斜陽に刻まれた記憶(一)
胸の奥を冷たい風が吹き抜ける感覚で、旭はハッと目を開けた。視界には見慣れた部屋の天井があり、鳥の囀る声と時計が時間を刻む音だけが鳴っていた。
「また、あの夢か……」
旭はそう呟くと、ベッドから体を起こして立ち上がり、洗面所へ向かう。
洗面所で顔を洗い、キッチンへ向かってキッチンで水を汲み、水を飲んで一呼吸おいてから身支度を始めた。
学校の制服に身を包み、ネクタイをしっかり締め、カバンを持ち玄関で靴を履き玄関の扉を開ける。
いつもと変わらない風景の通学路、同じ制服を着た学生達、自分と同じく一人で登校する者も居れば、待ち合わせをして二人一緒に登校する者、数人の友達達と楽しく喋ってふざけたりしながら登校する者、そんな変わり映えのない景色を横目に見ながら、旭は学校へ向かう。
学校に着いて、旭は窓際の自分の席に座りカバンから本を取り出し、本を広げて読み始める
すると一人の男性が旭に声をかけてきた。
「おっはよ〜旭!」
声の方に目を向ける旭
――茶色の癖っ毛に柔らかな目つきで、肩にギターをぶら下げてるこの男は、右横の席の
三枝 奏翔
周りに人を寄せ付けず、いつも一人でいる俺に絡んでくる変わった奴だ。
「おはよう」
と小さく挨拶を返した旭は、再び本に目を向ける。
「相変わらず旭は素っ気ないねぇ〜」
やれやれと言った表情で席につく奏翔。
それも仕方なく、旭は元々人とはなるべく距離を取るようにしている、それには理由があり。
旭は生まれつき何故か周りにいる身近な人がおかしくなったり不幸にしてしまう体質だった。
最初は些細なものだったが歳を重ねるにつれその力は強まっていき、高校に行くのを機会に親とも離れ、誰も知ってる人がいない遠くの町に来て一人暮らしをし誰とも極力接点を持たないようにしてきたからだ。
「ま…そんな旭のつれない所も僕は好きだけどね」
と奏翔が笑顔でこちらを見て言ってくる。
旭が奏翔の方をチラりと見て、すぐまた本に目を向ける。
「ふふん……」
無視をしたのにあいも変わらずヘラヘラとしている奏翔。
ガラガラ… 扉が開く
「は〜い、皆んな席についてー」
そう言って扉を開けて入ってきたのは、鈴鹿先生、黒髪のハーフアップされたロングヘアで黒縁のメガネをし髪に和風の小物の簪が着いている、このクラスの担任で古文の教師をしている。
「鈴鹿ちゃ〜ん、今日も綺麗だね!」
と教壇に立つ鈴鹿先生に対して意気揚々に大声で言う奏翔。
「ありがとうね奏翔くん、あなたの癖っ毛も素敵よ」
と微笑みながら言う鈴鹿先生。
「えへへ…」
と少し頬を赤らめてデレデレとする奏翔とそのやりとりに笑うクラスメイト達。
「じゃ〜出席とるよ」
と言って一人一人名前を呼び出席を取り出す鈴鹿先生。
その声を聞き流しながら旭は窓に目を向け窓の外を見つめ、またいつもと変わらない日常が過ぎていく。
「起立」「礼」「さようなら」
「さようならー」――クラスメイト達
「はい!さようなら〜」――鈴鹿先生
学校が終わり、帰る人達、部活へ行く人達でそれぞれに分かれて行く
「今日も疲れたー」
と言って横の席で伸びをする奏翔
「よし!ほんじゃ、部活行ってくるわ!
またな旭!」
と言いギターの入ったカバンを手にとり奏翔が教室を出て行く。
――奏翔は軽音部に所属していて、クラスでも明るく人気者なムードメーカー的存在だ。そんな彼がどうしてこんな俺に絡んで声をかけてきてくれるのか未だに分からない凄く良い奴なんだろうというのは分かるが。
時折り申し訳なく感じる。
「こんな体質がなければ、もう少し話せて仲良く出来ていたのか…」
と机に目をやり少し感傷に浸る旭。
放課後のチャイムがなり、旭もカバンを手に取り教室を後にして
いつもの場所へ向かう。
西側に面した旧校舎の三階の一番端の教室、今は使われていない空き教室だ。
扉を開けて、空き教室に入り一番後ろの窓際の席に腰掛ける。
「はぁ……」
旭はそっと溜め息を吐き、カバンから本を取り出し、また本を読み始める。
外からは運動部の掛け声が聞こえ、遠くの方からは吹奏楽部の楽器や軽音部の音楽の音が微かに聞こえてくる。
旧校舎の一番端の教室で、
新校舎の方とも間に中庭を挟んでいるため少し距離があり部活で使われてる部屋などからも離れている、そのため人目にも付きにくくこの場所は旭にとって人との関わりを避け一人で居るにはうってつけの場所だった。
再びチャイムがなる。
日が西に傾き始め、教室には斜陽が差し込み辺りは段々と朱色に染まっていく。
――黄昏時 朝と夜の狭間の時間帯
旭はこの日が沈みかけ辺りを朱色に染めていく時間帯が何故か懐かしさを感じさせ心地良くて好きだった。
