天使の化身
木の影から顔を出したのはシェークスピアだった。
「シェークスピア!なんで?」
「なんでは、こっちが聞きたいな!」
その時、ロミオがさっきの硝子をシェークスピアに見せた。
「もしかして、これが関係する?」
シェークスピアは目を真ん丸くし狂喜しながら、駆け寄って来る。
「まさに!これは私の命の硝子…これを街から出してくれたおかげで私も森から出られたんだ。」
シェークスピアは、ゆっくりと硝子を飲み込んだ。
「ちょっと…飲んだりして大丈夫なの!」
「これは、私の心臓なんだ。やっと、あるべき場所に戻った。私は、再び自由の身に戻れる。」
シェークスピアの体が青白く光った瞬間、空から雨が降り始めた。赤く見えていた街が、だんだん暗くなり火が消えたのがわかる。 さっきまでのシェークスピアとは、別人のように変わっていた。
「さあ!行こう。崖へ。」
シェークスピアは歩きだした。不思議なことにシェークスピアは雨に濡れず、雫を弾いていた。 2人はただ、黙ってシェークスピアの後を追い、森を進んだ。この道のことはわからないと言っていたにも関わらず、雷雨で荒れる崖へと最短のコースで向かっていた。時折、シェークスピアは何かを呟き、その度に背中から、黒い骨が背骨を突き破って現れた。今では二本の黒い骨が翼のように背中に生えて、その幅は2メートル近くなっている。
「シェークスピア…」
「この背中の羽のことかな?私も悪魔の化身だからね。」
「えっ…」
「大丈夫。2人を襲ったりしないから。ただ、私も罪を犯したことにはかわりない。」
シェークスピアは切ない表情を見せた。
「シェークスピア、未完成の作品はどんなストーリーだったんだ?それは今でも世には出回っていない。」
「題名は『天使の化身』。ロミオとジュリエットが天国で出会うもロミオが悪魔に囚われて、ジュリエットが、ロミオを助けに行く話なんだ。」
「それは、いつもの戯曲作品と、雰囲気が違うな。」
「スィタンのために書いた作品だからな。」
「物語はどう進むんだ?」
「結末は二人が結ばれるのは考えたが、それまでの道筋はまだわからない。まだ、二人は引き裂かれたままだ。まず、ジュリエットから助けよう。」
「それは、物語に合わせて…ということ?」
「そうだ。」
「それはまずい気がしないか?ロミオから助けよう。ジュリエットがまだ、物語の中で行き詰まってるなら、尚更だ。」
「いや、だめだ。」
シェークスピアの体が赤く光った。怒りを表しているのかもしれない。
「ジュリエットからだ。」
結局その意見には、反対出来ず、雷の崖に向かうほか無かった。
いつの間にか雨が止み、今度は熱風が吹き荒れていた。雨で濡れた体はあっという間に渇き、土は、渇いて森の木々は枯れはじめるものもある。
(異常な世界ね。)
その時、突然辺りをつんざくような落雷が起こり、崖の近くの木々に火が燃えはじめたのが見えた。
シェークスピアは、突然背中の羽を広げた。そこには、真っ黒な羽が生え、まるで悪魔のような姿になっていた。振り向いたシェークスピアの顔は赤紫の肌に、青い瞳、さっきまでと出で立ちとは別人になっていた。
「キャア!」
ジュリエットは恐怖におののき叫び、走り出した。
「逃がさないぞ!」
シェークスピアの声は、さっきまでとは明らかに変わっていた。太く地を這うような声。地響きすら起こりうる恐ろしい声に変わっていた。
ロミオを片方の羽でガッチリと捕まえ、ジュリエットのもとに素早く飛んできた。
「待てぇぇぇ!」
「いやっ!」
「ジュリー!」
風を切るような音とともに、ジュリエットの体は折れ曲がった。
「うぐっ…」
「ジュリー!」
羽が腹部にのめり込み、軽々とジュリエットを持ち上げた。
「大丈夫か!」
ロミオが手を延ばすと、どうやら骨が折れたわけではなさそうだった。ジュリエットはむせ返り涙を流していた。
「ばかだな。素直に言うことを聞けば、こんなことにはならずに済んだのに…。ふふひ。」
シェークスピアは不気味に笑った。そして、二人を抱えそのまま、空へと飛び立った。
二人の眼下には、枯れ行く森と、血のように赤い川と海、そして、灰色の街が目に飛び込んできた。ジュリエットはむせながら眼下の街を虚しい気持ちで眺めていた。
「あたし達、食べられるのよ。」
「シェークスピア!どういうことなんだ?」
「まあ、着いてのお楽しみさ。」
ジュリエットの頭の中はグルグルしていた。
(この、手紙はジュリアンに宛てられたものよ?何故、こんなことに…?)
