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駅前ラーメン嘆息

作者: 山舵
掲載日:2025/11/21

安心して食事出来る場所があれば幸せが増えますよね。そんな話です。短いので、目を通していただければ幸いです。

 土曜日、休日。

 普段であれば休日は、早く目が覚めてもだらだらとベッドで寝転がっているはずだった。

 しかし、今日に限っては、数駅先の映画館で朝一番に上映される映画を見るために、自ら布団から早く起き上がって、涙と共に折り畳んだ。

 

 「ハア……、フー……」

 映画を心から楽しんだ後は、ため息しかでないものだ。

 こんなシーンが良かったい、あの役者がかっこよかったい、あれは有名なあの作品をオマージュしているでござるナァ~、みたいな感想が言いたいところだが、本当に楽しんだ後は言葉が出ない。なにか言葉にしようとすると、途端に語彙の少なさに嫌気がさす。

 ダイヤモンドを語りたくても、校庭のグラウンドに落ちた石灰石しか表現できないようなもどかしさだ。

 よかった……見てよかった……

 ただそれだけを言えれば、今日も明日も安心して床に就ける。

 ふと腕時計を見る。午前10時半。なんとも中途半端だ。

 帰宅するにはなんだか早すぎる気がする。

 しかし、何をするべきか。一人だからこそカラオケやボーリングに行くのも何か違う気がする。

 なにより、この一つの山を登ったような達成感、満足感を他のことで塗り重ねたくない。

 あと1週間はこのままの気分でいたい。

 この人生を一度やりきったかのような疾走感は、後から思い出そうとしても脳内で脚色されてしまう。

 だからこそ伸ばしたい。今しか味わえないこの一瞬の血流の激流を。


 映画の売店でパンフレットを購入する。それから頭の中で、映画のあらすじを自分なりの文章に変換しながらエスカレーターで降りていった。

 ここの映画館は、九州の玄関口として大勢の乗降数を抱える九州一の駅(と俺は思っている)と複合のショッピングセンターの上層階にある。

 映画館の一階下にある丸善書店で、特に買いたい本があるわけでもないのに、パンフレットの入ったビニール袋を腕に抱えて、ゼンマイを巻かれた人形のようにとことこ回り続けた。

 ああ……違う、ここじゃない……これじゃない……

 本屋を三周したところで、エレベーターに向かった。

 何がしたい……?

 考えろ……最良の選択を……

 映画に没入しすぎて焼き切れた頭脳を、首を回転させて無理矢理回す。


 くぅくぅとおなかがなる。

 思えば早く外出するために、又、映画中にトイレで途中退出することのないように朝食はヨーグルトと水しか口にしていなかった。

 昼飯だ。外食だ。なぜこんなことも思いつかなかったのか。映画が良すぎたからだ。良い映画だったな、見て良かったな~。

 気づけば、また映画の内容を振り返ったまま、エスカレータの前で佇んでいた。後ろの老婆から迷惑そうな顔を向けられている。

 なんだい、バアさん?俺は良い映画を見たんだ、今最高に楽しいんだ、おまえのことなんかどうでもいいわい!

 ……何なんだ?何言っている?何を考えている?本当は俺はまだ寝ているんじゃないのか?……ここはどこ?あたいはだれ?

 崩壊しかけている思考をひねり出す脳細胞とその実存性について疑い始めたところで、ようやくレストラン街に向かってエスカレーターに乗った。

 良い映画を見た後、変になることだってよくあることだろうと、不必要に自分を納得させながらレストラン街を歩き回る。スイッチの壊れたプラレールのように歩みをとめない。

 そば屋にラーメンに寿司、もつ鍋と海鮮定食とカレー屋にビアレストラン、お好み焼き……並ぶ店の看板を横目に通り過ぎる。

 観光客を想定した値段だからか、どれも千円を超えるものばかり。

 いつまでたっても中学生気分の抜けない大学卒業生の俺は、一食に想定される値段として、どこも腑に落ちず、お店の中に一歩踏み出すことを躊躇っていた。

 しっくりこない……なにか違う……

 先ほど外食をすることに心踊らせていたが、いろいろなお店を見て回っても心が動かない。

 何かが違う。なぜだ?こんなにおいしそうだろう?

 美味しいに違いない。しかし、ここで食事することがやはり腑に落ちない。結局俺はこの場から去り、改札を通って家に向かう電車に乗り込んだ。


 「ハア……」

 やってしまった……

 何かを逃してしまったような焦りが目の裏を巡る。

 これはもうミスタードーナツでも買って帰るか……それともコンビニで弁当を買うか?

