その11 すべてはあの人へ
少しだけ時間は戻り、サンがダーレスの家を抜け出したちょうどその頃。
(うー…。子供の相手なんてどうすれば良いのか分からないのに…。)
キャロルはクリスの部屋で落ち着くこともできずそわそわしていた。キャロルがこの家に来た頃に目を覚ました彼女だったが、そのすぐ後にまた眠ってしまった。幼いながらに心労がたまってしまったらしい。それでも再び目が覚めた時に不安にならないようにと、当番制で彼女のすぐ傍にいつも誰かが付いておくことにしたのだ。そして今は自分の番。もう月が煌々と明るい時間なのだが、昼から眠ってしまった事を考えるとそろそろまた目覚めてもおかしくない。
だがその時、あわあわしながら困り果てている自分の姿が容易に目に浮かぶ。
(…この子が特別だって言うのは分かるけれど、それでも私には普通の女の子に見えるし…。いや、だからといってどうすれば良いのか分からないことに変わりはないんだけど…。
…本当はイノセントさんに会いに行きたかったのに……。この当番が終わったらこっそり抜け出しちゃおうかな…。)
「う、うーん……。」
「あ、め、目覚めたのね?」
考えがちょうどよそを向いた所だったので、もぞもぞ動いて目を覚ましたクリスに対して余計にうろたえてしまった。彼女は目をこすりながら体を起こしたのだが、それだけでさっそく自分は右往左往しかけている。
「そ、そうだ! お水のむ?」
「う、うん…。」
頷くクリスに水を注いだコップを手渡してあげると、小さな両手で抱えるようにしてこくこくと飲み始めた。
(ど、どうしよう…! ディオ呼んだ方が良いのかな…? あ、でもさっき交代したサンちゃんが休んでいるだろうから大声も出せないし…。で、でも部屋空けるわけにもいかないし…! あっ! まず明かり! とにかく明かりを付けないと!)
バタバタしているくせに大して何も出来ないでいると、クリスがベッドの上から不思議そうにこちらを見上げながら首を傾げていた。そこで彼女は自分の名前も知らないことにやっと気が付いた。
「あ、え、えっとね、私はキャロル。ディオのお姉ちゃんみたいな感じかな?」
「キャロう?」
まだちょっと舌足らずなクリスにはうまく言えないらしい。
「…言い難かったらキャロで良いからね?」
「キャロう」
それでも何とか舌を回そうと頑張っているのを見ると、キャロルも応援したくなって来た。
「…キャロル」「キャロう」「ロル」「ロう」「…。ロー、ルー」「ロー、ルー」「ロル」「ロう」
「…やっぱり言いづらい?」
「…う、うん」
「じゃあやっぱりキャロって呼んでね?」
「…キャロ」
少しおずおすとしたところはあったが、それでもちゃんと呼んでくれた。
「うん、いい子」
やっとキャロル自身もクリスに自然な笑顔を見せることが出来た。
(…ちょっとかわいいかもしれない)
「おっ! 起きたみたいだな!」
「うひゃあっ!」
バンッという音を立てるほど豪快に扉を開けてディオが突然部屋に入って来た。どうも話し声を聞きつけて来たらしい。
「ちょ、ちょっと! いい加減ノックってものを覚えなさいよ!」
今あげてしまった間抜けな悲鳴と、もしかしたらクリスとのやり取りを聞かれていたのかもしれないという変な恥ずかしさを隠すためにキャロルは声を荒げた。だがいつも通りディオには特に堪えた様子も無い。なぜかにこにこ嬉しそうなディオはすぐに自分の要件を話し始めたが、キャロルはその言葉を聞いて固まった。
「今サンが家を抜け出して行ったぞ!」
「え、ええっ! うそ! 先を越された…!」
行く先なんて聞かなくても分かる。このタイミングならイノセントに会いに行く以外ありえない。
「…ん?」
「あっ! ち、違う! なんでもない! そ、そもそもあんたはそれ気付いていてどうしてサンちゃんのこと止めなかったのよ!」
あまりのことに口を滑らせるとディオが怪訝そうな顔をしたが、キャロルは慌てて言葉を続けて打ち消した。
