閉じ込められた囚人と見習い修道女の話
「この王都の外れに監獄塔があるのは知っているな? その最上階の牢に男が一人収監された。その男の世話をしろ」
ある日、司教様に部屋へと呼び出された私は開口一番そう言われた。
「世話というと……具体的に何をすればよろしいのですか?」
「決まっているだろう。食事に掃除を始めとした、身の回りのありとあらゆるもの全部だ」
サラッと無茶な事を言いなさる。
「なんで私なんですか? ……そもそも、その囚人は何をした人なのですか?」
「お前が知る必要はない。黙って命令通りに動け」
もう少し説明してくれてもいいだろうに。
まあ、前者の方はなんとなく想像はつく。
魔族との戦争で家族を失った私は教会の運営する孤児院に引き取られ、そこから自動的に修道女として働くことになった。
つまり、何かあっても、替えがきく存在とかで選ばれたんだろう。
――そして、その私が世話をしなきゃならない男は相当の厄ネタだろう。
「はいはい、わかりました。ところで特別手当なんかは出ますかね?」
「……また説教部屋に一週間叩き込まれたいか?」
「サーセンしたー!」
文句代わりのへらず口を土産に私はそそくさと部屋を後にした。
「……到着っと」
半日後、例の塔に来てみたが、改めて見ると本当にこの塔高いな。
なんでも、確か元は隣国と戦争してた時に作った見張り砦の一つだったとか。
既に門の前には門番が立っており、私は彼らに司教に貰った手形を見せて入っていく。
中は吹き抜けになっており、中央には大きな螺旋階段が伸びていた。
どうやら、あれが最上階まで続いているようだ。
登っていく際に、周囲の牢も見てみたが、どれも中には誰もいない。
というか、建物の古具合を見るにこの塔自体最近まで使われてはいないようだった。
さっきの門番の人たちも話しぶりからして最近ここに配属されたようだし、なんでまたこんな場所に囚人を一人だけ入れたのか。
「つーか、この階段本当になげーな」
体力がない私は早くもバテていた。
高いのは知ってたけど、実際に歩いてみるとまた過酷さを実感できる。
もしかして、私はこれからこの距離をずっと往復しなきゃならんのか。
「これは住み込みにした方がいいか……」
こんな何もない場所に住処を変えなければいけいない事にゲンナリしていると、ようやく最上階の牢屋が見えてきた。
……。
「――えっと、どうも今日からあなたの世話を仰せつかった者です」
私が挨拶をしたその男は、階層半分を鉄格子で仕切ったその部屋に繋がれていた。
「……」
私の声なんて聞いちゃいないのか、ボロボロの囚人服を着たその男は静かに壁に背を預けている。
「あのー、聞こえてますかー?」
一応もう一度尋ねてみたが、男は何も答えない。
もしかして、もう死んでるんじゃないのかとすら思うほど微動だにしない。
「……っ」
「うおっ!」
――と思ったら、俯いていた顔を僅かにこちらへ向けた。
しかし、ようやく見えたその顔は暗がりだったのに加えて、伸びきった髪に生えきった無精髭でよくわからない。
「あ、あのー。今日よりあなたのお世話を仰せつかった者です。よろしくおねがいしますね」
「……」
とりあえず、私はもう一度自己紹介。
予想はしていたが、ほとんど反応なんてない。
「う、うえーい。元気してるぅ―?」
「……」
何を言っているんだ、私は。
牢に入れられて処刑秒読みの状態で、元気もクソもないだろう。
……何だか、無性に腹立ってきたな。
なんで私がこんな一人で馬鹿やらなきゃならんのだ。
「バーカバーカ! お前の母ちゃんでーべそー!」
「――違う」
「ひえっ⁉」
どうせ反応なんてしないんだろう、と開き直ってはっちゃけた私に、一転して刺すような視線を向けてくる彼。
私は思わず仰け反って、そのまま蛇に睨まれた蛙のように動けなくなる。
「僕の母はでべそじゃない」
「え? ……お、おう。すいません」
どうやら、それだけ言いたかったらしい。
彼はそれだけ言うと、再び顔を下げて黙りこくってしまった。
……とにかく、ちゃんと反応してくれるのがわかって良かった。
そういうことにしよう。
とりあえず、やはり教会の宿舎との往復は面倒なので、塔の一階の牢の一つを部屋に改造して住み込みで住まわせてもらうことにした。
こうして一抹の不安を感じながらも、私と彼の奇妙な共同生活が始まった。
言われた通り、私は食事の世話は勿論、身体の洗浄。服の洗濯、牢の掃除、汚物の処理まで全部やっていた。
余談だが、その際に彼の髭や髪のカットもした所、驚いたことに結構なイケメンだった。
処刑されちゃうのが勿体ない。
「囚人さん、ゴハンの時間ですよーっと」
そして私は今日も今日とて彼の食事を持ってきていた。
目玉焼きを乗せたパンにサラダにミルク。
囚人さんは何も言わずに黙々と食べ続ける。
口に合ったようで良かった。
というのもなんとこの人、私が来るまでは一日一回、水とパンクズしか与えられなかったらしい。
よく生きてこられたな……。
このまま処刑前に死んで、私の責任問題になっちゃったら嫌だしね。
ちなみに、これらはこっそりと私が寺院の外れで趣味で育てていた野菜、あとは懇意にしている牧場から分けてもらった牛乳や卵も追加したものである。
「なあ」
「はいぃ⁉」
うわあ、ビックリした!
