斜陽に刻まれた記憶(ニ)
――一年前
電車の中、席に座って窓の外を見つめている旭。
「次は、陽凪駅です」
電車のアナウンスが鳴る。
電車が目的地の駅に停まり、旭が荷物を抱えて降りる。
旭は自分の体質の事を考えて、周りから距離をとるため、知ってる人が誰もいない離れた地であるここ「陽凪町」に引っ越してきた。
太陽が静かに沈んでいき夕日が辺りを橙色に染め上げ旭は自分が暮らす賃貸に向けて足を進めていく。
目的の場所に着き、鍵を開け、自分の部屋へ入り荷物を置いて
旭は壁際にもたれ掛かり腰を下ろす。
「今日からここで一人暮らしか…」
そう言って旭はそっと目を閉じ、今までの事を思い出す。
「お前のせいだ!」ガシャン…
父に殴り飛ばされ机の上にあった食器等が乾いた破裂音とともに破片を四方へ飛ばし割れる、感情が昂り、手は怒りに震えていて、目は見開かれている。
「お前さえ産まれなければ!」
抑えきれない怒りに再び腕を振り上げる父
旭は怯えるように顔を覆い隠し守る
途端に父が冷静さを取り戻し、怯える旭と周りの現状を見て後退りをし口を手で覆い涙を浮かべ旭に謝る
「すまない…どうして、こんなつもりは……」
と言って座り込む。
そんな父の姿を見て旭は、
――まただ、僕が関わった身近にいる周りの人は何故か不幸に見舞われたり
いつも突然何かに憑かれたかのようにおかしくなる。
現に父もそうだ。本来なら父は普段は温厚でとても優しい人だ、なのに突然おかしくなった。
ある日母も突然倒れ原因不明の病に見舞われ、仲の良かった友達達や親戚の人達も不幸に見舞われたり、突然おかしくなったりした。
どうして僕が関わった人達だけこんなことになるんだ、どうして僕はこんな体質に産まれてしまったんだ!と悔しさや悲しさを噛み締めるように旭は俯いた。
それから極力人と関わる事を避け、中学三年の終わり頃に父に
「遠くの町に行って一人暮らしをしたい」と言った。
父は特に何も言わずただ
「分かった」とだけ言って頷いた。
――旭が目を開ける
「嫌な記憶だ…」その言葉が口からこぼれ落ちる。
軽く部屋の中の荷物を荷解きし、明日の準備だけ済まして、ご飯は喉を通る気がしなかったのでお風呂にだけ入りベッドに着いた。
「明日は入学式だ。」
知ってる人が誰もいない場所、極力誰とも関わらずただ静かに過ごしていこうと心に留めて旭は眠りについた。
――夢の中、何もないただひたすら真っ暗の空間で、誰かの声だけが聞こえてくる。
「生まれ変わるのなら君が背負う業は僕が引き受けよう…」
そう聞こえてきた声は闇の中に消えていき旭は目を覚ます。
気付けば朝で、カーテンの隙間から日の光だけが漏れている。
ベッドから起き上がり、あの声はいったい何だったんだろうと不思議に思う旭。
そんな事を考えてる内に時間は刻一刻と進み、入学式までの時間が迫っていく。
旭は時計を見て
「準備しなきゃ…」と言い洗面所へ足を運ぶ。
洗面所で顔を洗い、部屋で新しい制服に袖を通し、鏡で身だしなみを確認してからカバンを手に取り玄関まで向かう
玄関の扉に手をかけ、一呼吸置いてから旭は扉を開けて進みだす。
いつもとは全く違う知らない道、知らない景色、何もかもが新鮮に感じられた旭の心の中は少し晴れていた。
春の匂いが、風に乗ってやってきた。
桜が咲いた並木道の通学路を、朝の光で透けた桜が、桃色に染め上げている。
制服の袖をなびかせながら、旭はゆるやかな道を歩いて行く。左手にはまだ読みかけの文庫本。右手には、すれ違う誰かとぶつからぬよう小さく折りたたんだ通学カバン。
ふと見上げると、枝の隙間からこぼれる陽光が、花びらを一枚ずつ浮かび上がらせるように踊らせていた。
まるで、空が誰かの心の中にある柔らかな記憶を、そっと散りばめているかのようだった。
足元に積もる花びらを踏みしめるたび、小さく乾いた音がする。
それがどこか名残惜しくて、旭は一歩ずつ確かめるように歩いた。
旭は学校の校門前に着き表札を見る
――鏡野高校
これから旭が三年間通う学校の名前だ。
少し田舎に面した町ではあるがそれなりに人口も多く、二つの新校舎と中庭を挟んだ先に旧校舎も並ぶ大きくて広々とした学校だ。中庭も自然豊かで色とりどりの花が植えられている。
真ん中には噴水とベンチもありとても綺麗な学校だ。
辺りを見渡せば旭と同じ新しい制服に身を包んだ新入生がたくさん登校してきていた。
「大丈夫…」
そう小声で呟いて、一呼吸置いてから旭は正門を潜った。
――入学式が終わる
春の陽は、どこかまだ頼りなく、校庭の端に伸びた影をじわりと揺らしていた。
入学式を終えた旭は、どこか現実味のない空気の中で、校舎の渡り廊下をひとり歩いていた。
スピーカーから流れていた式典の音楽はいつの間にか止み、旭は中庭に出た。
中庭には生徒達が何人かいて話している人、写真を撮っている人達で溢れていた。
校門のほうへと向かっていく同級生たちの流れとは逆に、グラウンドの方へ向かい
生徒たちのざわめきも遠ざかっていく。
