悦
諸岡の優しさ、同級生の暖かさを噛みしめ、藤堂は少しづつ介抱へ向かう。
悪夢は過ぎ去ったのだろうか。
トラウマという形で藤堂は苦しむ。
貴方は自分が自分であるとどうして証明が出来るであろうか。
諸岡は、鏡の前で放心状態だった藤堂に付き添い、病室まで彼に肩を貸してやった。もう錯乱はしていない。
諸岡
「大丈夫?」
藤堂は薄く笑った。額にはうっすら汗をかいている。鏡を鋏で割りはしたものの、手を怪我してはいなかった。
その藤堂を見て、気を使わせてしまった一言であったと諸岡は思った。目の前で深呼吸を懸命に繰り返す藤堂を見れば、大丈夫とは言い難いのに、思春期の見栄を張らせてしまったようだった。
諸岡
(患者に気を使わせてどうすんのよ…)
諸岡は、自分がこれほど看護士としての業務に真摯になる人間だとは思わなかった。だが、目の前でブルブル拳を震わせている患者は、これから先、長い長い未来が待っている幼い高校生であり、死に怯えて良い歳ではない。死を突きつけられ、その恐怖に負けんとし苦しむ藤堂を見て、諸岡は看護士と患者の立場を越えて、守ってやりたいと強く思うのだった。
藤堂
「・・・すいま、せん、でした」
藤堂は深呼吸を挟みながら、切々に言葉を紡いで謝った。恐怖は未だある。だが迷惑をかけない、というのが藤堂の見栄だった。
そんな藤堂の手を強く握り、諸岡は諭すように、そしてワザとらしくなく言った。
諸岡
「大丈夫。後は私たちに任せて。これが仕事なんだから」
藤堂
「・・・ありがとうございます」
藤堂は、胸に仕事という言葉が刺さった。その苦そうな様子を見て諸岡は、自分に何が出来るだろうかと考え、藤堂に、こう提案した。
諸岡
「じゃあ藤堂君が寝るまで、ここに居てあげるね。そしたら寝れるでしょ?」
願ってもない提案だった。藤堂は見栄を張るため、少し悩んだ振りをしてから了承した。ただ、藤堂が感じていたのは安心感ではなく、初期の恋心に近い何かだった。諸岡はうっすらそれに気づきながらも、嫌な気はしなかった。何より顔色がどんどん戻ってく藤堂を見ると、不思議と嬉しかった。
この後藤堂は10分もしない内に寝付いたが、諸岡は寝る気がせず、その夜は1時間置きに彼の様子を見やった。
翌朝藤堂が起きると11時だった。朝ごはんを食べ損ねたことを悔しがる余裕は既にあった。
まどろんでいると、直ぐに中年の看護士が来た。諸岡から言伝えられたらしく、頻繁に見に来てくれていたらしい。藤堂は彼女に礼を言うと、朝ごはんを持ってきてくれた。そして彼女は、この後担当医が来たがっていることについて、藤堂に許可を求めた。彼は、とにかく自分が置かれた状況を把握したいために、勿論了承した。
10分後、担当医が訪ねてきた。若く色黒で、少し背が高い。スポーツマンよろしく明るく挨拶したあと、昨日の状況を聞いてきた。藤堂は、鏡に映る自分の顔が、自分を襲った犯人に見えたのだと正直に言うと、担当医は「なんだそんなことか」と言わんばかりに、事件後ストレスからそういった症状がでることは良くあることで、特段心配するようなことじゃないと藤堂に言い聞かせた。
担当医
「他に自覚できる症状はある?」
藤堂
「・・・赤い物を意識してしまいます」
昨日のことがあってから、藤堂は起きた瞬間から部屋にある赤い物を処分した。今は自分でも赤を意識しないよう気をつけているが、もしかするとまた増えているかもしれない。そんな不気味なことは御免だと思った。
担当医
「そういえばカルテにもそう書いてあったね。でも、多分これも事件のストレスだと思うよ。心配だったらカウンセラーの先生と話してみるかい?」
藤堂
「そこまでじゃないと思うので・・・大丈夫です・・・」
担当医は「いつでも手配できるから遠慮はしないでね」と、爽やかに言った。その後は簡単な心理テストを行い、怪我の状況を説明して去っていった。怪我の回復は順調だそうだ。
