希望のない瞳
登場人物
鬼丸玲央
精神科医の息子。
人から左右されるのを嫌う、誇り高い性格。
黒髪に黒い目に黒い服をまとう、人形の様な姿をした美少年。
口癖は、「人生は凡て贖い」である。
考え方が霊的。
林龍山
自殺願望の強い青年。
数学の天才で、マイペースな性格。
プラチナブロンドに緑色の目だが、前髪が長く、ボサボサの髪をしている。右目の火傷が醜い。
十八番とも言えるセリフは、「俺の生きる意味は死ぬことだ」である。
冬馬美麗
リストカッター。
大人しく、優しい美少女。
感受性が高い。
白い服を好み、金髪をしている様子から、天使の様な少女だが、リスカしている点から、中傷された天使ともとらえられる。
鎧崎累花
魔性の持ち主。
女王様ポジションで、サディスト。
黒い服を好み、赤毛である点からどこか、怪しい魅力を持っている少女。
昔、小動物や虫を殺戮していたのだが、最近では少年をいじくるのが趣味となった。
彼女の魔性の色気で、男たちは彼女に魅了していく。
生きる意味って何? いつも考えている事だ。
凡人は入院しているなんて珍しいことに思うだろう。そう、俺は普通とは違うのだ。俺は一〇一号室で、いつも倫理について学んでいる。倫理は、生死に関する理論、理屈が語れる凄い学問だ。倫理に勝る科目はない。精神科医になるなら心理学は学んでおくべきだ。他の生徒は数学の問題が難しいだとか、因数分解が難問だとか、悩んでいるけど俺にはそんな悩みはない。一〇一号室は病棟の個室で、一人部屋。一〇四とか、一〇九とかはない。苦しむとか死ぬとかに関連する数だから。
外泊の日に病棟から抜けて図書館に行った。いつも精神病に関することについて調べている、この行動の動機は病みやすい性格の人々が好きだから。それで、行動に起こすのである。病みやすい人は性格が優しいから。それに俺に似ている。
図書館からの帰り、親父に会った。
「玲央」
「何だよ」
俺は嫌悪感で親父を睨む。俺は親父が大嫌いだ。何故って、外面がいいからだ。親父の白衣姿は、やはり医者という感じで俺には程遠い。でも、いつか、親父以上の精神科医になってやる。こいつなんかが超一流で、野秋先生が努力型なんて、なんだか腑に落ちない。
病棟に戻ると、女子と男子の皆が集まって、にぎやかに笑っている。幸せそうだ。こいつらには実力がないが、社会の人と交わっていける。俺にはそれが出来ないでいる。こいつらは、いつも哲学書ばかり読んでいて病んでいる俺とは、違う。同じ精神科に入院していても絶対に違う。そう、軽症で入院してくる奴もいる、それは不登校だからだ。不登校くらいで哀れに思わない方がいい、世の中には、可哀想な子が沢山いる。
俺は今夜もオールナイトだ。眠れないから。その眠気のない間に倫理の勉強をしておく。夜は集中力のある不思議な時間帯。異様に頭に入る。頭ががんがんして、調子が悪い。でも、眠れない。普通は朝日が射すとやっと朝か、やっと夜という時間が終わるんだ、という気持ちだ。朝日はこれから始まるという心境をつくってくれる。俺からしたら全く始まりという気がしなく、眠りにつこうとする。夜は素敵な時間帯。体内時計が完璧に狂っている。
病棟での生活、俺と友達って呼べる様な人ではない奴も話しかけてくる。こういう奴は嫌いだ。なぜかというと、それはこの中ではかなり健全だからだ。普通だからだ。つまらないんだ、健全な奴なんて。病んでいる子こそが大物だ。科学者も哲学者も病んでいる奴が多いのだ、素敵だ。俺がその人たちを気に入る。奴らは彼女もいて、社交的だ。でも、何故か病院の大物……鬼丸俊輔の息子である俺に突っ掛かってくる。女子も男子も俺に注目している。でも、苦労の末、出来た結果だ。ずるいというわけじゃない。スランプを何回も乗り越えてやっと出来たのだ。勉強だって毎日に十時間くらいやっておく。
外泊の日に電車で帰ってきた。家ではお袋がにこっとしてご飯を作っている。裏はきっと泣いているだろう。酷い父親なんだ。精神科医のくせに家族を思い遣ってくれない。どんな過去があったのか、お袋は話そうとしない。
無言で俺は倫理の教科書を読んだ。夕方に台所の包丁で野菜を切る音が聞こえてきている。ごく普通の光景だ。父親(精神科医)は忙しいから夜まで帰ってこないのだ。静まり返る部屋に俺とお袋が二人いる。ピンポーンとベルが鳴る。
「はーい……」
お袋が出る。近所のおばさんだ。お袋と仲が良いのだ。お袋と仕事場も一緒である。
「お袋、俺、ちょっと公園行って来るわ」
家を出て行った。公園でよく人生について考える。すぐに目に付いた。ベンチの上で、最近、近所に引っ越してきた俺の病院の部屋(一〇二号室)に変わった外人がいる。どこが変わっているかというと人を寄せ付けない雰囲気がある。金髪で体格も良く、彼はいいところの人って感じなのに不潔で、前髪が異様に長いのだ。目が危ない人っぽくて病んでいる。ヤンデイル? 親しみがわいてくるのである。もしかしたら病んでいる友人が出来るかもしれないという嬉しさで胸が高鳴っている。こいつは恐ろしく、目がヤバイのだ。カッコいいな。俺と同類だ。もしかしたら俺よりも。
「こんばんは」
名前……確か、林だったかな、ハヤシじゃなくて、リンである。龍に山と書いてロンシャオだ。林龍山。中国人の名前だ。中国人だけでなく、こいつは西洋の感じが混ざっている様だ。それに右目には火傷の痕がある。右目の瞳は色素がなくなって白くなっている。携帯をいじっている。どんなサイトを見ているのかなって思ったら、“自殺サイト”だった。俺の胸はどんどん高鳴る。高鳴るよりも心躍る……そんな感じだ。“こんばんは”と言ってもこいつは無視する。そこも素敵だ。なんていう素敵さ。でも、こいつの楽しんでいる顔が見たいがために助けてあげたくなる。病んでいる人は大抵、性格がいい。
「あんたさ、林とこの一人息子だろ?」
「……」
沈黙の様子だ。人が話しかけても返事をしないというのはよほどの礼儀知らずで、よほどの病んでいる奴ということか。なんだか、嬉しくなってきた。にやけが止まらない。
「俺がどこの家の息子か知っただけで何になるの? 生きている意味に繋がるの?」
は? 生きている意味?! そんなことを考えているから病んでいくんだよ、勝手に決め付けて悪いけど。俺はこいつに興味津々。マザーテレサは愛の反対は無関心という言葉を残している。そこからして俺はこいつに愛……つまり、興味があるわけだ。
「生きている意味? それは自分で探すんだよ……人間は幸せになるために生まれてきたんだよ」
「臭いね」
マイナス思考な上、かなりのひねくれもの。こいつ、相当に病んでいるな、病みまくり。鼻歌でどこかのテレビゲームらしき音楽を奏でる。現実逃避? やっぱり、病んでいる。
「病棟でいつも独りだけど、友達とかいるの?」
「何でお前にそんなことを言わなきゃいけないの?」
ひねくれている。もうちょっと素直になれよ。ということは、友達がいないということか。俺と同じ。龍山はルービックキューブを組み立てる。異様に早いのだ。頭が良いのだろうか。動かしている合間に爪を噛む。そして、またルービックキューブをばらばらにして組み立てる。
こんなに充実のしない公園での出来事のせいで時間が大分にロス。高校生という花の時期なのに、全くの無駄である。若い肉体があっても心が年寄りではどうしようもない。
「なぁ……林」
「何だよ……?」
「俺の家でテトリスやらないか?」
「まぁ……行ってやるとするかな……」
理数系のこいつならテトリスでもやるだろう。後でお菓子でも出してやれば仲良くしてくれるだろう。お袋は近所のおばさんと長話。「友達だ」と言って、龍山を部屋に入れた。部屋に入ると龍山は止まった。ボーっとしている。俺はパチンと指を鳴らす。それでも、ボーっとしている。爪を噛んでいる、こいつは幼稚性が抜けないのか。俺が人差し指で奴の頬を突っつくと自分の世界から戻ってきたようだ。
カーテンから中学校が見える。ああ、つくづく嫌だ。中学校が目の前というのは。色んな嫌な奴が登校するのを見なければならない。よくよく考えてみると、若い男二人が病棟から帰ってきて、一つの部屋に引きこもってテレビゲームをやる。これほどキモい光景は少し珍しい。俺にとっては珍しい体験だからよく胸に秘めておく。三人組をつくるんだったら女がいいな。むさくるしいのは嫌だ。
ポテトチップスを食べてから、テトリスに集中すると豪快に負けた。龍山のテトリスを落とす速度は目で追うのも難しい。その上、ルービックキューブの鉄人。でも、少しも悔しくないのだ。こいつが“オタク”だとか“数学の天才”と知って嬉しいからだ。こいつからは何だか変人のにおいがプンプンするな。
「龍山、良かったら飯食っていけよ」
「うなぎが食べたい」
こいつ、少しの遠慮もない。彼は利己的っていうか、マイペースというか。でも、お袋は「うなぎがないから、食べられない」と言っている。一緒にうなぎを買いに行った。
「おい、お前」
「お前じゃなくて、俺は鬼丸玲央」
