その6-2 子分ができた
この街に初めて来たときは違い、街はとても静かだった。人はまばらで閑散としている。祭りのときの賑わいは街中の皆が一か所に集まってこそ出来るものだったらしい。これが普段の様子なのだろう。
「…なんか少し期待外れな感じがするな」
「うーん、やっぱり片田舎の街だしね。だけど少しは露店も並んではいるみたいだし、ちょっと見てみましょうよ」
キャロルの示す方では確かに商品らしきものを拡げている人がいる。今はちょうど足を止めてくれた人と話し込んでいるようだ。
「あ、お客さん!」
ディオもそちらに興味をそそられたのだが、まったく別の方向から呼び止められた。
「ん? 誰だ?」
ディオが振り返った先には一人の男がいる。声を掛けて来たらしい彼の姿には何となく見覚えがあるのだが、どこで出会ったのかまでは思い出せない。
「今は金が無いからタダにしてくれないと何も買えないぞ」
「あはは、それは駄目ですけれど、ほら、覚えていません? この街に一緒に来たダンスですよ。僕の馬車に乗られたじゃないですか」
「あ、ああ!」
適当なディオの言葉に彼は笑いながら口にした。ディオもそこまで言われるとやっと思い出すことが出来た。
「そういや結局あの祭りでは会えなかったな」
「ですけれど、あの一緒にいた子が泉で神子をやっていた所は見ましたよ。とてもきれいでしたね」
「……む、むぐ」
ディオはやはり何と答えれば良いのか分からずに言葉に詰まってしまった。少し後ろにいたキャロルもサンの話だと分かったらしい。なんだか嬉しそうに、だがどこか待ち構えているかのようににやにやしている。
「…あ、す、すいません…。今日は別の女性とご一緒だったんですね…?」
「やめろ! なんだその恐ろしい気遣いは!」
どんな深読みをしたのか声を潜めるダンスにディオは泡を食って叫んだ。
「ちょっとどういう意味よ、それ」
邪険にされている自分の扱いにキャロルが文句を付けて来た。
「まあ、確かにこいつの保護者みたいなものだからそういう感じではないけれどね。私はキャロル。よろしくね」
「よ、よろしくお願いします」
キャロルはするりと会話に加わるとダンスに手を伸ばした。彼も少しどぎまぎしながらそれに応じている。
「勝手に姉貴ぶっているんだ。あんまり相手にしなくていいぞ」
雑で適当な紹介を一言だけディオも付け加えておいた。
「あんた放っておくと人に迷惑ばかりかけて私の邪魔までするんだから仕方ないじゃない。あ、もしこいつのせいで何かトラブルに巻き込まれたりしたら私に言ってくれれば良いからね。今私、騎士の人たちと一緒に働いているから」
さっきのディオとのやり取りで、ダンスが騎士を撒くときに使われた馬車の持ち主だとキャロルは十分に分かったらしい。サンが出かけた時と同じようなフォローを入れている。
「あはは、分かりました。ダンスです、よろしくお願いします。だけど一緒に過ごせた時間は短くとも、とっても楽しい旅でしたよ」
ただの冗談だと受け取ったようでダンスは笑っていた。
「だけど、まだダンスもこの街にいたんだな。祭りが終わった後にほかの客でも捕まえて、もう別の街に行っているかと思ったぞ」
「ええ、本当はそのつもりだったんですけれどね。ただ、近くの街や村から来ている人はみんな来る時と同じ足があったみたいで僕の出番が無かったんですよ。馬で来た人はその馬で帰るし、僕みたいな御者を使って里帰りで来た人はその御者の人と一緒に戻ってしまうし…。ちょっと読みが外れてしまったかなあ、と」
つまり人がたくさんいたとはいえ、帰る足の無い人はほとんどいなかったのだろう。
「なるほどな、言われてみると――」
その時、すぐ近くから上がった誰かの大声にディオの言葉は掻き消されてしまった。
