時には野武士のように
いつかきっとー、きみにーもー。
明治時代、文明開化の標語として叫ばれたのが、
東洋道徳・西洋芸術といったスローガンでした。
要するに儒学と科学の両輪でやっていくという
姿勢なんですが、これが当時は、ベストだった。
キリスト教が西洋列強による植民地化のツール
として機能していた面は確かにありましたから。
だから横井小楠なんかは聖書の尊さにも十分に
気づいていながらも国策としてそれを敬遠した。
福沢諭吉も神を天に置き換えた清教徒の道徳を
学問のすすめなどで、奨励していたわけでした。
そのあとは、国家神道による教育が主になって
戦争でフルボッコにされて風向きが変わります。
精神論とかはもういいよってことで経済活動に
邁進したわけですね。その成果で豊かになった。
欧州をぶち抜いて米国に次ぐポジでやっていた
わけですから。理学分野の結果も出ていますし。
人文系の学問はほとんど全滅って勢いですけど、
でも庶民は清教徒の文明に適応してがんばった。
いまだ経済競争も戦争もあるにはありますけど、
歴史の終わりなる本が世紀末に流行したように。
世界を二分するような大戦争って時代ではない。
そこで、あとはどう世界的な倫理を構築するか。
私の標語でいうと西洋倫理・東洋技術といった
言い方になりますけど。これだと思うんですよ。
そのためには、キリストは、釈迦や孔子と並ぶ
賢者などではない。ただ一人の勇者で、救世主。
だって人であり神なんだもん。そりゃ唯一だよ。
これを信仰というよりも、理論的な要請として。
求める構えが必須だよねと私は考えていますが。
そんな仲間が増えたらいいなって感じでござる。ばよえーん
イメージソング。
RCサクセション「わかってもらえるさ」。
https://youtu.be/iXtuZ4X90Js?si=2fQJssCYQBQdmAP1
前回のお話。
「アナロジック・アニマル」。
https://ncode.syosetu.com/n4082km/
次回のお話。
「ユートピア・エチオピア」。
https://ncode.syosetu.com/n0999kn/