「玲央? お前は玲央じゃなくて獅子だ。玲央なんて気取った名前じゃなくて。だから、目つき悪いからたてがみの獣だ……あるいは、」
「世間はお前の意見なんかで呼び名は変えないさ」
「俺だけは獅子と呼ばせてもらおう」
周りの意見に左右されないというか、かなり自分を持っている(?)奴だな。変人だしね。買い物に行くと色々なタイプのおばさんがいる。俺たちの様に男二人で買い物に行くキモい奴もいるだろうけど、少し珍しいはずだ。その視点から見ておばさんたちは、息子や娘の進路の事や人間関係の事、家庭の事で苦労しているはずだ。それで、時間があいた隙に買い物に来ている。そう見える。どこの主婦も大変なはずだ、お袋だけでなく。高校生は俺たちがトップクラスに大変だろうがね……。大体、俺の苦しみは並大抵のものではないからだ。精神科に入院して、普通じゃない子と関わってきた、生きてきた。龍山もその一人。
「あ、わさビーフが売ってる!」
龍山は無邪気にわさビーフを手に取っている。こいつはお菓子が好きなのか、所詮は高校生だ。龍山は高校生といっても現役ではないだろう、高校生というオーラではないな……。またあるとき、龍山は爪をかんだ。彼は爪が伸びすぎている。爪って美味しいのだろうか? それにこいつは歩き方も変だ、笑える。
会計を終えてからさっそくわさビーフをむさぼる龍山。彼はうなぎよりわさビーフに夢中だ。こいつはまるで、おもちゃを遊んですぐ捨てる子供の様だ。
「そんなに美味しい?」
「世界一、美味しい」
「ああそうですか、それは良かったですね」
人様のお金で買ったわさビーフに夢中のこの青年は、礼儀知らずである。俺は笑った。こいつ、本当にいいキャラしている。こいつと友達になりたい。精神的病気の患者と心を通わす、高校生。物語の主人公みたい。
「林くん、うなぎどう? 美味しい?」と母が言う。
「うーん……いまいちかな」
俺は微妙な目で龍山を見る。こいつは、家にまで上げて、わさビーフまで買って、その上、うなぎを食わせてやっているのに気遣いがない。食ってから龍山は、帰っていった。
今日は病棟に戻る日だ。主治医の野秋瑠宇という先生と面接する日だ。俺の父親のライバルであり、親友だ。ちなみに家族の人は、主治医にはならない。だから、父親は主治医ではなく、野秋先生が主治医。
面接してから病棟に戻る。患者はやっぱり変わった雰囲気がある。感受性の高そうな子、優しそうな子、変わってそうな子……が多いだろう。変わった雰囲気があるから苦労する。そういった人ばかりだ。俺はそういう人をどんな奴よりも愛しく思う。
野秋先生に呼ばれた。俺の番号だ。俺はすぐに野秋の部屋に入っていく、野秋先生との診察。ノックをして、ドアを開ける。
「よく眠れてる?」と、いつも通りのお決まりの言葉。
「大丈夫、よく眠れていますよ」
ちょっと、無理がある。嘘だ。よく眠れている? と聞くのは、精神科医の常識で、眠れないと精神状態が悪くなるからだ。
「私はその微妙なクマは何だとききたい……」
「はは……」
すぐに見つかってしまった。俺は精神科医と言う職業をなめていた。
「お前、夜好きだろ? それ、あんまりいいことじゃないよ」
野秋先生は、断言する。夜更かしは快感になっている。やばいね。ばっちりカルテに書かれている。
「先生、美麗は元気ですか?」と、話しをそらす。
「あ、美麗か。あの子は、波があるからね……」
俺は妹の事が気になっている、後は龍山と。妹の主治医は野秋先生なんだ。妹は俺にとって一番大切な人だから。そこらへんの人なんて足元にも及ばない、特に健全な人なんか興味はないのだ。別に妹は恋人とかじゃなくて、一番大切にしたい……女じゃなくて、人。
親父は、このアロン病院(俺の通院している病院)の元を創ったという大物であり、精神科医も親父を尊敬する人が多い。“超一流”と言われているのだ。その息子の俺はかなり期待されている。出来て当たり前という厳しい評判だ。
「美麗のことなんかより、そろそろ進路について考えたら? もうそろそろ夏休みだよ」
「そうだね、先生。あと、話し違うけど、お袋と親父、妹の母親……その三角関係の秘密、知っているんだろ? それに対して詳しく教えてくれよ」
「鬼丸先生は昔、かなりモテたからね。取り合いになっていたよ」
鬼丸先生なんて、遠回しな呼び方をしている。どうせ、呼び捨てにするくらいの間柄のくせに。だが、野秋先生から家庭の事を聞きだせるかもしれない。俺も自分の家系の事くらい知っておきたい。でも、親父もお袋も何も語ってはくれない。もちろん、妹も何も知らないだろう。よっぽどの事情があるのだろうか。
「昔から、葉子さんは俊輔にぞっこんだったよ。でも、俊輔は町子さんが好きで……町子さんも……」
精神科医が“ぞっこん”なんて言葉を使うなんて笑える。葉子は俺の母で、町子さんは、スウェーデンのハーフで、美麗の母。
「先生は女性から人気がなかったわけだ」
「やっぱり、鋭いな……お前は。モテないよ、俺は」
なんだか、年をとっている中年男性は、“私”と言ったり、“俺”と言ったり。少年時代を思い出させる口調だ。俺もいずれはそうなるのか、何だか嫌だな。
診察は終わった。やっぱり、お袋はないがしろにされていたんだ。帰ってから、アルバムの写真をながめた。俺とお袋だけが写っている時の俊輔は笑っていない。不倫の仲なのに家族ぐるみで行動している。だから俺は妹と仲が良かった。今もいいけど。いつもお袋が、暗い顔をしていて、町子さんと親父は隣にいて、笑っている。だけど、何故にお袋と結婚したんだろう。都合のいい様に扱いたかったから? それにしては随分と勝手だな。生活費だって町子さんがしっかり握っているしね。
外泊から帰ってきて、俺は龍山の部屋に遊びに行った。(龍山も入院している。ちなみに龍山は一〇二号室で俺の隣の一人部屋である。)龍山は問題児で有名。龍山の部屋は汚い。それに掃除をしていない様子だ。部屋は、引きちぎった人形、壁への落書きがある。幼稚以外の何者でもない。普通、男子高生と呼ばれる男の部屋は女の写真が飾ってあるだろう。グラビア雑誌でも見るだろうけど、俺と同じで性欲を興奮させる女性には免疫がない、と思う。なんだか、嬉しくなってきている。ますますこいつと仲良くなりたいんだ。
龍山は……年齢不詳という雰囲気で、とても学生という雰囲気はない。引きちぎった人形が気持ち悪くて思わず見ずにはいられない。
「お前さ、この引きちぎり方……悲惨だな」
「そう? なんか死にたいときに人形を見ると引きちぎりたくなるんだ……」
なんかリストカット癖のある人の解消方法だ。大変なんだな、こいつ。
「何かあった?」
「正直、生きているのも死んでいくのもどちらも怖い」
そんなことを考えていたのか。
「お前のその火傷、一体どうした?」
「何で、お前にそんな事を言わなければいけないの?」
「なんか、深いわけがあるよね?」
「訊かれたくないことだってあるだろ? 失礼だと思わないのか?」
色々と大変なんだな。というか、火傷の事を訊くのも確かに失礼な気がする。でも、いいんだ。こいつとは、本当に仲良くなれそうな気がするから。俺がそう思っている間にルービックキューブを超高速に動かしている。数学の天才だ。
「何で? 死にたいの?」
「俺さ、世の中って変だと思うんだ。それにこの世の中の人間なんかと一緒にいるのがどうしようもなく怖いから。だから、俺の生きる意味は、死ぬことだ」
ああなんというネガティブ思考。俺はますますこいつを好きになってきた。だって、こういう奴、素敵なんだ。病んでいる事は、生きていく原動力にもなる。それに死にたいというのがどれほどの苦悩か。周りの人間はわかってくれない。俺たちはエキセントリックで、変わった能力の持ち主。皆が俺たちを特別視し、哀れに思うだろうが、俺は違う。俺は俺たちみたいな人間を可哀想なんて思わない。“カッコいい”とか“最高”みたいな感覚に思っていたりする。可哀想とは寧ろ反対で、“羨ましい”と思ってしまう。その理由は病んでいる人は考えすぎるが故に感性が高くて、知能指数が未知数に高い子が混じっているのだから。
「死にたいんだったら何で、死なないの?」
「怖いから」
笑える。こいつも怖くて死ねない人間の一人だ。こいつが死んだら困る。死んだら元も子もない。絶対死ぬなよ、死んだらお前を許さない。
Dルームに行くと女子も男子も王様ゲームをしている。俺と龍山を混ぜようとした。
「鬼丸くん。王様ゲームしない?」
「どっちでもいい」
「もう、難しい本ばかり読んでいないでたまには遊ぼうよ」
俺には話しかけるが、こいつら、龍山を無視している。多分、こいつが問題児と言う噂があるからだろう。龍山は爪を噛む。凄い勢いで。まるでするめいかを噛んでいるかの様に。
「こっち来ないでよ!」
龍山が少し近づくとそう言う。
「火傷がうつる」
「気持ち悪いのがうつる」