だから、いきなり口を開くんじゃあないよ。
てっきり今日は喋らない日かと思ったよ。
「ここ最近は食事が随分と豪勢になったね。君がやったのかい?」
「え。いや、まぁ……」
豪勢かなぁ。割と普通だと思うけど。
いや、待て。私の孤児院時代も酷い時はパンとスープだけだった時があったし、これはこれで豪勢なのかもしれない。
「ありがとう」
「……え。いや、どういたしまして」
こんな素直に礼を言われるとは思わなかったので困惑してしまった。
「だけど、もうやめた方がいいよ」
「え?」
次に出たのは拒絶の言葉だった。
え。ウソ。もしかして野菜とか嫌いな人?
なんかさっきから私この人の言葉一つ一つに振り回されてるなあ。
「僕にはあまり肩入れしない方がいい。君も偉い人に目をつけられる」
「いや……でも、このままだと本当に死んじゃいますよ」
「僕の身体はそんなにヤワじゃない。いや、それ以前に僕は死んだ方がいい人間だ。多少前倒しになった所で彼らも目くじらを立てたりはしないよ」
なんだ、それは。
死んだ方がいいなんて、そんな人間がいてたまるか。
そう思ったが、彼の目は諦めきっており、これ以上は何を言っても無駄なように見えた。
――その夜、私はベッドの上をゴロゴロしながら、彼の言葉を何度も思い出す。
「……本当に何があったのやら」
面倒事の匂いがプンプンするので、あの場ではそれ以上は踏み込めなかった。
しかし、こうして彼とずっと一緒に過ごしていると、どうしても気になってきてしまう。
「ところでアナタ何をやらかしたんですか?」
数日程して、遂に私は彼に理由を聞いてしまった。
「うーん。仕事でミスをしちゃったからかな」
意外にも彼は割とあっさり話してくれた。
「いや仕事自体はちゃんとしっかりやっていたつもりなんだけど。上役の人たちからすれば面白くなかったみたいでね」
「――なるほど」
色々とぼかされていたが、聞く限りではこの人は多分悪くないよな。
貴族や王宮関係ではよくある話ではあるが、理不尽な話であることには変わりはないだろう――。
「あーもうむかつく!」
「な、なんでだい?」
「いや、そりゃ腹が立ちますよ!」
こんな話聞かされて流せるほど、私は冷静でも達観してもいなかった。
彼の筋肉の付き方、体中の傷跡を見ればわかる。
おそらく、この人は国のためにこれまでずっと戦い続けてきたのだろう。
その見返りがこれだというのか。
「……でも、一番腹が立つのはあなたですよ!」
「えっ」
「なんで、あなたはそんな平気な顔をしているんですか! 悔しくないんですか? 腹が立たないんですか?」
「……いや、まあ……仕方がないかなあって――」
あっさりと答える彼に私は絶句した。
この人には自分の命の執着というものが無いのか。
「仕方なくないですよ。私だって村焼かれて家を失って、それでも生きるために必死でやってきているわけですよ。それなのにアナタは簡単に命を捨てようとしている。癪じゃないですか」
まるで泥水啜ってでも、ふてぶてしく生きようとしている私が馬鹿みたいじゃないか。
「そうは言っても、僕にはもう目的が無いんだよ。既に役割を終えた人間さ。それならもういなくなった方がいいかなって」
「んなわけあるかぁあああああ!」
私は大声で叫ぶ。
ここで引き下がったらいけない気がした。
「役割があるイコール人生じゃないでしょう。世の中そんな簡単なら、己の役割すらまともにわからない迷える子羊はいねーんですよ! つーか、役割終えたら悠々自適なセカンドライフを送ればいいじゃないですか! 羨ましいなあー!」
自分でもビックリするぐらい言葉が出るわ出るわ。
途中から、自分でもわからない支離滅裂な事を言っているのは自覚できた。
「セカンドライフってなんだい?」
あ、そこに食いつくのか。
「その名の通り、第二の人生ってやつですよ。しがらみから解放され何もないのどかな田舎でのびのびと自由に暮らすんです」
「そんな生き方があるのか。……知らなかった」
盲点だった、とばかりに彼は感心していた。
言った後でなんだが、結構偏った説明をしてしまった気がする。
「あ、れ……?」
すると気付けば、彼の頬に一筋の涙が伝っていた。
……えっ。ちょっとこれだと私が泣かせたみたいじゃん。
ちょっと修道女―! 男子泣いてんじゃーん!
