「無能な妻はいらない」とモラハラ夫に離縁されましたが、準備万端なので「喜んで!」とお受けします。 〜夫の財産も商会も全て私が『名義変更』済みですが、今さら泣きつかれても知りませんよ?〜
「ソフィア。今日限りで、君との婚姻関係を解消する」
豪奢な調度品に囲まれたリビングで、夫のトーマスが冷たく言い放った。
彼はソファーに深々と腰掛け、隣には派手なドレスを着た女性――彼の愛人であるミニーを侍らせている。
「理由はわかるな? 君のような無能で、気の利かない、華もない女と一緒にいると、私の運気まで下がるからだ」
トーマスは新興貴族の商人だ。
没落寸前だった私の実家、伯爵家の「爵位」を目当てに結婚を申し込んできた男。
結婚して三年。彼は毎日のように私を罵倒し続けた。
『お前は何もできない』『誰のおかげで飯が食えると思っているんだ』『ブス』『役立たず』。
典型的なモラルハラスメントだ。
「まあ、トーマス様ったら。奥様が可哀想ですわ。こんな地味な方、離縁されたら路頭に迷ってしまいますもの」
ミニーがクスクスと笑う。
トーマスは彼女の肩を抱き、勝ち誇ったように私を見下ろした。
「ミニーが私の子を身籠った。これからは彼女がこの家の女主人だ。手切れ金くらいはくれてやるから、サインをしてさっさと出て行け」
机の上に、離縁届が放り投げられる。
私はそれを拾い上げ、じっと見つめた。
普通なら、ここで泣いて縋るか、怒り狂う場面だろう。
あるいは、絶望して膝から崩れ落ちるか。
トーマスも、私が泣きながら「捨てないで」と言うのを期待している顔だ。優越感に浸りたくて仕方がないのだろう。
だから私は、ニッコリと微笑んであげた。
「はい、喜んで!」
「……は?」
トーマスの顔が固まる。
私は懐からマイ万年筆を取り出し、サラサラと署名をした。
迷いなど一ミリもない。
「お待ちしておりました、そのお言葉! ああ、やっと自由になれるのですね! ありがとうございます!」
「お、おい……? 何を言っている? 強がりか?」
「強がり? まさか。さあ、これで私は他人ですね。それでは失礼いたします」
私は離縁届をテーブルに叩きつけ、パチンと指を鳴らした。
その合図と共に、リビングの扉が開き、黒いスーツを着た長身の男性が入ってきた。
鋭い眼光に、整えられた黒髪。手には分厚い書類の束を持っている。
王都で一番の切れ者と噂される、公証人兼弁護士の、クロード・アシュレイ様だ。
「な、なんだ君は! 不法侵入だぞ!」
「失礼。私はソフィア様の代理人です。離縁が成立したとのことですので、『資産分与』と『慰謝料請求』、並びに『権利執行』の手続きに参りました」
クロード様は冷徹な声で告げると、書類をトーマスの前に広げた。
「まず、この屋敷ですが。……ソフィア様の名義になっておりますので、トーマス様、並びに愛人の方は、直ちにご退去願います」
「はぁぁぁ!? 何を言っている! ここは私の金で買った屋敷だぞ!」
トーマスが叫ぶ。
私は冷ややかに言い返した。
「お忘れですか? 結婚当初、あなたは『伯爵家の婿』という箔をつけるために、屋敷の権利を私の名義にしましたよね? 『税金対策だ』とか言って」
「そ、それは形式上の……!」
「形式上だろうと、法的には私のものです。それに、この三年間のあなたの浪費と、失敗した事業の補填……それらは全て、私の実家の資産から『貸付』という形で処理させていただいております」
クロード様が次の書類を提示する。
そこには、莫大な金額の借用書(トーマスの署名入り)が並んでいた。
「あなたは『書類なんて読むのは面倒だ、お前がやっておけ』と、中身も見ずにサインしていましたものね。あれ、全部借用書だったんですよ?」
「なっ、な、な……っ!?」
トーマスの顔色が土気色になる。
そう、彼は私を「無能」と罵りながら、面倒な事務処理や経理を全て私に押し付けていた。