おいおい、小学生じゃないんだから、そういう差別はやめにしなよ。そもそも健全な奴なんてそういう考え方だろう(こいつら俺と龍山に比べたらかなりの健全なんだろうから)。こいつらはやっぱり、大嫌いだ。傷ついたのかと思ったら龍山は爪を噛みながらボーっとしている。目の焦点があっていない。止まっている。
龍山は、部屋に戻った。俺は王様ゲームなどやらずに待機だ。長椅子に移動した。その動機は、美麗が長椅子に座っていたから。いつ見ても可愛い妹だ。優しくて、大人しくて純粋な妹だ。とうとう会えた。
「美麗。最近、調子はどう?」
「また切っちゃった」
「見せて」
「いや」
拒否された。何だか欲求(?)に否定された様で悲しい。いつも友達がいなくて独りでいる美麗。周りに左右されなくて、自分を持っていて、社会と交わるのが嫌いな美麗。外見も人形の様な美しい顔しているので、病棟の中でもひときわ目立っている美麗。一言で言えば、孤立した美少女。自分の意見を押し通し、皆と同じことをするのを嫌う子だ。
夜、男子の集会があった。俺は遠くから見ている。龍山も男子たちに交わらない様に歯磨きをし、その後、ルービックキューブをいじる。
「なんかいい感じの女子っていない?」
「俺、冬馬かな?」
「愛想ないじゃん」
「可愛いからOK」
冬馬とは美麗のことで、美麗を好きな男は沢山いる。美麗の不思議な雰囲気に気付いている男も少なからずいるのだ。龍山は美麗の話に惹き付けられている様だ。美麗の話となると反応する所がある。そこも俺と同じ。女というか妹の美麗はやっぱり他の女子より魅力的に感じる。
女としての愛より、血の絆での仲の愛の方がもっと深い。いつもリストカットしている美麗に対して言っている。「自傷するなら見られないところにしなさい」と。これがどれほどの愛なのか、美麗にはわかってもらえない。でも、美麗の幸せのためなら何だってしたい。女としてよりも妹としてよりも大切な存在だから。
男子の集会から聞こえてくる騒がしい会話は、いつもエロチックな話ばかりである。年頃の男はそうだ。俺にとっては興味のないことばかり。龍山と俺は退屈な夜について話し合った。
「お前、眠れるか?」
「楽々オールナイト出来る。俺のオールナイトの回数は、百回を超えている」
ああなんという不眠症。無理に徹夜するのではなくて、眠れないから一晩中寝ないのだろう。眠らないのではなく、眠れないが正しい。普通は哀れに思うが、俺にとってはカッコいいと思ってしまう。でもさ、睡眠不足だから、死にたくなるんだよ。
「そんなに眠れないなら俺の部屋に相談窓口とかつくろうと思ってる。お前も手伝ってくれ」
相談窓口をつくって、相談に乗りまくる。それが俺の行き方。精神科医になるため、どんどん実力を上げたい。地下室に作るわけだが、もちろん、そんなことをするのは、禁止であり、見つかったら、強制退院だ。俺的には退院なんてしたくない。龍山と別れるなんて、絶対に嫌だ。でも、病棟で地下室を借りるなんて、俺が精神科医の息子だし、野秋先生と昔から顔馴染みだからである。普通の子には出来ないことだ。
「俺と獅子だけじゃなんか寂しくない?」
「もう一人、必要ってわけか」
やっぱり、もう一人と言えば冬馬美麗くらいしかいないだろう。俺の妹。Dルームに来た美麗をつかまえた。
「美麗」
「何?」
「お前の力がほしい」
「はぁ?」
俺は一瞬焦った。美麗に対して、「ほしい」などと。この言葉には変な意味合いが込められている。
「実はさ、病棟で相談窓口を先生方にこっそりで、つくろうと思ってるんだ。そのことを看護婦さんとかに秘密にして、夜に俺の部屋に来てくれない? 龍山もいるけどな。電話の相談とかパソコンの相談とかに乗ってくれればいい」
俺ってば、なんてこと言っているんだ。女子を自分の部屋に招きいれようなんて、ちょっと困ったシチュエーションだ。こんな綺麗な子がいたら、俺でも困ってしまうくらいだ。他の女子なら全く興奮しないのだが。いや、そういう理由で相談窓口をつくるんじゃないからな。
「いいよ。そういうの好きだし……」
“そういうの”というと恐らく夜に活動する事を言っているのだろう。
「じゃあ、決まりだな。毎晩、来てくれよ。待ってるから」
この子に対して、妹と言う愛よりも血縁と言う愛よりも神的な愛。
「あっ……鬼丸くん」
女子の一人が俺に話をかけてくる。
「鬼丸くんは、いつも冬馬さんといるけど、なんで?」
「美麗と? どういう意味?」と俺はとぼける。
「好きなの?」
やっぱ女子ってそういうの好きだなって思う。まあ満更違うわけでもないけど……。
「何で、俺があいつを好きにならなきゃいけないの?」
俺は照れた。こういうことを言われるとその言葉を否定したくなる、男の心理なんだ、わかってくれよ。
「何で、言っていることが一々変わるの?」
「さあね」
去っていこうとした。
「待って」
俺を引き止める。
「何だよ?」
「私、貴方が好きなんです……」
別に告白される事が珍しいわけではなかった、この子に限らず。悪いけど、女は美麗以外に興味がないんだ。美麗の前でだけカッコいい姿でいたい。あ、でもこういうことか。この子は俺が好きで、俺は、恋じゃなくとも愛で美麗が好きだ。でも、美麗は……きっと俺の片思いなんだろうな、恋って言うより、友達以上恋人未満の愛だろう。でも、恋人よりも家族愛と似ている。自分の分身というか、恋人ではないけど、自分そのもの。美麗はきっとまだ自己愛しかないんだろうな。
「いつも玲央くんが冬馬さんを見ているのがわかる。でも、いつも話しているのを見て、胸が苦しい」
メルヘン風に語る。この子、少女マンガの読みすぎかな。
「美麗はあんたと違って、いい子だからさ。あんたなんて、ただ流行に走って、周りに合わせて、それが安心って言う心。俺はそれが嫌いなんだ。俺たちはお前とは持っている雰囲気が違うんだよ」
この女子は泣きながら女子棟に帰っていった。しょうがないじゃないか、好きになれないんだから。
夜になった。俺はさっそく地下室に入ってパソコン、電話を用意した。野秋先生から許可をもらって、この相談窓口をつくった。昔からサイトをつくるのが好きで趣味でつくっていたら、相談窓口が有名になった。サイト名は、“Drライオン”。
Dルームに水をくみに行くと男子たちが話していた。(Dルームとは、集合場所の様なところで、病棟の中心地)
「よぉ! 鬼丸」
「お前ら、早く寝ろよ」
俺は人の事を言えないだろう。だって、これから相談窓口を開くのだから。相談窓口のサイトに向かうのは、消灯の一時間後の十時だ。こいつらがゆっくり寝静まる様子を確認してから相談窓口に向かおう。電話線は切ってあるし、パソコンも地下室にあるし。心配は要らない。
男子たちは、俺を話の仲間に入れようとした。
「鬼丸も協力して。水野と冬馬をつき合わせる計画しているんだ」
無理だと思う。左右されない美麗がそんじゃそこらの男に惹かれるわけない。
美麗が起きてきた。
「お、噂をすれば冬馬」
男子は、美麗に目線を向ける。美麗は警戒する目で見ている。
「“噂をすれば”って、私の噂をしていたの?」
「水野、冬馬の事、好きなんだって」
唐突な言葉にびっくりした。美麗は動揺する様子は全くといっていいほどだ。
「私、そういうの興味ないから」
この言葉……正しく、俺の予想が的中。説得力のある美麗は周りの不謹慎な態度を消した。美麗は笑っていない。その外見は人形の様な顔をしていて、不思議な雰囲気がするので、俺たち男子を惹きつける。
美麗はモテる。病棟中が美麗の噂をしている。美しいし、目立つから。女の友達が一人もいないが、自分の意見を持っているため、優柔不断、大人しいという部類には入らない。男子も美麗を好きという奴が多いのだ。彼女はかなり変わっているので、女子も男子も声をかけにくい。そんな雰囲気を持った女子だ。
「もしも、病棟のどこかに勝手に患者だけのイベントとかでも開いたら、どうなるんだろうね。そんな変なことしたらこの病院にいられなくなるね」
ちょっと驚いた。俺に当てはまっていることだから。病棟の中で相談に乗っているやつなんかいないだろう。でも、それは俺が精神科医の息子だから出来ること。なんたる特権だろう。
美麗は俺をみて、元気そうに笑って見せた。可愛く笑った。笑うと可愛いのに何で、いつも暗い顔をしているのだろう。
消灯から一時間が経ち、十時になった。俺はすぐに用意した。地下室の鍵を開けた。足音がする。看護婦か、龍山か、美麗か。ドアが開いた。看護婦がライトで俺を照らした。俺の布団は物をつめているので、寝たふりなんて簡単に出来た。俺自身は、地下室の中にいる。まだまだ龍山と美麗は来ない。
美麗や龍山が来る途中に見つかったら外泊禁止だ。この地下室の存在が見つかったら強制退院である。これぐらいの覚悟を決めなければならないのだ。野秋先生からも見つかったら責任は取れない。秘密でやっているのだ。
パソコンを開いた。電話はコードをつないでいない。パソコンのチャットで入室してきた。
ヤコブ>あの
俺は、文字を打った。
Drライオン>どうしたの?