まいったなあ。そんな感銘を受けるような事言ったかなあ……。
――って照れてる場合じゃない。
慌てて私は彼の涙に濡れた目を取り出したハンカチで拭う。
改めて見る彼のブルーの目は本当に綺麗だ。
思わず私は見入ってしまっていた。
彼もまたハッとした目でこちらを見ている。
「……とりあえず、もう少し自分を大事にしてください」
「ああ、気を付けるよ」
なんだか、やたら気まずい感じになったので、適当に会話を切り上げる。
その日、私はさっさと部屋に戻って寝た。
その一月後。
突然、司教が塔にやって来た。
「貴殿の処刑日が決まった。三日後の朝、王都の中央広場にて行われる」
司教は冷たく事務的に朗々と語る。
「曲がりなりにも魔王を打倒した英雄だ。せめて最後は華々しく散らせてやろう」
魔王を打倒した英雄、その言葉に私はああと納得する。
驚きはしない。
ただ合点が行ったのだ。
そうして衛兵たちに彼は連れて行かれた。
私は黙ってそれを見送るしかなかった。
司教はそんな私に相変わらず感情のこもらない冷たい声をかける。
「今までご苦労だったな。貴様はもう用済みだ。さっさと修道院に戻って元の業務に戻るがいい」
「ハイ、ワカリマシタ」
――ったく、もう少し労いの言葉ぐらいはかけてくれてもいいだろうに。
本当に人からやる気を削ぐのは上手いな、この上司。
「……ところで、口封じとかナシですよね?」
さっき、サラッととんでもないことを言ってたよね?
「貴様程度があの男の事情を知っても、さしたる影響にはならんだろう。さあ出ていけ」
「あ。そうすか……じゃ、そうゆうことで……ってちょっ、せめて部屋の荷物ぐらい―」
そのまま私は門番らに引きずられ、監獄塔にほっぽり出された。
しばらくして部屋の物もゴミのように放り出されていく。
こちとら言われた通り、ずっと勤労に励んできた社畜だぞ。もう少し丁重に扱えってんだ。
「……さて、これからどうしましょうかね」
修道院に戻る、という発想よりも前に思い浮かぶのは彼のことである。
連れて行かれる時も、特に顔色一つ変えなかったなあ。
色々と話をしてきたが、少しは感銘なり影響でも受けてくれててもいいだろうに。
「せめて私のこと思い出してくれてたら、こっちももっと頑張れたんですがねえ」
私の村は魔族に焼かれた。
逃げ惑う私を魔物は襲い掛かる。
真っ二つに斬られた。
現れたのは真っ赤のマントをたなびかせ、銀の鎧を纏った私よりも幾つか年上の少年だった。
彼は涙ながらに頭を下げた。
遅くなってすまない、と。
助けられずに済まない、と。
泣きながら詫びる彼の涙を幼い私は拭った。
勿体ないと思ったのだ、その綺麗なブルーの目が。
そこまで思い出して大きく息を吐く。
「とりあえず、命を救われた分を返してやっても罰は当たりませんよね」
一応は私も修道女ですし?
迷える者の味方ですし?
……頼むぜ、神様。
……。
その日、王都ではパレードが行われていた。
お祭り騒ぎの王都の中央広場にはギロチン台が置かれている。
世界を救った英雄を処刑するというのに、どうしてあそこまで楽しそうに騒げるのだろう。
私なりに処刑される理由を調べてみたが、どれもこれも確たる証拠もない、あやふやな話ばかり。
やれ、国王を暗殺してこの国を乗っ取ろうとしたとか。
やれ、不当な理由で追放した元パーティメンバーの功績を横取りしたとか。
やれ、婚約した公爵令嬢を冤罪で被せて貶めようとしたとか。
なんで、皆こんな与太話を信じているんだ。
この国のお偉方の情報操作が上手かったのか、それとも単にこの国の民度が終わっているのか。
「世も末だと思いませんか、勇者殿」
「そうだね……うん?」
はい、こちら現場の修道女です!
というわけで、現在私は彼が入れられてる城の牢屋にお邪魔しております!
