第5章 夏休みの病室
「すみません、あなたを困らせてしまいましたね。」
確かに、困ってしまった。でも、それは嫌な意味でではない。あまりに唐突だったのと、そんなこと今まで言われたことなかったのと、それと…倉木のお兄さんだからだ。
「再会してすぐにこんなこと言うなんて、変なヤツだと思われちゃったかな…。」
「いえ、いえ…。ごめんなさい。」
「あなたが謝ることじゃありませんよ。僕が無神経なだけなんですから。」
「いえ、そうではないんです。…笑わないでくださいね。こんなこと言われるの、私初めてで…。どう言ったらいいのか、戸惑っているんです。」
あぁ…恥ずかしい。バレてしまった。でも、仕方ないよ、本当のことだもん。
「でも、これから受験の準備をする澤井さんのことを考えても、僕はやはり配慮が足りませんでしたね。」
気まずいなぁ。この緊張感は、総一郎さんの貴族のような話し方のせいだ。いつだったか、学校が休みの日にお母さんと一緒に見ていた昼ドラを思い出した。昭和初期の華族の令嬢と陸軍少佐との身分違いの実らぬ恋物語。その設定だと、倉木と総一郎さんは正にそんな感じ。まあ、兄妹なんだけど。同級生の中には、“お嬢様気質”の倉木が苦手な子たちもいて、倉木は影で“マリー”と呼ばれていた。“パンがなければ…”のマリー様だ。多分、“マリー”と呼んでいる子たちが総一郎さんと会ったら、びっくりするだろうなぁ。みんな、背中がピシッとするよ。
もし、付き合ったとして。私たちの会話って、こんな感じで進むのかしら。私、ついていけるか心配になってきた。それよりも、数か月後には留学するって言ってなかったっけ?
「あの…私なんかにそう言って頂けるの、とても嬉しいです。」
「本当?」
「はい…。」うぅ、恥ずかしい…。
「なら、良かった。」
「ひとつ、訊いてもいいですか?」
「どうぞ?」
「あと数か月したら留学されるんですよね?日本からいなくなっちゃうんですよね?」
「はい、そうですね。」
「そうしたら、私はどうしたらいいんでしょうか…。」
総一郎さんは、目を閉じて黙ってしまった。困っているというより、どう説明したら私が困らないかを考えてくれているようにみえた。さっき、“せめて、日本にいる間だけでも…”って言っていたけど、付き合い始めたら、感情ってそんなに簡単にコントロールできるものなんだろうか。“じゃあ、僕は明日からはいなくなるから、これで”って。
「うまく説明できるかはわかりませんが…。」
「はい。」
「もし、澤井さんと僕が付き合うことになったとして…。正直、どのような関係に発展していくのかは、今の僕には断言はできません。」
「はい。」理路整然としているなぁ…。
「ただ、物理的な距離が離れたとしても、願わくば、澤井さんとの関係を続けていけたら、と僕は思っていますよ。」
なんか、現国のテストの解答みたい。そうか、総一郎さんって、文章の様に話すんだな。だから、居心地悪いんだ。これって、理系の人では普通なのかな。
「私は…そんな風に理路整然としていられるか、わかりません。」
「ええ。」
「恥ずかしいんですけど…私、これまで彼氏がいたことがないんです。だから、どうやってお付き合いしたらいいのかも分かりません。それに、お互いが離れ離れになったら自分がどうなってしまうのかも…想像したらこわいです。」
「澤井さん。」
「はい。」
「僕も同じです。これまで彼女がいたことはありません。」
「へ?」
“うっそだぁ~!?”にわかには信じがたかった。これまでの会話の流れからすると、なんとなく私のいう“彼氏”や“交際”は、総一郎さんの言う“彼女”や“お付き合い”とは定義が違うんじゃないか?とも思ってしまう。
「意外でしたか?」
「はい、意外でした。」
「これは…初めて人に話すんですが。妹の存在もあってか、女性って僕には面倒な存在でしかなかったんですよ。興味がなかったとは言いません。ただ、どうしても女性の標準が妹になってしまって…。そういうこともあって、女性と付き合うことの想像がつかないんです。だからかな、交際にまで至る人はいませんでした。」
「あの…失礼を承知で訊きたいのですが。」
「どうぞ。」
「倉木さんの“お付き合い”というのは、どういうことを言っているのですか?」
「好きな人と交際をする、ということです。」