「ふふん。詰所を潰しに行くためこそこそ一人で抜け出したところを止めるほどに俺も野暮じゃないからな。二階からは丸見えで抜けている感じがしても、その覚悟を買ったのだ。…まあ、今から加勢に行ってくるつもりだけど」
なぜかディオは誇らしげにとんちんかんな事を言い始めている。
「サンちゃんがそんなことする訳ないじゃないの…。」
「いいや、あいつ案外短気なところあるからな。明確に敵になる前にとりあえず先制攻撃を仕掛けに行ったに違いない」
ディオは自分の意見に絶対の自信があるらしい。この自信がどこから湧いて出て来るものなのか、キャロルはいつも不思議でならない。
「まあそういう訳だからお前らは留守番な」
「ちょ、ちょっと待って! 今回は私も行くからね!」
「えー、なんだよー。根はヘタレのくせになんで今回ばかりやる気を出して…。」
「へ、ヘタレなんかじゃないし! だから私も…!」
サンに先を越されてしまったものの自分だってイノセントと話さなければいけないのだ。
しかしさっきから不安そうにしているクリスの姿が目に入って来ると、言葉は立ち消えになってしまった。絶対に譲れなくとも、それ以上に今の彼女を一人ぼっちにさせるなんて出来るはずがない。
しかし今回はディオが助け舟を出してくれた。
「うーん…。まあ、どちらにしてももう少し人手が必要か。よし、じゃあまずは下準備だな。サンの様子を見て来ることも含めて、ちょっと何とかしてくるか」
「ディオ、どこか行っちゃうの…?」
外に出て行きそうな話の流れを感じたのか、クリスがついに泣き出しそうな声を上げた。
「なに、大した時間はかからないと思うぞ。なんだったらクリスも来るか?」
「え、う、うん!」
だというのにディオはあっけらかんとそう言って、置いて行かれるとばかり思っていたクリスの涙を一瞬で消し去ってしまった。
「ちょ、ちょっと…! 本当に大丈夫なの? 危ないことしないでしょうね?」
「大丈夫だって。サンの襲撃もいったん止めさせるから。そもそも俺の傍が一番安全なんだし」
別に気取りもせず、こういうことを普通に言えてしまうところが本当にずるいとキャロルは思う。
「じゃあキャロルはちょっと待ってろよ」
その後一応キャロルは玄関まで見送ったのだが、ディオはクリスのことを肩車して、まるでただ遊びにいくだけかのように行ってしまった。
しかしそれから少し時間が経つとキャロルもだんだんと不安になり始めた。
ディオはああ言ったのだからクリスが安全だというのは本当だろう。そこのところは信頼している。
だが、もしかすると自分が体よく置いて行かれただけなのではないだろうか?
自分の事でいっぱいいっぱいで、ディオが何をするつもりだったのか聞き出せなかった後悔を感じ始めた。
再び落ち着かなくなってそわそわ玄関を出て外で待っていると、しかしディオは本当にすぐに帰って来た。だがどこから持って来たのか、ディオは一輪車を押している。しかもその中にはロープでぐるぐる巻きにされた男が二人入れられていた。
「ちょ、ちょっとディオ! あんたなにやってきたの!」
叫びながらキャロルは飛び出した。
「だから人手の確保だって。こっちはキャロルも知っているだろ? 宿屋のアルベ。そんでこっちがカイゼル、祭りの日に知り合ったんだ。どっちもクリスも知っていてちょうど良いからな」
ディオは答えながら一輪車を玄関まで突っ込ませて傾けると、そのまま二人を放り出した。猿ぐつわまでされている二人は呻きながら、縄をほどこうとバタバタもがいている。
「うぐぐ……!」
「もご、ごごっ…! ぷはっ! お、お前! 何なんだよ! 急に!」
アルベは出来なかったようだが、キャロルが初めて見るもう一方の男性はなんとか口の自由を取り戻せたようだ。猿ぐつわをずらしてすぐさま怒鳴り始めた。しかしそれも当然だろう。どう見たって新しい仲間に対する扱いでは無い。