私はその権限を利用して、水面下で彼の資産を少しずつ、合法的に私の管理下へと移していたのだ。
「さらに、この三年間、あなたが私に浴びせた暴言の数々。全て『録音の魔道具』に記録してあります。慰謝料は精神的苦痛への賠償として、相場の十倍を請求させていただきます」
クロード様が魔道具を再生する。
『お前は寄生虫だ』『死んだほうがマシだ』
トーマスの醜い罵声が、クリアな音質でリビングに響き渡った。
「ひぃっ……!」
愛人のミニーが青ざめて後ずさる。
彼女も気づいたようだ。自分が乗り換えようとした男が、今や「無一文の借金まみれ」であることに。
「そ、そんな……嘘だ! 私の商会は!? あれがある限り、金なんていくらでも……!」
「ああ、トーマス商会のことですか?」
私はふふっと笑った。
「あの商会の実質的な経営権を持っているのは、筆頭株主である『S・B・カンパニー』ですが……その代表が誰か、ご存知ないのですか?」
「S・B……? ソフィア・バーネット……まさか、お前……!?」
「ええ。あなたが愛人遊びに夢中になっている間に、私が裏で株を買い集めておきました。先ほど、代表取締役の解任決議を出しましたので、あなたはもう社長ではありません。ただの無職です」
トーマスは膝から崩れ落ちた。
全てを失った。屋敷も、金も、地位も、仕事も。
残ったのは、莫大な借金と、慰謝料の支払い義務だけ。
「そ、ソフィア……待ってくれ! 悪かった! 私が間違っていた! 愛しているんだ、やり直そう!」
トーマスが這いつくばって私の足に縋り付こうとする。
見苦しい。本当に、心底見苦しい。
「触らないでください、汚らわしい」
私が言うより早く、クロード様がトーマスの前に立ちはだかり、その腕を冷たく払いのけた。
「私の依頼人に触れないでいただきたい。……それに、『愛している』などと軽々しく口にしないでください。貴様のような男に、愛を語る資格はない」
クロード様は私の方を振り返り、先ほどの氷のような声とは打って変わった、甘く優しい声で囁いた。
「行きましょう、ソフィアさん。こんなゴミ溜めには、一秒たりとも留まる価値はありません。……新しい家で、祝杯をあげましょう」
「はい、クロード様」
私は彼の手を取り、部屋を出た。
背後でトーマスの絶叫と、ミニーの「嘘つき! 金持ちだって言ったじゃない!」という罵声が響いていたが、もう私には関係のないことだ。
◇
馬車の中。
私はクロード様の隣で、久しぶりに心の底から息を吸い込んだ気がした。
「……見事でしたよ、ソフィアさん。あそこまで完璧な証拠と準備、弁護士の私でも舌を巻くほどでした」
クロード様が、愛おしそうに私を見つめてくる。
彼は、私が水面下で準備を進めていた時からの協力者だ。
最初はただのビジネスパートナーだった。けれど、共に悪を裁く準備をするうちに、私たちは互いに惹かれ合っていた。
「クロード様のご協力のおかげです。……あの、これからは……」
「ええ。これからは、ビジネスパートナーとしてではなく……」
クロード様が私の左手を取り、薬指に口づけを落とした。
「私個人のパートナーとして、お傍にいさせていただけますか? 貴女のような賢く、強く、美しい女性を、誰にも渡したくありません」
顔が熱くなる。
モラハラ夫からは一度も言われたことのない、心からの称賛と愛の言葉。
「……はい。ふつつか者ですが、よろしくお願いいたします」
私が答えると、彼は嬉しそうに微笑み、私を優しく抱き寄せた。
私の新しい人生は、ここから始まる。
無能と蔑まれた日々は終わった。
これからは、私の才能を認め、愛してくれる人と共に、本当の幸せを築いていくのだ。
元夫?
風の噂では、借金取りに追われて隣国の鉱山へ売られたとか、愛人に刺されたとか聞くけれど。
まあ、どうでもいい話だわ。
読んでいただきありがとうございます。
ぜひリアクションや評価をして頂きたいです!