「なあ頼むよー! 金を貸してくれよー! 少しで良いんだよー!」
「ちょ、ちょっと止めてくださいよ! 見ず知らずの人に渡せるわけがないじゃないですか!」
「必ず倍にして返すから! 本当だから!」
「そんな話を信じるわけ無いじゃないですか!」
「いや! 本当なんだって! だから金を――、あ、剣を持っているんじゃないか! 金が駄目ならそれでも良い! それを換金してくるから!」
「だ、駄目に決まっているでしょう! これは騎士の大切な――」
「騎士? 騎士なのか! じゃあ弱いものを助けてくれよー! 頼むよー!」
何事かと思ってダンスとの会話を切り上げた二人が近づいてみると見知った顔が、というよりは少年騎士のポロロがやせた小男にしがみつかれていた。さっきまで辺りに人なんてほとんどいなかったというのにお祭り好きな本能に惹かれるのか、街の人々もちらほらと集まり始めている。
「ちょっとディオ、助けてあげてよ。ディオももうポロロ君のこと知ってるんでしょ?」
「えー…。それはそうだけど何で俺が…。」
キャロルに言われたがそんなやる気など全く出て来ない。
「あ、ディオさん!」
渋っていたら、むしろディオの姿に気付いたポロロの方から助けを求められた。
「えー、なんだよー。俺だって新しい剣が欲しいんだよ。前のお気に入りはどこかに行っちゃったし、それに金も無いし…。」
ディオの頭に悪い名案が閃いた。
「あ、じゃあそいつにせがまれている金と剣を俺にくれるんだったら助けてやってもいいぞ?」
「ええっ!」
応援を呼んだはずなのになぜか敵が増えてしまったポロロが悲鳴を上げた。
「おおっ、兄さん話が分かりますね! ほら、とにかくお前が金を出さないと話にならないだろ! 金を出してくれよ! 金を! ぴょんぴょん跳んで金の在りかを教えろよ!」
なぜかその小男はディオには敬語で応えると、優勢になった立場から一気に大きくなり、すぐさまディオと結託してポロロに詰め寄った。
「やめなさい! この馬鹿!」
しかし間髪入れず、ディオの頭にはキャロルのげんこつが飛んで来た。
「ふぎゃん!」
「あんたも子供相手に何をやっているのよ! 情けない!」
頭を抱えているディオの事を無視して、キャロルはすぐさまその小男の方も怒鳴りつけている。
「は、はい!」
その剣幕に押されたのか、その男は両手を脇に揃えてきびきびした返事を返し始めた。
(…結局出て来るなら最初から全部自分でやれば良いじゃないか…。)
ディオはなんだか殴られ損のような気がして来た。
大した騒ぎにならない内に解決してしまったことになぜかがっかりしたような様子をにじませながら、街の人々も散って行った。
「大丈夫? ポロロ君」
「い、いえ、すいません。騎士なのに逆にご迷惑おかけしちゃって…。」
「いや、むしろこっちのせいだから…。」
ディオはもう一度、なんの意味も無くキャロルにひっぱたかれた。
「……っ!」
「何があったの、いったい?」
「い、いえ、特に仕事とかでは無いんですけれど、僕も見回りをしようと出て来たところで急にこの人に絡まれてしまって…。」
相変わらずディオの事は無視してキャロルが仕切り始めた。
「じゃあ、あんたの方はいったい何なのよ?」
ポロロに尋ねる時とは全く違う声のトーンでキャロルは言う。
「オ、オレはギルです!」
さっきまでのポロロに対しての横柄な態度はきれいに消え去り、むしろびくびくしながらその男は答えた。だが名前以外に何を言えばいいのか分からないらしく、彼はただ目を泳がせるだけでいまいち情報が増えて来ない。
「なんでこんな事をしようとしていたのよ?」
いらいらしたままのキャロルが続きを促した。
「…あ、あの、お金が無いのです……。」
「あ、俺も俺も」
