第8章 Kulam [クラ]
“それ、最初に言ってよ!”
百道は、いつも言葉が足りない。肝心なことを言ってくれない。多分、本人はその自覚がない。どうして大事なことを先に言わないんだろうか。倉木の実家に行く、ということは、総一郎さんに会うってことだよね?百道とふたりで、総一郎さんに会う。どんな顔して会えばいいんだろうか。さすがに私たちもいい年なんだから、大人な振る舞いは出来るだろう。最後に総一郎さんと会ってから、どれくらい経つだろうか。私が大学生になってからの夏休みに1回、社会人になってから数回、総一郎さんに会いにアメリカへ行ったことがある。でも、総一郎さんが仕事でアメリカを転々とするようになってから、自然消滅する形で、それきり。以前、“この先も、電話番号は変えないから”と言ってはくれた。だけど、総一郎さんから連絡をくれることも、私から連絡をすることもなかった。もう、お互いそれなりに年齢を重ねてきたのだから、それぞれの環境でパートナーが出来ても不思議ではない。実際、私も総一郎さんを一途に待ち続ける、ということはなかった。だから、総一郎さんに誰かがいても、責めることはしないし、その資格は私にはない。
「百道さあ、ちゃんと言ってよ!倉木の実家に行くこと。」
「言ってなかったっけ?」
「この間の電話と一緒だよ。肝心なことが抜けてるって!」
「ごめん、ごめん。啄木からさぁ、一昨日の夜に電話があったのよ。倉木の形見分けをしたいから、澤井と来ませんか?って…。」
“やはり、私には連絡してはくれないんだな…。”
「形見分け…かぁ。」
「片付けとは言え、捨てるには忍びないから、ってさ。」
倉木の実家には、中一の夏休みに百道と一度だけ遊びに行ったことがある。松濤にある倉木邸は、さすがは“創業家”と思わせる重厚な邸宅だった。友達の家に遊びに行く、という時の私のイメージは、ドアを開けると“あら、いらっしゃい”とお母さんが出てきてちょっとおもてなしをしてくれて、それから友達の部屋でおしゃべり…という至極ふつうの風景だったのだが、“今日は、私ひとりなんだ”と言う。だから友達を呼ぶことが出来たのだと。多分、お父さんの秘書と思しき女性が私たちを招き入れてくれて、お菓子などを出してくれて…。という、今思えばちょっと寂しいものだった。だから、倉木のお母さんの記憶がないのかな。
「百道はさ、何回か遊びに行ったことあるの?」
「いや、あんたと行ったあの時だけだよ。」
ふ~ん、そうなんだ。じゃあ、お互いにン十年ぶりなのね。ちょっと、ホッとした。
百道がチャイムを鳴らすと、総一郎さんの声が聞こえた。百道は知らないんだから、バレないように振舞わないと。
「急にご連絡を差し上げてすみませんね。」
「いえ、お招きいただき有難うございます。」と、百道。なんか、トゲがある?
総一郎さんに招き入れられた私たちは、久しぶりの邸宅を見回した。やはり、人が住んでいない家というのは、無機質な感じがする。今は、一時帰国の総一郎さんが滞在しているのだろうが、埃よけの白っぽい布だけが目立って寂しい。
「実は、来週末には僕もあちらへ戻らなければならないので…。おふたりをお呼びしたんです。」
「お兄さんは、この邸宅には戻らないんですか?」
「そうですねぇ…。僕には広すぎますし、売るつもりでいますよ。」
「そうなんですね…。」
「早速ですが…由衣の部屋に遺品をまとめておきましたので、おふたりで選んで頂けたら。あとでお茶を用意しますから、お声かけしますね。」
そう言って、総一郎さんは私たちを倉木の部屋に案内すると下の階へ行ってしまった。
「あぁ…息が詰まりそう!」
「なんで?」
「私さぁ、啄木、苦手なのよ…。あの冷徹っぽい感じ。」
「そうなの?さっきは対等にやり合ってたじゃない。“お招き頂いて”なんて言っちゃってさ。」
「対等にって…。あぁ!もう!早く倉木の形見とやらを選ぼうよ!」
片付けて、とは言っていたが、本当に倉木の部屋はカーテンと寝具のないベッド、ライティングデスク、以上!という殺伐とした部屋になっていた。開いたライティングデスクの上に、形見分けと称して総一郎さんが“選りすぐった”品々が置かれている。
「…こんなもん?なんか、少なくない?」
「百道の言っていた彼氏と同棲していた家にあるものとかも、ここにあるってこと?」
「いやいやいや、どうみたって、これは女子校時代のものだけだよ!」
