゃんの日記も隠されていて、ちょっと読んだだけで薬の正体はわかった。

 ……わかったつもりになった。

 薬瓶は4つあった。

 透明人間になるための、塗り薬、点眼薬、飲み薬のセットと、元に戻るための飲み薬が1つ。

 何がどうだったら、あたし達は思い止まっていたのだろう。

 元に戻るお薬が、別の場所に隠されていたら……

 ううん、あの時のあたし達は、先のことなんて考えていなかった。

 透明になれる薬が、もっと毒々しい色をしていたら、さすがに怖かったかな……?

 いいえ、躊躇はしても、飲んでいた。

 あたし達は無鉄砲だった。

 もっとちゃんとしてる人なら、透明人間になれるなんて話はそもそも信じない。

 もっとしっかりしてる人なら、あんな怪しい薬を飲むなんて、お腹を壊すだけで済めばラッキーみたいに考える。

 あたし達が子供じゃなければ、あの薬は使わなかった。


『ねえ美秀ちゃん……今思うと滅茶苦茶だったよね。得体の知れない薬を使うなんて。塗り薬が失敗作なら肌がボロボロになってたし、点眼薬が失敗作なら失明して、飲み薬が失敗作なら死んじゃってたかもしれないのにね。……わたしね、あの時、怖がるフリをしてたけど、ホントはそんなに怖くなかったの。たぶん投げやりになってたんだね。美秀ちゃんは、平気なフリをしてたよね。わたし、見抜いてたよ。本当は美秀ちゃんは怖がってた。わたしよりも、ずっとずっと。でも、わたしの前だから強がってた。わたしはそれが嬉しかったんだ』