親近感が湧いてディオは彼の隣に一緒に並んだ。ギルの方は刺々しいキャロルの聞き方に怯え切っている。
「まったく二人して…!」
「だって金がないのはしょうがないだろー? そんなことで怒るなら小遣いくれよー」
「人に迷惑掛けるようなことするんじゃないって言ってるの! そこのあんたも!」
がみがみ怒鳴るキャロルの矛先はギルにも向いていた。
「……だ、だけど良い話はあるんです。ただ、元手が足りないからその少年にカンパしてもらおうかと思っただけで――」
「どう見てもただのたかりだったじゃないですか!」
「お前が大人しく金を渡してくれればそれが一気に膨れ上がるんだから――」
ポロロに言い返されてギルは居丈高になりかけたが、キャロルにぎろりと睨まれてすぐに小さくなった。
「お、なんだなんだ? 金儲けの話でもあるのか?」
しかし同じ金欠仲間のディオはすぐさまギルの話に飛び付いた。
「それがですね兄さん! 昨日酒場で不思議な道具をいくつも扱っている商人さんと仲良くなって、すごい品をいくつも見せて貰ったんですよ!」
キャロルに怒られた仲間同士でもあるので、変な絆が芽生え始めて二人はなぜかもう仲良しだ。
「例えばですね! ほら! ユニコーンっているじゃないですか! あれの羽根とかを扱っていたんです! その羽を振るとどんな病気も怪我も直せるんですって! それを買って、オレも大金持ちになるんです!」
「おおっ! それは凄いな!」
ディオは感激と共に叫んだ。その目に映るものは今やもう、ギルと完全に重なっている。すかんぴん、すってんてん、からっけつ。もはやお馴染みとなってしまったそれらの言葉とすっかりおさらばさせてくれる、黄金の泉そのものがついに見つかったのだ、と。
ディオは抑えきれぬ期待からにこにこしたまま、キャロルの方へと向き直った。
「な、なあキャロル…。ちょっとお小遣いを――」
「…なんでこんなに馬鹿なんだろ、こいつ……。」
しかし返って来たのはひどい呟きでしかなかった。一切聞く耳も持たず、一考さえもしてくれない。
「な、なんだよまた馬鹿にして! どう聞いたっていい話じゃないか! 絶対すぐに返すから! 返せるから! だからちょっとだけで良いからお金を――!」
「…いや、だって、ユニコーンって羽根の無い方よ?」
どこかげんなりした顔のキャロルが応えると、ディオは目を点にして固まってしまった。 さっきまでディオと一緒になってはしゃいでいたのが嘘のように、ギルも頭に疑問符を浮かべながら同じようにぴたりと固まっている。
「え? な、なんだよ? 何を言っているんだよ? ユニコーンってあの白い馬だろ?」
「…いや、うん。まあ、それは合っているんだけど、ユニコーンって角の生えている方じゃない…。羽根があるのはペガサス。というか、偽物とはいえちょっと前にユニコーンを見に行って来たあんたがどうしてこんな話に引っ掛かるのよ…。」
「そ、そうか…。そっちだったか…。」
ディオはギルと一緒になってちょっと意気消沈した。
「あ! で、でもあの商人さんもただ勘違いしているだけかも…!」
「お! そうだ! そうだな! きっとそうに違いない!」
しかしギルの言葉にすぐ息を吹き返した。
キャロルはもう額に手を当てている。
「な、なんだよ! 絶対に良い話じゃないか! ポロロ! お前だってこのユニコーンかなんだかの羽根欲しいと思うだろ! これがあればいくらでも金が増えるんだぞ!」
「い、いや、僕も別に…。今の話だとほんとうに『何かの羽根』でしかないじゃないですか…。」
「むぐぐ…!」
冷たいキャロルに抵抗するためポロロを味方にしようと思ったのだが、むしろ追撃を食らった。どうやらキャロルの方に付くらしい。
「で、でもその商人さんは親切で良い人だったんですよ!」
