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第3章 総一郎さん

 今日はなんて一日だったんだ。実家に戻るのも面倒なので、そのまま百道と会ったホテルに泊まることにした。今となっては、面倒なガーメントケースが邪魔くさくて仕方ない。百道も嘘は言っていないけど、もっと分かるように知らせてくれよ!このイライラは、どこにぶつけたらよいのやら。部屋に入るやいなや、私は乱暴に靴を脱ぎ、そのままベッドに飛び込んだ。飛び込んだ?じゃないか。思わず、おっさんみたいな声も出てしまったし。あぁ、イライラする。電車の中で思っていた倉木へのあれやこれやは、すべて無駄になったようだ。

 それにしても、二か月前って?そこがイライラの元なのかも知れない。疲労感を覚えながらも、バッグの中からゴソゴソとスマホを取り出す。私はすぐにでも問い質したい相手がいる。

「…はい。」

「私です。」

「うん…。」

「今日、百道に会った。」

「そう。」

「そう、じゃないでしょ!今日、初めて知ったのよ!」

「…。」

「何で教えてくれなかったんですか。」

「…。」

「何で?」

「…百道さんから聞いた方が、いいんじゃないかと思って。その方が自然でしょ。」

“その方が自然でしょ”…。疲れていた私は、咄嗟には理解出来なかった。しばしの間。

「由衣とは疎遠みたいだったから。あなたが先に知っていては不自然でしょう?」

 総一郎さんは淡々と言う。倉木が“兄はダメだよ”と言っていた、正にその人である。確かに総一郎さんは正しい。そう言えば、“倉木の交友関係が分からなかったから、とりあえず年賀状のやり取りがある人へ喪中はがきを出した”って百道が話していたっけ。年賀状をみれば、百道と比べて私からのものは極端に少ないことが一目瞭然だっただろう。

「きっとあなたは、百道さんから由衣のことを聞いた時、初めて知ったようなフリは出来ない気がしてね。」

「そう…、そうですね。」

何もかも、お見通しだ。私はそういう嘘が下手だ。

「それに…、あまり褒められたような事情でもないから。自発的にあなたに話すのも気が引けて…ね。」

つまり、これ以上は訊かないでね、ということだ。倉木に対する謎は深まるばかりなのだが、疲労はピークに達しているし、これ以上総一郎さんに訊く気も起らなかった。

「由衣さんのこと…残念です。」

「うん…そう…ね。」

「まだ、しばらくは東京に?」

「ん…本当はあまり長居も出来ないんだけど、まだ片付けが色々とね。」

「そうですか。大変ですね。」

「…。そうだ、落ち着いた頃、百道さんと実家に来たら?由衣の形見分けと言うと大げさだけど、何か思い出になるものがあれば、と思って。」

「いいんですか?」

「片付けとは言え、捨てるのも忍びなくてね。」

「…そうですね。」

「あなたが良ければ…ね。」


 総一郎さんも百道も、私と倉木は高校卒業後から疎遠になったと思っている。それも、気が合わないという、マイナスな意味で。“あなたが良ければ”というのも、そのことへの配慮からなのだと思う。実際、倉木とは疎遠になった。ただ、それは“気が合わない”からではなく、“後ろめたさ”からくるものと言った方が正しい気がしている。

 総一郎さんとは、倉木と百道が知らないところで密かに付き合っていた。過去形である。中学一年の文化祭の時は、まさかそんな関係になるとは思いもしなかった。あの時は、ただただ好みのタイプの男子に私が目を奪われただけ。ただ、勘の鋭い倉木に釘を刺されてしまった。いまだに不思議なのだが、中一なんてまだ幼い時に、なんで倉木はそんなことを言ったのだろう。深い意味はなかったと思うのだが、言われた私はドキッとして、倉木を怖いと思ってしまった。

 そんな怖い妹がいる総一郎さんと付き合いだしたのは、私が高校三年の時。きっかけは、予備校の帰り道にバッタリ。あぁ、そうか。この予備校って、総一郎さんの大学の近くだったっけ。こんなこともあるんだな。百道も受験組だが、医学部受験専門の予備校へ行っていたから、百道とは予備校はかぶっていなかった。もちろん、ウチの学校から通っていた子もいただろうけど、総一郎さんを覚えている人はいなかっただろうな、多分。でなきゃ、すぐにバレる。少なくとも、高校卒業までは何も噂が立たなかったから、多分大丈夫なはず。