“Drライオン”とは俺のハンドルネーム。
ヤコブ>死にたい死にたい死にたい
Drライオン>なんか悩んでいる事でもあるの?
ヤコブ>本当に死にたいんです
一般から見たら驚かれるかもしれないが、こんな人に当たるのは日常茶飯事。
カイン>こんばんは、Drライオンさんですか?
客が入室してきた。
Drライオン>そうです、どうしましたか?
カイン>俺、男なんだけどリスカしちゃった
Drライオン>動機は?
カイン>なんか彼女がやっているから真似しただけ
男でもリスカをする人はいる。驚くに至らない。
Drライオン>ヤコブさんは何で死にたいの?
ヤコブ>生きている意味がわからないから
Drライオン>気持ちを外に向けたら?
ヤコブさん、カインさんとの話は、十一時まで続いた。そして、すぐに退室。しかし、龍山と美麗が遅い。地下室から出るとどこからかドンドンと音がする。俺は、気にせず、Dルームに向かった。Dルームでは、女子たちがいた。
「あ、玲央くんだ」
「美麗は?」
「冬馬さん? やっぱ、まずかったんじゃん?」
女子は騒ぐ。
「冬馬さんは、もう寝たみたいだよ……玲央くんも寝たら?」
嘘だ。美麗は眠れない子のはず。あるいは、美麗は部屋にいて、眠っていないとか。
「やっぱり、玲央くんって冬馬さんと仲いいんだ」
「うん。大事な子だから。もうお姫様みたいにね」と静かに言った。
内心、はっきり言って、お前らなんか足元にも及ばない。
「いいな、そういうの」
「桜井さん、美麗呼んできてくれないか?」
「だから、もう寝たって」と気の強い女子が言う。
女子たちは、女子棟に帰っていった。俺は、水を飲んだ。夜の時間はかなり興奮する。暗いから、何だか冒険している気分だ。夜をこよなく愛する。夜は活動したくないのが普通だが、夜になるとかえって興奮する。だから、俺たちは夜に相談を乗るのに向いている。
携帯が鳴って、メールが来た。(マナーモードにしてある。病棟では、携帯は持ってきてはいけないという決まりがある。見つかったら親に通報される。携帯を退院するまで取り上げられるという)龍山からだ。
〈夜の街で迷子になった〉
なんていうことをしているんだ。この病棟は鍵がないから自由な分、恐ろしいんだ。俺はもう知らない。自分で帰ってくればいいじゃん。俺は、部屋に戻った。大きな音が聴こえる。ネズミかな? ネズミにしては大きな音だ。ゴキブリ? そんなはずはない。俺は、音をたどっていった。
院内学級の通り道に美麗がいた。ドアを叩いている。何でこんなところにいるんだ? 道理で来られなかったはずだ。俺は走ってDルームのナースステーションに行き、看護婦に伝えた。すぐに鍵を開けてもらった。あちら側では自動ロックされ、どちらからも開かなくなるのだ。
「美麗ちゃん、誰がそんなことしたの?」
「……」
美麗は答えようとしない。美麗は心を相当に閉ざしている。心を開くのは俺にだけ。
「美麗ちゃん、ちゃんと寝なさいよ」
そう言って、看護婦は、戻っていった。何だか、適当っぽいんだよな。
「美麗、本当はどうした?」
「女子たちに“鬼丸くんと仲いいよね”って言われて、いきなり、あそこに閉じ込められた」
「やっぱり、そうだったんだ……」
「あの……いつも一緒にいるあの火傷の人は?」
「あ、龍山か。あいつならまだ帰ってきてない」
「大丈夫なの?」
「まあ、俺の部屋に来てよ」
美麗を部屋に入れた。看護婦の気配はないから大丈夫だ。美麗は、落ち着きがない。怖かったのだろう。看護婦があんまり真剣じゃないおかげで俺たちが部屋で話をする事ができた。
「ねぇ……玲央」
「ん?」
「本当に精神科医になりたいの?」
「まあね」
「玲央は私のことばかり心配してくれなきゃイヤ!
他の人が貴方に優しくされているところを見ると胸が苦しい」
「俺はお前が関わってきた子の仲でも一番だよ。お前が一番大切な子だよ」
美麗は女子に意地悪されて体に落ち着きがない。だから、余計に興奮してわけがわからなくなっているんだ。美麗がもしも俺に恋愛感情を抱いているなら、残念だけど俺にとってはそんな対象じゃない。似ているけれど、ちょっと違う。そんな面倒な感情が芽生えないでくれ。
「私、もう生きていたくない。毎日、眠れないし、いつも一人だし。また切った」
俺に手首を見せてきた。かなり深い。傷口からもう血は出ていないけど、痕は箇所が多くなるではなく、深くなっていた。
「もう、切るな。俺がついてる」
美麗はぽろぽろ泣き始めた。こいつの涙に本当に弱い。優しくしたくてしょうがない。
「泣くなよ。お前、自分が一番不幸だと思ってるだろ?
俺に関わってきた子たちにとってはお前なんて苦しみじゃない。その子たち、お前は可哀想に思わないのか?」
「かわいそうって言うより、好きになれない……」
美麗は泣いている。可愛い…・・・なんて可愛いんだ。この表情は非常に印象的だ。心躍らされる。俺は我慢できなくなってきた。抱きしめたいし、優しくしたい。でも、その心を抑えた。
「美麗、もう帰るんだ。気をつけろよ」
「うん」
美麗は寂しそうに帰っていった。俺も今日は何だか疲れた。寝るとするか。
次の日の朝になった。一〇一号室のドアを開け、廊下に出ると、龍山と親父がいた。
「何であの時は夜の街なんか行ったんだ?」と親父が淡々と龍山に語る。
「昼では俺の居場所がない。危険だってわかっているけど」
龍山、やっぱり夜の街に行ったんだ。
「ここは鍵のない病棟だからって。夜の街で遊ぶのは危険なんだ」
龍山は親父に依存している。助けてくれたからか、甘えを見せる。よくこんな奴に依存できるな。俺だったら殴り飛ばしたいくらい。親父たちを見ながら俺は歯を磨いた。夜の街で、何かあるな。何だ? 野秋先生に相談してみるか。
「龍山が、夜の街に?」
龍山のために野秋先生に面接をたのんだのだった。
「何かあると思って。夜遅くまで帰ってこなくてさ」
「昨日は相談窓口開いていたのか?」
「それで、龍山が来てくれなくてさ」
「たまたまだよ。龍山も一人で行動して、大人になってきたんだな」
「あいつが大人になるなんて絶対にありえない様な気がする」
「まあ……気にするな」
いや、友達だから気にするに決まってるし。野秋先生も楽観的だからなあ。かといって、親父とは話したくないし。野秋先生は女性のファッション雑誌を読んでいる。女好きなんだな。美麗に対しては甘いのに男の俺に対しては構わず突っ掛かってくる。やっぱり、男ってそんなものか。
龍山が部屋にいない。また街で遊んでいるのか。
「何してるの?」
綺麗な声が聴こえた。美麗だ。元気な笑顔をして俺に話しかける。気がついたら、Dルームの長椅子に座っていた。
「龍山っていう人の心配してるんでしょ?」
「何でわかるんだ?」
「いつも仲間の心配ばかりして。自分も大切にしなよ」
ストレートの赤毛、すっぴんのままでも十分綺麗な顔、細くて長い手足。この子になら皆が魅了しても仕方ないかもしれない。
「玲央も夜の街に行く?」
「お前も行くの?」
「まあね」
むちゃくちゃ過ぎる。女子が夜の街に行くなんて、危険だ。
「お前は残ってろ!」
「なんで?」
「お前が心配だから」
美麗は黙った。ぼそぼそと口を開く。
「やっぱり、私が女だから?」
美麗はしょんぼりして、女子棟に帰った。美麗、お前を危険な目に遭わせたくない。
夜になった。龍山は帰ってこない。一人で行く事にした。ドアを開けて、病院を出ると親父が腕を組んで待ち構えていた。
「どこいくんだ?」
俺は冷や汗をかいた。ヤバイ! と思った。
「お前には関係ない!」
「親に向かってなんだ、それ」
「お前は親と思いたくない!」
「おやおや、反抗期か?」
「お前なんか反抗する価値もない!」
俺は全速力で走っていった。この病院はまだ新しいから怖くないが、夜の街はもっと怖い。龍山がいなくなったら、数少ない友達が減る。これは、健全な奴に対しての敗北だ。負けるわけにはいかない。親父が追いかけてくる様子はなかった。所詮はそんなものだ。
夜の街に入った。もう、暴走族にからまれるのを覚悟に行くしかない。夜の街は、騒ぎ立っている。夜の八時になるのに夜の街は賑やかだ。龍山をどうやって探そうか。
「あれ? 玲央くん」
病棟の女子のリーダー的、ポジションの鎧崎累花。こいつも夜の街にいるのか。こいつは、健全なほうに見える(とても病んでいる風には見えない)が「この子も相当に病んでいるほうだ」と親父が帰宅した時になんとなく言っていた気がする。