「ほら! やっぱり詐欺なんかの訳がないじゃないか!」
キャロルはやっぱり頭を抱えている。
「それに他にもいろんなものをいっぱい見せてくれたんです! 確かにちょっと怪しいものも混ざっちゃっているかもしれないですけれど、それでも物知りな姉さんが手伝ってくれるなら絶対に本物だけを掴めるはずです!」
「やめてよ! 私をそこに巻き込まないで!」
「おおっ! まだあるのか!」
キャロルの叫びは無視して、ディオは再び切り出したギルに尋ねた。
「一番の目玉は不死鳥の卵でした! それを格安で譲ってくれると言うんです!」
「おおっ! すごいなそれは! 生き血を飲めば不老不死とかいうあれだろ!」
再び二人ではしゃいでディオはキャロルの方へと振り返った。
「なあお金を――」
「絶対に嫌!」
ほとんど何も言えない内に拒絶された。
「なんでだよ! 今回のはさっきよりももっと凄い話じゃないか! どう考えたって良い話だぞ! その卵から不死鳥が生まれれば絶対にいくらでも金を生み出してくれるに決まっているのに!」
「いや、だって…! …分かった。百歩譲ってその商人が詐欺師なんかじゃなくて、さっきの羽根は本当にただの勘違いだったとするわよ? でも、そもそも不死鳥って卵から生まれるものなの? というか、卵という状態が存在するものなの?」
「ふふん、キャロルは馬鹿だな。鳥っていうのは卵から生まれるものなんだぞ?」
「いや、だから…! ……うん、そうね。不死鳥もそうだといいわね」
絶対に納得させられる材料だと思って自信満々にディオは言ったのだが、キャロルはただ諦めたような目をこちらに向けるだけだった。むきになりかけたのは最初の一瞬だけで、今はもう石のように冷たくなって微動だにしない。わざわざ自分が関わる必要も無いか、キャロルの心の声がなぜかはっきりと聞こえて来た。
「むぐぐ…! ほら、ポロロ! やっぱりお前が金を出すしか無いじゃないか!」
「嫌ですよ! 僕だってそんな胡散臭い話に乗っかるの!」
すぐさま矛先を変えたのだがポロロにも拒否された。
「ギル! 絶対に金を用意するからな! それは必ず手に入れるぞ!」
「う、うう、兄さん…! いや、アニキと呼ばせてください…!」
ギルは目に涙を浮かべながらディオの事を見上げた。
「アニキは先見の明があるんですね!」
あっという間にギルはディオの子分になった。
「むふふ、まあそうかもな。俺のような先々を見通せる投資家なんてそうそういるものではないからな。こいつらにはその感覚が分からないのも仕方ないか」
おだてられるとディオはすぐ調子に乗る。
「さっきまで金が無いって騒いでいたやつが偉そうに…。」
キャロルがぼやくそんな都合の悪い真実など、調子の良い二人の耳には届かない。
「しかし、そうなるとまずは何とかして金を作らないといけないな」
「…え、本当にその卵を買うつもりなんですか?」
ディオの言葉に、ポロロは思わずといったように呟いた。
「おう、もちろんだ。今ならまだこの偉大な事業一歩目の出資者として認めてやらないでもないぞ?」
「ポロロ君、これ以上関わっちゃダメよ。こうなったらもう私達に出来る事なんて、こいつらがいかにひどい目に遭うのかを楽しみに待つことくらいしかないんだから」
ディオとの付き合いが長い分、キャロルは正しい距離の置き方を知っている。
「ふふん、キャロルは不死鳥がどれだけ珍しいか知らないからそんな事が言えるんだな」
「そんな話が自分の所に転がって来ること自体おかしいと思いなさいよ」
「そうなんですよ、姉さん! こんな話がオレ達の所にやって来ることなんてまず無いんだから逃す手は絶対に無いんですよ! それに早い者勝ちだってその人も言っているんですから急がないと!」
