第6章 “同居人”
澤井とラウンジで別れた後、後味の悪かった私は、ある人に電話をした。
「もしもし…。」
「あ、姐さん。どうしたんですか?」
「今、お取込み中?」
「いえ、練習切り上げて帰るとこです。」
「じゃ、これから飲みに行かない?多分、スタジオから近いとこにいると思うから。」
「いいですね、行きましょう!」
彼は並木健司クン。倉木の“同居人”だった人だ。私は、倉木から健司クンを紹介してもらったことがある。以来、三人で会うこともあれば、時々倉木の目を盗んで会うこともあった。盗んで…とは言え、別にお互い恋愛感情があったわけではない。それに、健司クンは倉木以外目に入らないという風だったし、浮気はちょっと想像しにくい。それに、なぜか健司クンは、私を“姐さん”と呼ぶ。要は、健司クンにとって私は“女性”には見えないのである。
倉木と健司クンは、バイト仲間だ。倉木は短大卒業後、就職はせずにしばらくブラブラしたのち、洋書店のバイトをするようになった。そこにいたのが、健司クン。彼は舞台役者を目指していて、生活のためにバイトをしていた。定職に就かずとも困らないお嬢の倉木とは、バイトの意味が大きく異なる。やはり、華がある倉木は誰もが惹かれるようで、健司クンもそのひとりであった。健司クンは私たちより2歳年下。当時の彼にとって、ちょっと年上の倉木は憧れの的だったのだろう。
倉木のことだから、バイトなんて長続きしないだろうと思っていた。なのに、私の予想を裏切って、亡くなるまでバイトは続けていたらしい。しかも、その働きぶりは真面目で、店長が正社員のオファーを何度かしてきたのに、自分はバイトで十分だと断っていたという。健司クンにしてみれば、“勿体ないっすよね”なのだが、倉木は経済的に困らないので、敢えて束縛の少ない“バイト”を選んだのかも知れない。
待ち合わせのバーに早くに着いてしまった私は、澤井に対しては何となく自己嫌悪で、対して健司クンには倉木のモヤモヤがあって、先に一杯始めてしまった。倉木がなんで“そう”なったのか、啄木…私は勝手に倉木の兄貴をそう呼んでいる…は必要最低限のことしか話してくれないし、澤井じゃないけど、そこそこ親交のあった私だって消化不良なことが沢山あるんだよ。と、毒づきたい。
しばらくして、健司クンがやってきた。芝居の稽古終わりで、汗いっぱいだ。
「すみません、姐さん。遅くなっちゃって…。」
「いいよ、いいよ。…あとさ、場所柄あんまり大きな声で“姐さん”って呼ばないで!紛らわしいから…。」
「紛らわしい?」
「…もう、いい。気にしないで。」
カウンターに並んで、ふたりして呑む。傍からはどう見えるだろうか。姉と弟?それとも、若い燕と寂しい独女?なんてね。
「久しぶりですね、“百道さん”。」
「そうだね…。」
「なんか…ありました?」
そうねえ、あったと言えばあったわね。
「今日ね、澤井と会ったのよ。」
「澤井?」
「あの、“さくらもち”の…。」
「あぁ、はいはい。由衣さんから聞いたことありますよ。」
「啄木から喪中はがきが届いたこと、澤井に話したの。」
「…あぁ。そうだったんですね。」
ふたりとも黙り込んでしまった。グラスをカラカラと回してみる。氷のぶつかる音が、妙に大きく聞こえる。
「訊いてもいいかな。答えられる範囲でいいから。」
「はい。」
「倉木…、なんで死んじゃったの?」
「あぁ…。それは、言えませんね。」
「なんで?」
明らかに健司クンは困った顔をしている。
「由衣さんのお兄さんとの約束です。…、もし事情を知りたいのなら、直接お兄さんに訊いた方がいいですよ。」
「啄木は言うかなぁ…。」
「さあ、それは分かりませんけど。」
「じゃあ、違う話をしよう!健司クンはさ、本当に倉木の彼氏?」
「えっ、そこですか!?」
「今日、澤井に話していたらさ…私自身もなぁんか不思議な気がしてきて。倉木は健司クンを“彼氏”って紹介してくれたけど、その時、健司クン微妙な顔してたじゃない?」
「それって、随分前のハナシでしょう?よく、そんなこと覚えてますね。」
「だってさあ、ふたりたちから“恋人同士”っていう雰囲気が伝わってこなかったんだもん。」
それも無理はない。由衣さんは、僕の方が一方的に好きになって、由衣さんは僕の気持ちを半ば弄びながら、僕と近づいたり遠のいたりしていた。“健司クンは、兄さんの次に好きよ”。由衣さんは、いつもそう言うのだった。自分の兄貴を大好きって、公然と言うんだな。僕は大学までずっと共学だったので、身近に女子校育ちのお嬢様なんていなかった。だから、僕に言わせれば“ちょっと独特な”雰囲気のある由衣さんに惹かれたのかも知れない。
