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こうなったら仕方ない。私は取って置きの手を使うことにした。
「この写真、見て」
昨日セナが見つけたあの写真立てを、今一度彼女の前へ突き出した。一瞬、セナの視線が移ろいだような、そんな気がした。
「ここに映ってるのは、私の家族だって昨日私言ったよね。お父さん、お母さん、それに私。でも、もう一人。この女の子が誰なのか、私は昨日さっぱり分からなかった」
フレーム越しに指を指しながら、セナを見つめた。
「この女の子はセナ、あんただよね」
「うそ」
たった一言、セナは口を割った。視線は私の方を向いているけど、虚空を捉えていた。
「うそじゃない」
「だって、この娘と私じゃ髪の長さが違うし、きっと別人だよ。だって、もし莉奈の言う通りに、私が莉奈の妹だったとしたら、どうして今まで気付いてないの。普通の姉妹なら、最初から分かってるはずじゃん」
妥当な返しだった。でも、違う。
意を決し、言葉を綴った。
「・・・・・・私が忘れているから」
「えっ」
「私が、米田瀬奈の記憶を失っているから。だから、今日までセナの事を宇宙人だと、半分、いやそれ以上に信じていた」
セナは眉をひそめて怪訝そうにしていたが、唇は微かに震えていた。
「どういうこと・・・・・・?」
「何故か私は、米田瀬奈に纏わる記憶を持ってない。あんた自身以外にも、この写真も、この部屋も。分からなかったのはそのせい。でも、どうしてそうなったのか、私には分からなかった」
だけど、と私は続けた。
「私の家族は知っていた」
* * * * * * * * * * * * *
「もしもし」
受信ボタンを押すと、母の声がした。
『莉奈。元気にしてた?』
「うん。こっちは全然平気」
『明日そっちに帰るから、その事だけ伝えておきたかったの』
「そっか」
『何か、変わった事とかなかった? 留守番任せたけど、大丈夫だったかしら』
言うべきか言わない方が良いのか。私は携帯を握りしめたまま、四苦八苦した。もし本当じゃなかったら、救いようがない。それが怖かったのだ。でも、どうしても真実を確認しなくちゃいけないような気がしたのも確かだった。
「その事なんだけどさ・・・・・・お母さん、私に隠していることない?」
携帯越しに、母の戸惑ったような笑いが漏れた。
『何もないわよ。どうしてそんな事』
「私、妹がいるよね――――瀬奈っていう名前の」
一瞬、母の声が途絶えた。
『思い出したの・・・・・・!』
「思い出したって、それどういう意味」
すると、母の口から到底信じられないような事実が語られた。
『あなた、この前事故に遭ったでしょ? どこも目立った怪我はしてなかったんだけど、頭を強く打ったみたいで・・・・・・記憶喪失っていうのかしら。他の事は全部覚えているのに、あなた、瀬奈の事だけはすっかり忘れちゃってたのよ』
喉の奥が詰まって仕方が無かった。
「どうして・・・・・・」
『分からないわ。で、どんな事を試しても、あなたは莉奈の事を思い出さなかった。例えば、写真を見せたり、ゆかりの土地へ連れて行ったり、昔話をしたりしたんだけどね・・・・・・。その時だけは、瀬奈の事を妹だって意識するんだけど、それは言わば作られた妹なの。日が変わったら、瀬奈の事をまた赤の他人だって』
唖然とした。と、同時に、さっきセナが神社で呟いていた言葉の意味を理解できた。
――――お願いします。どうか莉奈の記憶を蘇らせて、私のお姉ちゃんに戻させてください――――。
その文言を、何度も何度も、あの降り止まない雨の中にたった一人で、セナはただひたすら祈っていた。私を見つけなければ、何時間でも同じようにしていたに違いない。いや、今考えてみると、毎日宇宙船を直しに行くと言って出かけていたのは、全部あの祈りのためだったのかもしれない。
私は未だに忘れられない。セナの祈るその姿は、まるでこの世に未練のある罪人が処刑をやめてくれるよう許しを請うみたいに、我が身を振り捨てる必死さがあったのだ。
だけど、どうして。よりによって身近な存在である妹を、私は忘れてしまったんだろう。
その事を母に尋ねると、意外な答えが返ってきた。
『そういえば、あなた達、あの事故の前日に喧嘩したのよ。ご飯時も二人共目も合わさずにね。ずっと仲の良かった姉妹だったから、珍しくってね。何かあったの、って訊いたけど、あなた達は何も言わなかったわね』
「喧嘩・・・・・・」
思い当たる節が無い。焦れったくて、私は思わず頭を掻いた。当然と言えば当然だ。米田瀬奈についての記憶を一切無くしてしまっているのだから。とことん薄情な自分が嫌だった。何かあったはずなんだ、何か重要な・・・・・・。
不意に、セナの顔が浮かんできた。昨日の夜、家に帰った時のひどく寂しそうな顔。彼女を苦しめていたのはこの私、他の何者でもないのだ。昨日は抱き締められたけど、今はもうできそうになかった。
できそうにない・・・・・・どうして?
『もしもし莉奈、大丈夫なの? 何かあったならすぐに帰ってもいいけど』
母の声で、はっと我に返った。
「ううん、もう大丈夫だから。じゃあ、明日迎えに行くね。ばいばい」
私は早々に電話を切った。着替えたシャツを捲り上げ、肩越しに腰回りを見る。左側の腰骨の浮き出た所に、赤い痣があった。擦り傷でもなく、牡丹状になっていて、小さな朱色の花を咲かせていた。紛れもなく、セナが爪をたてた痕だった。




