プロローグ
この作品を親愛なるHとK、そして生きる喜びを与えてくれた瀬戸内の万端に捧ぐ。
二度と戻らない輝かしい日々に胸を焦がしながら。
2027年 10月 東南アジア 某国
巨大地震発生から36時間後。
国際緊急医療団が持参した、ドーム状の野戦用簡易医療用テントの中は救急患者で溢れかえっていた。
診察スペースの無菌室中にも3名の患者がベッドに横たわっている。
緊急手術が必要な為、オペ室が空くのをそこで待機していた。
収容しきれない患者はテントの外で担架に乗せられたままで待機していた。毛布を引いただけの地面に横たわっている患者もいた。
彼らの体にはABCDと4種類の札が付けられていた。Aが重篤で一番軽度がDになる。ほとんどの患者はAかBの札がついていた。緊急を容する患者が大多数だった。
仮設の診療所の周辺は怒号泣き声悲鳴呻き声、そして祈りの声が混ざり合い、まるで空気が粘り気を帯びているようだった。
次々と新たな怪我人が運び込まれてくる。この地区で稼働している医療機関はここだけだった。
現地の医療施設もほぼ全壊している。
だが続々と現地の医療関係者達が応援に駆けつけてきている。自分達の治療を簡単に済ませ、すぐに患者の対応を始める。
風向きが変わり始めた!
7時間ぶりの休憩を3分で済ませ、僕は手術室へと戻った。ディスプレイを睨み、患者の状態を把握する。
腹部からの出血。止血帯を外すと心臓の鼓動に合わせ、吹き出すように出血してくる。
「照明をもっと患部へ」
破裂しているはずの動脈を探す。
「血圧低下中」
「輸血量増やして」
出血量が多く、輸血が間に合わない。
「ゴゴゴゴゴゴッ!!」
突如大きな地鳴りが聞こえたと同時に地面が下から突き上げられるように手術室が激しく揺れる。
外からも悲鳴が聞こえる。
余震だ。大きい!
今日も何度も発生している。
看護師達はそれぞれ医療機器を倒れないように押さえつけていた。
助手が患者の体を押さえ、手術台からズレ落ちないようにしている。俺は機器に目をやり、状況を確認していた。
「ガタンッ!」
近づけていた照明台が患者の方に倒れてきた。
僕は咄嗟に患者に覆いかぶさった。
頭に熱さに近い痛みが走った。だが患者には当たっていない。無事だ。
「ドクター、大丈夫ですか!」
「問題ない。持ち場についてくれ」
揺れが収まってきた。
「再開するぞ。各自持ち場を確認」
「計器、異常ありません」
「血圧、低下中」
ドレインを使用し内出血を吸い出す。
一際、出血が激しい場所を確認する。
あった!血管の破裂箇所を見つけた。
医療用クリップを素早く動脈の心臓側に挟み込む。
よし、出血は止まった。
血圧計を確認する。血圧の低下は治まった。
「血圧低下、止まりました。低いながらも安定しました」
「輸血量に気をつけて。あとは任せる」
人工血管の縫合を助手に任せ、俺は隣の手術台の患者へと移った。
「ドクター、額を」
看護師が俺の額の汗を無菌ガーゼで拭いてくれた。
「先にドクターの治療をした方…」
目をやると、カーゼが赤く染まっていた。汗だと思っていたのは俺自身の出血だった。
さっきの照明が当たった場所が裂創を負ったようだ。
。
「消毒だけ頼む。今は一秒でも時間が惜しい」
「わかりました!」
12時間後には本部から補給物資と人員が到着すると連絡があった。
移動用手術室も、もう1台こちらへ空軍がヘリで空輸中だ。最新機器やAIが内蔵された診断機などもすでに日本から空輸便で緊急に送り出されている。
各国で大規模な災害が発生すると、国際協力機関を通じ日本は先頭に立って復興協力することが近年目立っていた。過去の災害時に各国が日本の復興に多大な援助を頂いた。
その恩返しを政府主導で行っているのだろう。
今回も災害発生後、わずか4時間後に日本政府からの要請が来た。そして国際緊急医療団から先遣隊として派遣されたのが近隣諸国にいた僕たちだった。
ディスプレイ画面に映るデータで次の患者の容体を確認する。そして繋がれている機器のデータをも確認する。それら全てが重傷あることを告げていた。
AIでの診断を頭に入れる。倒壊した建屋から発見。脚部の骨折が数箇所、折れた肋骨が肺を損傷させている可能性が70%。
その他、内蔵の損傷の可能性あり。
患者名 ミカロ 14歳
彼の人生はまだこれからじゃないか。
俺は大きく息を吸った。そして自分を鼓舞するように大声で全員に告げた。