「だからさっき言っただろ? こっちの人手が足りないから手伝って欲しいんだって」
しかもディオはほとんど何の説明もしていないらしい。
「キャロ! ディオすごいんだよ!」
あまりのことに彼らのロープを解くこともできずキャロルは唖然としていると、クリスが興奮冷めやらぬ様子で報告しに来てくれた。自分の体験を今すぐにでも誰かと分かち合いたくて仕方ないような様子だ。
「あのね! かべのぼって窓からおうちに入ってね、ロープでいっしゅんでぐるぐるまきにしたの! わたしも二回目のときには手伝ったんだよ!」
こんな小さいうちからディオの影響を受けてしまうなんてどう考えたって教育に悪い。だがさっきまでの暗い陰が消え失せてしまったクリスの元気な顔を見せられると、それを否定することなんてキャロルにはとても出来なかった。
「う、うん。そっか…。クリスちゃんすごいね…。」
ほとんど何も言えなかったがクリスの頬にそっと手を触れた。だが彼女はそれでも満足なようでまぶしい笑顔を見せてくれた。
「よーし、じゃあもう一回行ってくるか。サンはまだ詰所を襲撃する気じゃないみたいだし、焦る必要はなさそうだけどな。結局見失っちゃったんだけど、あいつが自分の姿を消すときに使う魔法の光が一瞬見えたんだ。もしかすると山賊騒ぎの件についての情報とかも集めておくつもりかもしれない。だから俺たちも詰所に侵入してまずはサンと合流するぞ。お前だったら詰所の構造とか分かるんだろ?」
「う、うん…。」
さっきから完全に圧倒されてしまっている。状況が状況なのもあるがさっきからずっとディオの独擅場だ。自分ではもう到底太刀打ちできない。
「じゃあクリスはそいつらの面倒見ておけよー」
「うん!」
ディオが任せるように言うと、さっきまで泣いてしまいそうだったのが嘘のようにクリスは頼もしく元気に頷いた。わざと留守番のような言い方を避けたのかと一瞬思ったのだが、ディオのことだからただ何も考えていないだけだろう。
あっという間にキャロルとディオで詰所近くまでやって来た。
詰所の様子には特に変わったところは無いように見える。明かりは付いているのだが、特に喧騒が聞こえてくるわけでもない。
「よし、サンもまだ爆破とかは仕掛けていないみたいだな」
「だからサンちゃんがそんなことする訳ないじゃないの…。絶対にイノセントさんと話に来たんだって…。」
キャロルはぼやいた。あの大人しくて真面目な子がディオにはどう見えているのだろうか。
「いやいや。あの洒落た格好からいつものローブに戻って完全に戦闘態勢整えていたんだからな。だけどまずは詰所に侵入して様子を伺おう。どこから中に入れるんだ?」
やはりディオは自説を譲らなかったが、キャロルも諦めて質問に応えた。
「えっと、一階は騎士のみんなの休憩所があるから避けた方が良いと思う。でも二階から侵入するにしてもイノセントさんの部屋はここから見えるあの部屋だから、こっち側からだと見つかっちゃうかも…。いったん裏手に回った方が良いかもしれない。そっちには特に使っている部屋とか無かったはずだから」
「よし、じゃあそっちに行こう」
辺りの簡単な下見を行いつつもさっそく場所を移した。幸いなことに裏口の方にも門番などは特にいない。二人でぴったりと詰所の壁に張り付きながらこそこそ動いていると、すぐに二階の手ごろな窓を見つけた。
「――!」
その時突然辺りに大声が響き、キャロルはびくりと身を竦ませた。
「――!」
「――っ!」
しかしどうやらそれは自分たちに向けられたものではないらしい。すぐ隣の建物で誰かが怒鳴り合いをしているようだ。
「…ん? なんか聞き覚えがあるな」
キャロルがほっとしたのも束の間、ディオはそう呟いてそちらの建物へ向かうと窓から中を覗き込み始めてしまった。
「や、やめなさいよ! こんな時に…!」
「お…! キャロルもちょっとこっち来て見てみろよ!」