 あれは夏休みの初日だった。

 おじいちゃんの地下室は蒸し暑かった。

 それでもあたしの背筋には、冷たい汗が流れていたのを覚えてる。

 天井では古くなった蛍光灯が、不安定な瞬きを続けていたのも覚えてる。


『わたしね、消えたかったんだ。美秀ちゃんは姿を消したかっただけだけど、わたしは存在ごと消したかったの』


 やっぱり……あたしは月乃にそう思われていた……

 あたしだって、姿じゃなく存在を消したい気持ちだった。

 あの時は。

 今はもう、そんなことは言えない。

 あたしが消えたい理由なんて、月乃のに比べれば全然生ぬるかった。

 透明人間になる前の月乃の姿を思い出す。

 日野原月乃。

 キレイな子だった。

 身長はあたしと同じくらいだったけど、あたしなんかと同い年とは思えないくらい大人びて……

 それでいて微笑みはあどけなくて、でもそのあどけなさはどこか作り物じみていて……

 それが余計に切なさを駆り立てた。

 あたしはイイ子ではなかった。

 パパやママを喜ばせるようなことは、敢えてやってこなかった。

 テストであたしがイイ点を取ったら、パパは嬉しいだろうな、とか。

 お部屋の掃除を進んでしたら、ママは褒めてくれるかな、とか。

 全部、拒否した。

 透明人間になってからは、もっと滅茶苦茶やりまくった。

 でも一番の罪は、月乃の美しい姿を、人の目に触れられなくしてしまったことだと思う。

 あたしは、消えたからって、どうってことはない。

 目付きが無駄にキツくって“こわそう”とは良く言われてたけど、キレイとかカワイイって言葉とはあたしは縁がなかった。

 あたしが消えるのは、惜しくなかった。

 薬そのものの危険さよりも、ママに見つかることの方が怖かった。

 おじいちゃんの家の中をママが歩き回ってて、地下室の天井がギシギシと鳴ってた。

 あたしは薬瓶にハケを突っ込んだ。

 薬は無色透明で、においもしなくて、水より少し粘りけがあった。

 右手に持ったハケで左腕を一なでしただけで、皮膚が透けて、下の肉があらわになって、その様子があんまりにもグロテスクで、あたしは思わず「うげ」ってうめいた。

 薬はものすごいスピードで腕の奥まで染み込んでいって、すぐに肉も消えて、骨も消えた。

 まるで腕が溶けてなくなって、手首だけが宙に浮いてるみたいに見えたけど、触ると腕は確かにあるし、指も問題なく動いた。

 少しも痛くなかったし、かぶれるような感じもしなかった。

 あたしと月乃は服を脱いで、それぞれハケを持って自分の体に薬を塗りたくった。

 背中とかの塗りにくい部分は、お互いに塗り合った。

 くすぐったくて、何度も声を上げそうになって、でもママに聞かれると困るので、口を押さえて笑い転げた。

 そうする内に、どんどんテンションが上がっていった。

 見えない肌を触れ合うことで、あたしは月乃の心に触れたつもりになっていた。

 点眼薬は、スポイトを使って目に垂らした。

 外から薬を塗っただけでは内臓まではなかなか染み込まなくて、丸見えで宙に浮かんだ内臓は不気味ななまめかしさを放ってて、学校の理科室のプラスチック模型の比じゃあないって感じだった。

 手頃なビーカーをグラス代わりに、あたし達は三つ目の瓶の飲み薬を注ぎ分けて、乾杯をして、一気に飲んだ。

 自分が消えていくのが楽しくて仕方なくて、月乃と一緒に消えられるのが嬉しくてどうしようもなくて、あたしは何も怖くなくなっていた。

 ママが地下室に入ってきて、あたしと月乃は手探りでお互いの手をギュッと握った。

 二人の汗が掌で混じって、どちらの汗かわからなくなった。

 本当にあたし達は完全に透明になれているのか。

 本当にママには見つからないのか。

 心臓がバクバク言っておさまらなくて、この音のせいで見つかりそうな気すらしていた。

 もしも見つかったら、家出のことと全裸なこと、どちらを先に叱られるのか、なんて間の抜けた考えが頭をよぎったのも、緊張しすぎたせいだと思う。

 そんな中で不意にあたしは、おじいちゃんの日記を机の上に開きっぱなしで置いていたのに気がついた。

 ママにバレる前に隠そうと思って、あたしは日記に手を伸ばした。

 だけど自分の手が見えないせいで距離感が掴めなくて、結局、自分の指先で、机の端から日記を押し出す格好になってしまった。

 バサッていう音が響いて、ママが振り返って、あたしは心臓が凍りついたような気がした。

 あたしは、ママが日記を拾うより早く、自分で日記を拾おうとした。

 運が良ければママは、あたしが透明人間になったのではなく、おじいちゃんが発明したのは空飛ぶ日記帳だったんだって思ってくれるかもしれない。

 けれど月乃がとっさにあたしにしがみついて羽交い締めにして止めた。

 ママは日記を拾ったけれど、中を見ないで机に戻した。

 地下室から出ていくママの背中を見送って、月乃はあたしにささやいた。

「大人って、大事なとこほど見落とすものなの」


『どうしてあの時、元に戻る薬をすぐに使わなかったんだろうね』


 パソコン画面の中の月乃が、悲しげに微笑む。


『わたし達、悪いことをいっぱいしちゃったね』


 玄関のドアが閉められる音を確かめて、あたしと月乃は一階へ上がった。

 ママは、次はどこを捜すのだろう。

 あたしの行き先の心当たりなんて、ママには何件あるのかな、と。

 そんな風なことを考えて、あたしは悲しいような腹立たしいような、モヤモヤとした気持ちになった。

 あたしは「こんなんならママの背中を蹴っ飛ばしてもバレなかったかも」みたいなことを言って笑った。

 そしたら月乃が「今から追いかけて蹴りに行きましょう」って。

 透き通ったベルのような声を出した。

 あたしは月乃がこんなことを言うってことに驚いて……

 でも月乃の提案はとても魅力的に思えて、すぐに気にならなくなった。

 そしてあたしはノリノリで、おじいちゃんの家の玄関のドアを開け放った。

 夏だから、素っ裸でも寒くなかった。

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