高村光太郎「智恵子抄」
一度削除しましたが、再投稿することにしました。後の文章を少し変えています。
これを読んだのは一年以上前ですが、ちょっと書いておきたかったので選びました。
「智恵子抄」は、高村光太郎が奥さんの智恵子との生活をもとに書いたという詩集で、二人が出会った当初のことから、結婚して夫婦生活を歩み始めた時期のこと、そして智恵子が統合失調症に罹り徐々に病気が進行していく様子、智恵子を亡くした後の心境などが詩としてまとめられています。
これを読もうと思ったきっかけは母が統合失調症と診断されたことでした。一度罹ったら治らない病気、そして薬を飲まないとどんどん進行していく病気に、薬がない時代に罹った当事者とその家族はどういう思いだったのか気になり、読んでみることにしました。
自分は詩を読んだことがまったくないので、読み取れなかった部分がたくさんあるのかもしれませんが、病気を抱える人たちの苦しみは直接的には書かれていなかったように思いました。きれいな言葉で詩の場面がつくられていて、その間にあったはずの複雑な思いが見つけられませんでした。実は高村光太郎自身が「智恵子抄は不完全なもの」と言っているらしく、ある程度意図的にそうされたもののようです。
後で読んだ「智恵子抄と光と影」という解説本には、二人の生活が家族からの経済的援助に支えられたものであったこと、智恵子についての生前の評判など、あまり目を向けたくない事実が書かれていて、「智恵子抄」への一方的な肩入れの気持ちが壊れてしまいました。
二人で支え合ったのではなくお互いの実家に支えられた、お金持ちの芸術家ごっこじゃないか。思いたくないことを思ってしまい、いやな気持になりました。錯乱した智恵子が外に出ていかないように、外出する時には扉に釘を打って出かけたという高村光太郎についての記述もどこかにあり、たしかに二人とも直接的にも間接的にも病気に苦しめられていたはずなのに、そこが詩に書かれていないのが残念でした。
智恵子抄からはすこし離れますが、統合失調症の本では「わが家の母はビョーキです」という漫画作品が面白かったです。作者の体験が漫画として抑えた書かれ方をしていて読みやすく、また実際にあった体験が書かれたものはやはり強い説得力があるなあと思いました。
統合失調症は百人に一人が罹る病気と言われていますが、もっと身近なものなんじゃないかと自分は思います。幻聴や幻覚だけじゃなく、引きこもりや大人の緘黙症とかもそうなんじゃないかと思います。
言いたいことを自分の言葉で伝えるのは難しいです。
「壮絶」という言葉に抵抗があって、最初それを使うことで済ませようとした部分を、もう一度考え直しながら書いていました。