キャロルとは対照的に二人は自信満々だ。
「むふふ、だけどこれで前に捕まえたニセモノのリベンジも果たせるな」
サンと出会った時に口にした、例の話をディオは思い出していた。
「あの時は激しい争奪戦の末に村人たちが不死鳥と呼んでいた鳥を手に入れたんだけれど、もうぐったりしちゃっていたんだよなあ。それでも、もしかしたらと思って火にくべてみたんだけれど結局復活はしなかったし…。おいしい焼き鳥にはなったけど」
「…ええー……。」
「…あんた、そんなことやってたの?」
ポロロもキャロルも完全に引いている。
「アニキかっこいい! ワイルドです! アウトローです!」
だがギルは手を叩いて絶賛した。
「あはは、そうかなあ」
そこまで言われるとディオもくすぐったい。だが、正直気分は良い。
「ディオだけでさえ厄介なのに、こいつもろくでもないわね…。変な太鼓持ちになっちゃって…。」
楽しそうな二人を見てぼそっとキャロルは呟いた。
「…ポロロ君、このどうしようもない二人は放っておいてもう行きましょう?」
「…ええ、そうですね。本当に、関わらないのが一番の正解ですね」
「もし、あんまりにも目に余るようなバカ騒ぎを始めたら騎士の方でしょっ引いちゃって良いからね?」
二人は立ち去ろうとしたが、慌ててギルはその先に回り込んで土下座した。
「お願いします! お金を貸してください! オレ達の夢なんです! 希望なんです! ほんの少しで良いから助けて下さい! オレ達に必要なのはほんのわずかな善意だけなんです!」
「聴こえの良い言葉をいくつ並べたところで騙される訳無いでしょう!」
一度散ったはずの街の人々もまた注目し始めているというのに、キャロルには容赦なく一蹴された。一切の躊躇いさえも無い。そのままポロロを連れて、足を止めずにギルの脇を通り過ぎて行く。
「ギル、止めておけ。あいつらはああいう奴らなんだよ。だから自分の所に金が貯まるんだ」
ディオはすぐさま芝居がかった調子でギルのもとへと駆け寄った。
「優しい心根の持ち主だったら、世界に広がる無数の苦痛を見逃せるはずなんて無いんだから俺達の様に無一文になるしか無いんだ。金を持っているというのはそういう意味なんだよ。あいつらは自分の所にいくらあっても飽くことを知らないどころか、人の持っている金まで自分のものにしようとするんだ。」
「アニキ…!」
「だけど、あいつらを恨んではいけないんだぞ。あれもまた、確かに人間の中に存在するどうしようもない一部ではあるんだ。あいつらだけが特別冷たいわけなんかじゃない。人間みんな、自分勝手でわがままで利己的なんだ。人のためなんて口にしておきながら、平気で自分の利だけを確保しようとする生き物だ。だがそれらの醜い点を全て真っ直ぐに見つめた上で、それでも人を肯定してやらなくちゃいけない。都合の良い所だけを見て、人間は素晴らしいなんて言うのはただの欺瞞だからな。そんなの、どこかの前提が崩れればすぐに否定に回ってしまうような弱弱しい肯定だ。どうしようもない部分を知りながら、『それでも…!』と言ってやるのが、本当ってやつなんだぞ」
「アニキ……!」
どうしようもないふざけた三文芝居ではあっても、人の心を打つ出来だ。涙ぐんだ目でこちらを見上げてくれるギルの姿も相まって、それなりの絵にもなるほどだ。
実際、何人かは足を止めて拍手まで送ってくれた。
「無視よ、無視! ポロロ君、絶対に振り返っちゃダメだからね!」
だがキャロルはそれだけ言ってポロロを引き連れたままこちらを見もせずに歩いて行く。
「アニキ…! 行っちゃいますよ! アニキ!」
「ぐうっ…、鉄の心臓め…!」
ディオは唸った。
しかし実はそれでも、キャロルの足を確実に止められる手段をディオは持っている。