言われてみれば、写真やノートの束、一時期はまっていた手芸の名残…。そうだね、これって女子校時代のモノたちだ。懐かしさもあり、百道とふたり括られた紐をほどきながら、昔話を始めてしまった。倉木の日記なんて出てきたらどうしよう…、なんて心配も不要だった。そういうものは、あらかじめ総一郎さんが取り除いていることだろう。百道がパラパラとノートをめくっている。中一の頃は真面目な字を書いていたのに、いつのまにかマンガ文字みたいな丸っこい字を書くようになっていたんだな。
「ほら!倉木ってさ、授業中に先生の似顔絵とか書いて!」
「似てるー!これ、家庭科のアリババじゃない?」
思わずふたりで大笑いしてしまった。下の総一郎さんに丸聞こえなんじゃないか?でも、いいや。百道と一緒だし。“アリババ”というのは、家庭科の有村先生のこと。すごく細かい…というか、お姑様みたいな先生だった。先生の教えた通りにできないと、チクチク言われてしまう。特に運針が苦手な百道には厳しかった。注意された百道が“ちっ、アリババめ”とつぶやいたのが聞こえて(もちろん、先生には聞こえていない)私たちのクラス仲間からは“アリババ”と呼ばれるようになってしまった。お気の毒。
こんな風に、何かを見つけてはその時の思い出話に花が咲いてしまい、形見を選ぶという本来の目的がなかなか達成されない。それも織り込み済みで、総一郎さんは私たちを呼んでくれたんだろう。それにしても、こんな殺風景になってしまった倉木の部屋で、私と百道がいる空間だけが、中学時代の明るく楽しかった時間に囲まれているようだった。不似合に思う。そんな中、何もタイトルが書かれていないノートがあった。なんだろう。ノートをめくってみるが、何も書いていない。すると、ぱらっと何かが落ちた。
「あ、澤井、写真が落ちたみたいだよ?」
本当だ。床に写真が落ちていた。え?これって、私たち?
「これ…、文化祭の時の写真だね。私たち三人が写ってるってことは、お兄さんが撮ってくれたのかなぁ?」
私が写真を裏に返すと、右下にはこう書かれていた。
“さKulamもち”
これ、なんで“くら”だけがこんな風に書いてあるの?
ノックの音がして、総一郎さんが“お茶にしませんか?”という。結局、私たちはベラベラ話しているだけで、どれを形見に頂こうかなんて選べていなかった。私は思わずこの写真を持って下のリビングへ行った。
総一郎さんは、三人それぞれに異なるカップ&ソーサ―で紅茶を入れてくれていた。そして、倉木が好きだったクッキーを添えて。
「これはね、由衣が集めていた食器なんです。由衣は、自分が好きなカップ&ソーサ―を1組ずつ買い集めるのが好きだったんですよ。どれでも、気に入ったもので紅茶をどうぞ。」
出されたのは、ジノリ・イタリアンフルーツ、ウエッジウッド・フロレンティーンターコイズ、そしてマイセン・ブルーオニオンだった。これって、きっと総一郎さんに連れられて行った“しだ”のコレクションを真似たんじゃないだろうか…。この中だと、百道は差し詰め“ジノリ”?
「じゃあ、私は“ジノリ”で。」やっぱり。私はどれにしようかなぁ…。
「澤井“さん”は、マイセンがいいんじゃない?」百道、うるさい。
でも、この二択なら、私もブルーオニオンかなあ。というか、フロレンティーンは総一郎さんの方が似合う。三人とも、何をどう切り出して良いかわからず、とりあえず紅茶、という感じであった。そうだ、この写真のことを聞いてみよう。
「あの…、ノートの間にこの写真があったんですけど、これ、お兄さんが撮ってくれたものですか?」
総一郎さんに渡す。百道の前で、ちょっと緊張する。
「あぁ…そうですね。きっと。焼き増しして渡していませんでしたか?」
「私は倉木さんからもらってません。」
「私もです。」
「おかしいなぁ…。焼き増ししたような気がしたんですけど。」
「あ、あと裏のこの…“さKulamもち”なんですけど、これって“くら”のことですか?」
総一郎さんがクスっと笑って言った。
「これね、サンスクリット語で“クラ”と読みます。」
「サンスクリット語!?」思わず私たちは顔を見合わせてしまった。
「父がね、学生の頃、インド哲学をかじっていたことがあって。僕たちが子どもの頃に教えてくれたことがあったんですよ。“倉木”の“クラ”は、サンスクリット語では“絆、仲間、家族”っていう意味なんだぞ。クラキは「絆の木」、「家族の木」だ、ってね。妹はそれを覚えていたんでしょうね。」
へえ…そうだったんだ。「家族の木」…。私たちには謎だらけの倉木家は、どんな“家族の木”であったのだろうか。倉木には優しい木であって欲しいけど、そうなっている?倉木?