キャロルは小声で注意したのだが、ディオは声を抑えながらもなぜかこちらを手招きし始めた。
「え、えー…。なによ、いったい…。」
気は乗らなかったものの、キャロルもディオの隣に並んで中を見てみた。
「なんで目が覚めたらオレはこんな牢屋に入れられているんだよ! 何の事情の説明も無しに突然これだなんておかしいだろうが!」
「隠れてあれだけのソーマを拾っといてよく言いますね!」
「な、ななななんでお前がそれを知っているんだ!」
「知っているも何もとんでもない大騒ぎになったんですからね! 捕まっているのも当然でしょう!」
そこにいたのはギルとポロロだった。ただしギルは檻の中、そしてポロロは一人でその見張りをしているらしい。どうやらここは牢屋を設けた詰所の別棟のようだ。
「むふふ、キャロルの被害者が話を聞いてもらっているじゃないか。そろそろお前にもお呼びがかかるんじゃないか?」
「ち、違うし! あいつが私に痴漢しようとしたんだし!」
ディオはふざけて意地の悪いことを言う。
「よーし、いいこと思い付いたぞ。ちょっと待ってろ」
「もー、今度はいったいなにするつもりなのよ…?」
なんだか嫌な予感を覚えて、そのまま行ってしまおうとするディオのことを一旦引き留めた。やりたい放題やらせているとどこまでも騒ぎが大きくなってディオの被害者が増えていくばかりなのだ。今さらかも知れないが、いつものブレーキ役としての仕事を果たさなければ。
「なんだよー、ギルを逃がしておけば騒ぎになった時に相手を分断出来るだろ?」
「な、なるほど…。」
「だからとりあえずポロロのこと蹴っ飛ばして気絶させて来る」
「や、やめなさい! ポロロ君がかわいそうじゃない!」
思っていたよりも真っ当な作戦に一瞬納得しかけてしまったが、それに続いた言葉はどうあっても通せない。
「…自分は平気でギルに膝蹴り入れていたくせに……。」
「あ、あれは別だもん! あいつが悪いんだから!」
言い返したがディオは不満そうな目をしている。キャロル自身も少し痛いところを突かれているのは分かっていた。
「わ、分かったわよ…。私がなんとかするから…。」
「…声かけて連れ出すとかは駄目だぞ。これが終わってからの作戦もあるんだから」
「むぐっ…。」
キャロルは少しだけ言葉を詰まらせた。その作戦とやらも気になるが、今はとにかく目の前の問題だ。ディオの要望に応えるのは気が進まないがやるしかない。
窓からいったん離れると、懐から麻酔針を取り出した。緊急時のためにと一応持っているのだが、基本的に使う事なんてまず無い代物だ。
「…うわ、おっかねえ…。そんなもん持ち歩いているのかよ…。」
「自分だって剣持って歩いているくせに棚に上げて…!」
引いているディオに小さい声で言い返すと、物音を立てないように気を付けながら窓を再び覗き込み、まだギルとやり合っているポロロの首筋に狙いを定めた。
「…おいおい、それ投げるのかよ…。うわあ、おっかねえ。俺の方が絶対に安全だぞ」
「うるさい! 集中してるんだから!」
もう一回小声で言い返してから自分の呼吸さえも鎮め、針を放った。それは真っ直ぐに宙を飛び、狙い通りにポロロの首に浅く刺さった。
「…ん? あ、あれ…?」
少しふらふらしたかと思うとポロロはこてんと倒れた。
「お、おおっ! うまいな!」
「んふふ。まあね?」
いつも気を付けているのに、以前ディオからうつされてしまった癖がつい出て鼻を鳴らしてしまった。さっきまで言いたい放題言われていたが、それでも褒められればやっぱり悪い気はしない。
「ん? お? お、おっ、おっ?」
何が起こったのかなんて分かっていないはずなのだが、これがチャンスだとはギルも感じ取ったようだ。牢屋の扉にしがみついて、何かの拍子に外れやしないかと、がっちゃんがっちゃん身体ごと揺らし始めている。
「おーい、ギルー。助けに来てやったぞー」
