第7章 本條佐恵子と倉木由衣
西武新宿線の新宿駅の改札。百道とお墓参りの待ち合わせだ。新宿と言っても、こちら側に来ることは滅多になかったから、人の多さとちょっと場末っぽい感じに気が滅入る。昨晩、急に百道から連絡をもらった。“明日、午前中にお墓参りに行かない?で、その後、一緒に行って欲しいところがあるの”、と。しかも、お墓参りの準備は全て自分がやるから、私は手ぶらで来い、とのこと。
「ごめん、遅れた!」百道が小走りにやって来た。
「いや、私の方が早く着いただけだよ…。それ、何?」
「あぁ、これ?御榊。倉木の家、神道だから。」
知らなかった。だから、“手ぶらで来い”だったのか。きっと、総一郎さんから教えてもらったのだろう。“我が家は神道なんで…”とか、あの口調で伝えたんだろうな。
小平に霊園があるという。随分遠いところに、と思ったが、百道と昔話に花を咲かせていたらあっという間に着いてしまった。
「えっと…五区の倉木家は…と。」
随分広大な霊園だなぁ。迷子になりそう。区画と番号は教えてもらっていたのに、私たちは迷ってしまった。こんなに似たような墓石があると、夜でなくてもゾッとする。
「あ、あった、あった。ここだ!」
墓石の刻銘を見て驚いた。“倉木 本條”とある。
「あれ?本当にここなの?」
「うん。そうだよ。」
「でも…。」
「あぁ、本條って、倉木のお母さんの姓なんだよ。」
へえ…そうなんだ。私は、この様な刻銘の墓石を初めてみた。結婚したら、大抵は嫁ぎ先の姓のお墓になるんじゃ…と思っていたので、意外だった。“意外”というのは、倉木の家は、とある企業の創業家である。企業の名前を聞けば、殆どの人が知っている、という大企業だ。その“倉木家”に母親の一族も一緒に…ということなのだろうか。
「じゃあ、お参りしようか。」
先に百道、次に私。いざ、墓石を前にすると、本当に倉木がいなくなってしまったことを実感した。ここに倉木がねむっているのか。お参りしようとしたとき、サァッと爽やかな風が吹き抜けていった。“ねぇ、澤井…。どんな日も、いつかの澤井にとって必要な日になるんだよ”。あの、病室での言葉が頭を過って、私は思わず大泣きしてしまった。私たちは、確かに疎遠になってしまったけど、でも、“さくらもち”は特別だったんだよ…、倉木。なんで、こんなに早く逝ってしまったの!嗚咽が止まらなかった。そんな私への配慮からだろう。百道は“ちょっと…”と言って、どこかへ行ってしまった。
ここは緑が多い。霊園に来ているという感じがしないのがいい。私が落ち着いた頃を見計らったかのように、百道が戻って来た。
「大丈夫?」
「うん…。」
「ここに倉木がいるんだよなぁ…。不思議な感じ。」
「そうだね…。不思議って言えば、墓標の名前、本條佐恵子ってお母さん?」
「だと思うよ。」
「じゃぁ、離婚されたってこと?」
「いや、してないと思うよ。」
「よそ様の墓前でこんなこと言うのもって思ったんだけど、倉木巌はお父さんでしょ?その隣に、本條佐恵子、そして由衣…なんだね。」
「謎なんだよね。倉木んちって。前に話したと思うけど、最初にお父さんが亡くなって、そしてお母さん…。まだお母さんがご存命だった頃、倉木が言ってたの。“母さんが死んだら、墓標は旧姓にして欲しい”って。せめて最期くらいは自分の好きにさせて欲しいって。倉木は最初、それがどんな意味なのか分からなかったって言ってたよ。」
「へえ…。」
「ある意味…離婚届より重たいわ。」
確かに、百道が言うことも分かる気がする。墓標を見て、その方の遺志とは関係なく…これを見た人の想像力を勝手に掻き立ててしまうのだから。これは、見方によっては、ささやかな復讐でもあるのだろうか…。
「場所、変えようか。」
確かに、倉木の墓前で私たちがあれこれ言うのは気が引ける。次に寄るところもあるのだから、まずは新宿へ出よう。また来るね、倉木。
新宿行きの電車の中では、お互いに無言だった。もし倉木が生きていれば、友人の家族について余計な想像をしなくて済んだのに。倉木とはそれなりに付き合いが続いていた百道でさえ、“謎が多すぎる…”と言っているのだから。
最初は近いと思っていた新宿駅も、帰りはやたら遠く感じた。改札を出てこの雑踏をみると、倉木への思いが沢山の人の往来に紛れて、ちょっと気が楽になった。次のところへ行くまでにまだ時間があるというので、軽くランチをする。百道が好きなハイアットへ。
「百道はいつまでもバブリーだねぇ。」
「こういうところの方が、気持ちの切り替えにいいかと思ってさ。それに、澤井が聞きたい話をするには、こういう落ち着いたところの方が話しやすいと思うけどな。」
「確かに…。この間のラウンジみたいにね。」
「気が利くでしょ、私。」
それは否定しない。
「で…。澤井は何が知りたいの?」