だが、どうしてもそれだけは使いたくない方法だった。
それを実行する事自体、ディオにかなりの苦痛を強いるためだ。
しかし、こうしている間にもキャロルの背はどんどん遠のいていく。
「うぐぐ……!」
ディオはさらに唸った。解決策はすぐそこにあって、その方法も知っているというのに、踏み出さなければいけないその一歩が果てしなく遠い。
だがその瞬間、ディオは重大な事に気が付いた。
恐らくあと数日もすれば同じことで頭を悩ませることになるはずだと。その時はもしかすると今よりももっと状況は逼迫しているかもしれない、そうなれば今よりも更に大きな屈辱を味あわされることになりかねない。もしこの三日間が大丈夫だとしても、その先の未来は何も保証などされていない。もしここで自らの誇りを手放さなくとも、大切な自分の誇りは結局のところ、常に崖っぷちに立たされたままになる。
だがもし、今この瞬間を耐え忍べば富の源泉を手に入れることが出来るのだ。そうなればもう二度と、こんな事で頭を悩ませることはなくなるだろう。
つまり天秤に掛けるべきなのは、「誇り」と「金」などでは無い。
「今」と「未来」なのだ。
「――」
壮大な思考と強烈な決意とは裏腹に、囁くような小さな声でディオは呟いた。いつもとは違う呼び方だが、それはキャロルの事を意味する言葉だ。
「えっ? なになに? なんて言った? 今、私の事をなんて呼んだ?」
キャロルはすぐに踵を返して、にこにこと嬉しそうに、だけどどこか意地悪な光をその瞳に湛えながらつかつかと勢いよく歩いて戻って来た。それなりに距離は在ったはずなのにはっきりと聞こえてしまったらしい。
全てはディオの思惑通りに進んだのだが、もう後悔の念が強くなって来た。
「知らん!」
ディオは見え見えの嘘を付いてそっぽを向いた。
「えー? もう言ってくれないの?」
そう言いつつも、がっかりしているというよりはにやにや笑って楽しそうだ。
「俺は何も言ってないぞ!」
「もー、また照れて。ほら、もう一回。ちゃんと『キャロルお姉ちゃん』って言ってよ」
「そ、そこまでは言ってないからな! 俺は! 勝手に改変するんじゃない!」
呼び止める事には成功したものの、これ以上はどうやったって譲れない。
「なによー。昔は私の希望通りの呼び方を素直に使ってくれたじゃないの。こっちで色々指定まで出来たのに…。」
「その時だってしぶしぶだろうが! いつも金で釣って馬鹿にして…!」
「馬鹿になんてしてないわよ。かわいかったんだもん。ほら、もう一回、今度は甘えた感じで」
「おいギル! 俺はもう役目を果たしたぞ! ここからはお前の仕事だからな!」
「姉さん、あの、お金を…。」
ギルはキャロルの方へと懇願するような視線を送った。
「じゃあディオに、もう一度私の方を見ながら今の言葉をちゃんと言わせてくれたら、このバカな話にお金を出してあげてもいいわよ?」
「ええっ!」
キャロルにつられるようにまた戻って来てしまったポロロが驚いて声を上げていた。
だが、身を切るような思いをしたディオからすればこのくらいの譲歩は当然だ。本当のことを言えばまだこれ以上を要求してくること自体けち臭く感じるほどだ。
「アニキィ…」
「これ以上は俺のプライドが許さん! 知るかあっ!」
ギルが困った様にディオの方へと目を向けて来たが突っぱねた。もう何があろうとも御免だ。
「う、じゃ、じゃあ、お金では無くて手を貸してください! これだけの人数なら卵が他の誰かの手に渡ってしまう前に何とかなりそうな話があるんです!」
ギルは声を振り絞るように叫んだ。
「ぐぐっ、確かにそれは不安だがここら辺が妥協点か…。」
「それこそ無用な心配だと思うんだけれど…。」
キャロルは再び話を聞く体勢にはなってくれたがまだ温度差がある。
