第2章 澤井
案の定、澤井は動揺している。ま、無理もないか。私の伝え方も悪かったんだし。
「とりあえず…、座ろうか。」
やはり、ホテルのラウンジにして良かった。やたらに高い天井。隣のテーブルとはそこそこ間隔をあけているレイアウト。それに、ゆったり座れる椅子。これが普段の喫茶店だったら、みんな耳がダンボになるよ、澤井。
澤井がやっと腰かけたところで、なるべく動揺しないように話すとしようか。
「昨日、喪中はがきが届いたんだよ。倉木のお兄さんから。」
「お兄さんから?」
「私と倉木は年賀状のやり取りだけは続いていたからね。高校卒業してからもさ。」
「そうなんだ。」
「だから、ダメ元でご実家に電話してみたんだよ。そしたらさ…おにい…」
「ちょ…ちょっと待って!倉木は実家にいたんじゃないの?」
やはり疎遠になっていたんだな、ふたりは。
「あぁ、澤井は知らなかったのか。もう、4、5年くらい前になるかな。倉木のご両親が立て続けに亡くなってさ。お兄さんは海外勤務だし、ひとりで実家に住むのは嫌だってことになったのよ。で、家借りて彼氏と同棲してたの。」
「彼氏!?倉木が?」
澤井はどれだけ倉木と疎遠になってたの?私は、あまりに倉木のことを知らない澤井に驚いた。頻繁にとは言わないけど、全く“さくらもち”で会ってなかったわけでもないだろうに。薄々は気付いていたけど、倉木と澤井は私ほど仲が良かったのではないのかもな。
「澤井ぃ~、どっちで驚いてるの?」
「えっ?どっちって?」
「倉木に彼氏がいたこと?それとも私がお兄さんと連絡できたこと?」
「倉木に彼氏がいたことに9割。」
「やっぱ、そっちか。」
無理もない。倉木は極度のブラコンだった。倉木はお兄さんと二人兄妹で、殊の外お兄さんを愛してやまなかった。…というくらい、お兄さんが世界の全てだった。中学一年の、私たちにとって初めての文化祭に、倉木がお兄さんを連れてきたことがあった。あれは、兄貴を見せびらかして自慢したかったんだな。倉木のお兄さんは三歳年上。私たちにとってみれば、高校生なんて大人だったから、クラスの友達は皆羨ましそうに倉木兄妹を眺めていた。
「ねえねえ、倉木の彼氏?」
「違うよ、兄だよ。」
「違うんだ~、でもいいなぁ、お兄さんカッコいいもん!」
同級生の羨望のまなざし。そして、彼氏に間違われることを楽しみ、自慢げに歩く倉木。私は三人の兄貴たちがいるから、特にどうってことはなかったけど、意外にも澤井が倉木のお兄さんにうっとりしていた。へぇ、あんな感じが好みなのか。倉木のお兄さんは、背が高くて、眼鏡をかけた秀才タイプ。誰かに似ているというのは特に思い当たらないのだけど、私には教科書の石川啄木にしか見えなかった。倉木に怒られそう。ただ、いかにもお嬢様で派手な倉木に対して、お兄さんは近寄りがたいというか、ちょっと冷たい印象を受けた。ふと、倉木が何かに気付いて、澤井の方に近寄って来た。
「澤井、兄はダメだよ。」
言われた澤井は茫然としていたが、そのやり取りを見ていた私はちょっとゾッとした。倉木は意外と洞察力があって、核心を突くことを言う時がある。見ていないようで、人を見ている。“さくらもち”以外の友達と話していても、
「よーちゃん、ホントは佳代に嫉妬してるでしょ?」
みたいなことを突然言い放つ。その時の倉木の目は、ちょっと違う。どのくらいの友達が、澤井も含めて、この表情に気付いていたかは分からない。“兄はダメだよ”と澤井に言った倉木の目が、正にその目だった。倉木は澤井に、何かを感じ取ったに違いない。
大昔にそんなことを言われた澤井だから、倉木に彼氏がいるなんてそりゃ驚くわな。
「百道が倉木とずっとやり取りしていたのは知ってたけど、なんで彼氏がいたこと教えてくれなかったのよ!」
「う~ん、それは私から言うことでもないでしょ?私は“週刊モモチ”じゃないんだしさ。」
「まあ、それはそうだけどさ。」
「ま、今となっては本人の口からはきけないか!でも、不思議なんだよね。彼氏って言っても、私たちが思うような“彼氏”じゃないんだよね。」
「そうなの?」
「そう。同棲って言っても、どちらかというと、シェアハウスの同居人みたいなもんだったしさ。」
「でも、彼氏なんでしょ?」
「そうねぇ、倉木は“同居人”とは言ってなかったね。私には“彼氏だよ”って紹介されたよ。」
「はぁ…、謎が多すぎるわ。倉木…。」
ラウンジの大きな窓から、ホテルの中庭が見える。ちょっとした滝の様な感じで、水がそれぞれに流れていた。澤井には、ちょっと気の毒なことしちゃったな。私の電話で東京に駆けつけてくれたっていうのにね。
「…それはそうと、ご実家に電話してどうなったのよ。」
「お兄さんが出た。」
「そうなの!?」
「そう。倉木の件で一時帰国だって。向こうもびっくりしてたけどね。」
「でも、連絡が取れて良かった。」
「うん。で…なんだけど。倉木が亡くなったのは、2か月前なんだって。」
「2か月前?」
「それでね、倉木の交友関係が分からなかったから、葬儀は身内だけで済ませたそうよ。」
「そうなんだ。」
「人が亡くなった後って、やること色々あるじゃない?それで、ある程度落ち着いた頃、倉木が年賀状のやり取りをしていた人たちにとりあえず喪中はがきを送ったらしい。で、私のところに届いたわけだ。」
「そっか。…そうだったんだ。」
しばし無言。澤井もいっぺんに色々な情報を聴かされたんだから、咀嚼する時間が必要だよね。正直なところ、澤井と倉木の関係性がわからずにいるので、果たしてどのくらいの衝撃を澤井に与えたのかは分からない。早田のおかげで、“さくらもち”は他のクラスメイトとはちょっと違った特別な関係になれたことは間違いない。ただ、女友達とは言え、三角関係というか、友達三人って微妙な均衡を保っている関係だ。均衡が極端に崩れると、良いことはない。“さくらもち”は私が軸になっていると、勝手に自負している。
「澤井が良ければだけど、倉木のお墓参り、行かない?」
「えっ?」
「お兄さんにね、教えてもらった。葬儀にも行けなかったんだから、せめて…と思って。」
「行く!行くよ!行こう!」
びっくりした。疎遠になってたのに、澤井がとても興奮していた。やっぱり、ラウンジでの待ち合わせは正解だったな。こんなハナシ、ざわついたお店でなんて出来ないもんね。それにしても、興奮状態の澤井を見て、遠い日のあの中学一年の頃の澤井が重なった。澤井だけじゃない。中学一年の、私、倉木…“さくらもち”。紺の制服を着ていた頃は、こんな風にそれぞれの生活が変わっていくとは思いもしなかった。ただ無邪気に、騒いで笑って。制服さえ着ていれば、ずっと子どもでいられたのに…。めずらしく感傷的になっている自分に、こんな気持ちも残っていたのかと、少しだけ安心した。