 気づけば自宅最寄りの駅に到着した。 

 ホームに降りて改札を通り、駅から出る。

 ミスタードーナツ……やはり違う。栄養が足りていないと嘆く体に、胃もたれするドーナツでは食事後に不完全燃焼だろう。胃もたれになるならば、せめて腹を完全に充たしてからにしたい。

 ふと駅の向かいにある、赤い暖簾に目が行った。

 そこにはスライド式のガラス張り扉、その前に「らぁめん」と表記された旗が、風に揺れることなく萎れるように立っている。

 赤い暖簾には店名なのか、「へのへの」という四文字が並んでいる。

 ああ……忘れていた。そういえばここにもラーメンがあった。幼い時からあるはずのラーメン屋なのに、いざ目の前に来るまで頭から外れてしまっていた。

 高校時代にも、学校が早く終わった日などにここでラーメンを啜ったこともあった。

 値段も500円くらいだったか。ここでいいんじゃあないか?

 ここ半年はここで食べていないな、と独りごつ。

 決断する前に足が勝手に動き、何の躊躇いもなく暖簾をくぐっていた。

 店に入ると、カウンター席と厨房が目に入る。タオルを頭に巻いた初老の男性と、愛想の良さそうな皺が顔に刻まれた女性の二人が厨房の中で作業をしている。

 「「いらっしゃいませ~」」

 二人は手元のレジやまな板の上の材料からそれぞれ目を離さないまま、息の合った言葉で来訪に対する歓迎をしてくれた。

 かつてはメニューと値段の書かれた木札が壁に貼られていたが、なくなっていた。

 入り口の左側にウォーターサーバーがあり、「水はご自分でお取りください」と書かれた紙が置いてある。

 俺はコップを手に取って水をついでから、店の奥に進んでカウンター席に腰掛けた。

 席にはメニューと割り箸、紙ナプキンの他に、餃子のタレとラー油、ラーメンのタレ、ごま、塩こしょう、紅ショウガが備えられている。

 咄嗟に「ラーメン、カタで」と厨房に向かって言っていた。

 特にメニューを見たわけでもないのに、勝手に口が動いていた。

 口頭でメニューを伝えるラーメン屋が久しぶりで少し焦っているのかもしれない。

 「「はーい」」

 やはりこちらを見ないで、厨房から二人の返事が同時に返ってくる。

 ラーメンの値段を今更確認する。560円。高校生の時より百円高くなっている。

 しかし、最近いろんな食事処が値段を高め、量を減らしている中で、まだこの程度の値段でラーメンを食べさせてくれるのはとてもありがたかった

 厨房の二人が息の合った動きを見せる。男性が麺を鍋に投入して湯がき、女性がどんぶりを用意する。男性がスープのかえしをどんぶりに注ぎ、女性がチャーシューを切る。

 数分して男性が麺を湯斬りして、いつのまにかスープで充たされたどんぶりに入れて、女性がチャーシュー、ネギを盛り付けてから俺の前に運んだ。

 「はーい、ラーメン、カタでーす」

 「ありがとうございます……いただきますっっ!」

 礼を言ってから、割り箸を割る。熱々のスープが絡んだ麺の束に箸を差し込んでスープから出すと、顔を湯気が覆った。

 そのまま口に麺を運び、舌がやけどしない程度の熱さであることを確認して思いっきり啜る。

 小麦が微かに香る細麺と、豚骨ならではの濃厚さ。そしてスープに散りばめられたネギが、油っぽさに対するアクセントになって、口の中で起承転結が完成している。

 また、豚骨スープも有名店のように極めた濃厚さではなく、少し薄めの、気軽に口に運ぶ気にさせてくれるような味だ。

 もう既に昼食を食べ終えたような満足感に包まれて、まだ出された時とほぼ変化のないどんぶりを見ると、この店に入ったばかりの時のような焦燥感が消えたようだった。

 今度は少ない量の麺を箸で取り、スープにたっぷり絡めて即座に口に入れた。始めから熱さの心配など杞憂だったのかもしれない。舌に絡みつく麺とスープは、口の中に焼き印を残すような抵抗もなく、歯に押しつぶされ、喉の奥に消えていく。

 スープと麺のコンビネーションを楽しんだ二口目だった。

 次はこれまでより多くの麺を箸に取って、スープを漂うネギをすくって一気に頬張った。

 一度に大量の麺を口に含むと、生物の本能的なものといえようか、脳髄に安心という言葉が流れていき、箸を握る手の指先まで痺れるような快感が運ばれた。

 突如、早く飲み込みたいと喉が先走り、かみ切れていないネギが奥に張り付いた。

 「むぐ!……グ……くっ……ふう……」

 口の中のものを全て吐き出しそうな咳込みを、気合いと根性で抑える。

 喉まで出かかった咳は、押し戻されて、肺と肋骨を揺らし、微かな痛みが響いた。

 全て飲み込んで再びどんぶりを覗くと、チャーシューがあることに気づいた。

 しまったな……せめて二口目に一枚は食べても良かったじゃないか……まだ焦っていたのか……!