「キャロルも協力してくれよな。これなら良いだろ。暇だって言っていたんだから」
「…うーん、まあ、そうね。あんた達を放っておくと、人に迷惑を掛ける事しかしなさそうだし…。」
それでも一応は手を貸してくれるらしい。
「だけど、ディオがちょっと頑張ればこんな事しなくて済むのよ」
「ふんっ! ギル! 早く続きを話せ!」
ディオはもう一度鼻を鳴らした。
「え、えっと、この街の近くに昔魔法使いが住んでいた廃村があるんです。そこに行けばもしかしたら魔法の掛けられた変わった品とかがまだ転がっているかもしれませんから、それを拾って来て転売しようかと…。」
「お、おお…、まさかそんな話まで出て来るとは…!」
それはまさしくサンが探している類のものだ。さすがにダーレスと出会えたこと以上の成果には成り得ないだろうが、それでも見逃すわけにはいかない。
「なはは! よーし! それだったら適当にかき集めて来てサンに鑑定してもらえば良いな! サンにとっても一石二鳥だ! それにこれなら元手も全くいらないぞ! やるじゃないかギル!」
それなりの苦痛を支払っただけあって、一気に良い流れを掴めつつあることを感じてディオは笑った。
「アニキ、魔法使いの知り合いがいるんですか! すごいですね! 完璧じゃないですか!」
「ははは! これだったら絶対にうまく行くぞ!」
またはしゃぎ始めた二人の脇でキャロルが小声でポロロに尋ねていた。
「…ねえ、ポロロ君。これって法的に大丈夫なのかな?」
「え、ええ。この場合ならもう所有者がいないと見なせるので大丈夫ですよ。むしろ、魔法具とかがそのまま野晒しになっていたら危ないこともあるので、一応回収しておいた方が良いかもしれないくらいですね…。…何か起こるってことは稀ですけれど…。」
「ほらな! 騎士がそう言ってくれるんだったら何の問題も無い!」
しっかりと聞きつけたディオが二人の間に割り込んだ。同時に良い機会でもあるような気がして、ディオはさらに別の事も尋ねてみることにした。
「なあ、ついでなんだけれど、山賊をやっつけてそいつらから金品を没収した場合ってどうなんだ?」
「えっと、それも一応大丈夫ですよ。騎士だけでは対応しきれない場合も多いので、自警団の活動を邪魔してしまわないようにとそこはちゃんと法整備されていますので。でも危険な事には変わりありませんし、すぐに対処できないこともあるとはいえ本当は騎士に任せて欲しいんですけれどね」
子供とはいえやはりプロだ。そういった専門的な知識はしっかり持っているらしい。
ディオは得意げにキャロルに目配せした。これで一つ問題が片付いたようなものだ。キャロルはほっとしたような、だがどこか渋い顔をしている。
しかしポロロが変な疑いの目を向けて付け加えた。
「…危ないですから山賊退治なんて考えちゃ駄目ですよ? 僕たちが追っている今回の山賊の件だって、騎士にけが人が出ているのですから…。」
キャロルに睨まれてディオはぶんぶん首を振った。そんなことをした記憶は――
「――…ん? あっ!」
しかしディオはついに、麻袋で騎士を殴り飛ばしていたことを思い出した。いくら都合の良いディオの脳みそでも、この短時間の内に何度も同じところを意識がかすめたせいで誤魔化し切れなくなったのだ。
声を聴いたキャロルの目付きがより一層険しくなった。だがディオは更に首をぶんぶん振った。今の一声だけでもう全てがばれているような気がするが、今更こんなことを認めてしまったら余計に怒られるだけだ。どれほど困難でも白を切り続けるしかない。
「よ、よーし! じゃあさっそく――!」
「ディオ、ちょっとこっちに来なさい」
また怒られそうな気配を感じ取って、流れをぶった切ろうとディオは声を張り上げたのだが、キャロルの低い声に止められた。