模試の模範解答みたいだ。本当にこの人は、二十代の若者なんだろうか。ついさっきまでは“付き合いませんか”に浮かれていたけど、段々予備校の補習に思えてきた。
問2。「では、私と付き合う、というのは、倉木さんが私を好きだから、ということになるのですか?」
問2の解答。「そうです。」
「すみません、そう言われてもよく分かりません。」
「そうですよね。あの文化祭の時に紹介された程度で、しかも5年も会っていなかったのに…って思いますよね。」
総一郎さんは、“ふっ”と笑って私を見た。
「これから、ある物語をお話しましょうか。僕が子どもの頃、父に連れられてある絵画展に行ったんです。そこで、ある絵に出会いました。一瞬で心を奪われました。こんなに美しい人がいるのか、と。“美しい”の基準は人それぞれなので、その言葉が適切かは分かりませんが、とにかく、少年の僕には心奪われるほど美しい人だったんです。絵の中の女性に恋をした、なんて言ったら笑いますか?」
「いえ、笑いません。」
「澤井さんは、竹久夢二をご存じ?」
「はい、知っています。」
「夢二の『黒船屋』の女性に、恋してしまったんです。」
「夢二の美人画…ですね。」
「そう。あのけだるそうで、物憂げで…。子供のくせに素敵な女性だと思ってしまったんです。」
「はい。」
「そして、少年が高校生になった頃、夢二の女性に出会ってしまったんです。」
「…?」
「あなたですよ、澤井さん。」
「私ですかっ!?」
「自分では似ているとは思いませんか?」
「考えたこともありません。」
「絵の中の女性に恋をして、自分の中で色々と想像して…まさか生身の女性に出会えるとは思っていませんでした。」
「はぁ…。」
「でも、由衣は…妹は一目でそれを見抜いたようです。」
“あ、まさか”…あの一言はそこから来ていたのか。
「言われたんですよ、あの日。“澤井はあの絵の女性に似てるね”って。」
でも、ちょっと腑に落ちない。私とお付き合いをしたいのは、私を好きだからと総一郎さんは言うけど、物語から思うに、単に恋した絵の中の女性に似ているから?ということではないのかしら。数学の証明問題の様になってきた。
「その少年の物語で言うと、私と付き合いたいと思うのは、単に夢二の女性と似ているから、ということにはなりませんか?」。問3。
問3の解答。「さっき、あなたに“あの時の文化祭の頃から、ずっと覚えてた”って言いましたね。確かに、あなたのことが記憶にあったのは、絵の女性に似ているからというのはあります。でも、由衣の話す“さくらもち”を聞くにつれ、あなたのことが気になる存在になりました。」
倉木は私の何を話していたんだろう。気になる。“さくらもち”が揃っていたのは中一の時だけで、しかもそれ以降は倉木と同じクラスになることはなかった。学年が進むにつれ、“さくらもち”もそれぞれに友達が出来、受験をする・しないもあって、どんどん環境が変わっていったのだし。私のことで話すネタなんか、なかっただろうに。
そういえば、倉木とこんなことがあったっけ。高二の夏休みに、一カ月ほど入院したことがあった。椎間板ヘルニアだ。高二の夏にもなると、受験組は夏期講習に行く。私も申込んでいた。なのに、ひどい坐骨神経痛に悩まされて病院に行くと、椎間板ヘルニアだから手術が必要、と言われた。とにかく私はこの痛みから解放されたいので、両親に手術の説明を受けたら同意して欲しいと伝えていたが、父だけがなかなか首を縦には振らなかったという。主治医も「神経が沢山走っている場所ですし、僕としても出来るならやりたくない手術なんです。」と言っていたそうで、なおさら父は署名出来ずにいた。こんなんじゃ、受験に間に合わないよ。不合格でも浪人は絶対にしない!と約束したのだから、少しでも勉強したいのに。夏休みが勝負の時なのに。私の説得にしぶしぶ父は応じて、やっと署名をしたのだった。
手術日を決めるまでに色々な検査を受けなくてはならず、早2週間が過ぎてしまった。私はずっと腰の牽引をしながら、ベッドに縛り付けられた日々を送っていた。休みの日には、“さくらもち”ではない、受験仲間たちがお見舞いに来てくれた。来てくれるのはいいのだが、夏期講習のハナシで盛り上がってしまい、主役の私は話の輪に入ることが出来なかった。とても焦った。悔しいとも思った。私はどんどん遅れをとっている…。
そんなある日、倉木がひとりでお見舞いに来てくれたのだ。驚いた。倉木にしては“控え目”な花束を持ってきてくれた。珍しいこともあるんだな。
