脳だけ令嬢、「脳みそだけの女と結婚できるか!」と婚約破棄されるも、「君はとても美しい」という公爵令息と出会う
「ホリー・レイヴン。お前との婚約を破棄する!」
夜会にて、伯爵令息のキース・オルガが指を突きつけた。
「ひどい……! なぜ……!」
「お前みたいな脳みそだけの女と結婚できるわけないだろ!」
キースの言う通り、子爵家の令嬢であるホリーは脳みそしかなかった。
正確には“彼女”は溶液に満たされたカプセル内に入っており、視覚などはカプセルに備わった装置で補っている。会話は脳を振動させ、その音で行っている。カプセルにはタイヤもついており、移動にも不自由しない。
「ていうか、なんでお前は脳だけなんだよ!」
「わけあって、脳と本体を分離しましたの」
「どうやって!?」
「腕のよい外科医様に依頼しまして」
「腕よすぎだろ! ……で、本体はどこにあるんだよ!?」
「自宅に保存してあります。今の私のように溶液に入れてね」
ホリーの回答の数々に、キースは頭を抱える。
「ったく、なんか頭が重たくなってきた……」
「でしたら、キース様もぜひ脳と肉体を分離しましょう!」
「するわけないだろ!」
「脳だけになると、身も心も軽くなりますよ!」
「軽くならなくていい!」
キースはあくまでホリーを拒絶している。
「とにかく……こんな婚約は破棄だ! とっとと消えてくれ!」
「ううっ……!」
ホリーはカプセルを走らせ、夜会から逃げるように立ち去った。
***
ホリーは町中をあてもなくさまよっていた。
「ひどい……。せっかく脳と本体を分離したのに……」
タイヤの音をカラカラと響かせながら、ふらふらと走る。だが、これがよくなかった。
「いってえ!」
「あら、ごめんなさい」
ホリーはチンピラの集団とぶつかってしまった。
謝って立ち去ろうとするホリーだったが――
「待てや」
「おい、こいつ脳みそだぜ?」
「うわっ、気持ちわり。どうなってんだ」
脳みそだけということで、興味を持たれて絡まれてしまう。
「この変なカプセル叩き割ってやるよぉ!」
もしも割られてしまったら、ホリーにとっては命の危機である。溶液が彼女の生命線なのだから。
「いやっ、やめて!」
「脳みそ退治だァ!」
その時だった。
「やめるんだ」
銀髪で色白の青年が止めに入った。青を基調とした服装で着飾っており、まさに貴公子といった風貌である。
「なんだてめえ……邪魔する気か!?」
チンピラたちに囲まれるも、貴公子は落ち着いた動作で剣を抜く。
「この剣の露になりたいか?」
「うぐ……!」
その鋭い剣と眼光は、チンピラたちを戦意喪失させるには十分すぎるものだった。
チンピラたちはすごすごと立ち去っていく。
「大丈夫かい?」
「は、はい。ありがとうございます……」
脳みそを振動させ、礼を言うホリー。
「私はイシュメル・ケルトンという。よかったら、少しお話でもしないかい?」
ホリーは驚いた。ケルトン家は貴族なら誰もが知る公爵家の名門である。
「はい……是非!」
イシュメルの柔らかい笑顔に、ホリーはたちまち魅了された。
ホリーも自分の名前と身分を明かす。そして、先ほど味わったことも。
「婚約破棄されてしまったのか……。それは災難だったね」
「仕方ないんです。脳みそだけの私が悪いんです」
「いや、私はそうは思わない。君はとても美しい人だ」
「えっ……!」
「心はもちろん、この脳みそもね。とても美しい皺の形をしている」
「まあ……!」
ホリーは嬉しかった。今のこの姿を評価してもらえた。
「また会えるかい?」
「ええ、もちろん……!」
再会を約束し、自宅に戻るホリー。
屋敷の一室には、同じようにカプセル内で溶液に浸かった彼女の物言わぬ“本体”が眠っている。
“本体”は、栗色の髪で素朴な顔立ちをした、ほんの少しそばかすのある少女だった。
「あなたと分離したおかげで、素敵な男性と出会えたわ。やっぱり分離して正解だったわ!」
ホリーの自慢話に、“本体”は何も答えなかった。
***
ホリーとイシュメルはそれから何度もデートを重ねた。
町の中を歩き――
草原でピクニックをし――
時には馬車で遠出もした。
二人は見た目だけでなく性格でも惹かれ合ったので、デートはとても楽しいものになった。
しかし、ホリーの中である思いが芽生え始めていた。
――イシュメルと直接触れ合いたい。
手を繋ぎたい、抱き締めてもらいたい。
しかし、今の脳みそだけの状態ではかなわない。むき出しの脳みそに手を触れられたり、抱き締められたりしたら、ホリーの命が危うくなってしまう。
となると再び“本体”と結びつくしかないが、一つ問題があった。
それは元に戻ったら、イシュメルがホリーに興味を持たなくなるのでは、というものだった。