旭の足はふと旧校舎の裏へと向いていた。
――なぜだろう。
自分でも理由はわからなかった。ただ、何かが呼んでいるような、そんな感覚だけがあった。
古びたコンクリート塀を回り込み、草の生い茂る細い小道の坂道がある小高い丘の場所にでる。
――不思議な場所だ…
そこからも足を止めず旭は進んでいく。
――風が、囁いた。
坂道を少し登ると、視界が開け、桜の木々の向こうに朱色の鳥居が立っているのが見えた。
それはまるで、時間の外にぽつりと取り残されたように、静かにそこに佇んでいた。
旭は無意識のうちに背筋を正し、一礼するように鳥居をくぐった。
空気が変わったのを感じた。ひんやりと、肌の奥を撫でるような空気。音が消え、風すら止まった気がした。
鳥居を抜けた先、小さな祠があった。
苔むした石段と、木造の古びた社。その前に、ひとりの少女が立っていた。
長い黒髪が、風に解けるように揺れている。制服の裾も、春風にそっと撫でられていた。
彼女は祠に背を向けて立ち、旭の存在には気づいていないようだった。
その肩が、ふるえている
彼女の目元から、一粒の涙が頬を伝い、音もなく落ちた。
それはまるで、この場所に宿る何かが、彼女の内側からあふれ出たようだった。
旭は声をかけられなかった。
ただ、胸の奥で何かが脈打つのを感じていた。
――この光景を、どこかで見たことがある気がする。
それは夢だったのか、記憶なのか。
けれど確かに、彼女の後ろ姿と、この祠の佇まいは、何かとても大切なものに触れてしまったような感覚を、旭に刻み込んでいた。
旭は、祠の前に佇む少女に、声をかけるべきかどうかを迷っていた。
ただ立っているだけなのに、彼女の周囲には明確な「気配」があった。
風も音も、まるでそこを避けるように静まり返っている。
その異質さに、恐れを抱くというより、懐かしさが勝っていた。
――知らないはずなのに、知っている気がする。
その感覚に突き動かされるように、旭は小さく声をかけた。
「……大丈夫?」
少女――夕菜は、ゆっくりとこちらを振り返った。
頬に涙の痕を残したままの顔は、どこか夢から抜け出てきたような静けさだった。
「……あ、ごめんなさい。変なところ、見せちゃった」
夕菜は袖でそっと目元を拭った。
それでも、瞳の奥にはまだ消えきらない悲しみの色があった。
「ここって……学校の敷地、だよね?」
旭が尋ねる。
「うん。友達が言うには旧校舎が建つ前、このあたりは“境内”だったんだって。昔は神社があったらしいよ――」
夕菜の視線が、祠に向けられる。
小さく朽ちたそれは、今もなお朱色の柱がかすかに残っていた。
「この祠は、その頃の名残りってこと?」
旭は、祠に視線を戻しながら尋ねる。
「そうみたい。この場所はずっと忘れられていたみたいだけど……」
夕菜の瞳が少し伏せられた。
「私ね、初めてここに来た時、なぜか懐かしく感じたの。理由も分からないのに、自然と涙が出てきて……」
彼女の声が風に溶けるように消えていった。
「実は俺も……初めてここに来た時、同じような気持ちになったんだ」
旭は静かな口調で打ち明ける。
「えっ?」
驚いたように顔を上げる夕菜。
「変だよね。初めて訪れた場所なのに、すごく懐かしくて――まるで前にもここで誰かと話していたような気がして」
夕菜が旭をじっと見つめ、その瞳がかすかに揺れた。
「……本当に不思議だね」
ふたりの間に、夕方の柔らかな風が吹き抜ける。
「いけない!もうこんな時間」
夕菜が腕の時計を見て言う
「本当だ、いつのまに…」
旭が携帯の画面を開くと時刻は午後の五時をまわっていた。
「私行くね!またね、バイバイ!」
と言って足早に帰って行く夕菜。
――さっきまで入学式をしていたのに、この場所は他とは時間の流れが違ってゆっくりなのかほんの数十分程だと思っていた時間は気付けば辺りを朱色に染め上げていた。
「しまった!随分長く話し込んであの子と関わってしまった。
気をつけようとしていたのに初日からやってしまった……」
と突然自分の体質の事を思いだして後悔する旭。
「仕方ない、今後は気をつけてこれ以上関わりを増やさないようにしよう…」
と心に言い聞かせて旭は帰路につく。
――場面は現在へ
「思い出した?」
夕菜が笑顔で問いかける
「うん…一年振りってさっき言っていたのは、ここで初めて会って会話した時の事か…」旭が答える。
――そういえば、時折り変な夢を見るようになったのもあの頃からだったな……。
「うん。一年前、入学式の後、なんとなく足が向いてしまったの」
「それは、俺も同じだ」
偶然とは思えない符号に、ふたりの目が交差する。
「あの時、君は泣いていた……今みたいに」
旭の記憶の中に、夕菜の背中と涙が鮮明に蘇る。
「どうして泣いていたの?」
夕菜は少し迷った後、小さく頷いた。
「理由は分からないの。ただ、この場所にいると胸の奥が締め付けられるようで……気づいたら涙がでてるの。」
そう言って思い耽るように祠を見つめる夕菜