「ジュリー、俺達は、嵌められたんだ。」
「え?」
「どうなるかは、わからない。わからないが、ここは、運を天に任せて、様子を見るしかない。」
「そうだね。」
(シェークスピアは、最初はあたし達を助けてくれた。なのに、結局これ?貴方こそ、天使の化身じゃない…)
二人は、そのまま空を飛び続け、あっという間に雷の白の最上階の部屋へと着いた。二人は投げおろされ、薄暗い部屋に投げ出された。
「ひひひ。ちょっと待ってな。」
そのまま、シェークスピアは飛び立ち、消えてしまった。
「ああ、あたし達…どうすればいいの!」
わなわなと震えるジュリエットをロミオは抱きしめ、突然笑い出した。
「な、なに?」
「おもしろいな。これは、悪魔との知恵比べだ。」
ロミオは引き攣った笑いを浮かべてジュリエットに言った。
「スィタン信仰の意味がわかったぞ。」「意味って、どういうこと?」
ジュリエットには、さっぱり理解が出来なかった。
「シェークスピアの本の題名の『天使の化身』てやつのまんま。あいつらは、皆天使に化けて人間を陥れていたんだ。」
「この世界で?」
「現実世界でもだ。そうしては、人間を殺して食べていたんだろう。」
「あたし達もその餌食ね。でも、シェークスピアとグリューは対立してたわよ?」
「グリュー?」
「シェイクスピアと対立してた、あの緑の悪魔。」
「それは、スィタン信仰の中の対立があるのかもしれないな。とりあえずは、ここから脱出だ!」
だが、ここは家具どころか、階段さえも何もない部屋だ。唯一、暖炉があるが、大きな蜘蛛の巣がはっている。ロミオは暖炉に目を付けるなり目を輝かせた。
「暖炉だ。あそこからなら、逃げられるかもしれないぞ。」
「また暖炉!」
「また?」
「まあ、いいわ!」
二人が暖炉を覗くと中にはしっかり梯子が付けられていた。
「よし!ジュリー滑るなよ!」
「でも、ここは城の頂上なのに、煙突から逃げられるの?」
「わからない!やるしかない!」
二人は梯子を上り、ついに煙突から屋根に脱出した。屋根は黒い瓦で覆われ、城を更に不気味に見せていた。屋根から下を見ると何千メートルも下に地面が見え、明らかに、ここからの脱出は不可能だった。さっき渡った朱い川は朱い海に流れ、果てには黒い海が見える。濃紺の空には霧が雲のようにかかり、森を覆っている。所々見える街は灰色で、この世界には明るく輝く場所なんてどこにも見えない。
「ここから、降りるのは自殺行為だな。」
ボーッと眺めているとロミオの声にハッとした。
「無理…ね。」
仕方なく引き返そうとしたとき、対の塔に、明かりが見えた。暗い明かりの中に、金髪で、赤い瞳の、人魚がいた。いや、人魚というよりも半魚人だ。全身緑の鱗で覆われ、赤い瞳はまさに魚の魚眼であり、ヒレの先に人間の手足がついていて、脚は、尻尾を合わせて三本ある。
「ひぃっ!ロミオ!あれ!」
「あ…あぁ…」
ロミオも目を見開き、魚人から離せないようで立ち尽くしていた。
「もしかして、ダイアナ?」
「かも、しれないな。わからないが…。」
「そしたら、あたし達はやっぱりただの餌だったんじゃない!」
二人は真っ青になると、梯子を伝って部屋へと戻った。
「どうしたらいいの?」
「逃げるしかない。なぁ、ジュリー…疑問があるんだが、シェイクスピアは、ジュリーじゃなく、自分の知り合いである、ジュリアンをもともとここに呼ぼうとしていただろ?それは何故だ?知り合いを餌にするか?」
「もう、あいつら狂ってるのよ?そんなこと、手当たり次第にやってるんじゃないの!」
「それに、この前ジュリエットの家の門から血がふってくる事件があったと言っていただろ?あれは、この世界と繋がっていると思わないか?誰かが餌にされたのかもしれないが、何故血を外に出したんだ?血は最高の貢ぎ物じゃないのか?この世界ともとの世界の入口がどこかにあるのは、間違いな。それが、どこにあるかが問題だ!」
