暑い夏に感情の芽生え
連日の雨。倉庫の屋根にはビニールシートがかけられて雨漏れを防いでいる。ぬめっとした空気。湿度の高さを物語るように、H-81の丸い眼鏡はくもっていた。窓の修理している彼は、くもった眼鏡を吹いて汗をぬぐった。
「なおりそうかい。」
そばで見ていたS-77が訪ねた。彼の後ろからは興味深そうにD-27が修理の様子をみている。
「もうちょっとですよ。」
H-81はこの倉庫に来て以来、その手先の器用さをかわれて、今のように日曜大工のようなものをまかされていた。そこへ、E-99、F-80、BF-78の三人が様子をみにやってきた。
「お手伝いできることはありますか?」
長い髪をまとめ上手にお団子にしているE-99は、微笑みながら、作業中のH-81の背中に問いかけた
「いえ。もう終わりますので。ここを、こうやって。。。」
カタン
何かがはまったような音がした。
「ほらもう完成です。」
H-81はそういいながら、窓の修理の完成を証明するように、窓を開け閉めした。
「すごーい」
S-77の足下からD-27の幼い声が聞こえる。
「ほんとうに器用なやつだな。」
遠くの方からG-24の声が近づいてきて。
「いえ。この程度でしたら。」
そういって、照れたH-81は、窓枠についたホコリで少し汚れた手で頬をかいた。
次の瞬間、みなの目にうつる修理工が急に慌てだしたかと思うと、左右に2、3度揺れたあと、座っている脚立からバランスを崩して落ちてしまった。
「大丈夫ですか。」
E-99が思わず駆け寄る。
「いてて。」
照れを隠したH-81の声が聞こえた。その声はみなの笑を誘った。
「お茶にしましょうか。」
笑顔でBF-78が提案した。みな、それぞれの言葉で賛成する。
「カトー。お茶にしましょう。手伝って。」
BF-78は、カトー読んでキッチンの方へ向かった。
H-81が倉庫にやってきて一月が経つ。住人達の明るく友好的な性格にも助けられ、彼はすっかり馴染んでいた。彼の丁寧な言葉遣いは若干の距離を感じさせるようなものであったが、少しおっちょこちょいな性格であるため他の住人と仲良くすることができた。
特に彼の器用な手先からなされる技はみなの注目を集めた。窮屈だったテーブルも新しく作り変えられ、薄暗い照明も改善された。住人の中でも、幼いD-27は彼の仕事を興味津々に見ていた。そして、たまに真似事でよくわからないおもちゃを作って遊ぶのであった。
真新しいテーブルをみなが囲んだ。買い物にいったM-83とT-6を除いた7名で座るとかなりゆったりと座ることができた。
「髪、かなり思い切ったね。それでも似合うよ」
先日突然ショートヘアにしてきたF-80の髪形をG-24が褒める
「ありがとう。こんなに短くしたのははじめてだけど、似合ってるなら良かった。」
嬉しそうにF-80が答えた。
G-24とF-80は、他の誰が見てもわかるほど特別に仲が良かった。しかし、男女の関係にあるというわけでもなかった。というよりもG-24がそういった関係を嫌っていたのだ。そして住人の中でカトーだけはその事実を知っていた。二人の会話を耳にしながら、カトーはG-24の過去の出来事を思い出した。本人は全く気にしていないと言っていたし、過去のことは詮索しないのがここのルールでもあった。だからカトーがなにか気をかけて行動することはなかった。それに気にしなくとも、今だって皆が楽しそうに会話している。
「先ほど落ちたとき、怪我はなかったですか。」
E-99がH-81に尋ねた。
「大丈夫ですよ。」
いつもよりぎこちなくH-81が答える。
そのぎこちなさに誰かが気付く間も与えぬようにS-77が、
「ほんとにどんくさいな。窓を直して自分が怪我したら笑もんだ。」
といって、みなを笑かせてみせた。
H-81はみなと一緒に笑顔になりながら、先ほどのぎこちない自分の返事を反省していた。うまく口から流れ出ない自分の言葉に、よく彼は嫌な気持ちさせられるのであった。
雨が続く退屈な季節も、彼らは笑顔を絶やさず過ごすのであった。
長い間にわたって雨を降らしていた前線が去り、強い陽が照りつける夏がやってきた。倉庫のなかには扇風機が数代設置されたが、十分に暑さをしのぐことはできない。なかには、業務用の冷蔵庫に入って涼むものもいた。曜日の担当をのぞいて、主にキッチンでの仕事をしているカトーであったが、そんな住人の涼み方を怒ることはなかった。なぜなら彼らは、そこまでして暑さを避けないと行動不能になる可能性があるからだ。できることなら冷房を設置したいとも考えていた。
そんな暑さが続くある日の朝、いつものように、6時のBF-78の目覚ましでカトーは目を覚ました。T-6はこの間時計の修理をしたところなので、彼の時計が作動するのはもうしばらくあとである。カトーは大きく伸びをしたあと、いつものように髪を後ろで束ねた。ふとあたりを見ると、BF-78の目覚ましで目を覚ましたのは自分だけではないことに気づいた。
「おはよう。E-99。」
「おはよございます。カトー。」
E-99は、少しばらけた長い髪を整えながら答えた。
「他の連中を起こしてやってくんないかな。そろそろS-77が庭から戻ってくるだろうから、あいつと一緒にさ。」
カトーはそういって朝食の準備をしにキッチンへ向かった。
言われた通りE-99はS-77が庭から戻ってくると、他のみんなを起こしにいった。
「起きてください。ごはんですよ。」
彼女の声をそばで聞いた男性は、枕元から眼鏡をとり、それをかけてこう尋ねた。
「おはようございます。早いですね。」
「早いだなんて、いつも通り6時ですよ。」
「あれ。そうでしたか」
H-81はそう答えると、また自分のぎこちないしゃべり方が気になってしまった。
「他の皆さんは?」
「いまから起こすところです。」
彼は自分の言葉が少しづつ滑らかに口から出て行くのを確認するように話した。
「手伝いますよ」
「ありがとうございます。」
笑顔で答えるE-99をみて、また自身の言葉が気になってしまった。男性はむくりと立ち上がりながらその原因を探した。そして何かに気付く。H-81はその原因が真実かどうか、根拠を持たなかった。だから少し困ってしまった。
「みなさん起きてください。」
自分の思考を無理やり停止させるように言葉を出して、他のみんなを起こした。
みんなが起きてテーブルに座る。
カトーは朝食を持ってきて皆の前に配膳した。
H-81は、上品にパンにバターを塗って食べるE-99を一目見て、先ほどの思考に答えを得た。自分の言葉を口元に止めようとしているのは彼女だ。どうも彼女と話すときに言葉をは出てこずらくなって、口の中でとどまろうとしているようだ。そして、嫌な気持ちになるのだが、そこにはその気持ちと同様程度の幸福感が潜んでいたことも突き止めた。
彼はそんな結論にたどり着いた。そしてこの現象のより的確な表現を思い浮かべるのであった。