こいつも辛いのかな? 俺たちより辛くないって決め付けないで、もっと広い世界で見てみようかな? それにしても鎧崎は、魔女っぽい紫色の服を着ていて、金髪の縦ロールに、わし鼻、まさに魔女を連想させる子だ。悪魔の娘だな。
「なあ、鎧崎」
「え?」
「龍山知らない?」
「なんだ。告白してくれるんじゃないのかぁ。
あの火傷の人? 知らなーい」
俺は走っていった。夜の街は危険だ。とは言ってもアロン病院からそれほど遠くない。心が病んだ患者たちはやっぱり、夜の街に手を出してしまうのか。
「待って」
鎧崎が追いかけてきた。
「何だよ……?」
「あの火傷の人ならお父さまと一緒に行ったよ? あっちかな? 神社のほう」
お、お父様?! どういう家柄だ? 何で、鎧崎の父親と龍山が一緒にいるんだ? 俺は神社の方に走った。暗いので、かなり危険だ。人の気配もないし、小さな子供は親の元に帰っている時間だ。神社に入った。なんだか、人数が沢山いる。中に龍山がいた、神社の近くにたむろしていた。木の陰で様子を見よう。
遠くから龍山を見ていた。凄い勢いで爪を噛んでいる。多分、目の焦点が合っていない。
「お前、金よこせ」
暴走族か? それくらいヤバそうな奴らだ。
「俺の事を殺してもいいよ」
目を据わらせて普通の無表情で喋る龍山。火傷は別として、目が気持ち悪い。プラチナブロンドのおかげで不潔に見えにくいが、黒髪だったら危ういぞ。この発言に自暴自棄さを感じる。龍山から希望のない雰囲気が漂う。死に向かって見つめている目だ。
「お前のその目、むかつく」
暴走族は龍山を囲んだ。暴走族のイメージの多くはこういう情景だろう。間違いなく、暴走族だ。周りに囲まれて龍山が見えない。暴走族だと思う一人が龍山を蹴り飛ばす。醜悪だ。俺は見ていられなかった。警察を呼ぼう、と駆け出した時、後ろに鎧崎がいた。
「玲央くん、あの人……友達なんでしょ? 助けたい?」
“助けたい?”と聞かれても女一人に、鎧崎一人に助けられるのだろうか? 無惨に蹴られている。血が見えてきた。ピラニアが少しずつ獲物の皮を剥ぐように傷つけていく。俺は、黙っていられない。
「私についてきて」
鎧崎に何ができるんだ。でも、しょうがない。俺には何も出来ない。鎧崎について行った。鎧崎は怯えることなく、暴走族たちのところへ向かう。
「その人は私の知り合いなの」
「あ、累花さん」と暴走族。
何だか暴走族も累花に従う様な言い方だ。
「放してあげて」
暴走族たちは離れていった。どういうことだろう。鎧崎の言う事を聞く。かなりの人数がひいていく。このことでなんとなくわかった。
「私、暴力団の娘なの」
驚いた。病棟に入院している普通だと思っていた少女が、暴力団の娘だということに。普通じゃなかったのだ。世の中とは本当にわからない。龍山は、立ち上がった。唇が切れていて、髪も更にボサボサになっている。火傷と新たな体の傷が酷い。でも、龍山は恐ろしいという感じは全くなく、龍山は自然と喋り始めた。鎧崎と俺は龍山の話を聞いた。
「俺はオーストラリアにいた。日本に来たこともあったかな。親は俺を虐待して、世間の目しか気にしなくて、俺を精神病院に預けたこともあった。
学校の奴なんて俺が外人って言うだけで、偏見してきたんだ。
俺は八歳の時から、自殺願望があって、毎日、朝昼晩、夏も冬も裸になってシャワーの冷水で、体を鍛えていた。そうすると、焼死に耐える事が出来るって、自殺サイトに書いてあったんだ。
日本に来てから、いきなり母親が、ライターを俺の右目に押し付けてきて、俺の目は失明した。
入退院を繰り返して、暴れまくって、保護室に入って……悟った」
俺たちは唾を飲んだ。
「生きていても、良いことなんてない。生きていれば未来を楽しくできるって、綺麗ごと、嘘に決まっている。
この世の中、変だよ。何で、俺ばかり辛いんだよ。玲央、俺を殺してくれよ!」
俺は沈黙した。龍山のことを本当に今は、可哀想に思っている。俺よりずっと辛い過去があるんだ。殴られていても冷水で鍛えてあるから平気らしいのだ。
「こんなに強い薬を飲みまくっていて傷ついた体だし、失明した右目、不眠症で疲れきっている体。こんな傷つきまくった俺なんか死んだほうがいい。
殺してくれ。早く、殺してくれよ!」
龍山がこんなに激しく話すのを初めて見た。よっぽどまよっているんだ。フラストレーションは爪を噛む事で発散させている、愛に飢えた赤ん坊のように。
「今日はもう寝ろ」
俺は静かに言った。龍山は胸ぐらをつかんできた。手が汗で湿っている。
「お前に何がわかるんだよ!? 俺のこと、前と違うよな?
あの公園で会ったときは、俺に惹かれていただろ? お前は確かに凡人とは違う!
でも、今は同じ」
龍山は俺の胸ぐらから手を離し、静かに病院に帰っていった。病棟では美麗が迎えてくれた。
「どうしたの? その怪我」
美麗は心配している。龍山は看護婦さんに手当てをしてもらっている。美麗がやってきた。
「私が手当てする」
美麗は丁寧に龍山の手当てをする。美麗も絆を感じたのだろうか? なんか、ちょっと羨ましい。俺、変かな。やっぱり、妹に少し、そういう感情が芽生えているかもしれない。
「痛かったよね」
美麗は優しく言う。龍山は硬直している。女性が苦手ということよりも美麗だからという感じ、いつもの周りに対する対応からそう見える。こいつも俺と同じ様に感じたんじゃないか、ちょっと焦りが出る。
龍山は、殴られたというのに元気だ。連中がテレビ見ている間に龍山と俺は遠くの長いすに座っている。龍山はセーラームーンのテーマ曲を鼻歌で歌っている、現実逃避? そう、現実逃避なのだ。そういう行為をする俺たちを結んでいるのは、病んでいて苦しいという絆。でも、そこに美麗が加わったからこそ、少し焦りがある。
「龍山、お前さ」
「ん?」
「美麗のこと、どう思ってる?」
「可愛いね」
こいつが女の事を可愛いなんて思う性格じゃない。
「あのさ、お願いがあるんだけど……」
「変なことじゃないだろうな」
「のど仏、舐めさせて?」
「……駄目だねっ」
呆れた。イカれた戯言だな! のど仏、何故にのど仏なんだ? こんな変な奴に出会った事を貴重な体験談にさせてもらいますよ、ハイ。というか、かなりハイテンションになっている。こんなことで体力が持つのか。
「じゃあ、のど仏は諦める。太ももを食べさせて?」
「俺が痛いからやめて」
男の太ももなんてなんの快感もないだろ? 美麗の太ももでも食べれば? 俺は馬鹿馬鹿しく感じてきた、イライラしてきた。こいつといると本当に疲れるんだ。
「でも、かぶりついたら血が出るよなあ・・・・・・」
「だから、やめとけ」
「所詮、人肉なんて美味しくないし」
その通りだ。こんな下らない事を語りながら、俺たちだけ遅れて食事をしていた。その時、龍山の目線が気になった。ボーっとこっちを見ている。
「何?」
返事をしない。目の焦点がまた合っていない、気持ち悪い。
「問題児ってば、キモ!」
ほら、連中(患者)に言われた。こいつら精神年齢低いんだから、平気で傷つくことを言うだろう。龍山は黙々とご飯を食べる。だが、食べ方が変。プリンに醤油をかけている。せっかくのご馳走が台無しだ。俺は気にせず、普通の食べ方でいく。
「龍山、何で醤油をかけるの?」
美麗は龍山に話しかけた。龍山はまた硬直した。分かりやすい奴だな。連中が部屋に戻った後、龍山と美麗を追い求めた。
「あのさ、お前らさ、今度こそ来いよ?」
龍山と美麗はうなづいた。相談窓口のことだ。
「来いってどこに?」
近くには、鎧崎がいた。不敵に笑っている。何か全てを知っているかのように。暴力団の娘という事実もあり、こいつ、只者じゃないな。でも、俺たちとは違うと思う。タイプが違うから話したりしても無駄だろう。
「お父さまに言っておくよ。もう、龍山くんを襲わないって。
でもさ、お願いがあるの」
美麗と俺は唾を呑んだ。嫌なお願いだろうなって。
「累花、玲央くんと夜の街を回りたい」
ああそうですか。それならお安い御用。
「いいよ、一緒に行ってやっても」
俺は冷や汗をかく。鎧崎と一緒にいけば暴走族に絡まれる危険性もなくなる。
「でさ、さっき、言ってた。来いってどこに?」と累花。
「何でお前に言わなきゃいけないの?」
「あーそんなこと言うんだ! 龍山くんに借金つくらせてあげちゃおーっと」
汚い。この子、足元見ること覚えたな。やっぱり、流石は暴力団の娘。美麗と俺は見合わせた。本当のことを言おうかどうしようか……。こいつも絶対に参加したいっていうだろう。こいつをパーティーメンバーに入れるのはご免だ。