「えっ、あ、アニキ! アニキー!」
しかしディオが入って来るとギルはすぐに手を止め、感激して目に涙を溜めて叫んだ。
「あ、ああっ! 姉さんまで来てくれたんですか!」
「その呼び方止めてよね! それにうるさい!」
ポロロの首から小針を抜き、傷が残っていないことを確認しつつキャロルはギルの事を窘めた。これで他の騎士に気付かれてしまったら元も子もない。
「んーと、鍵はどこかな…。あ、あった、あった」
ディオががちゃんという音と共に檻を開けると、ギルは一気に飛び出して来た。
「アニキ…! ありがとうございます! このご恩は一生忘れません!」
「お、おう。…まあ、あんまり気にするな」
しがみついたまま引き続き感激しっ放しのギルに、ディオが珍しく困っている。囮に使うつもりの相手からそんなことを言われると、さすがに後ろめたいものがあるようだ。
「で、でも…! 何かお礼を…!」
「そんなこと良いから。ほら、さっさと逃げちまえ」
「え、あ、アニキは一緒に行かないんですか?」
「ああ、まだ俺の方はやることがあるからな」
ギルは口をぱくぱくさせて、目からはさらにぼろぼろ涙をこぼし始めた。
それを見てキャロルにはピンときた。どうやらギルは、ディオが自分のために囮になって騎士の足止めをするつもりなのだと思ったらしい。――本当は自分の方が囮にされようとしているのに。
ギルはそれ以上何も言わず出口まで行くと、口を真一文字に結んで、ビッという音が聞こえてきそうな敬礼をしてから走り去っていった。
「よし、これで陽動は大丈夫だな」
たった今なかなか凄まじい誤解が生まれたのだが、ディオは特に気付いていないらしい。自分だって男の人の力を借りる事はあるが、いくらなんでもここまでえげつないことはしない。しかもそれを計算なんかではなく、自然とやってしまうのだから更にとんでもない。
(…もしかして、私が気付けなかっただけで今まで泣かして来た女の子が結構いるんじゃないだろうか…。もしそうならぶん殴っておかないと…。これでもしサンちゃんの事も泣かせたりしたら、それこそ何発もぶん殴らないと…。)
キャロルは変な決心をした。
「うーん…。これで十分だと思うけど、どうせならあともう一手くらい欲しいな…。…そうだ! ダンスから馬を借りて来よう! ニンジンでも投げ込んであいつらを玄関から突っ込ませたらそれこそ大混乱に出来るぞ!」
「やめなさい! もう十分でしょう! 必要以上に多くの人を巻き込まないの!」
「…ちぇー」
叱るとディオからは子供が拗ねたような反応が返って来た。自分が付いていない時はいったい何をしているのか、軽く考えるだけで恐ろしい。
「うーん、じゃあそろそろさっきの窓から詰所に入って来るかな。キャロルはそのまま外で待機な。詰所でなにか動きが在るのが分かったら、『脱走だー!』ってポロロの声色でも真似て叫んでくれればいいから」
「…えっ。私の出番ってもうそれだけなの?」
イノセントに会いに来たつもりだったのにそれではチャンスが巡って来そうにない。
「だってもともと俺だけでも十分ってつもりだったし。後は、もし持っているんだったら一階に煙玉でも投げ込んで欲しいくらいかな。騒ぎになった時を見計らってでも」
「わ、分かったわよ…。でも、何するにしてもあんまり騎士の皆に怪我させたりしないでよ? 後であんたの方が大変になるんだからね?」
「まあ何とかするって」
そうしてディオは壁をよじ登って先ほど見繕っていた窓から詰所の中に忍び込んで行った。キャロルもサポートのため近くの物陰に身を潜めることとした。
ディオは気軽に応えただけだったが、きっと本当に何とかしてしまうだろう。付き合いが長い分、そこには不思議な信頼がある。
(…まあ、それでもディオの事だしどうせ大騒ぎになっちゃうんだろうから、その隙を見て私はこっそりイノセントさんに会いに行けば良いや。……今度こそちゃんと伝えないと…!)