午後小説を読んでいると、ナースセンターから、刑事が話を聞きたいと訪ねてきていると電話があった。藤堂は快く了承した。
するとまもなくスーツの男性二人が入ってきた。入ってきたのは男性二人だったが、一人は猛禽類のように虎視眈々かつ獰猛な雰囲気を醸し出していた。一人は木村、猛禽類は倉島と名乗った。
二人はお見舞いの言葉と、経過を気遣う言葉をかけたあと、事件についての質問をしだした。木村は物腰が柔らかく、主に彼が喋った。猛禽類も、いちいちこちらを気遣う言葉回しを使い、藤堂を圧迫しないよう努めていた。
藤堂は、3日前の犯人の特徴や犯行の経緯を細かく説明した。要領を得ない話だったにも関わらず、刑事二人は辛抱強く聞き役に徹した。
木村
「それで、君がトイレに隠れた時だけど、何故犯人が警官のフリをして君をおびき出し、背後に回れたのだと思う?」
藤堂
「・・・わかりません。ただ、あの時僕は半身を出していたので、僕の背後からトイレの中に入ったのではないかと思います」
木村
「透明人間みたいだね。でも何故犯人は君に見つからないよう後ろに回り込もうと考えたのだろう」
倉島
「あり得ない話じゃない。犯人は最初から藤堂君を怖がらせるような真似を選んでいる。マトモじゃない」
それから倉島は木村に、被害者に詰問するんじゃないと叱り、藤堂に謝った。彼らの聞き込みは、その後20分も続いた。
倉島
「今日はありがとう。参考になったよ。警備は引き続き行うから、安心して養生してくれ」
そう言うと二人は出ていった。扉が閉まると、藤堂は急に不安に襲われた。人と話していると、それが無くなったときの反動で、一人が恐ろしく心細い。もしアカマントが来たらどうしよう。
すると、ドアをノックする音が聞こえ、藤堂は身構えた。扉が開ききると、そこには藤堂が地球上で最も可憐な存在であると思っている、上杉さんが遠慮がちに立って、こっちを伺っていた。
上杉
「藤堂クン、大丈夫?」
藤堂
「上杉さん・・一人?」
上杉は一人だった。何人かで来る予定だったのだが、藤堂の怪我の具合もあるので、遠慮したらしい。本来なら上杉本人も遠慮するハズだったが、吉村から渡す物を預かったこともあり、来てしまったのだという。どう考えても吉村のアシストにしか思えない。藤堂はムネのうちで深く感謝し、上杉とクラスの事や、勉強のことなど他愛もない会話で楽しんだ。
上杉
「あ、そろそろ帰るね。長居してごめん」
藤堂はこれを「もう少しだめかな?ちょっと一人が怖くて」と言い、タハハと弱々しく笑い、引き留めようとした。上杉も、殺されかけたクラスメイトを可哀想と思い、もうしばらく一緒に居てやることにした。
藤堂
「そうだ、みんなからの差し入れ、開けてもいい?」
藤堂は上杉が居ることに有頂天気味の自分を押さえながら、そう聞いた。上杉は、プレゼントを貰ってはしゃいでいる子供を見るような気持ちで「開けてごらん?」と笑った。
--------ガチャンッ
差し入れを見た瞬間、藤堂はテーブルの上のガラスコップを肘で落としてしまった。上杉は藤堂の引きつった顔を見てオロオロしだした。差し入れは、真っ赤な毛布だった。スッと意識が藤堂から遠のいた。
藤堂が起きると、机に丁寧な字で「起きたらナースコールお願いします」と書かれたメモが張ってあった。外は暗く、時計を見ると7時だった。とりあえずナースコールすると、昼間の中年看護士が入ってきた。
藤堂は上杉のことを聞くと、自分としばらく共に居たが、一時間ほど前に帰ってしまったと聞かされた。藤堂は上杉に対して申し訳ない気持ちと、みっとも無いところを見せてしまったな、という思いで顔が熱くなった。看護士はそれを見て「ちょっと疲れていたし仕方がないわね。でも彼女、また改めて来るそうよ?」と言い、にっこり笑った。藤堂はドキドキしながら、これはこれでアリじゃないだろうかと思い、そう思うとこの毛布も役に立ってくれたな、と思えるのだった。それに、赤を身につけることで、トラウマを少しでも克服出来れば、という考えもあった。
