魔王の息子とセイレーン
「まぁまぁ、こんな辺鄙なところまで、よくおいでなさいましたこと!」
「・・・・・・それなりに苦労して来た割りには、歓迎されていないようで何よりだ。この仕打ちは俺に咎有ってのことか?」
「それはもちろん。いくら魔王さまの息子だって許せないわ!嫌い、キライ、だいっきらいよ!」
豆鉄砲くらった気分で幼いセイレーンの子どもじみた悪口を聞いていた。
現在地、海にほど近い草原。この島は、海上を漂流するこの世の楽園、ユートピア。ここを探しだすのには随分骨が折れた。その背に羽を、その喉に美しいうたを与えられたセイレーンたちの暮らす島、この世のうつくしいもの全てを集めた楽園。そう聞いていたのだが、着いて早々鳥乙女が突然現れたかと思うと、開口一番ぷんすか怒って木の枝やら小石やら投げつけてくるものだから、手に負えない。だって当たれば地味に痛いし、避けたら避けたで「どうして避けるのぉ!!」とか言って顔を真っ赤にして癇癪を起こしてしまう。
困った。
べちん。頭に木の実が当たる。痛む頭を抑えて、考えた。
どうすれば良いか分からないのもそうだが、その、何というか。
なんで怒っているのかがこれっぽっちも分からない。
* * * * * * *
「落ち着いたか。」
ぜえぜえはあはあ。
肩で息をする鳥乙女を見下ろす魔王の息子の眼は何だか少し呆れ気味。
「――――――落ち着いたけど、でも、あたし、怒ってるのよ。」
本来セイレーンというのはとてもおとなしい種族である。彼女らはその背に生えた羽で空を飛ぶことが出来る代わりに、その身体が酷くもろくできている。空を飛ぶための身体は肉も骨も密度が薄く、鳥の鱗と爪で出来た脚は歩くためのものではない。
だから長旅の疲れの後のこの暴挙に魔王の息子が軽くイラっとしてしまったって、何にも出来やしないのだ。ちょっと手を振り払いでもすれば、セイレーンの指の骨はたちまちパキっと折れてしまうだろう。物を投げ続ける腕を掴んだりすれば複雑骨折間違いなしだ。ちょっと力の強い自分のことだ、もしかしたら骨折どころじゃなくて、粉々にしてしまうかもしれない。――――旅先でそんなトラブル起こしたくない。ただでさえ滅多に来れない場所だし、できればここに2,3日は泊まっていきたい。
このユートピアという島は、まさにこの世の楽園とでも言うべき島である。世界中の美しい花が咲き乱れ、水は澄み、柔らかな草に覆われた大地と太陽に愛された温暖な気候。か弱いセイレーンのために有るかのような楽園は、世界の誰もが憧れる、魔王の避暑地。遠い遠い遠い未来では、きっと魔王の息子の別荘になる。――――――――だというのに足を踏み入れた瞬間から怒り状態の鳥乙女がお出迎えで、魔王の息子はうんざりしていた。
著しく低い身体能力。
穏やかな気性。
うつくしい歌声。
それがセイレーン。
そんな風に聞かされてたんだがなぁ。
「竜の娘の話と随分違うな。」
ぽつりとこぼせば、鳥乙女はきっ!と魔王の息子を睨みつけた。
「気安くおねえさまのお話をしないで!」
「おねえさま?」
「竜の姫君よ!美しい碧の鱗に赤い宝石をいただく、世界で一番美しい竜なんだから!!」
きぃきぃ喚くのにはもう慣れてきてしまったが、話の要領を得ない。いったい何の話をしてるんだ。
「―――――おねえさまには、あたしの兄様とご結婚して頂きたかったのに!」
「はぁ!?」
「あなた、おねえさまのこと、好きなんでしょう!魔王の息子から求婚なんてされたら、いくらご身分がお有りになるおねえさまだって断れるわけないじゃない!」
「はぁああああ!?おま、ちょ、それどこで聞いて来たんだ!」
顔が熱くなって声がうわずる。あぁ、全く正直な自分の身体が恨めしい!