キャロルの方もちゃっかり自分の算段を立てていた。
「むっふっふー。結構余裕だな!」
ディオは忍び込んだ詰所の中で満足げに鼻を鳴らした。治安を守る騎士とはいえ、いつもとは反対の受け身側に回ることには慣れていないようだ。そっと扉を開けて廊下の様子を見てみたが誰も見回りなんてしていない。下の階から話し声が聞こえて来るだけだ。
「イノセントさん、どうも様子がおかしくて…。全然下に降りてこないし…。もしかしたら昼間の件で体調崩されちゃったんじゃ――。」
「うん、だから今は自分たちがしっかりしないと――。」
聞き耳を立てていると最初の方針が浮かんだ。
「よしよし。それならサンの前にあいつの様子を最初に見ておいた良さそうだな。あいつだけは要注意だ。さっきキャロルが指差していたのはこっちだから…。」
廊下に飛び出して先ほどの記憶と照らし合わせていくと、ディオはすぐにそれらしい部屋を見つけた。内容までは聞き取れないが中からは何か話し声が響いて来る。
「ん? 誰と話しているんだろうな…? どれどれ…?」
ディオは鍵穴から中の様子を覗き込んだ。
そして次の瞬間にはその扉を蹴破って突撃していた。
満天の星空の下、いつも通りに笑ってくれたディオは、自分の事を仰向けに抱き上げたまま街の中へと駆け出して行く。
しかしほっとしたような温かい気持ちが表にいてくれたのは最初だけで、彼の腕に包まれていることへの熱いほどのどうしようもない恥ずかしさが込み上げて来た。状況と言い、これでは救出劇のヒロインそのものだ。顔が真っ赤に火照って、すぐ近くにある彼の顔を見ることも出来ない。
「あ、あの! 私自分で走りますから!」
「そりゃダメだ」
「えっ! な、なんで!」
ディオは笑って言う。一瞬いつもの意地悪かとも思ったのだがそうでは無いらしい。
「たった今騎士のやつらが詰所から出て来ているんだよ。足を止めるわけには行かないからな」
サンは自分でも後ろの様子を確認したかったのだが、彼の腕の中で身をよじるなんてとても出来なかった。そんなのまるで甘えているみたいじゃないか。
「むう…。煙玉はちょっと失敗だったかもな…。騎士たちを燻し出すような結果になっちゃったか…。これじゃあ逆にすぐ見つかるかも」
「え、ええっ! は、早く陰の方に…!」
「あ! あそこだ! あそこに逃げて行くやつがいるぞ!」
「あ、やべ。本当にもう見つかった」
だというのにやはりディオは楽しそうに笑っていた。それを見てこんな状況だというのにサンもつられて笑ってしまった。あの時と同じだ。絶対なんとかなる。
「よーし、じゃあこのままいくぞ!」
「あっ! ちょ、ちょっと待って! 体勢を変えさせて下さい! だってこれって…!」
お姫様抱っこじゃないか、そう言いかけて慌ててサンは口を噤んだ。しかしそれでも手遅れで、一度でも意識してしまうと急に恥ずかしさと照れくささがぶり返して来た。さっきまで少し落ち着いて来てくれていたというのに、また顔が熱くなってきた。
「もー、わがままだなー。よっと」
視界がくるりと回った。気が付けばディオの肩に担がれる形になっている。
「これなら文句ないだろ?」
「う……。さ、さっきよりは…。」
本当は、これはこれで腰のあたりに回されている彼の腕が気になって仕方ない。腰が浮いてしまいそうなこそばゆい感覚にそわそわしてしまう。
だが頭がディオの背中側に来たおかげで、追いかけて来ている騎士たちの姿をやっと見る事が出来た。たった三人しかいない。ディオはああ言ったが、あの混乱の中ではみんなすぐには動けなかったのだろう。
「おい! 止まれお前ら!」
騎士たちからの怒鳴り声が聞こえて来るのも前と同じだ。
でも今はもう怖くない。サンは懐から杖を取り出した。
「おっ! その体勢なら魔法が使えるな! ほら! あのでかい炎の壁が出来るやつがあっただろ! あれ使えあれ!」
「あ、あれは駄目ですよ! 街中であんなの危ないですもん!」