「そんな細かいことは、もうどうでもいいわ。今は逃げるのが先決よ!」
その時、突然外に真っ黒い雨が降り出した。さっきと同様にスコールのようだ。それと同時にシェイクスピアが、開け放した窓から飛び込んできた。
「お待たせ。」
二人は何も言えずに、ただ黙るしか出来なかった。
「一人は、エリックのとこに行ってもらう。ふふふ。ジュリエット、お前なら体も捧げられるな。」
ジュリエットは青ざめた。
「嫌よ。絶対にね。」
「有無は言わせないぞ。」
次の瞬間、シェイクスピアはジュリエットを掴み天高く空を舞った。
「ジュリー!」
ロミオの叫びも虚しく、ジュリエットは一瞬でその声も届かない場所まで飛んでいた。
「あんた達に喰われるくらいなら、自分から死んでやる!」
「自分から死んでもその体は丁重に頂くよ。」
ヒヒヒーとシェイクスピアは笑うと、一気に島の反対側の血の崖に向かった。
血の崖には、赤い血のような巨大な滝があり、その真下に血がかかるように赤い城があった。城は滝で上の部分ははっきりとは見えないが、下には豪華な窓や門があり、その荘厳さを物語っている。
ジュリエットは何度も逃げようともがいたが、結局逃げられずに、滝のかからない部分にある窓から城へと投げ入れられた。
「エリック!」
シェイクスピアが叫ぶと、ヒールに似た、カツカツと足音が聞こえた。
その足は、まさに鶏のような足で、フラミンゴのようなピンクの細い手足に鶏の顔のついた王子の格好をした化け物がいた。
「こいつをお前にやる。」
「ヒヒヒ。人間の女は久しぶりだ。」
口から、大量に涎が垂れ、床に水溜まりが出来る。
「俺は、解放された。」
「もう好きにしていいよ。パパ。」
「パパ?」
シェイクスピアはニヤリとしてジュリエットを見た。
「ジュリアンは俺の愛人だった。エリックとダイアナは俺の双子の子供だ。」
「で、でも…二人が結ばれるとか…どうって…」
「俺達、スィタンは近親相姦で結束を強めていたんだ。ヒヒヒ。ジュリアンは俺の妹だ。」
「そんな惨いこと…!」
「今更、何を言われても知らないな。それじゃ、エリック、サタン様によろしくな。」
「シェイクスピア!」
シェイクスピアは、あっという間にいなくなってしまった。途端に、エリックは、ジュリエットの体を押し倒し、服を脱がそうと躍起になっていた。
ジュリエットは、エリックの細い脚にしがみつくと必死に抵抗した。
「無駄な抵抗は辞めろ!」
そう言いながらもエリックは力が弱く、ジュリエットに簡単に投げ飛ばされてしまった。
「ふざけないでよね!あんたなんかに食べられるくらいなら、ここから飛び降りるわ!」
「飛べるものなら、飛んで…」
エリックが言い終わらないうちにジュリエットは、窓から飛び降りた。
眼下は一切見ずに目を閉じて、ただただ祈った。
―ロミオと生きて帰る!―
ザーザーと激しい水音が耳に飛び込んでくる同時にジュリエットは朱い海の中に落ちていた。
朱い海は、生暖かく、臭いは血に近かった。海には、塩分がないから、自力で泳がなければ浮いていることすらままならなかった。
ジュリエットは必死に泳いで岸にたどり着くなり、嘔吐した。
「うぇっ…気持ち悪い…」
血の液体がドレスや髪に纏わり付き最悪だった。ジュリエットはその場に泣き崩れ、中々起き上がれなかった。
空を見上げると、紺色の空に、緑の星がポツポツと見えた。そして、海の先に、不思議な光が見えた。それは、まるで街の光のようだ。そう、それはベローナの明かり。朱い海が、徐々に引き潮となって、光の先へと吸い込まれていく。
その瞬間、ジュリエットの頭に閃光が走った。
「わかった!」
「わかった!」
「わかった!」
「あの、ジュリエットの家の門から流れてきた血はこれだ!この引き潮に乗ったら帰れる!」
だが、ロミオがいない。このままじゃ帰れない。
引き潮は、ゆっくりと光に向かって流れているのでまだまだ時間がかかりそうだ。