「由衣にとって、百道さんと澤井さんは大切な“仲間”、大切にしたい“絆”だったのではないでしょうか…。そう思ってこんな風に書いたのだと、僕は思います。」
「じゃあ、教えてくださいっ!倉木は、倉木はなんで亡くなったんですか?」
突然、素の百道が総一郎さんに詰め寄った。
「…。」
「今日、私たちが来ることが分かっているなら、倉木がどうして亡くなったか訊かれることも想定内ですよね?」
「ええ、そうですね。」
「も…、百道、落ち着きなよ。」
「どうしてなんですか?」
「由衣は…自殺です。」
百道と私は、言葉を失った。でも、“自殺”と聞いても驚いてはいなかった。ふたりとも、どこかでうっすらと感じていたのかも知れない。
「遺書はありませんでした。既に、ご存じかと思いますが、由衣はお付き合いをしていた方と同棲していてね。亡くなっている由衣を見つけたのは、その方です。その方が言うには、亡くなる前の日も特に変わった様子はなく、普段通りに食事をし、少しテレビなどもみて、お互いの部屋で就寝したとのことでした。由衣は寝る時に必ず鍵をかけて一人で寝ていたそうで…。由衣が亡くなっていることに、すぐには気付かなかったと言っていました。…。そんなこともあって、警察の方々が来られたり、検案だとか、なんやかや…。僕もアメリカにいてすぐには駆けつけられませんでしたからね。この知らせを受けた時は、さすがに僕も冷静ではいられませんでしたし、思わず相手の方にもひどい言葉を浴びせてしまいました。」
事の真相は、とりあえず聞くことが出来た。でも、これは氷山の一角とは言わないまでも、すべてではないように思う。総一郎さんが意識的に隠している、ということではない。恐らく、誰も倉木のすべてを知ることは出来ないのだろう。
「私…、由衣さんの彼氏と面識があるんですけど…。聞いた話では、お母様が亡くなられてから、由衣さん、かなり精神的に不安定になっていたと…。」
「時々、由衣から電話がきましてね。確かに、母が亡くなってからの由衣は情緒不安定になっていたと思います。」
「じゃあ、なんで帰国してあげなかったんですか!」
「僕が帰国したら、余計に由衣は不安定になると思いましたから。」
「由衣さんの彼氏…並木さんは、誰かの代わりをしていたように思いましたよ。それって、お兄さんのことじゃないんですかね。」
「僕は、父の代わりにはなれません。」
冷たい言い方だ…。けれど、さっき百道が言っていた、“父親に甘やかされてはいたけど愛情を与えてはくれなかった”という倉木の思いはやはり正しくて、総一郎さんもそれを分かっていたということなのか。冷たい言葉だけど、総一郎さんが感情的に放った言葉ではないことは分かる。百道はかなり感情的になっていた。それと対比させると“冷たい”と感じてしまうのだが、そうでないことは多少なりとも総一郎さんと付き合っていた私にはわかる。
「せっかくいらしてくれたのに、不快な思いをさせてしまい、申し訳ありません。」
百道と私に向かって、総一郎さんは穏やかに詫びた。でも、総一郎さんにしてみれば、こんな話はする必要のない話ではないのか。倉木がなぜ亡くなったか、というsensitiveな事情を私たちが根掘り葉掘り聞く方が、余程失礼なのでは、と思った。確かに、“さくらもち”は特別な関係ではあったから、突然倉木が亡くなったと知って、それがなぜなのか知りたいと思うのは否定しないけれど…。倉木が遺書を残さずに逝ってしまったということが、私たちへの答えなのではないだろうか。
「あの…形見分けの話ですけど、よろしければ、私はこの写真を頂きたいです。」
とにかく、この嫌な空気を断ち切りたかった。
「もうネガは残っていないでしょうから、データにしてメールでお送りしましょうか?」
「お手数でなければ、是非。」
「…私にもいいですか?」
こんな会話の後で、また形見選びなどする気も起きないだろう。百道も私に乗っかった。
「分かりました。では、アドレスを教えて頂いたら、後でお送りしましょう。」
お互いにアドレス交換を終えると、百道は私に“行くよ”と合図を送り、後味の悪いまま倉木邸を後にした。
百道と私は無言のまま駅に向かう。もう、このまま帰りたい。きっと百道も同じであろう。百道は百道の、私は私の思うことを、今日はそのまま持って帰る方がいい。“それじゃあ”と言って、百道は駅からタクシーに乗った。私はもう少し、ひとりで頭を冷やしたかった。ちょっと歩こう。
サンスクリット語の“Kulam”か…。絆…、仲間…。倉木は、私たちのこと、そんな風に思っていてくれたのか…。あの中一の頃の、早田に“なんだ、おまえら!さくらもちみてぇだな!”と言われてなかったら、私たちってどうなっていたのかな。お嬢様の倉木…、羨望の的の倉木…。本当は、大人になっても少女の寂しさを抱えながら生きてきたの?歩きながら、涙が止まらなかった。
ポケットのスマホがブルっとした。もう、総一郎さんが写真を送ってくれたのか。写真の三人は、無邪気な顔だ。倉木を真ん中に、両脇に私たち。そして…。
「来週末、空港で会えませんか?」




