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急変




皆が機内食を食べる頃、ヴェロニカも食堂に現れた。


余りに場違いな薄汚れた一匹狼。

それでも客室乗務員は、彼女に従僕のように接する。

他の客たちも黙殺した。


ルーフレッドは、青褪めていた。

ヴェロニカに謝りたい思いを堪え兼ねていた。

仮眠した彼女の身体を撫で回したことだ。


「…あのっ。」


覚悟したルーフレッドは、ヴェロニカに駆け寄る。

またも父親は、息子を引き留め損なった。

顔を隠し、冷や汗を流すだけだ。


「………ゆ、許してください。」


「何の話だ。」


土色の顔をしたルーフレッドに謝られたヴェロニカは、首を傾げた。


「寝ている間に貴方の身体を触りました。」


「………。」


ヴェロニカは、何も言わなかった。

この沈黙は、二度と声をかけるな。

そういう意味なのだとルーフレッドは、受け取った。


突如。


「うわああああ!!!」

「いやあああーッ!!」

「おおッ!」


飛行機が大きく傾いた。

天地がひっくり返り、机や家具が飛び交う。


「がッ!!

 ああッ、ううう…!!!」


金属製の彫像が乗客の一人の腹を貫いた。


向こうでは、眼球が破裂した若い娘が床を掻き毟っている。

窓から飛び出し、血だらけになって暴れている紳士もいる。

100人余りの乗客が一瞬で大怪我をおった。


「なんだ!?

 何が…うわあああ!!」


「助けて!

 助けて!!

 助けて!!!」


「おお、神よ!!」


数秒の間、機内は、地獄となった。

しかしそれも間もなく終わりを迎える。

飛行機が何かしらに墜落したからだ。


灯りが消え、200人以上が闇夜に放り出される。

月だけが星々をちりばめた青いローブを纏って人間を冷笑している。


「ああ…。

 ぐあ…、ああ…、あああ…。」


「た、助かったのか?」


「おい!

 おいッ!!

 手を…貸してくれーッ!!」


「うわっ!」


乗客の一人が機内に染み込んでくる泥水に気がついた。

冷たい水がゆっくりとだが機内に流れ込んでいる。


「海か川に落ちたんじゃないか?」


「なんだこれ…。

 水が入ってきてるじゃないか。」


「おい!!

 もう我慢できないッ!

 早く助けてくれッッ!!」


「うるさい!!!」


「危険かも知れない。

 外に出るぞっ。」


「ここから出して!

 手を貸してくれ!!

 助けてくれッ!!」


薄暗い機内を自由に歩ける者だけが外に出る。


幾人かは、家具や潰れた機体に挟まっていた。

はじめは、助けようという人間もいた。

だが水が流れ込んでいると知って足早に逃げ出し始める。


「おい!!!

 おい!!!

 おいッ!!!」


「いやあああ!!」


「くるしい…。

 がああ…あああ…あ…。」


機内からは、絶望に染まった声が鳴り響いていた。

それは、耳を貫いて人の心を重くする呪詛じみていた。

ただ悲痛で、そして誰にも届かない願いなのだ。


「どこだ…ここは?」


外に出た人々は、真っ黒な地平線を見渡した。

月と星の輝きを反射しているのは、水面だろう。

まばらに木が生えているのは、浅瀬だろうか。


パァン!


何の前触れもなく銃声が響いた。

それは、次々に連鎖する。


パァン、パァン、パァン!


「銃声!?」


「おい、あっちで誰か倒れてるぞ!

 銃声は、向こうからしたんじゃないか!?」


「なんだって!?

 どっちだ!?