 二切れのチャーシューのうち、一つを少しの麺と一緒に取って口に運ぶ。

 薄めに切られているが、味はしっかり染みこんでいて口の中に含めば、その存在をよく認識できる。

 まるでスルメイカのようだ。この見た目でありながら、噛めば噛むほど醤油と少しの甘みのある味が広がる。

 チャーシューまで味わったら、後はもう容赦なくどんぶりのに食らいつくだけだ。

 麺を躊躇なく大量に箸に絡ませて一息に啜る。起承転結とかどうでもいい。口の中にカオスを作って、飲み込んでから水で洗い流すを繰り返していく。

 ああ、もう麺が残っていない……

 すかさず厨房を覗き込んで言う。

 「すいませーん、替え玉、カタで!」

 「はーい、替え玉カタですね~」

 今度は女性だけが返事したようだ。女性店員が鍋に油を敷いている男性に、替え玉カタよ、と伝えていた。

 店主風の男性はすかさず鍋に入った湯切りの一つに麺を入れてゆがく。

 また値段を確認せずに頼んでしまった。

 メニューを見れば、替え玉は150円らしい。最近のラーメン屋では替え玉180円の所もあるから、この値段はやはりうれしい……かもしれない。

 確か昔は100円だったな。時代の流れは残酷だ。

 一分もしないうちに、麺の入ったステンレス製の容器がテーブルに運ばれた。

 「替え玉カタでーす」

 「ありがとうございます」

 替え玉の麺にはネギがさらに載っていて、得した気分にさせてくれる。

 器をスープの残ったどんぶりの上に滑らせて、麺を投入する。

 少しスープがはねて、自分の着ている白いシャツに茶色のシミを作った。

 すぐに紙ナプキンを手に取り、コップの水で濡らして、シミを拭き取る。

 いつもであれば出来ない冷静で的確な判断。ラーメンが俺の集中力を高めている。

 ある程度シミの色が薄まったところで、視線をラーメンに戻す。後は帰ってからやればいい。

 新しく麺を迎えたどんぶりに、ラーメンのタレとごま、塩こしょうをかけた。

 麺をスープにしっかり絡めてから頬張る。

 最初の一口目とはほんのり違う味わい。油っぽさが少なく、麺の香りと塩こしょう、そしてごまの風味がラーメンの楽しさを深めてくれたようだ。

 今度はレンゲでスープを啜りながら、麺を頬張る。

 ラストスパートに向かっていると、自然に手と口の動きが速くなっていった。

 啜って飲んで噛んで飲んで、啜って飲んで噛んで飲んで……

 

 気づけば、箸はどんぶりの中を彷徨い、それに応えてくれるのは極短いふやけた麺だけになっていた。

 スープも薄くなり、どんぶりの底が見えてしまっている。

 一瞬の寂々を満腹感が覆った。

 映画の記憶は綺麗に整えられて、いつでも取り出せる場所に置かれている。

 このラーメンが最良……ベストだったか。

 真実はいつも思いがけない場所からやってくる。

 本当に読みたい本が、ふと見かけた古本屋の店頭でみつかるように。

 コップに残った水を飲み干して、厨房を覗く。

 「ごちそうさまです、勘定、お願いします」

 「はーい、710円です」

 厨房から支払用のトレーが置かれた。

 ポケットから財布を取り出して、小銭を探す。あいにく500円一枚と100円一枚しかない。仕方なく10円と千円札を取り出してトレーに置いた。

 「1010円でお願いします」

 「はーい、300円のお返しです」

 トレーが即座に引かれ、戻ってくると百円玉3枚が乗っていた。

 指で硬貨を掴んで、財布に入れる。荷物を持って店から出る前に、忘れ物がないか見渡した。

 いつの間にか、周りに何人か席に座ってラーメンを啜っている。

 ふと、高校生に訪れたときのことが思い出された。

 昔、ラーメンをここで食べてから出ようとしたとき、教材の重みに耐えかねたバッグの金具が、持ち上げた瞬間に壊れてしまった。その時厨房からこの二人が出てきて、心配そうに、大丈夫?と声をかけてくれたのだった。

 なんで今まで忘れていたのだろう。

 この二人は俺が、その時の学ランの高校生だと憶えているのだろうか……

 尋ねてみたいような気持ちを抑えて、厨房の方を見る。

 「おいしかったです、ごちそうさま」

 平易な声だったかもしれないが、しっかり聞こえる程度の声量だったはず。

 「「はーい、ありがとうございましたー」」

 また息の合った声で帰ってきた。


 後日、洗濯前に細かいしみ抜きを忘れていた白シャツには、薄茶色のシミを残すことになった。

ありがとうございました。感想お待ちしています。

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― 新着の感想 ―
ラーメンを目の前にしてからの饒舌な語りが、本当に食に夢中になっている様が感じられて好きです。
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