知りたいことは山ほどある。ただ、どこから切り出して良いのか分からない。強烈なブラコンだった倉木に、同棲していた彼氏がいたこと。倉木のお母さんのこと。というか、“倉木家”のこと…。下世話な話になりそうだから、訊いてみたいけどためらってしまう。
「百道ってさぁ、倉木とはなんでも話せるくらい親しかった?」
「ん~、どうだろうなぁ。確かに、あんたより付き合いは続いていたから、倉木がどうしているかくらいは把握していたかな。でも、倉木がなんでも私に話してくれていた訳ではないし、それは私だってそうだよ。まあ、私の場合は、プライベートなことを話すと“週刊クラキ”のネタにされそうだから、そういう意味で深い話はしないでおこうっていう感じはあったかな。倉木は女子校つながりがいるからさ。」
「あぁ…、わかる。」
「ただ…時々ね、倉木の方がポツっ、ポツっと自分の話をすることがあったの。さっきのお母さんの話にもどるけどね。お父さんの愛情はそのほとんどが“後継者”になるはずのお兄さんに注がれていて、自分ではなかったと倉木が言っていた。そして、お母さんはお兄さんへの子育てには一切関わらせてもらえなかった、と。幼少期から帝王学を学ばせるのだから、女は余計な口出しをするな…的な…ね。母親に甘えられない兄貴と、父親に甘やかされているのに父親の愛情に飢えている妹。でも、皮肉だよね。結局、兄貴は家を出てしまったんだから。倉木の家って、大正とか昭和初期の純文学に出てきそうな話みたいだなって思った。身近に、こういう家族がいるんだなぁってさ。」
確かに、総一郎さんの話し方、当時高校生の私には全然現代的ではないと感じた。百道の言う“大正や昭和初期の純文学”というのは、その通りだと思う。本人は、父親と話すときの癖、って言ってたっけ。幼少期から帝王学を仕込まれているなら、そうなるのも仕方ないか。それは、“創業家”ならではのものなのだろうか…。わからない。
「ねえ、百道はさ、どうして倉木はあんなにお兄さんを好きだったと思う?」
「澤井はさ、あれって本当に啄木…いや兄貴を好きだったんだと思う?」
「啄木?」
「ごめん、気にしないで。倉木の兄貴のこと、私が勝手にそう呼んでいるだけだから。」
「…だってあの文化祭の時、“兄さんはダメだよ”って言われたんだよ。完全なブラコンなのでは?」
「まあね。あれはちょっと引くよね。でも、大人になってから倉木の話を聞くにつれ、表向きブラコンしているけど、本当は違うんじゃないかって思ってきたよ。」
「どういうこと?」
「兄貴を通して父親の気を引きたかったんじゃないかな、って。」
読みが深すぎる。私は、そこまでの考えには至れない。
「そうなのかな…。」
「あくまで、私の考えだからね。今となっては、倉木もいないし、本当のとことは分からないよ。お父さんは倉木の欲しいものは何でも与えていた。でも、本当に欲しいお父さんの愛情は倉木には与えてくれなかった。なら、お父さんの愛情の対象である兄貴を手に入れてしまえば、お父さんは自分のことも構ってくれるんじゃないか…なんてね。」
話しながら、百道はアイスコーヒーのストローをくるくる回し始めた。百道がちょっと自分を落ち着かせたいときの、いつもの癖だ。
「…どんな日も、由衣ちゃんには必要な一日…。」
えっ?今、なんて言った!?
「…急に何?百道…。」
「お母さんがね、言ってたんだって。倉木に。」
「…そうなの?」
「お母さん、倉木がお父さんの気を引こうとどんな手をつかってもうまく行かなくて落ち込んでいるとき、いつもそうやって寄り添ってくれてたってさ。子どもの時からずっと。」
病室で言ってくれたあの言葉は、倉木自身が言われていた言葉でもあったのか。学校での倉木は、良くも悪くも人目を引き、先生たちともすぐ仲良くなって、同級生たちの羨望の的であった。でも、本当の倉木はそうではなかったのか。急に、切なくなってきた。
「多分、お母さんも倉木と同じだったのかも。」
「夫の愛情の対象ではなかった、ということ?」
「いや、息子に愛情を注ぎたくても出来なかったこと。母親にとって息子って、特別な存在じゃない?それを取り上げられちゃったんだから…。」
「じゃあ、お兄さんも本当はお母さんの愛情に飢えていたのかな…。」
「かも知れないよ。“跡継ぎ”やめたのって、お兄さんなりの反抗なのかもね。倉木の話聞いていたら、お父さんの“跡継ぎ教育”は徹底していたみたいだし。自分の将来を自分で決められないって、私は無理。」
以前、総一郎さんが留学する時、“単に、実家から逃げたいのかも”と言っていたことがあった。それって、これが原因なのだろうか。でも、「僕にとって、父は“正しい人”」とも言っていたから、憎しみがあったわけでもないだろうに。いずれにしても、謎が深すぎる。
「いろんな意味で、お腹いっぱいになっちゃったね。そろそろ行く?」
「うん。で…どこ行くんだっけ?」
「倉木の実家。」