もし彼が「脳みそだけのホリー」に惚れているのだとしたら、元通りになった時点で恋が終わる可能性が高い。
だけど、一度でいい。イシュメルと触れ合いたい。その欲求に抗えなくなっていった。
ホリーはそのまま、かつて彼女を手術した外科医の元に急いだ。
「先生!」
「おや……なんだね?」
白衣を着た細面の男が、椅子に座ったまま振り返る。
「私を……元に戻して下さいませんか?」
「なぜだ?」
「!」
「かつて君は社交パーティーで『田舎っぽい女』とからかわれたことで、自分の容姿にコンプレックスを持ち、私に手術を依頼した。『こんな体捨てたい』と。私はその願いを叶えてやり、脳みそだけの令嬢にしてやった」
「その通りです。だけど、一度でいい。直接触れ合ってみたい殿方が出来てしまって……」
ホリーの話を聞いた外科医は、彼女も懸念していることを指摘する。
「そのイシュメルという男が、脳みそだけの君を愛していたとしたら? 肉体を取り戻しても、君の恋は終わり、しかもコンプレックスは復活してしまうだけだぞ」
「分かっております……。だけど、そうなってもいいんです」
「元に戻したら、さすがに三度目の手術はできないぞ。脳への負担が大きすぎる」
「それも……覚悟の上です」
外科医はホリーをじっと見る。
「いい皺だ……上辺だけの決意ではなく、覚悟が決まっている。そこまでの決意なら、よろしい。君を元の姿に戻してやろう」
「……ありがとうございます!」
こうしてホリーは再び手術を受けた。
ホリーの“本体”に脳みそが入れられ、彼女は元の姿に戻ることができた。
「さあ、君の愛する男の元に行くといい」
「はい……!」
外科医に礼を言うと、ホリーはイシュメルに会いに行くことにした。
そして、もしもイシュメルがホリーの容姿を見て、ほんの少しでも嫌悪を示すようなら姿を消そうと心に決めていた。
***
歩いているイシュメルを発見する。相変わらずかっこいい。
一方自分は社交パーティーでバカにされたこともある容姿。心臓の鼓動が速くなる。
まずは通行人を装い、イシュメルとすれ違おう。
ホリーがイシュメルに近づいていく。すると――
「やぁ、ホリー」
「!?」
声をかけられた。なぜ。ホリーは困惑する。
「え、あの……私とあなたは初対面のはず……」
「何を言ってるんだ、君はホリーだろ?」
「そう……ですけど……」
間違いない。イシュメルは自分をホリーだと見抜いている。一体なぜ――
「私を甘く見ないで欲しいな。君の脳みその形状から、君が元々どんな姿をしてたのかぐらい、私には分かっていたよ」
「えええええ!?」
「君は私が想像した通りの姿だった。脳みそや心だけでなく、その肉体も美しい」
「イシュメル……様……」
イシュメルがホリーを抱きしめる。
脳みそだけの時では決して味わえなかった、温かく逞しい感触であった。
「そろそろ君に言おうとしてたことを言うよ。結婚しよう」
「はい……!」
涙を流すホリー。これも、脳みそだけの時では決してできなかったことだ。
物陰からこっそり覗いていた外科医がつぶやく。
「ホリー・レイヴン。私は君のコンプレックスを解消してあげたくて、君の脳と肉体を分離した。それでも根本的な解決にはならなかった。だけど、ようやくそのコンプレックスを解消できたようだね。やはり“愛”に勝る治療はない……」
***
一方その頃、かつてホリーとの婚約を破棄したキースはあることに悩まされていた。
「おい……メロンパン持ってこい!」
「キース坊ちゃん、食べすぎでは……」
執事がたしなめるが、キースはあくまでメロンパンを要求する。
「俺が婚約破棄したあの脳みそ女……あいつを思い出すたび、無性にメロンパンを食べたくなるんだよ!」
「よっぽどメロンパンとして理想的な形をしていたんでしょうね」
「あー、そうだよ! ったく、あいつのせいで10kgも太っちまった!」
悪態をつきつつ、キースはメロンパンにかぶりついた。
***
後日、ホリーとイシュメルの結婚式が盛大に行われた。
肉体を取り戻し、ウェディングドレス姿となったホリーは皆が見とれるほど美しかった。
伴侶となるイシュメルもまた、貴公子と呼ぶにふさわしい美貌と威厳と兼ね備えていた。
「皆さん、ありがとうございます!」
「どうか私とホリーの幸せを願って欲しい」
出席者らは二人の前途に大きな拍手を送った。
ホリーを手術した外科医も白衣姿でひっそりと出席しており、二人に小さく拍手を送る。
そして、招待状を受け取り、結局来てしまったキースは式場に持ち込んだメロンパンに食らいついていた。あれからさらに太ったようだ。
「ったく、幸せそうな二人を見ながら食うメロンパンは格別だぜ!」
完
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