だがそんなことはセイレーンの知ったことじゃないらしい。こっちの事情なんかおかまいなしにぺらぺらきぃきぃと一生懸命訴えかける。
「おねえさまが兄様のこと好きになってくれるかもしれないのに!卑怯だわ!」
「・・・竜の娘はお前の兄のことが好きなのか?」
「まだ引きあわせてもないから分かんないわよ!」
わぁああぁあああん。
とうとう泣き出してしまったので、魔王の息子はおろおろしながらハンカチなんぞを差し出して、幼い少女を慰めなければならなくなってしまった。
ひっくひっくしゃくりあげるセイレーンの話を要約するとこうである。
セイレーンは竜宮城に招かれて、竜の娘と仲良くなった。「おねえさま」のことはだいすきになったけど、セイレーンは自力で竜宮城へ行くことが出来ないし、そもそもこのユートピアからは滅多に出させてもらえない。
鳥乙女が竜を姉と慕うだなんて、身の程知らずな。
身内からもこそこそ陰口を利かれて悲しくなって、考えた。『兄様が竜の娘と結婚すれば、「おねえさま」はほんとうのお姉さまになるわ!』これは名案、と機を伺っている内に近々来島する魔王の息子が『竜の娘に恋をした』という話を聞いて激昂、今日のこの騒ぎに繋がった。らしい。
魔王の息子はとうとう頭を抱えたが、鳥乙女はさっきまでが嘘みたいにすっかり萎んで、ぽろりぽろりと大粒の涙を静かにこぼした。魔王の息子としては話の出どころが大変気になるところだが、セイレーンは魔王の息子がそわそわしていることなど露も知らずに、涙をぬぐいもせずに泣き続ける。じっと地面を見つめる姿は、何かに耐え忍ぶよう。
「"おねえさまの妹のあたし”って、とっても素敵だと思ったの。それにね、おねえさまが兄様のお嫁さんになったら、きっと毎日お会いできるでしょう。」
魔王の息子はセイレーンの話を聞いて拍子抜けして、口からするりと言葉が出てきた。
「お前、竜の娘に逢いたいだけのか。」
言った後で「ハッキリ言いすぎた」と慌てたが、セイレーンは返事もせずに唇を噛み締めた。
「・・・あたしだって分かってるわ。どうやったってユートピアにお呼びしたりなんかできないって。おねえさまはあたし以上にご不自由な身の上だもの。だから、あたし、竜宮城に行きたいの。魔王の息子のことがきらいなんて、きっとそんなの口から出まかせ。八つ当たりだわ。」
わがままなセイレーンは、「ごめんなさい。」魔王の息子に小さな声でそう言った。魔王の息子が嫌いとか、自分の兄と竜の娘が結婚したらとか、そんなのセイレーンの本音じゃなくて。ただ、ただ、竜の娘に逢いたいだけなんだ。
「――――――おねえさま。」
ぽつりとこぼした言葉にはセイレーンの心が透けるようだった。
さみしい。
「・・・よし、予定は切り上げだ。」
魔王の息子は立ち上がって空を見上げた。セイレーンは涙で腫れたまぶたで魔王の息子を見上げる。
「俺は明日ここを出立する。行き先は南の海の底も底、竜宮城。お前も行くだろ。」
「え、」
「魔王の息子が一緒なんだ、どんなセイレーンにだって文句は言えないだろ。何しろ、"ご身分がお有りになる"からな。」
「ほ、ほんとうに?ほんとうに竜宮城に?」
「着いた後お前がどうするかは自由だよ。さ、どうする?」
笑って手を差し出した魔王の息子に、セイレーンは太陽のような笑顔でこう言った。
「ありがとう!」
「でも握られたら折れてしまうわ。」
そう言って自力で立ち上がったセイレーンはふよふよと浮きながら最大速度で村に向かった。最大速度といっても、魔王の息子がちょっと早歩きした程度の速度である。
置いて行かれた魔王の息子はセイレーンの背中が小さくなるまで見送って、それからさっき差し出した手を握りしめ、何だかよく分からない虚無感と無言で戦った。さっきまであんなに泣いてたのに、けろっとしやがって。
男は黙って5秒半。
魔族の神たる父の教えである。5秒半、壮絶なファイトの末に魔王の息子は心を蝕む虚無感に打ち勝ってセイレーンを追いかけた。何しろ荷造りなんてか細い彼女らができるわけがない。魔王の息子がやってやらねば、明日出発できなくなるのはセイレーンの方である。
実を言えば、元々魔王の息子はユートピアの次は竜宮城に向かう予定だった。それはユートピアが南の海に浮かんでいるから通りすがりに挨拶しに行くだけで、竜の娘の小指の柔らかさやか細い指を思い出したからではない。断じて無い。ただ、ほら、ちょっと近いから。せいぜい船で5日だから。竜の王に親父の武勇伝とか聞きに行くだけだから。耳が熱いのも頭に血がのぼるのも、全部大体セイレーンに恥かかされただけだから。
・・・・・・・・・・男は黙って5秒半。
(5秒半、壮絶なファイトの末に魔王の息子は方向転換して自分の船に逃げ帰り、熱の灯った小指を抱えて顔を赤くしたまま床を転がることになる。もちろんセイレーンはひと通りはしゃいだ末に腕を折り、出航は1週間遅れた。)