自分で自分を見る
皆様は猫をかぶった事ありますか?
私は裏表があること自体は悪いことじゃないと思います、でも人によって接し方が全く違ったり、特定の人にだけ当たりを強くするような人はあんまり良いとは思いませんよね?
裏表がない人間なんて、そんなにいないでしょう、世渡り上手な人たちは基本裏表があり、ちゃんとした猫のかぶり方を知っている人たちが大半でしょう、猫をかぶっているということは自分に何かしろ足りていない部分があるのを自覚し、それを補うために自分を取り繕っているんでしょうね、でもずっと猫をかぶっているとどうしてもボロが出るのが普通でしょう、私の解釈として表が猫をかぶっている状態で裏が素の状態という考えです、もしボロが出て素の自分が出てしまったら今まで与えていたイメージが変わってしまうでしょうね、それが良い方に転ぶか悪い方に転ぶかは、表と裏の差と相手によって転び方は大きく変わるでしょう。
ではどうやったらボロが出ずに猫をかぶり続けれるかってところですよね、世渡りが上手な人は自分を取り繕うのが上手いと同時におそらく無意識のうちに猫をかぶっている自分を裏側の自分が見ているんでしょうね、ゲームとかしているときに自分の操作しているキャラクターを見ている感じと言えばわかりやすいでしょうか?自分を客観的に捉えることに長けている人が世渡りが上手なんだと私は思います、自分を客観的に見れている人なら自然と猫をかぶっているんじゃないのでしょうか?。
では客観的に見れている人と見れていない人の猫のかぶり方の違違いとは、客観的に見ている人はかぶり続けるんじゃなくて必要な時だけかぶるいわばフード見たいな物ですかね?普段はかぶっていなく必要なときだけかぶることによって表と裏のコントロールができていると思います、次に客観的に見れていない人の場合、こちらは厳密に言うと猫をかぶると言うより猫をかぶり続けるって言う表現のほうが正しいでしょうね、自分の作った理想の自分というキャラクターを常に演じているのですから、こちらの場合表の面しか出ておらず、表と裏のコントロールをしていないのでふとした時に裏の自分が出てきてしまうのでしょう。
上記の事を踏まえて、今回私が言いたかったことは自分を客観的に見れていますか?ということを訪ねたかったんです、まぁ客観的に物事を捉えるのはとても難しい考え方だと私は思いますし、これができないからって困ることはおそらくはないでしょう、ですが生きていればいずれ自分が猫をかぶらないと行けない日が来るかもしれませんその時に少し思い出してみてください、猫をかぶっている自分を普段の自分の視点で見てください、それだけで上手いこと物事を進めることができるようになるでしょう。
PS、物事の捉え方は主に2つあります、主観的な捉え方と客観的な捉え方です、たまにはいつもと違う物事の捉え方をしてみるだけで世界が大きく広がりますよ。