チャイムの余韻が消えると同時に、教室は放課後の静寂に包まれた。外とは違う、校舎という殻にこもった空間だけが、橙に光る世界を映し出すスクリーンのようだった。旭は本を閉じ、机の端に置くと、そっと背筋を伸ばし目を閉じた。
ふと頭の中に情景が映る
――まただ、今度は違う夢
陽の落ちかけた山の中、木々の隙間から差す光、古びた小さな社殿の中、斜陽が差し込み辺りは朱色に染まり、誰かの名前を呼んでいた。
その人の顔は、どうしても思い出せない。ただ、風に揺れる白い装束と、振り返ったときの微笑みだけが、鮮明に残っていた。
「……ねえ、そこ。いつも放課後になるといるよね?」
旭は急に聞こえたその声に、現実へ引き戻され、ドアの方に目を向けた。
ドアの前に立っていたのは、長い黒髪を耳の後ろで結んだ少女だった。制服のリボンは淡い桜色。どこか懐かしさを感じさせる、穏やかな雰囲気の子だった。
「あ、ごめん。変なこと言ったかな。別に、怪しい意味じゃないよ。ただ、よく見かけるから」
旭は少女の瞳を見た瞬間、胸の奥がざわめいて、思わず立ち上がった。
――この目を、知っている。
綺麗な琥珀色の目、夢の中でみたあの女性の目と一緒だ。
急に立ち上がった旭に、声をかけてきた女の子は少しびっくりしていた。
それを見た旭が冷静さを取り戻し
「ごめん、いつもは人がまったく来ない場所だからびっくりしてつい…」
と女の子に謝る。
女の子が口に手を当てて笑う
「ふふ…そうなんだ、ごめんね、こっちも急に声かけてびっくりさせて。
ここ凄く良い場所だね、人の気配がまったくなくて静かで、夕日の光がいい感じに差し込んでる、なんだか懐かしくて落ち着く感じがする!
旭くんのお気に入りの場所なの?」と女の子が言う
突然呼ばれた自分の名前にびっくりする旭
「なんで俺の名前を?」
自分の名前を呼ばれて困惑する旭を見て女の子が不思議そうに首を傾げる
「知ってるよ、綾瀬 旭くんでしょ。
あれ?もしかして私の事分からない?」
――さっきは目を見て思わず立ち上がったが、それは夢でみた女性と同じ琥珀色の瞳をしていたからで、この子とどこかであった事があるのかと言われれば直ぐには思い出せない
そんな事を旭が思って考えていたら。
女の子が少し不服そうにして
「酷いな〜一応私旭くんと同じクラスのクラスメイトだよ、席だってそれなりに近くなのに」と答える
その言葉を聞いて旭が思い出す。
「柊 夕菜さん…」
――柊 夕菜は旭の席から2つ離れた斜め右上の席に座っている子で、穏やかで優しく皆んなから慕われている存在だ。
「そ、正解!もう忘れないでね」と言い微笑む夕菜
「……!」
その微笑む笑顔を見て旭は、さっきまで見ていた夢の中の女の子と、斜陽の光に照らされた夕菜の笑顔が一瞬だけ重なって見えた。
「なんだか不思議な感じ、こうやって話しを交わすのは一年振りだけど、旭くんとはそれ以前にもどこかで話してた事があるような気がする。」と突然変な事を言い出す夕菜
――確かに、夕日が傾き、優しい光が差し込んでいるこの場所でこうして彼女と話しをしていると不思議と懐かしい感覚に襲われた。
ふと旭は夕菜が言った、言葉を交わしたのは一年振り、と言う言葉に疑問を抱く
――今、僕達は高校の二年生だ。
つまり一年前、高校一年の時に彼女と会って話しをしたのだろうか?…と
「言葉を交わしたのは一年振りって?」
質問をする旭。
「え〜!酷い!それも忘れちゃってるの?」と少し腹を立てる夕菜
「ごめん…」
右手を頭の後ろにやり忘れているのを少し申し訳なさそうに謝る旭
「もう、仕方ないな…
そうだ!ちょっと付いてきてもらってもいい?」
そう言った夕菜は教室を出てどこかに向かって歩き始める。
「え、ちょっ…」
と少し困惑しながらも夕菜に付いて行く旭
まだ沈みきってない日が、窓から差し込み、長い廊下に影を描いている。
旭と夕菜の足音だけが辺りになり響く
「付いてきてって…一体どこへ向かうの」
旭が夕菜に尋ねる
「う〜ん、内緒かな?付いてくれば思いだすと思うよ」
そう夕菜が答える。
――付いてくれば思いだす?
その言葉に旭はまた困惑する。
廊下を進み、階段で一階まで降りて外に出る、外にはベンチや噴水がある中庭の景色が広がり、向かいには新校舎が見える。
――まだ何人かの生徒が残ってるようだ。
外に出て右に曲がるとグラウンドがあり
まだ運動部が練習しているのが見える。
その姿を横目に見ながらそのまま旧校舎の裏手側に向かって歩いていく。
――少し既視感のある道だ。
グラウンドを少し過ぎた先、古びたコンクリート塀を回り込むと、旧校舎の裏手側に着く。そこには少し草の生い茂る緑地帯と細い小道の坂道がある小高い丘があった。
坂道を少し登り、視界の開けた先には朱色の鳥居があり目の前には古びた小さい祠があった。
「この場所……」
と旭が小さく呟いて
「そうか!」
と何かを思い出したかのように夕菜を見る。