 どこから銃声が聞こえたんだ!?」


何人かの乗客は、銃声のした方に向かう。

冷たい泥の上をかけていくと数名の男女が死んでいた。

どうやら機長と乗務員らしい。


「おい、こりゃあ…。

 客室乗務員たちが死んでるぞ。」


「なんて無責任なんだ!」


死体を見つけた乗客たちは、そう毒づいた。


「ここは、どこなんだよ!」


「うるさいぞ、君。

 落ち着き給え。」


苛立つ乗客たちは、しばらく沼を歩き回って浅瀬を目指した。

木々や草叢のある場所を目指し、まだ150人前後の男女が進む。


「怪我はしてないかっ?」


ルーフレッドの父親は、妻と息子を気遣った。

二人とも無事だ。


「大丈夫!」

「大丈夫だよ!!」




ややあって乗客たちは、浅瀬に辿り着いた。

することもなく半壊した飛行機を呆然と眺める。


ここは、湿原だ。

ルディック湿地だ。


その面積は、約2万キロ平方メートル。

四国島に匹敵する面積の広大な沼沢地である。


それは、死を意味した。


肉食獣は、ワニやクマ、トキコウニシキヘビ、パンサーもいる。

水の中には、毒貝がいて無闇に歩けば針を刺される。

低灌木プレーリーには、黒水熱を運ぶ蚊、サソリ、毒虫が潜んでいる。


「な、何をするんだ!?」


ルーフレッドの父親が怒鳴った。

息子を誰かが引っ張って彼の傍から奪ったからだ。


ルーフレッドの腕を引っ張ったのは、ヴェロニカだった。

狩人は、ルーフレッドを引き寄せると彼を担ぎ上げた。


「う…。」


ルーフレッドの父親も他の乗客たちも狩人には、逆らわない。

母親も両手で口元を抑え、涙ぐんでいるだけだ。


「着ているものをさっさと脱げ。

 早くしろ。」


良く見ればヴェロニカは、下着だけになっていた。

着ていた狩り装束は、腕にかけている。

彼女は、それをルーフレッドに着替えさせる。


「ここは、()()()()()()湿地だ。

 そんな恰好では、死ぬ。」


「る、ルドウィックじゃなくてルディック…。」


ルーフレッドは、発音を訂正した。

だがヴェロニカは、返事しない。

とにかく急がなければならない。


あっという間にルーフレッドは、ぶかぶかの外套を着せられていた。


「狩り装束には、虫除けの効果がある。

 絶対に他の乗客に盗られるな。

 ブーツを脱いだら毒虫に刺されるぞ。」


ヴェロニカは、ルーフレッドにそう言いつけた。

少年は、狩人に問うた。


「ヴぇ、ヴェロニカは?

 裸で大丈夫なの。」


「狩人は、この程度の寄生虫や黒水熱には、かからない。

 狩人の敵は、もっと恐ろしい悪夢的な獣だ。」


ヴェロニカは、そう即答した。

ルーフレッドは、訊き辛い質問もした。


「パパとママは?

 …この服は、もうないの。」


「ない。

 お前しか助けられない。」


狩人の冷淡な答えにルーフレッドは、凍り付いた。


「行くぞ…。」


ヴェロニカは、そういってルーフレッドの手をとった。

二人は、他の乗客を残し、湿原を進もうとする。


「どこへ!?」


「ここにいても助からない。

 狩り装束も絶対ではない。

 1秒でも早く、ここから歩き出る。」


ヴェロニカたちが歩き出すと乗客の中にも二人を追って歩き出す者が出る。


「ここにいてもしょうがない。

 あの狩人について行こう!」


「おい、どこに行くんだ。」


「狩人について行くなんてとんでもない。

 獣と出くわしたら一溜りもないぞ。

 ここで救助を待つべきだ。」


ついてくる乗客をルーフレッドは、振り返って確かめる。

ヴェロニカは、完全に無視していた。


「あ、あの子を追わないと…。」


ルーフレッドの両親も浅瀬を離れた。


まだ100人余りの乗客がそれぞれ大小の浅瀬に留まった。

しかし速やかな死が早くも一人目を襲う。


「あ…ぎゃ…あああ!!!」


毒サソリが足首を刺した。

裕福そうな背広の青年は、泥の中でのたうち回る。

顔は、真っ赤になって汗が噴き出している。


「あああ!!

 熱い、熱い、熱いッ!!

 誰か、だ、誰か助けて…!!」


全員の死は、時間の問題である。

猛獣か、毒虫か、伝染病か。


約2万平方キロメートルの湿地である。

墜落した場所がどこであれ。

脱出するなど到底、無理な話であった。


「うお…ッ!?

 あああ!!!」


ヴェロニカについて来た乗客たちもすぐに襲われた。

一人がワニの餌食になり、水の中に消えていく。

すぐに蜂の巣をつついたように乗客たちが金切声で騒ぎだす。


「なに!?

 なにぃッ!?」


「わ、ワニが…。

 水の中にワニがいるぞ。」


「誰か食われた…。」


乗客の一人がヴェロニカに駆け寄る。

男は、血走った目で彼女に怒鳴った。


「お、おい!

 誰か襲われたんだ!