毛布に気をとられていると、別の看護士が食事を運んできた。美味しそうな酢豚だった。一人になった藤堂は、毛布にくるまって酢豚を平らげた。甘いわりに酸味が効いていて、これは恋の味ではないだろうかと文豪を気取るも、すぐに飽きた。その夜はテレビとゲームに費やした。
テレビを見ていると、時刻が深夜を回ったようだった。藤堂は昼間寝ていることもあり、目が冴えていた。
しばらくすると、夜勤の看護士が様子を見に来た。早く寝ましょうね、とやんわり注意を受けるも、まだ寝る気はしない。ゲームでもやってるか、とPSPの電源を入れた。カセットは入院前遊んでいた、大きな武器でモンスターを狩るゲームで、藤堂はげんなりした。どころか、事件のことをふと思い出し、流石に血の気が失せた。こういう日は早く寝てしまおうと、部屋の電気を消し、その日は寝付いた。
真っ暗な廊下を歩いていることに、藤堂は気付いた。良く見ると、病院の廊下らしい。北側のエレベーターから、暗いナースステーションを過ぎて、5階の廊下を南側に歩いている。一歩、また一歩と重い足取りで、のそのそと歩いている。右側を向くと501号室と書いてある。あぁ、早く病室に帰らなくてはと、505号室を目指す。
502号室を過ぎた。足取りが嫌に重い。足下を見やると、金属っぽいブーツを履いている。どうりで重いはずだとボーっと考える。
503号室を過ぎる。ネームプレートの杉田という文字が真横を流れる。足取りは依然重く、のそっ・・・のそっ・・・と引きずるように歩く。左を見ると、廊下の掲示板が有るはずなのに見えない。視野が狭いようだ。左目がどうも明かないらしい。
504号室を過ぎようとしている。一歩一歩の足取りが本当に遅い。早く帰って休みたいのに、身体のいうことが効かない。途中でつまづき、右手で504号室のカーテンを掴んでしまった。引きちぎれてはいまいだろうかとカーテンを掴む右手を見ると、暗がりでも分かるほど真っ赤な色をしていた。
藤堂はハっと目を覚ました。自分は病室のベッドに居る。
次の瞬間、部屋のカーテンが揺らいだ。そちらを見ると、誰かが開き手を掴んでいる。
藤堂はそのカーテンから目を離さないように、棚に置いてある裁ち鋏を持った。
------やられる前にやってやる。
何故か藤堂は攻撃的な自分を何処かで知覚しながらも、その自分にこれからの流れをゆだねた。
上杉から貰った毛布を肩にかけて、藤堂はこう思う。切って切って切り刻んでやるんだ。切って切って切って切って切り刻む。切って切って切って切って切って切って切って切って切り刻もう。切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切り刻もうか。切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切り刻むのだ。切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切ってさぁ切り刻んでやる。
裁ち鋏を持つと、不思議と力が沸いてくるようだ。
藤堂は喜びに溢れた顔で、目だけが血走っていた。
裁ち鋏は水平に、次の瞬間吸い込まれるように刺された。
ドスンッ、という鈍い感触に歓喜しながら、藤堂は追撃しようとするのだった。
藤堂は未だこう考えている。あぁ、切り刻むのは、なんて楽しいんだ!
投稿遅くなりました。申し訳有りません。
同じ人が何度もアクセスをくれると、非常にやる気が起きます。本当に感謝致します。
さて、物語はようやく大きな展開を迎える直前になりますが、いかんせん普通パートが多すぎて量が多くなってしまいがちです。大変読みづらくご迷惑おかけします。
その他、何かご意見御座いましたらお知らせ下さい。