「絶対に助けるぞ!」
その声にチーム一同も頷く。
僕たちは再びオペを開始した。
9ヶ月後。
2028年 7月
「術後の経過も良好。リハビリも順調のようだね」
扇風機の音が少し五月蝿い診察室の中で俺は患者に診察結果を伝えていた。
液晶モニターに映し出されたX線写真を拡大し術部を確認したが異常は見当たらない。
欠損していた大腿骨も、補強材として縫合された人工骨と完全に融合している。
「もう大丈夫だよ。週明けから無理しない範囲で学校にも行こうか。後はしっかりとリハビリをしていけばまたサッカーも出来るよ。ミカロ君」
僕はゆっくりとした英語で患者に診断結果を説明する。
つい先日に15歳になったばかりのミカロは不安げな顔で俺の説明を聞いている。
子供の頃からサッカーが大好きで、将来はナショナルチームに入りたいと言っていた。
最後まで俺の診断を聞いて、ようやく安堵の表情を浮かべた。
「本当に?またサッカー出来るようになるの?本当に?」
「大丈夫。だから大変だろうけどリハビリはしっかりやらないとだめだよ?」
「わかった先生、俺これからも頑張るからね!先生、本当にありがとう」
横にいた看護師の肩を借りて椅子から彼は立ち上がった。
笑顔で何度も感謝の言葉を述べるミカロににつられ、俺も笑顔になる。
「じゃあもう少しリハビリが進んだら、今度一緒にサッカーしようか。先生も昔サッカーしてんだよ」
「先生サッカー出来るんだ?じゃあ約束だよ?」
まだまだ不慣れな感じで松葉杖を突きながら、だけど力強い足取りでミカロは診察室を後にした。
「ミカロ君で今日の診察は最後です。待合室にはもう誰もいません」
先程の患者を見送った後、看護師が待合室を確認して俺に告げた。
「了解、じゃあカルテ整理をさせてもらうね」
俺は空いた時間で事務作業を進める事にした。今まで治療を最優先にしていた為、山の様に事務仕事が溜まっていた。
これを完全に終えるにはあとどれくらいの時間が必要か皆目検討も付かなかった。
椅子に座ったまま大きく伸びをしながら時計を見る。
もうすぐ午後6時になろうかとする時刻だった。
作業的に丁度きりがいいところだった。続きは明日にするか。
「今日はそろそろ終わりにしましょうか」
俺は使用していたアプリを保存して、ノートパソコンを閉じた。
「はい、ゆっくり休んでください。私の方も消毒作業が終わってますので、宿直の方が来られたら私も帰ります」
「いつもありがとう。助かります」
デスクの上の年季の入った水筒を持つと俺は看護師に挨拶し、ドアから出た。
診察室の外にあるクリーニング用ボックスに白衣を放り込み、診察室を後にした。
外に出ると、太陽は幾分西へ傾き、橙色にこの世界を照らしていた。
時折吹く、海からの風が心地よかった。
8月の半ば。この国でも一番暑い時期だが、日本の夏とは違い夜間は気温がかなり下がる。
また湿度も低い為、風が吹けば昼間でも思ったよりは過ごしやすかった。
国境なき医師団から派遣された俺達の拠点の医療ベース基地は、小高い丘の上の公園の敷地内にあった。当初は大きな簡易テントだったが、活動を開始して1ヶ月程でプレハブの診療所が建ち、この地域の医療センターとして充分に機能していた。
将来的には鉄筋コンクリート製の建屋に改装する予定にも決定していた。
医療所から下り道を15分ほどほど歩けば、小さな漁港がある。その近くの元々は駐車場だった空き地にトレーラーハウスを設置して、俺達の宿舎として使用していた。
港に続く道の両脇にはまだまだ瓦礫が山積みになっていた。俺は宿舎を通り越してそのまま港へ向かった。
港に着くと積み上げられた木片の中の大きめな丸太をベンチの代りにして腰を掛け、遠くに見える漁船をぼんやり眺めていた。ここに来ると俺が決まって座る場所だ。
海の向こうには多くの小さな島が見える。
夕日が溶け純金の滝のように海に注がれ、波をも金色に染め上げていた。
海と空が同じ色で煌めきあっていた。
島々は逆光になり金の海に浮かぶシルエットとなっていた。その中を家路に向かっているのか、漁船が走っている。
俺が中学高校と過ごした思い入れが深い場所、【高松】を思い出せる慕わしい景色だった。
懐かしい気持ちになれるこの風景に気づいたのは、実は最近の事だった。
