コロナ禍で客が少ないとはいえ、余計な心配までしてしまう観光バス
かつて訪れた仙台でのこと。定期観光バスと震災、松島。そこでの思い出に、私が思ったこと。旅路にて相生が思ったことを徒然に。バス旅。鉄旅。仙台、松島。相生の旅エッセイです。
予定よりも30分遅れで福岡を飛び立ち、仙台へ。
降り立った仙台空港は、ここも震災の時は何度も映像が流れた場所だな、と。そんなことを思いながら、仙台空港アクセス線の仙台空港駅へと急ぐ。
仙台駅13時30分発の定期観光バスに乗るつもりだからだ。飛行機の遅れがなければ、昼食も考えたんだが、今は、いろいろとあきらめて、バスへ直行したかった。
仙台空港アクセス線は、ICOCAでピっと改札を通って、乗る。この旅行のためにある程度チャージ済みだ。
時間的なゆとりのなさが、車窓を楽しむ余裕すら奪う。
タブレットで仙台駅のマップを確認して、バス案内所をチェック。
乗り遅れたら、のんびり仙台を徒歩観光でもすればいいとは思うが、この瞬間はただひたすら、事前に立てた予定を守りたいと思っていた。
仙台は、以前、山形旅行に行った時に、一度、来たことがあった。帰りは仙台空港を利用したからだ。だが、一度来たからといって、仙台駅を把握できているかというと、そんな訳もなく、不安がいっぱいだった。
タブレットを持ったバックパッカーがきょろきょろと仙台駅を歩く姿は、どこからどう見てもおのぼりさんっぽかったと思う。
なんとか時間前に辿り着いたバス案内所で定期観光バスの乗車券を購入できた。出発まであと15分というところだった。間に合って、ようやく安心した。
乗り場はバス案内所の目の前にある。これで乗り遅れることはないのだ。
乗り場に行く前に荷物をどうするか少しだけ悩んだが、バスに持ち込むことにした。バスを降りて観光地を歩く時は小さなリュックだけを持って、大きなバックパックはバスに置いておけばいい。
乗車看板の前で待っているが、私の他には誰もやってこない。どうしたんだろうか、と思っていたら、バスがやってきた。2階建てバスだ。でかい。
そのバスから運転士とバスガイドが降りてきて、私の乗車券を確認すると、2階席へ行くように言われた。
「どこの席でもかまいませんので、ご自由にどうぞ」
「あ、はい。あの、他の乗客は……」
「あ、今日はおひとりみたいですね」
「え……?」
……どうも、今日の乗客は私ひとりらしい。あれ? なんでこんなでかい2階建てバスで? え? これにひとりで乗るの? いや、運転士とバスガイドはいるんだが? つまり、貸切?
いや、いやいやいや、ちょっと待って。
このバス3800円だよ? それで貸切? え? 最少催行人数1名なの? そんなことしてたらこの会社潰れないかな? あ、JRバス東北か。バックにJRがいるから大丈夫なのか? いや、大丈夫じゃねーだろ。ひとりに対して、乗務員がふたりで、しかも大型の2階建てバスって何だよ?
うわ、これマジか? いいのか? 今すぐおれがキャンセルした方がいいんじゃない?
そんな余計な心配まで、脳内で一気にしてしまったのだ。
とりあえず、バスの2階へと乗り込み、一番見晴らしがいい、先頭の席に。4つあるが、中央の左側に座って、窓側は荷物置きにした。
心の中ではずっと、いいのか、これに乗っていいのか、と、どこからか何者かが語りかけてくる。
バスは出発して、仙台駅を離れ、バスガイドさんの案内がスピーカーから流れてくる。1階と2階なので、顔は見えない。
いっそのこと、隣に座って解説してくれないもんだろうか? あれ? それってもうデートじゃね?
いや、この状態で私がうとうとして寝たりとか、完全にこのバス、なんなんだって話にならんか?