ディオはさっきから家々の間を縫うように街中を駆け抜けている。たった今だってどこかの細い路地裏だ。こんなところであんな魔法は使えない。
「んもー! さっきからわがままばっかりじゃないか! なんでも良いから魔法撃て! うりゃ!」
すぱーん、という乾いた音と共に杖先から勝手に魔法が飛び出した。
「………え? な、なに…? …え?」
突然身体に奔った衝撃で白黒している目に、いきなり魔法で凍てついた地面と、そこで足を滑らせすってんころりんひっくり返っている騎士たちの姿が飛び込んで来た。
「おおっ! うまいじゃないか! おりゃ! もういっちょ撃て!」
ディオの嬉しそうな声と共に身体にまた衝撃が奔った。今度の魔弾は騎士に直撃し、彼は空中できりもみしてから地面に落っこちた。
しかしディオに何をされたのか、今度ははっきりと分かった。
おしりを叩かれている。
「きゃああああっ! ヘンタイ! サイテー! 信じらんない! 降ろしてよ! バカ!」
「暴れるなよ! 胸には身体が当たんないようにさっきから気を遣ってやってるだろ!」
「だったらおしりにも触らないでくださいよ! このバカ!」
「文句付けている暇があったらさっさと騎士狙え! おりゃっ!」
「きゃあっ! ま、また…!」
「ふぐうっ!」
また騎士が悲鳴を上げて吹っ飛んで行ったが、もはやそれどころではない。
「ぐ、ぐ…! こ、このおっ…!」
サンは生まれて初めて、こぶしを固く握りしめて本気で人の頭をぶん殴った。
「いってえ! なにすんだ! ――ってもう十分に距離空けられてるじゃないか! 今度はフラッシュ焚くような魔法!」
「さ、させませんからね!」
再びおしりに張られそうになったディオの手をサンは叩いて振り払った。しかしすぐさま次の張り手が飛んで来る。
「邪魔するなよ! ほら!」
「こ、この…! 私が自分でやりますから! ゼロでいきますよ! 3、2、1…!」
ディオとの攻防を乗り越え、まだ諦めずに追いすがろうとする騎士たちの方へと杖を向けると、サン自身も目を閉じて閃耀を放った。
目をつぶっていてもディオが走る向きをくるっと変えたことは分かった。その次の瞬間には、たん、たん、たんと軽々と跳躍していく音と浮遊感があった。
「…よし、これでもう大丈夫だろ。おっと、あんまり大きな声出すなよ?」
まだ瞼の裏に光が焼き付いているような気がしたが、サンはゆっくりと目を開けた。
「え? ど、どこですか、ここ…?」
どちらを向いても月と星の光に照らされた世界が果てなく広がっている。ついさっきまで静かな夜の街並みの中を走っていたはずなのに。
「どこかの屋根の上だな」
「…え?」
少し首を伸ばして下を見てみると、確かにさっきまで走っていた道と、こちらを見失ってきょろきょろしている騎士たちの姿が見えた。
自分のことを抱えながらここまで跳んだというのだろうか。信じられない身軽さだ。
「ここからは屋根伝いに撤退だな。サンもいったん降りて歩くか?」
「え? あ、えっと…。」
ディオの言葉に我に返ったが、すぐに返事をすることは出来なかった。ディオの足元はどう見たって不安定だ。そもそも人が歩くことを想定した場所ではないのだ。すぐにでも滑り落ちてしまいそうなイメージがどうしても湧いて来る。
「あ、あの…、ちょ、ちょっと怖いので手を繋いで――、い、いや、やっぱり抱っこが良いです…」
「ば、ばかじゃないのか」
途中で挫けて予定以上に甘えた内容に変わってしまうと、ひどい言葉が飛んで来た。だがきっと、彼も自分と同じで真っ赤な顔をしているような気がする。
「……………」
ふと、また視点がくるりと回った。
「え、あ、あっ……!」
彼の顔がまたすぐ近くにある。お姫様抱っこだ。
月と星々以外には誰も見ていない。だがそれでも最初の時より遥かに熱く、顔を火照らせてしまっていた。
東の空は少しずつ白んで来ている。きっとすぐに夜明けがやって来る。
「最後の問いはずるいな、サンさん…。」
イノセントは二人が駆け抜けて行った先を見つめながら、呟くように漏らした。