「待ってくれ。なんで君がここに……え? え?」
忍び込んできた私を見て、流石の彼も目を丸くして困惑している。
こんな彼の顔を見るのは初めてだ。ちょっと役得。
「だから逃げちゃいましょうって言ってるんですよ」
「君は自分が何を言っているのかわかっているのか⁉」
「わかってますよ」
ここまで彼が感情的になるのは珍しい。
しかし、もう少しは私の覚悟と行動力を褒めてくれてもいいだろうに。
「何だその態度は! こっちは君が心配でたまらないというのに!」
「ぐわっ」
ちょっと、アンタそれは不意打ちにも程があるでしょうよ。
と、とにかく仕事を先に済ませてしまおう。
私は何重にもかけられた檻の鍵を、懐から出した金属の棒でカチャカチャと一つずつ開けていく。
孤児院に入れられる前に色々やってた経験がここで生きてきた。
どこで何が役に立つかわからないものである。
「おい。そこで何をしている!」
向こうの方で衛兵たちが声を上げる。
しまった。トークに時間をかけ過ぎた。
これ間に合うか?
「早く逃げるんだ!」
「もう手遅れですよ。ほら、これで私も犯罪者。あなたと連座で処刑だぞ?」
一蓮托生ですよ。一緒に死ぬか、逃げるか。
「君ってやつは……!」
よっしゃ、鍵はあと一つ……って魔法式⁉
こんなの開けられるわけないじゃん!
衛兵たちはすぐそこまで来ている。
どうする?
「――君は本当にずるい。そんなことを言われたら、見捨てられないじゃないか」
遂に衛兵の手が私の肩を捕らえる直前、そんな言葉と共に、彼はいつの間にか手にしていた剣で押し寄せてきた衛兵を剣戟で吹き飛ばした。
いや、剣って斬るものだよね。
なんで衝撃波出してるの?
つーか、どこから出したの?
「聖剣は召喚獣に近いんだ。僕の意志一つでいつでも呼び出せる」
察したのか、勝手に応えてくれる勇者様。
次の瞬間、衝撃と眩い光で、私の視界はしっちゃかめっちゃかになる。
しばらくして目を開けると、私を彼に抱き抱えられて、城の外へと飛翔していた。
……自身の自由な飛翔って、確かかなり高度な風魔法の技術が必要だったはずである。
「こんなに強いなら。捕まったりしなかったんじゃないですか?」
「言っただろ? 逃げる必要性を感じられなかった」
本当にこの人はさぁ……。
呆れてる私をよそに、下方は丁度王都の中央広場で、私たちを見た大衆たちはどよめいている。
恐怖で顔を引き攣らせているのが大多数だが、中には涙を流してお祈りしている人もチラホラいた。
「……待て! 待つのだぁ!」
その中で特に煌びやかで頭に王冠を被ったオッサンが声を上げる。
「お前が死ぬことはこの国にとっても必要なのだっ! この高度な政治的判断を理解できぬのか⁉ 戻ってこい!」
それに追従するように、同じように綺麗な服を着た連中も口々に好き勝手喚いている。
「うっせー、バーカ! アッカンベー!」
そんな彼らに、私は舌を出して一蹴した。
何が高度な政治的判断だ。
素直にお前らの欲深事情ですって言い直せ。
すっかり恐慌状態の王都民たち、その中には司教様もいて、その人は相変わらず感情のこもってないような遠い目で私たちを見つめていた。
ちょっと残念、この男の吠え面も少し見てみたかったのだが。
「待て。待つのだ。待ってくれ勇者よ……!」
いまだに王冠を被ったオッサンだけが、こちらを追いかけて懇願するように叫んでいる。
しかし、彼はそれを無視する。
既に自分は貴方たちの都合の良い人形ではないと主張するように。
あっという間に王都は見えなくなってしまった。
「さて、これからどうしましょうかねえ」
私は彼に抱きかかえられながら聞いてみた。
「とりあえず、王国の手が回らないぐらいの田舎でスローライフでもしてみようか?」
「あ、それ賛成です」
それから一年ぐらい経過しただろうか。
結局、王国から追手はこなかった。
なにせ一年もしない内に王国は隣国の侵攻や内部紛争やらで、最終的には周辺国に分割からの併呑されてしまったのだから。
まあ、今の私たちにはどうでもいい話だ。
懇意にしていた人らの安否は気になったが、風の噂では上流階級以外の民は基本無事だと聞いたし、探しに戻ってみてもいいかもしれない。
「グォオオオオオオオオオオン!」
もっとも、この鉄火場を乗り越えられればの話であるが。
私は後ろから響く竜の遠吠えを背にひた走った。
「まさか隠居先に選んだ田舎が邪竜の巣と化しているとはね」
「のん気に言ってないで、早くあのトカゲ共を何とかしてください!」
「聖剣だけで邪竜たちに挑むのはね……。せめて聖鎧があれば」
「そんなぁー!」
この後も、私たちは帝国のお家騒動、魔界での新魔王決定戦、神の遺産の争奪戦など色んな騒動に巻き込まれていくのだが、それはまた別のお話である。