ここに到着してから連日連夜業務に追われ、医療ベース基地から宿舎に戻るのは早くて深夜。むしろそのまま当直業務に入ることの方が多いくらいだった。
過労で何度も倒れ、何回点滴を打っただろうか。
頭に負った傷は思ったより深く、今も傷跡は残っていた。
10ヶ月前に東南アジアのこの島国を襲った大地震。そしてその直後に発生した巨大津波により壊滅的な被害をこの地域は被った。台風が多い地域の為、日本式家屋とよく似た屋根が重い構造だった為、地震で多くの家が倒壊し、下敷きになって負傷した患者が多かった。ミカロ君もそうだった。
沿岸部は津波によって流され、多くの人がそのまま還らぬ人となった。
だがようやく復興の兆しが見え始めた。
インフラの整備にはまだ月日がかかるだろうが、ライフラインの復旧は各国の援助もあり、ほぼ完了していた。
仮設住宅も、現在急ピッチで進んでいる。
昼間などはひっきりなしに工事のトラックが砂埃を立てながら走ってる。
各地に避難していた人たちも、少しずつだがこの街へと戻って来ているようだ。
そして子供たちの元気な声があちらこちらで響くようになっていた。
俺は水筒に入れたホットコーヒーを飲みながら、この夕暮れ時を楽しんでいた。
朝、挽きたてを入れたコーヒーだが、さすがにこの時間では温くなっていた。
現地の人がくれた豆、無銘だけれど香りは今まで飲んできたコーヒーの中でも格別だった。
腕時計が振動する。時計を見るとデータ通話の着信を知らせる案内が表示されていた。
時計をタップしアプリを起動する。
そして耳に入れていたカナル型のブルートゥースイヤホンのスイッチを入れる。
「佐藤です」
「やあ、今日も港かい?」
電話を掛けてきた相手は同僚のアメリカ人医師だった。彼とはここにいるメンバーの中では年が一番近く、職場では2年先輩に当たる人だった。
「そうだよ、気分をリセットするのに最適な場所なんだよ俺にとっては」
「なるほど、リセットし過ぎててあの事を忘れて、そこにいるわけだね」
「あの事って?」
同僚は笑いながら続けた。
「今日は取材を受ける日だったろ?記者さん、さっきからここで暇を持て余しているんだけれど」
「あ……今日だったか!」
思わず大きな声を出してしまう。やらかした、すっかり忘れていた。
「すぐに戻るから、もう少し待っててもらえるように伝えてくれるかな」
「了解、ちょっと待ってて」
彼が記者に説明する声が微かに聞こえてくる。いくらかのやり取りの後、再び彼が電話口に戻った。
「それならついでにこの近辺も撮影したいから、記者さんがそっちに向かうってさ、今キミがいるのは、いつもの港だよね?」
「助かります、いつもの場所だからわかりやすいと思う」
「じゃあ説明して向かってもらうよ、そこで待っててあげて」
俺は彼に礼を伝えて電話を終えた。
俺達の活動は自主性を保つ為に寄付金で賄われてる割合が非常に高く、広報も大事な仕事の一部だった。
今回の活動は国際的に大きなニュースであり、各国からの取材の申し込みも多かった。
しかし非常に大きな自然災害の為に復興活動が困難を極めた為、最近まで取材は断っていた。
だがようやく状況も改善され、こちらの活動も落ち着き余裕が出てきたので、取材を受け入れだしていた。
特に今回は日本政府からの要請があった流れもあり、日本の報道機関からの取材申し込みが多くその対応の多くが俺に集中していた。
そして昨日、本部から直接また取材の連絡を貰っていたばかりだった。
再び、海を眺める。
そしてあの人を思い浮かべた。この場所に来る度に頭の中はあの人のことばかりだった。
あの時の俺は何も出来ないただの少年だった。
だが今は違う…
不思議な気分だった。
いよいよ決断する時が近づいた時に、あの人を散骨した場所によく似た情景に巡り合うとは。
きっとこれも運命なんだろう。
俺はいよいよ決行することにした。期は熟した。
やれることは全てやってきたと思う。それに今なら誰にも迷惑は掛からないだろう。
ここまで来る10年は、長かったようでもありまた一瞬のようでもあった。
振り返る事なくここまで走り続けてきた。
あれから10年が過ぎた。
俺の人生を大きく変えたあの夏の出来事。
あの暑かった平成最後の夏の日から・・・
転生はしません。勇者も魔法もありません。すみません(笑)
未来から過去(現在)に戻って話は続きます。日常の普通な話がしばらくは続きますが
ゆったりとお付き合い宜しくお願いします。