彼女は自分との間にある、非常に個人的な繋がりにすべてを賭けたのだ。もし彼女の言葉を信じ彼女を捕らえるならば、それは彼女の思いを汲み取り互いの間にある信頼関係に応えるということに他ならない。もし彼女を見逃すならば、それは彼女自身が宣言した通りクリスを守るのを認めるということだ。どう転ぼうともその問を持ち出された時点で自分に勝ち目はない。彼女は自らの身を挺してでも、すべての勝ちを取りに来たのだ。
「……あ、サン君と呼ばなければいけないのだったか…。」
昼間のなんでもない会話が頭を過った。
これが彼女との繋がりだ。誰もが人の集合の中で生きているように見えても、その実それは徹底的に還元していけば、あくまで一対一のひどく個人的なものでしかない。それがただ無数に集まっているだけだ。これが彼女の指摘であり、彼女はそこに自らの世界を見出したのだ。
それはこの廻る世界に対してはあまりにも小さなものかもしれない。だがそこでは誰もが人であるが故に繋がっている。ここには讃歌が満ちている。誰もがいつだってそれを謳っている。
彼女は自らのことをも省みず、その人の強さを示した。だから、失われてしまったはずのダーレスの姿をその身に写すことが出来たのだ。
そして彼女は、この自分さえもそこにいるのだと言い切った。
ふと、扉を叩く音で現実に戻された。
振り返って見れば、いつもそばで支えてくれていたのに突き放してしまった、自分にとっての特別な人が立っていた。
「…キャロルさん……。」
彼女は何も言わず、そっとこちらに近付いた。
いつもどこか茶目っ気を含んでいるその瞳だが、今は悲しみに似ているほどの切なさを持つ深い愛情が、その全面に湛えられていた。
イノセントの目を奪ったそれが閉じられてしまった次の時には、唇にそっと触れるものがあった。
「大好きです、イノセントさん。何があろうとも、ずっと」
彼女はそれだけを口にすると、音を立てる事も無く、逃げるように部屋から出て行ってしまった。
彼女も、ついさっきこの部屋を駆け抜けて行った彼らと同じ道を歩いているのだろう。
イノセントは体を沈み込ませるように深々と椅子に腰を落とした。
………負けたな。
…いや、やっと負けることが出来たのだ。
すべて、ただ彼女たちの優しさに負けた。
……だが、ここまでだ。…これ以上は望み過ぎた。
あの人を殺した。その事実は絶対に変わらない。
今になってはっきりと分かる。コトハを求める心があの人を殺したのだ。コトハとはすべてを虚無へ帰そうとする魔法に外ならないのだから。
直接手を下していないなんてことは些事でしかない。
あれは殺人だ。
自らあれを求めていながらなんと幼稚なことだろう。それがあの人を殺したのだ。
…だから、ここまでだ。
……もしかしたら君たちはそれでも私のことを救おうとしてくれるかも知れない。
だが、この罪を忘れてのうのうと救われるなど、何より私自身が許さない。
君たちはこの世界にも救いがあるのだと、確かに私に示してくれた。
私にとってはそれだけで十分だ。
――窓から差し込む朝日に気が付いた。
そんな自覚など無かったが、もしかすると少し眠っていたのかも知れない。
椅子から立ち上がってみると、随分と久しぶりに身体が軽く思えた。開け放たれたままの窓から入って来る、爽やかな朝の空気で胸を満たした。今まで暗中模索の中、ずっと抜け出せずに彷徨っていたのが不思議で仕方なかった。もはやすべては些末なことでしか無かった。もう果たさなければいけないことははっきりとしている。
必要なのはただ、覚悟でしかなかったのだ。
ふと後ろから物音がして振り返ってみると、扉のところにあの弟のような少年が立っていた。日に照らされている彼はその手に一通の小さな手紙を握りしめている。
イノセントは彼の方に歩を進め、笑顔を向けると、その手紙を受け取った。
どこか不安そうな表情を見せている彼の頭に、イノセントは安心させるように手を触れた。