「夜の街に三人で行こうと思ってさ」
大嘘だ。
「そうなんだ。累花と一緒に行こうよー」
美麗と違って、明るく快活な娘。友達もいっぱいいて、彼氏も二十八人いるという噂もある。何で人間は同じ手足があるのにこんなに違うんだろう。やっぱり俺たちはエキセントリックなDrライオンの相談員だ。鎧崎は、絶対に仲間に入れない。病んでいるという絆を破ってまでは絶対に入れない。だって、病んでいる人でなければ相談員にはなれないだろう。鎧崎には無理だ。残念だよ、鎧崎さん、本当に残念だよ。
夜に俺の部屋にやってくるのは容易なことではない。看護婦と言う観察の才女の軍団の目を見計らって、俺の部屋まで来なければならない。美麗なんか女子棟からやってくる。かなりハードなのだ。これを毎晩繰り返している俺たちは只者ではない(と思う)。
俺は、部屋で待ち続けた。今は、寝床にいる。地下室に移動しようと思っているところ。扉が開いた。
「玲央」
親父だった。俺は“しまった”と思った。
「伝えに来た。母さんが癌になった。アロンに入院することになったからな」
いきなりの言葉にびっくりした。龍山たちは“来るな”って思いと、母さんが“大変だ”って気持ちが交差してわけがわからない。
「お前、今から母さんの所に行けるか? 私も行くから」
俺は、父親に構わず、母の元へ行きたかった。お前なんか、親父なんか家族ではない。父親らしいことなんかしてくれなかったじゃないか。俺なんかほったらかしで、いつも美麗の母と美麗ばかり可愛がって。お袋がどれだけ苦しんだんだ。病気にさせたのはお前だ。
夜だというのに特別に鍵を貸してくれた看護婦。お袋は元々、体が弱い。大人しくて優しい母だ、身体的病気になりやすい。お袋は痩せ細っていた。元気がない。あいつの帰りが遅いから、こんなに弱っていって。
「お袋……」
俺は悲哀を感ずる顔しか出来なかった。お袋が死んだときのことを考えたら恐ろしい。家族が、あいつだけになることがどうしようもなく、怖い。
「悲しい顔をしないで……」
「親父のせいだよ……」
「全部、あの人のせいにしたらいけないよ。私が元気なら玲央がそんな顔しなくて良かった」
母は自分を責める。やっぱり・・・・・・母は優しい、自分に厳しい。
「私、昔……あんたを妊娠した時、あの人に捨てられそうになっていてね」
今まで、言った事ない言葉を弱った声で語る。家族と会話を交わすことはあまりなかった。でも、やっぱり一緒に暮らしている人は大事に思うのが普通だ。リストカットしている美麗を憎んだ。母親も健康で、父親にも可愛がられて、そんなお前が何でリストカットしているんだ。自殺願望じゃないとはいえ、母ほどの苦しみがあるのか? 俺はそう思う。でも、血縁の可愛い妹だ、そういう醜さを抑えた。死にたくないのに死んでいく人もいるのに何が死にたいだ、龍山も。俺は帰ってもDrライオンを開く気にはなれなかった。龍山たちも来てないし。ぐっすり寝た。
面接で野秋先生にこのことを伝えた。野秋先生はコーヒーを飲みながら、冷静に聞いてくれる。
「葉子さんは、お前を堕胎するつもりだったんだけど、お前が元気に動いていたから産んでくれたんだよ、感謝しなさい。
俊輔は家族に冷酷で、恋愛というものに興味がないから、女性が向こうからいくらでもやってくるんだ」
大人の昔話を聞いている子供(俺)は、親父の事はどうでもよかった。お袋だけを思っている。
「どうした? お前は自分の心配だけしていろよ。いくら相談窓口を開いているからって、お前は患者を救えるほどの実力は無い」
でも、俺は救いたいって気持ちは誰よりも強いんだ。あんな冷酷じじいなんかとそこは一緒にされたくない。
病棟のDルームに向かうと連中はテレビみて、のんきに。俺はそんな安らげる時間はないな。長椅子に座った。
「玲央くん、大変! 龍山くんが自殺しようとしているの!」
龍山は屋上にいる。馬鹿が! 死にたくないのに死んでしまう人だっているのに。俺は急いで、屋上に行った。看護婦も急いでいく。美麗も来た。
「もう、俺は、神なんていないと思うね」と淡々と語る。
なんか甘えを見せている。こいつの精神年齢は中学生くらいだろう。思春期真っ盛りだ。
「駄目だよ、死んだら……お母さん悲しむよ」
美麗は優しく言った。駄目だ。今のこいつに優しくそんな事を言ったら逆効果だ。
「ていうか、死ねよ? 止めないから。お前は百パーセント死なない、言い切れる!」
俺は、龍山が大事だった。死んだら他に友達がいない。
「玲央、そんな事言ったら可哀そうだよ」
そう言ったのもつかの間、龍山は飛び降りようとした。看護婦は龍山をつかんだ。龍山は抵抗する。今度は俺が龍山をつかんだ。龍山を引っ張る。龍山を助けた後、俺は龍山を殴り飛ばした。龍山は吹っ飛んだ。屋上の地面に叩き付けた。
「お袋は死にたくもないのに死ぬかもしれないんだぞ!」
俺は許せなかった。龍山は傷を押さえ、俺に向かっていった。龍山は殴り返してきた、俺は吹っ飛んだ。美麗たちは陰に隠れた。殴り合いは、かなり続いた。
「もう、子供じゃないんだから、殴り合いなんかやめなさい!」
美麗は怒りながら龍山の傷を手当する。すると、鎧崎が不敵に笑ってやってきた。
「私は、玲央くんの傷の手当する」
俺の傷の手当を丁寧に、丁寧に。鎧崎は、思春期の少女らしく、俺を純粋に好いているのだろう。でも、俺が好きなのは、美麗なんだ。恋人というより、自分の分身というくらいの愛。その愛はお前にはわからないだろう。
トランプをする時も俺と龍山と美麗でする。鎧崎(や他の女子)や男子も寄せ付けない不思議な関係だ。その関係は、長年の孤独の苦しみから来ている。似たような苦しみがあるから、苦労してきたから、仕様がないんだ。俺たちみたいな絆は、お前たちには出来ない。
「お前、ジョーカー持ってるだろ?」
龍山はカードを浮かせて、ジョーカーを持っていると思わせといて、実は他のカードのうちにジョーカーがあるのにそれを逆手にとって推理してなんとかひかせるという変な作戦だ。
「あ、ジョーカーひいちゃった……」
「私も仲間に入れて」
楽しそうにトランプをしているので、女子はこういう声をかけてくるときもある。でも、大抵、他の子が入ると会話が止まってしまう。この特別視は、龍山とか美麗みたいな苦しんでいる人たちにとっての幸せだ。苦しんだ人間の方が、発想力とか才能があるんだ。
男子たちは美麗を見る。美麗を噂の種にするため。天然だけど、芯が強い美麗は突っ込み所が満載である。一人で行動出来るけれどドジであるため、皆の目を引く。女子の友達がいないのか、女子という扱いを受けない。男子の友達も俺たちだけだが。
夜の消灯、五分前。龍山は独りでいた。俺は近寄る。
「どうした?」
「死にたくなってさ」
こいつは、一日一回は死にたいと思っていることだろう。こんな辛い事を味わえるのはお前の特権なんだぞ、とでも言ってやりたい。希望のない眼差しになっている。さっき、楽しそうにしていたじゃないか。
「俺の眼球の名前を考えた、“希望のない瞳”。希望なんて言う綺麗な言葉はあいつらだけが遣えるんだよ。俺の未来には忘れ去られた言葉。獅子、お前の母親は、死にたくないかもしれないが、俺は死にたいっていう自殺願望の病気。お前は母親の気持ちを尊重しているが、俺から見たら生きたい奴こそ、羨ましいんだ。今すぐ、死んでしまいたい人こそ、辛いんだ……だから、お前の母親の気持ちはわからない」
「わかった。そんなお前に手伝ってもらいたいことがある」
「Drライオン?」と疑問の顔で龍山が言う。
俺は首を横に振った。この若者、龍山は孤立している。本当に辛いだろう。俺は死にたいというわけではない。どちらかというと生きたい。死ぬのは怖い。天国と地獄があるのではなくて、何にも無くなる、と思うが。その世界に行くのがどうしようもなく怖いから。龍山は人生という懊悩する日々の山から抜け出そうとして死にたいんだな……俺よりも険しい。
死について語っていると美麗がやってきた。
「玲央、龍山。私も眠れないや」
パーティーメンバーが集合した。美麗は眠れなくともリスカしていなかった。俺たちみたいな眠れない仲間がいるからだろう。それで眠れないという悔しさを癒すように俺たちの病んでいるグループにやってくる。
「ちょっと三人で気晴らしに行かないか?」と俺。
実は幸せに生きているなら死にたくない。そんなエキセントリックな俺たちは出掛ける。消灯が過ぎてからは、もう外には出られない。でも、俺の地下室から外の道が繋がっている。三人で散歩に行った。病棟の連中が寝静まっているのに俺たちは眠れなくて散歩をしている。森を散歩している。