「澤井~、来たよ!」
倉木は相変わらずだ。私の病室は4人部屋で、私のはす向かいにはOLのお姉さんがいるのだが、この日はご主人とご主人の友人?と思われる一団が来ていて、ちらちら倉木を見ているのが分かった。やはり、華のある倉木は目を引くのだな。
「珍しいねぇ、来てくれるなんて。」
「う~ん、お見舞いにかこつけて、ステキな医者を見つけに来た…なんてね。」
受験仲間が来てくれるより、なんだか嬉しかった。
「ねえねえ、澤井の主治医って、若い?」
「じじい。」
「なぁんだ、つまんないの!」
「そういえばさぁ、早田が澤井のこと心配してたよ。」
「早田が?なんで?」
「そんなのは知らん!早田じゃないもん。」
「ははは、そりゃそうだ。でも、もう担任でもないのに…ってか、倉木はなんで早田と話したの?」
「うちのクラスの現国、早田だよ?」
「あ、そっか。知らなかった。」
「なぁによ~、優先組のことバカにしてない?」
「してない、してない。クラスが違うと、誰が何を教えてるかなんて、わからないじゃない。」
「そっか、そうだね。」
「倉木はいいなぁ…先生たちと親しく話せてさ。私なんか、誰かと一緒じゃないと話せないよ。」
「そうなの?話しかけるのなんて、簡単じゃん!“先生、先生”って寄って行けばいいんだから。」
「それが出来るのが倉木なんだよ~。」
持ってきてくれた花を生けながら、倉木がクスッとわらった。
「澤井さぁ…。」
「なに?」
「今、こんなところになんで私が?って思ってたりしてない?」
「え?」
「どんな日も、必要な日なんだよ。」
「…。」
「澤井が入院でつらい思いした日も、悔しいとか、焦りとか…。そんなこと、ない方がいいに決まってるけどさ。でもきっとこういう日も、いつかの澤井にとって、なくてはならなかった日になるんだよ。」
何を思って倉木がそんなことを言ってくれたのかは、今も分からない。でも、倉木の言葉があまりにも優しく響いて、私は思わず泣いてしまった。
「あ~、よしよし。澤井、大変だったね…。」
倉木が幼子をあやすかのように、私を抱きしめてくれて、頭を撫でてくれた。倉木は時々、こちらから何も言わなくても、何かを察していることがある。私の受験仲間とはそんなに親しいとは思えないので、私の近況は伝わっていないはずだ。百道は理系組でクラスが違うから、百道が私のことをあれこれ言うとも思えない。倉木の動物的な勘と言うか、人を察する能力がすごいと、いつも感心してしまう。
「倉木、優しいんだね。」
「なによ、今、初めて気づいたの?」
「だって~、倉木がお見舞いに来てくれるなんて思わなかったんだもん…。」
「なんだろうね…。急にさ、澤井、今つらいんじゃないかなって、思ったから…。」
倉木がお見舞いに来た数日後、牽引の効果があったのか、術前検査で前屈が出来るようになっていた私は、土壇場で手術中止となった!こんなことってあるのか?手術セット(病院で持ってくるように言われたもの)を持ってきた両親が、そのままそれを持って帰ることとなった。この喜びを真っ先に伝えようと電話した相手は、倉木だった。倉木も電話の向こうで大喜びしてくれた。
総一郎さんと会話をしながら、ふとこんなことを思い出した。家族としての倉木と、友人としての倉木とでは、全く異なる人物になるのだろうか。
「由衣は、澤井さんがうらやましい、と言っていますよ。」
「そんなこと…。由衣さんが誰かをうらやましと思うことなんて意外です。しかも、私になんて、あり得ませんよ。」
「由衣がいうには、澤井さんといると心が穏やかになるのだそうです。自分は人の感情をかき乱してしまうけど、澤井さんにはそれがないから、と。」
倉木がそんなことを思っていたとは知らなかった。それに、自分自身をそのように思ったこともなかった。
「僕が平穏を欲しいと言ったら、それはあなたと付き合いたいという理由にはなりませんか?」
今度は私に「問」が来た。バッタリ再会した時の、あのワクワク感は消滅しかけていた。なんか「一問一答」式で“お付き合いしましょう”みたいになってきて、総一郎さんという人が分からなくなってきた。そして、口をついて出てきた解答は…。
「なり得ます。」
これが、不思議な“お付き合い”の始まりとなった。
私と倉木、なんで疎遠になっちゃったんだろう…。




