~10/17
10/17、義父の末期がんが見つかった。余命三か月、だそうだ。
思えば、少し前から様子が変ではあった。3か月ほど前から、日課だった散歩に行かなくなった。以前は午前中から出かけ、夕方までパチンコ屋などに行っていたものだ。夏場で暑いからか、それとも甲子園を見るためかな、などと思っていたのだが。
9月に入ったころから、食事量が減っていった。生来小食ではあるものの、それでも出された食事の半分くらいは食べていたように思うのだが、大部分を残すことが多くなったのがこの頃だったように思う。
10月に入ると、ほとんど食事を取らなくなった。それでも牛乳やヨーグルトなどは食べていたと記憶している。一日中寝ていることが増えた。この頃になると、家族も心配して病院の受診を勧めるようになったが、病院嫌いの性格が災いしてか、自分からは決して病院に行こうとしなかった。
10月第2週になると、自分一人で立ち上がってトイレに行くのも億劫そうにしている姿が見られた。左耳の下あたりに腫瘍が目立ってきたのもこの頃だ。
家族で相談し、これはもう無理やりにでも病院に連れていく他ない、と結論付け、10/12に近所の内科を受診。その際自分の力で階段を下りることができず、3階の我が家から半分抱えるようにして下った。問診、検査を経ての結果は「原因不明」。大きな病院での検査を勧められ、自宅からほど近い県立病院への紹介状を書いてもらうこととなった。
…自分は受診に同行した訳ではないが。確定診断ができなかったため「原因不明」としただけで、この時には当たりが付いていたように思う。近所の内科医師とは自分も面識があるが、藪か名医かで言えば名医寄りの医師だからだ。
10/15、県立病院を受診。MRI検査などを経たが、またも確定診断には至らず。県立病院では生検(生検組織診断)ができないため、より大きな医大付属病院の受診を勧められる。
…見事なたらい回しである。病院に行くだけでも、本人も家族も結構大変なんだが。
そして10/17、医大付属病院を受診し、末期の喉頭がんが見つかったのだった。