洋書店のバイト、始めたばかりの時は普通の書店とは客層が違うし、スノッブな空気感もあって、長続きするかどうか不安だった。でも、由衣さんの“これ、お父さんの書斎にあった本だ”とか、“兄さんが、好きな本がある!”なんて、書店の中に家族の何かを見つけてははしゃぐのを見て、地味そうだけど楽しいバイトになりそうだ、と思った。洋書が普通にある家なのか。やはり、お嬢様なんだな。既に短大を卒業していた由衣さんは、お嫁入までの暇つぶしなのかと思っていたが、意外とこの仕事が性に合っていたのか、大学を出ても舞台俳優の夢を追っている僕と一緒に、かなり長い期間“バイト”をしていた。
4年前だったか。由衣さんのお父さんが亡くなった。一人娘だったから、さぞかし父親に愛されて育ったのだろうと思っていた。しかし、由衣さんはあまりショックを受けていない様だった。むしろ、父親が亡くなったという事実を淡々と受け止めていたようだった。
「私なんかより、兄さんの方がショックだったみたいよ。」という。由衣さんのお兄さんは、父親が後継者として期待していた人らしいのだが、お兄さんには全くその気はなく、父親の後継は叔父に譲り、会社の株だけくれればいい、という合理的な意思のもと、留学を機に海外生活を始めた人だ。長いことアメリカにいるらしいのだが、その間、一度も帰国したことはない。大好きなお兄さんがいない寂しさを埋めるためなのだろう。由衣さんは、僕との距離を徐々に縮めてきた。
父親が亡くなって数か月後、由衣さんの母親が突然亡くなった。由衣さんにとっては、こちらの方が余程衝撃的だったようだ。由衣さんは時々、“私のことを一番理解しくれているのは、母さんなのよ”と言っていた。僕ではないんだな。口癖のように言うので、それを聞くたびに“なんだよ!”と悔しいのだが、甘やかしてくれる父親よりも、母親の方が由衣さんにとっては心の拠り所だったようだ。だからなのだろう。由衣さんの心が、徐々に不安定になってきた。仕事中は、何も問題はなかった。だが、僕の前では、情緒不安定になる。”今、会いに来て”と言うかと思えば、”あんたなんかに会いたくない!”とも言われてしまい、最初は僕も戸惑ってしまった。
「健司クン…、私、実家にひとりでいるのはいや…。」
仕事帰り、突然こんなことを言われ、由衣さんは僕の中で泣いていた。それから、一緒に棲み始めたのだった。由衣さんを思う僕は、色々と期待を膨らませてしまったのだが、部屋は別、ベッドを共にすることもない。一緒に食事をしたりテレビやビデオを見ることはあっても、“じゃあ、おやすみ”と自分の部屋に入ると鍵を掛けられてしまう。文字通り、ひとりでいるのはいやだったんだな…。それでも、今にも壊れてしまいそうな由衣さんを、僕は放っておけなかった。
「白状するとね…。」僕は、何をどこまで話そうか。
「うん。」
「由衣さんと一緒に住んでいて、僕は確かに由衣さんを好きだったけれど、彼女とは何もなかったんですよ。」
「え…どういうこと?」
「男女の仲まではいけなかったんです。」
「そうなの!?」
「寝顔を見られるのは嫌だって言われてましたし、一緒のベッドになんか辿り着けませんでしたよ。」
「えぇぇぇぇっ、信じられない!」
「でしょ?僕だって、一応男なんですから、そういう欲求だってありましたよ。」
「そりゃそうだよ。そういう時ってどうしてたの?」
「あ~、そういう友達がいました。役者仲間でね。」
「倉木は知ってるの?」
「多分。むしろ、そういうことは家に持ち込まないでいいよ、って感じでしたしね。」
「わからん…。それって、健司クンにひどくない?」
「住み始めた頃はそう思いましたけど、由衣さんのお母さんが亡くなられた頃から、由衣さんがとても脆く感じてしまって…。だから、僕は見守り役でもいいと思うようになりました…。」
「見守り役かぁ…。」
すると、私のスマホが光った。“えっ…?”
「ちょ…ちょっと、失礼。」
健司クンから離れてスマホに出る。
「…遅くにすみません。倉木です。」
「はい…。」
「ご都合の良い時に、澤井さんと実家にいらっしゃいませんか。妹の形見分けでも出来たら、と思いまして…。」
啄木って、つくづく私と相性が悪いのかな。なんでこのタイミングなんだろう…。