楽天スタジアムを横目に、市の中心部をバスは抜けていく。
3800円で貸し切ってしまった巨大な2階建てバスは、小市民な私には精神的な負担が大きいらしい。
バスは荒浜地区へと入り、荒浜小の震災遺構を横目に、フルーツパークをめざす。フルーツパークのパフェがこの観光バスにはセットになっている。
荒浜小は、震災時、屋上へ避難したようすが何度もテレビで流れてたところだ。今は、この地区一帯が防災、減災を考えた造りになっているそうだ。道路がやたらと盛土された上を走っているのも、減災のためだとか。少しでも津波を遮ることで、避難の時間を稼ぐのだ。
フルーツパークではパフェを食べて、買い物をする時間もあったが、長期旅行のスタート地点にいる私に、ここでの買い物は難しい。荷物が増えるだけだし。とりあえず、パフェを食べてから、昼食代わりにクレープを購入した。甘い物ばかりだな。大丈夫か、私。
震災について考え、学ぶ、という意味で荒浜地区へやってくるのはわかるが、どうしてこのフルーツパークなのだろうか、と。そう疑問を持っていたら、このフルーツパークの経営はJRらしい。バス会社とはJR繋がりだった。納得。
フルーツパークの建物は2階もない感じで、いざ津波が、となったら上への避難ができないんじゃないかな、とか、そんなことも考えた。
駐車場のバスへと歩いて行くと、ちょうど、墓場が目に入った。新しい墓石が目立つのは、やはり震災があったからだろうか。バスガイドさんに尋ねてみた。
「あー、その可能性もありますけど、元々の墓石が流されちゃった場合と、震災で亡くなられた方の新しいものの場合と、どっちもあるかもしれませんね」
話してみると、なんと、バスガイドさんは震災時、小学生だったとか。若い。東北の人で、当時の被災経験もあるそうだ。でも、それが今、こうして働いているということは、やはりあれから10年以上の年月が流れたのだ。
バスは荒浜地区を離れ、高速に乗って、松島方向へと向かう。途中、東北新幹線の車両基地があったのはちょっと興奮した。鉄分、大事。
高速を下りて、最初は西行戻しの松公園。ここからの松島の眺望は有名らしいのだが、たまたま、そういう時期だったからなのだろうか、草がいっぱいで、眺望はイマイチという感じ。草刈り、しようよ。
西行法師はここで松島行きを断念したらしいが、私はバスに乗れば松島まで連れて行ってもらえるから安心だ。
そして、やってきたのは松島。日本三景のひとつにして、私にとっては唯一、来たことがなかったところだ。でも、まあ、今どき、日本三景と言われて、何割の日本人が答えられるだろうか?
バスガイドさんの案内で、観瀾亭でお抹茶と茶菓子を頂きながら、松島の風景とともに味わう。これもこの観光バスとセットだ。いや、いいのか、本当に? 貸切だし?
残念ながら、船で松島を見て回るだけの時間は設定されていないとのこと。
観瀾亭を出たら、周辺の自由散策だ。瑞巌寺は国宝もたくさんあってなかなか面白い。ここまで津波がきたという看板も発見。震災の爪痕はこんなところにもあった。
室町の枯山水と桃山の絢爛豪華さが共存していて、それが江戸期に建てられたというのが興味深い。
でも、何よりも驚いたのは、拝観料を支払うために、交通系ICが利用可能というところだった。寺を見るのに電子マネーが使える時代になったのか……。
それからぶらぶらと松島を歩く。
新しいお店と、ずっと昔からあるお店が混在というか、棲み分けというか、そういう感じで並んでいて、昔からあるお店の昭和感はなかなか良かった。それと同時に、コロナ禍での来客の減少だけではない、何かも感じた。
そう。
日本三景とまで呼ばれた観光地でも、寂れた感じがあったのだ。
江戸期に言われ出したことが、今でも観光地として認められていること自体が凄いとも思うが、やはり令和の今、価値観の変容の中で、日本三景と呼ばれた松島の観光地としての地位は、大きく後退しているのではなかろうか。
バスの乗客が私ひとり、というのも、その証のひとつなのかもしれない。
年間の来客数をディズニーリゾートやUSJと比べる必要はないのかもしれない。でも、現代を生きる日本人の多くが、松島や天橋立、宮島ではなく、そういうテーマパークを旅の選択肢として選んでいるのも事実だろう。
まあ、林春斎がインフルエンサーだったのは江戸期の初期だと考えれば、いまだに観光バスが運行している時点で、松島という空間がいかに素晴らしいものかは、問うまでもない。
それでも、日本人が、日本の日本らしさというものを、少しずつ喪失しているのかもしれない、という可能性を考えると、やはり、寂しいのだ。
そんなことを考えていると、戻ってこない私をバスガイドさんが探しに来てくれた。
お礼を言って、バスへと戻り、再び仙台駅へと向かう。
「東北の旅では、熊には十分、気をつけてくださいね」
バスガイドさんの優しい声に、ほんの少しうとうととなりかけながら、いや熊と戦うことはないだろう、などと考えつつ、なんとか眠らずに耐え抜いて、仙台駅でバスを降りて、そのバスが去っていくのを見送った。
2階建ての大きな定期観光バスの貸切。ある意味では最高にセレブな旅だった。
仙台駅でみどりの窓口の行列に並び、翌日からの乗り放題の切符を2枚、購入し、駅チカな本屋を探してなんとか辿り着き、そこで福岡では存在しなかったDジェネの6巻がフツーに売られているのを見つけてその場で購入した。東日本の流通は発売日なのか……仙台、地方なのに、やるな……。
明日からは、格安の鈍行旅だ。今日のセレブ旅は一生の思い出にするとしよう。
……どうか、あの定期観光バスが運行停止になりませんように。
大きなお世話かもしれない。でも、私は、そう祈ったのだった。