「あれ、確か由衣の友達の…?」

「はい、澤井です。中一の文化祭ぶりですね。」

五年ぶりの再会。総一郎さんは大学三年生で、あの頃にも増して“大人”であった。少なくとも、高校生の私にはそう感じた。眼鏡は相変わらず。なので、雰囲気が大学生と言うよりも大学院生とか研究者の様だった。それにしても、よく総一郎さんの方から声をかけてくれたな。私は一目でわかったけど、もし総一郎さんが私に気付いてなかったら、私から声をかけただろうか…。多分、出来なかっただろうな。

 だからこそ、私は舞い上がってしまった。高校生にもなると、私の周りでは彼氏のいる友達もいたし、付き合っただの、別れただの、そんな話が飛び交っていたのに、私は片思い専門だった。“うわぁぁぁぁ、倉木のお兄さんが声かけてくれたよ!!!”、が胸の内。

「澤井さん、よかったらちょっとお茶でもどうですか?」

“うそでしょぉぉぉぉぉ!!!”

もちろん…「はいっ!」

「ははは、元気いいですね。では、行きましょうか。」

倉木のお兄さんって、こんな話し方するんだ。若いのに、なんだかよそよそしいというか、落ち着いた話し方をするんだな。倉木がちゃらちゃらしているとは言わないが、兄と妹でこうも違うものなのか…?一人っ子の私には、よくわからない。不思議。

 総一郎さんが連れてきてくれたのは、昔からある“学生街の喫茶店”。多分、総一郎さんの大学関係者のたまり場みたいなお店なんだろう。でも、棚に飾られた食器類がとても上品で高価なものばかりで、調度品も落ち着いた感じのしつらえで、私なんかは場違いな気がした。

「落ち着かないですか?」

「いや…その…こんな制服着た私なんか場違いみたいで…。」

「大丈夫ですよ、妹も来たことありますし。制服でね。」

急に冷めた。やっぱり、倉木も来たことあったんだ。そりゃそうだよね。兄妹(きょうだい)なんだし。

きっと、こういう喫茶店ではコーヒーを頼んだ方がよいのだろうが、カフェインに弱い私は紅茶を頂くことにした。もちろん、総一郎さんはコーヒーを。すてきなカップで香ばしい香りのコーヒー。大人だなぁと思う。

「予備校に通っているってことは、受験するんですか?」

「は、はい、一応…。」

「ははは。緊張しますか?僕の話し方。」

「いえ…その…。はい、先生と話しているみたいで…。」

「すみません。父と話すときの癖で。」

「えっ、ご自宅でもそんな話し方…あ、すみません、そんな丁寧な話し方なんですか?」

「由衣にもよく言われます。もっと若者らしく喋りなよってね。」

目に浮かぶ。言いそう。なんか総一郎さん、貴族みたいなんだもん。

「“さくらもち”なんでしょ?」

「そんなことまで話してるんですか!?くら…いっ妹さん!」

「ははは。家族でにぎやかなのは由衣だけなんで。色々と話してくれますよ。」

倉木の家、謎だわ~。ちょっと好奇心わいたけど、この真面目な総一郎さんに根掘り葉掘り訊くのは気が引ける。

「それにしても、よく私のこと覚えて下さってましたね。」

「正直に言えば、あの時の文化祭の頃から、ずっと覚えてましたよ。」

え?私は、総一郎さんを凝視してしまった。総一郎さんと言えば、淡々とコーヒーを飲み、いたって普通だ。男性とふたりでお茶をする経験なんてなかった私は、これがどんな状況なのか、よく呑み込めない。総一郎さんの言葉で舞い上がったり、冷めたり、でまた舞い上がったりで、本当に落ち着かない。

「澤井さん…でしたっけ。あなたは、大学で何を学ぼうと?」

「商学部で貿易関係のことを学びたいと思って。」

「へぇ…面白そうですね。父が聞いたら喜びそうです。」

「そうなんですか?」

「ええ。父は僕に商学部とか経済学部みたいなところへ行って欲しそうでしたから。」

「何を勉強されているんですか?」

「情報工学です。」

理系なのか。倉木は完全な文系だけど、自分にないものがあるから、余計にお兄ちゃん大好き!になるのかな…。

「僕ね、あと数か月したら留学するんです。」

「そうなんですか!すごいですね。」

「そうかなぁ、単に実家から逃げたいだけなのかも知れないんですけどね。」

「いやいや、留学なんて誰もが出来るわけでもないですし。」

総一郎さんは、少し黙ってしまった。でも、表情はとても穏やかで、この沈黙も私にとって決して息苦しいとか困るものではなかった。香ばしいコーヒーの匂い、ゆったりした空間、そんな私たちの周りを漂っている空気感を楽しんでいるようだった。

「澤井さん。」

「はい。」

「僕たち、付き合いませんか?」

「は?」

「せめて…日本にいる間だけでも…。」


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