湖が綺麗で、幻想的。この湖の様な綺麗な風景が、地球全体に広がっていればいいのに。美麗は水に触れて遊んでいる。俺たちは座ったまま。元気な少女であり、エネルギッシュだ。
「玲央」
「なんだよ?」
「俺、美麗のこと、好きだ」
疑問に思った。死にたいのに何で美麗を好きなんだ。でも、その疑問はすぐ消える。
「心中したい……そしたら俺はもう幸せ……」
笑って言う。それから、何も話さず、病棟に戻る。無言で、別れて俺は部屋に入った時にやっと落ち着いた。龍山の希望のない瞳を思い出して、寝付けなかった。だが、明日は院内学級があるのだ。眠らなきゃいけない。でも、脳裏に浮かんだあの瞳が俺に語りかける、“死にたいんだ”と。あの目が気になって、部屋に入った途端にほっとした。死は誰でも怖いのである。彼は他人事の様に自分の死を見つめ続けている。
院内学級に向かう、俺と龍山。美麗は遅刻魔の傾向があり、朝は起きられない。長い時間眠れるのは、彼女はエネルギーが高いからである。体力があるから、長時間眠れる。そんな美麗と龍山はA組、俺はB組。A組は特殊な人のクラス。優等生の俺は、B組であり、B組は高校生のクラスである。
隣のA組でも美麗は、先生に叱られている。「冬馬さん、何で居眠りしているんですか?!」と聞こえてくる。そこが美麗の可愛い所。愛しくてしょうがない俺の分身だ。でも、危ない。美麗に対して、面倒な気持ちが芽生えるかもしれない。心中なんて絶対に許さない。
休み時間にパソコンでテトリスをしている龍山に対して、
「本当に死にたいの?」
「……」
集中している。目にも留まらぬ速さで組み立てていく……。テトリス(四段消し)もあっという間に。哲学の脳みそを持つ俺には無理な天才要素だ。それから、患者のうちの一人が寄ってきて、
「問題児は、こういう凄さがあるのか」
問題児なんて失礼な呼び名だ。俺はこういう奴を凡庸にしか思わない。変わっているのがいけないのか? 俺だって変わっている。美麗だって。
「岡本、お前には出来っこないよな……?」俺が自慢げに言う。
「でも、良かった。僕は問題児じゃないから! この盲目野郎、つまらない人生で残念だね~」
龍山の体が少し動いた。いつも龍山が無視しているこの連中に何か、疑問があるのか。龍山はテトリスをやめ、突っ掛かっていった。
「お前、お前みたいな楽な人間が死ねばいいんだよ! 楽である罪だ! お前の様な奴は死ね! 俺みたいに辛い事ばかりあった人間が報われるべきなんだよ!」
龍山は患者に殴りかかる。ヤバイ! この患者は小学生、大人の龍山に適うはずもない。院内学級の先生が病棟に知らせ、すぐに看護婦がやってきた。看護婦が龍山をつかみ、俺も仕方ないから手伝った。この運ばれる時の惨めさ。自分は関係ないから良かったなんていう醜い安心感。そういう奴は可哀想、助けてあげたいなんて絶対に思わないんだ。しょうがないけど、龍山の気持ちが痛いほどわかる。こんなに辛いのに侮辱する奴らを許さない。患者たちは笑いながら見送っている。美麗はこちらを見ていた、汚いようなものを見る目で。そんな目するなよ……こいつだって、こんな目に遭いたくないんだ……。
「何で、俺ばかりこんな目に遭わなきゃいけないんだ!」
叫んでいる。保護室の壁を叩いて叩きまくって暴れまわっている。この音の見苦しさ、哀れさ、嫌気さ。そして、俺も本当はぶん殴りたい。こいつら、連中を。お前らは楽なんだからいいよな、わからないよな、感受性が高くて、真面目で、純粋な俺たちの苦しみが! 感受性が高いと何でも感じて精神的に病み、真面目だと何でも真っ直ぐに取り入れ真っ直ぐに病んでいき、純粋だから腐った連中から見たら卑下される対象で。そんな苦しい俺たちの気持ちがお前たちにわかってたまるか! 俺は心の中で噴火を起こした。その噴火はお前たちに当り散らしたい。だって、最初に暴言を吐いた奴が、本当は害を被るべきである。なのに、最初に暴言での害を受けた被害者を仕返ししたからと言って、暴力だったら周りが被害者をおかしい人とする。先にした方が明らかにおかしいのに。
「玲央……」
優しく慰める様に美麗が寄ってきた。
「なんだよ?」
「なんか疲れてる? 龍山のこと?」
出産に立ち会う苦しそうな奥さんを思う、夫の様な感じで俺は頭を抱えた。
「私も保護室に丸一日くらい閉じ込められた事あって。リストカットをしたら縛られた。もう、楽しそうな奴を握り潰したくなってきたね……」
こんな話を聞いたらお前たちには笑われることだろう。そのような態度をする奴は凡人の証だ。凡人なんて気まぐれで見過ごし、捨てるんだ。
「龍山ってよくわからないけど、何で火傷なの?」
「母親にいきなりライターで」
美麗はおぞましい顔をした。そんな顔をするなよ……龍山がどう思うだろうか。それくらいで特別視するな。失明している奴なんて世の中にいくらでもいる。でも、駄目だ、失礼だ。俺も龍山のことがかわいそうに思う。結局は俺も特別視している。俺は精神科医の息子だ、龍山の心の支えに少しでもなればいい。そうだ、俺は保護室の鍵を持っている。龍山に会いに行った。檻の中に龍山がうずくまっている。
「落ち着いたか?」
「絶対、死んでやる」
“死んでやる”なんて言うなよ。お前が死んだら俺が死にたいんだ。
「言ったよね。俺は一回、美麗と心中したい」と、またあの目。
「何で、美麗を巻き込むの? あいつにだって人生があるんだよ」
「俺が連れてかれるとき、あのムカつく目で俺を見てきた。
そんな目をした罪として、心中したいんだ」
つじつまがあっていない。こいつは自分の事しか頭にない。
「美麗はお前をそこまで好きじゃないよ……悪いけど」
「もう死ぬから。今度こそ死ぬから。もう今日は寝ない」
抑うつ状態だ。
「命ある限り、もうオールナイトするんだ! 不眠症が続いたら死ねるんだ!」
こいつの様子は自暴自棄である。俺は、鍵を開け、中に入った。
「落ち着けよ……俺が一緒にいてやるから」
俺が優しく言う。
「お前も俺と一緒に死ね!」
駄目だ。こいつに優しくすれば感受性を刺激させ、逆効果になる。しまった。
「もういい、俺、保護室から出たら、今度こそ電車に身投げして死ぬよ。
獅子公、ごめんな。俺の分まで美麗を大事にしてやれ……」
静かに言い、龍山は俺の首を絞めてきた。
「死ぬ前にお前の苦しむ顔が見たい……」
俺も黙っていなかった。龍山の胸ぐらをつかんで、殴り飛ばした。龍山も仕返しに殴り掛かって来た。痛みが怒りに変わって、その怒りで相手を殴る。その繰り返し。周りが見えなくて、どうしようもなくなって。
「玲央も龍山もやめてよ!」
美麗がやってきた。美麗の声で俺たちの殴り合いが止まった。隣に看護婦もいた。この殴り合いの中に別の感情があった。美麗を渡したくないこと……。美麗が愛しいから、こいつも大事なんだけど、美麗がこいつのものになるのならお前を苦しめたい。龍山も同じだと思う。龍山は大人しくなって、静かに語った。
「美麗をみて、女子が本当に魅力的だと知った。そこらへんの女なんて凡庸すぎて、何で女子なんてこの世にいるんだ、としか思えなくて」
俺も美麗が可愛いんだ。鎧崎も普通の女にしか見えなくて。一心同体の様な愛が恋心だと知った。異母兄弟である美麗に対して、自分が認めたくない心でもあるのだろう。でも、恋愛に鈍感な美麗は気付かない。俺たちの中で恋愛が得意な奴なんて一人もいないんだ。美麗と共に心中するというのは、俺だけ置いていかれる、美麗と龍山が同じ時に永眠する、という寂しい様で負けた様な気持ちが許せないんだ。
「龍山くん、自殺を考えるようなら縛り付けるって、鬼丸先生がおっしゃっているよ?」
「鬼丸先生がそんなことするわけない!」
残念だけど、そういう問題じゃなくて、仕事だから。
「いや、主治医でも縛り付けるよ?」
「それなら息を止めて死ぬ!」
「息を止めても苦しくなったら我慢できないよ。主治医の鬼丸先生を呼んで縛るよ」
「何故、俺を縛る!? あいつらを縛り付けろ!」
龍山は錯乱状態に陥っている。
「何故、こんなに俺を苦しめる? そんなお前たちは悪魔の使いだ!」
西洋医学の使いである看護婦にとっては龍山の訴えは無駄に響くだけだった。ガードマン(の様な人)たちがやってきて、龍山をつかみ出した。周りは何事だ、と疑問の表情だった。龍山は縛られた。親父が鬼畜なんじゃない。これは、西洋医学の治療法だ。
「あの問題児。いっつもキチガイみたいに暴れまわっているけど、なんなんだろうね」
