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「ハイジャック」「火起こし」「骨董品」


 三月初旬。

 まだ暖かくはなく、けれど寒さの緩む頃。着込んだハイネックが正解か失敗か判断に迷う微妙な季節。

 本日の化生屋の仕事は、骨董屋さんのお手伝いでした。

 とある青年が、住まいを移すにあたりコレクションを整理する。その査定の約束をしていたのに、骨董屋さんは数日前に大転倒して利き手を骨折。左手は何とか無事なものの、壺を持つにも拡大鏡を握るにも不便で仕方ない。……ということで、夜蓋さんを頼られた次第でした。

 鑑定作業は無事に終わり、今は青年と骨董屋さんの交渉フェーズ。


「お暇でしたら、良ければ私のコレクションをご覧ください」


 そんなお言葉に甘え、僕と夜蓋さんは青年の『趣味部屋』を見学させていただきました。

 ここに飾られている絵は手放さず、はるばる新居へと輸送するそうです。

 中でも目を引くのは、子供を抱いて暖炉にあたる女性の絵でした。

 服装や暖炉の規模からして、中流家庭を描いた絵だろうと夜蓋さんが教えてくれます。

 薄暗い中、暖炉の火は女性の頬を照らし、彼女の手は優しく赤ちゃんを抱いています。嬰児みどりごを寒さから守ろうという母性がこの絵のテーマでしょうか。

 飾る季節としては少々時期遅れにも思えますが、持ち主たる青年の移住先は北海道。まだまだ寒さもあるはずです。

 絵画に関する学などない僕が、そんな風に感覚だけでぽーっと絵を眺めていると、額縁の中でご婦人が顔を上げました。


「あなた、ねぇ、そこのあなた」

「はい」


 どうかなさいましたか、と答えきる前に、ずるりと滑る感覚がありました。足が……、いえ、全身が、です。

 まるで脱皮するかのように、肉体から『僕』の意識が落っこちる。


「リッカ!」


 夜蓋さんが声を上げて僕の手を掴んだのが分かりました。しかし、哀しいかな。その手さえもすり抜けて、僕はどこかへ吸い込まれてしまいます。


 気がつけば、僕はあの小さな暖炉の前にいました。


「よく来てくれました」


 声をかけられ振り向けば、そこには赤ちゃんを抱いたご婦人の姿があります。

 ここはどうやら、絵の中でした。


「あなたが僕を呼んだのですか?」

「えぇ。この子を温めていただきたいの。本当は女の子のほうが良いのだけれど、あなたも若いから、きっと体温は高いでしょう」


 僕は首を傾げます。

 暖炉は、ぱち、ぱち、と燃えています。

 エアコン暖房に慣れた現代人には少々ムラっ気を感じる熱ではありますが、けして凍えるほど小さな火ではありません。


「この暖炉では足りませんか」

「今は足りているけれど。わたくし達、飛行機というものに乗るんでしょう?」


 女性は眠る赤子をゆったりと揺らしながら言います。


「空の上では、火が燃えにくいと聞きました」

「ああ、空気が薄いから……」

「だから、あなたに一緒に来てほしいの。わたくし達のようなモノ(・・)が暖を取るなら、生きている人間が一番ですからね」


 無事向こうに着いたらちゃんと帰してあげますよ、なんて、微笑みながら好き勝手なことをおっしゃるご婦人です。

 ……うーん。

 感情的には付き合って差し上げても良いのですが、明日出さなきゃいけないレポートがあるんですよね。


「すみませんが、いったん外に帰してくださいません?」

「あら。駄目よ。そんなことを言って、きっと逃げてしまうでしょう」

「しかし、そもそも僕では湯たんぽ役が務まるかどうか、分かりませんよ」


 僕は着ていたハイネックの首元を引き下げて、首の鱗を見せました。

 とたんご婦人は叫びます。


「やだ、魚の化け物だったの!」


 そして僕は、ドンッ、と突き飛ばされるような衝撃を感じました。

 一瞬の暗転を挟み、閉じた覚えのない目蓋を開けます。

 見えたのは夜蓋さんの顔でした。

 心配そうに彼の眉間へ寄せられていた皺が、ホッと緩みます。


「何もされなかったか」

「えぇ、大丈夫です」


 かくかくしかじか。僕は絵画の中で起きたことを報告しました。

 夜蓋さんは腹膜のない身体で、深い溜め息を吐きました。

 それから絵画の婦人に向かって語りかけます。


「心配はいらない。あなたは美術品として配送される。入れられるのは、まず間違いなく与圧された貨物室だ。火は弱まらない」


 婦人はバツが悪いのか、こちらへと顔を上げることはありませんでした。ただ、ほんの少しだけ、頭を下げたように見えました。

 別に僕は怒っていませんし、その謝罪だけでも構いません。

 そう思ったのですけれど、夜蓋さんの白い指が、婦人の喉元すれすれに突き付けられました。


「二度と、こんなことをするな」


 婦人の肩がビクリと跳ねます。彼女は赤子をぎゅっと抱きしめ、やがて、今度はこちらに向けて深々と頭を下げました。


「手厳しいですね?」

「……当然だろう」


 夜蓋さんは僕の額をトンと叩きました。


「大事な助手なのだから」


 そのストレートな言葉の、ぬくいこと。

 僕はとりあえず、明日はシャツでも着ようかなと思いました。




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