「い、いや、早く行かないといけないから――」
「いいから!」
「…はい。」
ディオはただ大人しく応えることしか出来なかった。
もう駄目だ。絶対に逃げられない。
ポロロとギルがきょとんとした目で見つめる中、すぐ近くの路地裏までディオはキャロルに引っ張られた。
「…私に何か言うことがあるんじゃないの?」
「べ、別に…。」
問答無用でげんこつが飛んで来た。
「つっ……!」
「そんなので逃げられると思っているの?」
非常にまずい。本気で怒っている。
聞こえないだろう距離とはいえ、騎士のポロロがすぐ近くにいるのにこんなことを平気で訊いて来る。トラブルには繋がらないだろうと高を括っている訳ではない。ディオが騎士に捕まる事になってしまっても構わないと思っているのだ。お灸を据えるのにはちょうど良いくらいに考えているのは間違いない。
珍しいほどにディオは小さくなって、彼女のことを見上げた。
「…だって向こうが急に飛び出して来たからだし…。麻袋がちょっと当たっちゃっただけだし…。」
もう一発げんこつが飛んで来た。
「ううっ……!」
「みんなの前でその言い訳してみる?」
ディオはぷるぷる首を横に振った。ここで言う「みんな」が騎士の事を指しているのは明白だ。
「最後にもう一回だけ訊くわよ? 何か言う事があるんじゃないの?」
「う、うぐ……、ご、ごめんなさい…。」
ディオはついに折れた。
「どうかしたんですか?」
路地裏から出て来たところでポロロが純真無垢な目でキャロルに尋ねていた。
「いや、さっきポロロ君が言ったようにこいつ自警団の真似事していた事があったみたいだから叱っていたのよ。だけどもう二度とそんな事はさせないから大丈夫」
「ああ、それで…。やっぱり危ないですからね。…あの、今更なんですけれど、お二人ってもともとお知り合いだったんですか?」
「ええ。昔からの腐れ縁みたいなものなのだけどね。ただあいつ本当にバカだから、度を越した時にはしっかり叱っておかないといけないのよ。どこまでも図に乗って人に迷惑かけ続けることになるから」
冷たい目をこちらに向けて言いたい放題キャロルは言う。一応これで手打ちにしてくれるようだが、ディオはもう何も言い返せない。
「大丈夫ですか、アニキ?」
「う、うむ…。」
殴られた頭を抱えているとギルが心配そうに駆け寄って来てくれたが、ディオはやはり何も言えずにただ頷いた。
「…ギル、さっき言っていた廃村っていうのはここから近いのか?」
さっきより元気を失くしながらもディオは話の続きを求めた。
「いえ、歩いてすぐの所です。でも、帰りには荷物が増えているかもしれませんから馬車とかあった方が…。」
「よ、よーし、それならさっきちょうど良いのがいたからな…。」
「アニキ、あの…。」
ディオはダンスの姿を探しに行こうとしたのだが、その前にギルがキャロル達の方を見つめながら不安そうな声を出した。ディオにもそれで彼の言いたいことが分かった。さっきはああ言ってくれたものの、今もついて来てくれるのだろうか。
「そ、そんな捨てられそうな子犬みたいな目しないで良いから。分かったわよ。さっきのとこの件は別。もう言っちゃったんだし、これはちゃんと手伝ってあげるから」
「えっ! ほんとか!」
ディオは一気に活力を取り戻した。何も話が頓挫してしまったわけでは無いのだ。
「ポロロも来てくれるんだろ?」
「えっ、ええっと…。…ええ、そうですね。魔道具がもしかすると危ないかもしれないですし、放っておくわけにもいきませんから」
一気に話が再び軌道へと戻ってくれた。
「なはは! よーし! ダンス! 仕事だ、仕事! 馬車を出してくれ!」
ディオは笑いながらダンスのもとへと駆けて行った。