何とでも言え。腐った世の中だ、お前みたいなのが異常なんだ。俺たちが本来は普通なんだ。この考え方は他の凡庸に対しては外人の発言みたいに言葉が通じないだろう。龍山は可哀想だ。命がどういうものかわかっていない。俺も未だにまだわかってないだろうけど。命が産まれてくるって凄く大変なんだ。せっかく、感受性も高く、頭も良く、純粋な性格に産まれたんだ。その中での幸せを考えるしかない。龍山、死ぬな。俺がお前を絶対に幸せにしてやる。だから、俺が精神科医になるまで、待ってくれ。
「玲央!」
考え込んでいたら長椅子に座っていた。美麗の綺麗な声で俺は目が覚めた。
「大丈夫? 疲れてない?」
俺は美麗の顔を見て、癒された。美麗には人を癒す力がある。美麗ならば、俺たちの精神病を癒す助けになるかもしれない。俺にとって、妹でもなければ女でもない。俺にとってはそれくらい綺麗に見えた。彼女以上魅力的な女は存在しない。でも、この癒しが龍山には毒だろう。感受性を刺激して、自殺願望、心中に走る。病気と言う闇の根源に癒しと言う光が射して、根源を傷つける。太陽を食べる日食の様に。
「聴こえてる?」
優しい声が響いてきて、俺の感受性を刺激させる。とても前向きになるが、マイナス思考な人にとっては毒である。
「玲央、おかしいよ……」
心中したいって気持ちはこういう心理から来ているんだ。美麗の光は俺たちにとってはまぶし過ぎる。希望とは何であろう? 白い目、眼球をよく考えてみると火傷の目からは何も見えない。同じく、龍山の精神にも希望がない、ということである。俺が想像している以上に火傷のことが大きいんだ。片目のみでゲームをやっていて、片目しか見えない状態で歩く。歩き方がおかしいのもそのせいだ。俺もそれが変わっているという一部で済ませていた。俺の過去なんて苦しみのうちじゃない。龍山と俺を同じもののレベルで見てはいけない。もしかしたら俺も凡庸人間の一人なのかも? と思った。そのせいで今まで、健全な患者を蔑んでいた自分に対しての嫌悪に陥った。これは、自分の長所が短所に変わったときの様な辛さだ。
「玲央くん、デート! 待ってたよン!」
鎧崎が寄ってきた。龍山のことで、夜の街で遊ぶと言う約束をしてしまったんだ。もう、俺は頭を遣いすぎた。この傷を鎧崎が癒してくれるわけもなく、美麗は遠ざかっていく。美麗の癒しを求めている時に光は益になる。
夜の街を回る。鎧崎は騒いでいるが、俺はそんな気は全くなく、どんどん進んでいく。パソコン喫茶に入った。もう、鎧崎といるなら、どうでもいい。きっと普通なら女という異性と思える興奮する心境なのだが、異性が普通の道端のおじさんに見えるのと同じであろう。そう、全然興奮していないんだ。美麗なら少し性欲が出るのかな? 実の妹に。いけない感情だ。本当は鎧崎を愛した方がいいのだろうけど。その理由には深いわけがあるのだ。ここで語るつもりはない。
夜の街に佇む周りの連中は、恋人をアクセサリーとし、自分は個性のない流行のルックスにし、快く思わない古風の人を見下し、ただひたすら歩いている。そんな人生が俺は嫌なだけだ。俺はいつも黒い服を着ている。目立たないかと思いきや、逆に目立つのかもしれない。
鎧崎といる時間は長かった。どうでもいい時間なのに……世の中は変だ。なんで嫌な時間の方が長いんだ。
「楽しかった。また明日も回ろ!」
どうでもいい。本当にどうでもいい。気が抜けた。そして、明日になり、適当に眠り、適当に起き、もう自分自身がどうでもいい……疲れた……無気力状態……。
龍山は、縛られて部屋で暴れまくっている。惨めな音が病棟に広がる。その音であいつらが笑っている。人の不幸を喜ぶなんて最低な奴らだ。でも、俺も最低なのかもしれない。俺と龍山は違う。根本的な性格は似ていても全く逆なのだ。でも、俺は我慢した。俺がいって何になるんだ。龍山の気持ちに同情するわけではないが、縛られたとき、縛られた自分がどうしようもなく嫌になって、動けない自分にイライラしていた。看護婦も毎日、来てくれるわけではないし。病ませた同級生を死ぬほど恨んだ。その心が健全な奴らにわかるものか。凡人なら、こういうトラウマのある人をアダルトチルドレンというのだが、それは失礼なんだ。
「美麗、大丈夫か?」
俺は龍山が縛られているその日に美麗と二人で、エデンの園を開いた。美麗は看護婦がその日の患者に関する反省をしている間に長椅子(ナースステーションの下)をくぐって、男子棟に入った。俺は、なんとか美麗を抱えて、一〇一号室に入れた。メールを見た。
<送信者:アブラハム 宛先:Drライオン
Drライオンさん、死にたいです。
僕はアブラハムと言います。
なんで死んではいけないの? 僕、自分の命なんだよ。それが知りたくてメールしました>
一部のこういう人間は何故、自殺のことばかり考えてしまうのか。こういう人ばかりなのは本当に世の中が腐っている。自殺願望のある人がいけないわけではない。もしも、自殺願望が罪になるのだったら、龍山はすぐに逮捕されてしまうのだろうか? 俺はこのように打った。
<自分の命だと言っても生み出したのは、貴方の親でしょう。
自分の命はキミだけの命じゃないんだよ……>
たったこれだけのことだ。貴方が精神的に自分で頑張らなくてはいけない。本当に頑張るのは貴方自身であり、俺じゃない。
次の日の夜、また、鎧崎と夜の街を回る。
「玲央くん、暴走族たちに言われたと思うけど、累花は美麗ちゃんが嫌いなの。実は、累花はね、相談窓口でDrライオン。玲央=ライオン、玲央くんの夢は精神科医、三人の怪しい様子、メール、掲示板、チャット……絶対に一人で管理するのは無理でしょ?」
するどい……。女の勘だろうか? いや、鋭いではなくて、ストーカーとか妄想癖から来ているのだろうか?
「玲央くんは、累花と結婚するのよ……」
鎧崎が話している。俺には入っていかなくなった。こんな奴の言葉を聞きたくない。鎧崎が何やらまだまだまくし立てているのを俺は聞かず、うっすら無気力……。
踏切に来た。うっすらと見える踏切が遮断した。目の前には、希望のない顔をした人がいる!
龍山だ。俺は、弾む様に走っていった。
「龍山、死ぬな!」
俺は龍山を突き飛ばし、龍山を踏切から外した。その瞬間が一番に長く感じて俺は今、何をしていたんだ、って気になった。気がついたら龍山は、俺におぞましい顔をした。
「せっかく死ねるところだったのによ! 束縛から解放されてやっと死ぬ気になれたってのによぅ!」
龍山は俺を殴りまくり、地面に押し付けられ、叩き付けられる。俺は仕返しできなかった。顔の皮が剥がれそうなくらい痛い。でも、痛みが前とは違い、怒りに変わらず、痛みを吸収する感じだ。わかった、わかったから、自殺はもうやめてくれ……。
起き上がったらベッドの上だった。夜になっていた。寝ぼけて頭が痛い。一〇一号室の向こうでは賑やかそうだった。起き上がってこの状態ということは、龍山が俺をたこ殴りしたのだろう。寝ぼけてじゃなくて、殴られて頭が痛いんだ。俺は頭を押さえた。何故か、賑やかな方向に向かおうとしたがるんだ。
むじゃきに美麗の綺麗な声が聴こえる。美麗、龍山、鎧崎、野秋先生、親父……。
「玲央! こっち来て!」
美麗が迎えてくれた。龍山は、今までにない元気そうな顔で俺を見てくれていた。
「どうした?」
「俺、気付いた。獅子がどれくらい俺を必死で大事に思ってくれていたかが。殴った時、自分を本当に最低な奴だと思えてきた。俺さ、結局は死ねないから仕方なく、生きていくことに決めたよ」
「本当か?!」
俺は本当に嬉しい。俺は、天に舞うくらい嬉しかった。これからも色んなところを回ろう。これから一緒に患者を救っていこう。俺は、精神科医になる!
「でも、お前の母親……死んだ」
上手く聞き取れなかった。
「お前の母親が死んで、死って恐ろしいものだってわかったよ。
お前の母親の死体、綺麗じゃなかったよ」
複雑な気持ちが絡み合って意味がわからない。美麗も残念そうな顔をしている。親父は、冷静な顔をしている、この裏に何があるかわからない。
俺はその後、お袋の死体を見に行った。龍山はどう感じたのか、何を思って、何をどう感じて生きていくのか、自殺念慮の嵐を抜けたらどんな行動をして、どう生きていくのか。それは俺のこれからの人生と共に知っていくだろう。
希望のない瞳とは、自殺願望の事で、
龍山の右目の火傷は、何も見えない。なので、
もう、気持ちも眼球も盲目になっているという意味です。