 助けに行ってくれないか!?」


「……もう助からない。」


ヴェロニカは、きっぱりとそう答える。

それは、ワニに関係なくお前たちは、助からない。

そういう意味であった。


だが男は、その意味を理解できなかったらしい。

ヴェロニカの周りで喚き続ける。


「か、狩人なんだろ!?

 みんなを助けてくれてもいいだろ!!

 なんて薄情なんだっ!!」


ルーフレッドは、男の声に縮み上がった。

だがヴェロニカは、憮然として相手にしない。


「…クソ!

 みんな、足元を気をつけろッ。」


男は、ヴェロニカを睨んで引き返していく。


だが足元に気をつけろと言っても灯りなどない。

乗客たちは、藪睨みで歩き通しだ。


ルーフレッドも顔をあげてヴェロニカに訊ねる。


「ワニがいるって…。

 大丈夫なの?」


「それは、狩人にいう質問じゃないな。」


とヴェロニカは、淡白に答える。


夜目が効くのだろうか。

彼女は、真っ暗な湿原を躊躇なく進んでいく。

ルーフレッドには、黒い地平線が見えるだけだ。


「ねえ、どこに向かって歩いてるの?」


ルーフレッドが恐々と訊ねる。

すると驚くほど明確な回答を得た。


「イースト・ホブトン。」


ホブトンは、ルディック湿原に隣接する村だ。

州都ミッドブラから離れた辺鄙な農村である。


もちろん子供のルーフレッドでなくとも、ポンと名前が出てくる地名ではない。

それこそヴィネア帝国の全図が正確に入っていないと分かるものではない。


時々、地名の発音がおかしいヴェロニカに分かるものだろうか?

ルーフレッドは、内心で訝しんだ。


「そんな正確に方向が分かるの?」


「狩人とは、そう言うものだよ。」


ヴェロニカの返答は、それきりだった。


しかし墜落から20分も経ったろうか。

生き残った乗客たちは、虫刺されで悩まされていた。


「痒い…痒い…。」


「もう、我慢できないっ。

 あああッ!!」


「うわああッ…。

 痒いなんてモンじゃないぞ、これ…。

 痒い、痒いィッ!」


悲鳴を聞いてルーフレッドは、不安げに振り返る。

両親をはじめ、全員が痒さに堪え兼ねていた。

平気なのは、自分と狩人だけだ。


本当に虫刺され一つない。

ヴェロニカの身体を見てルーフレッドは、目を丸くする。


しかしそうなるとこの服の効果は、正真正銘の本物だ。

ルーフレッドは、誰かに盗られるなというヴェロニカの忠告を思い起こした。


突然、後ろから誰かが襲い掛かって来る。

そういうこともあるかも知れない。


不安と恐怖に耐えながらルーフレッドは、3時間は歩いだろうか。

振り返れば両親は、まだ無事であるらしい。

今となっては、これだけが心の支えだ。


「……あうっ。」


少年を眠気が襲ってきた。


当然だろう。

大人だって疲れ切っている。

強靭な歩みを保っているのは、狩人だけだ。


「寝ても構わんが担いでもらおうとは思うな。

 クマやピューマもいるからな、この辺りは。

 悪いが両手が塞がる訳にはいかない。」


冷たくヴェロニカは、そう突き放した。


あれ?

そういえば手荷物は、どこへいったんだろう。


ルーフレッドは、ヴェロニカのカバンがなくなっていることに気付いた。

確か着替えさせられている時には、まだあったはずだ。


「…ねえ、ヴェロニカ。

 カバンは、どこにいったの?」


「持ってるぞ。」


そういってヴェロニカは、カバンをルーフレッドに見せる。

古ぼけた大きなカバンは、確かにあった。


しかしまた気がつくとルーフレッドには、カバンが見当たらなくなった。

ヴェロニカは、大きな武器と銃を構えている。


右手の武器は、剣でも斧でもない。

大きさは、1m前後といったところだろうか。

ルーフレッドがこれまで見たこともない奇妙な形だった。


きっと劣悪な使われ方をしているのだろう。

血に塗れ、痛んで刃も歪んだ巨大な刃物だ。

これでかつては、人間だった獣を殺すのだろう。


いや、おかしいぞ。


カバンもなくなっているがこんな武器は、どこから出てきた?

ヴェロニカは、飛行機に刃物や銃を持ち込めたのか?


駄目だ。

疲れすぎて頭が回らない。


ルーフレッドは、懸命に堪える。

だがしかし意思を飲み込む眠りの中に落ちていった。




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