竜の娘と人魚姫
竜の娘と人魚姫
この広いひろい世界には4つの海がある。そしてその海を治めるのは海の化身である竜の王。わたしが知る竜の娘は、竜の王の一人娘。鱗一枚からだって輝く、れっきとした竜のお姫様だ。
そしてそのお姫様は、いまわたしを自らの鏡台の前に座らせて、髪をいいようにいじっている。
「あの、」
「ふふ。動かないで、姫君。」
ひめぎみ、って。ほんとのお姫さまはあなたでしょう。
「ねぇ、あなたの髪はきれいね。人魚っていう種族はどこもかしこも美しい。きっと愛されるために生まれてくるんだわ。」
恥ずかしいことを言う竜の娘は鏡越しに穏やかな瞳でわたしを見つめる。だからわたしは「竜の方がよっぽど」という言葉をのみこんで、身を縮めてか細い声でお礼を言うことしかできなかった。
それにだって竜の娘は声もきれいね。なんて重ねながら、真珠や色鮮やかな貝殻をわたしの髪に編み込んで行くのだからわたしの頬が薄く色付いてしまうのも仕方がないこと。
「ねぇ、南の海はあたたかいでしょう。不便はなさってないかしら。」
「大丈夫です。ここは北の海よりもずっと過ごしやすいんですね。」
私が生まれ育った北の海はこの南の海よりもずっと冷たくて、暗くて、淡白だ。この南の海のように生き物も居なければ泳ぐのにも適していない。ただただ寒くて暗くて、おそろしい。
「あなたもそうおっしゃるのね。わたくしは、ここ以外の海へ行ったことがないから。」
竜の娘は悲しげに視線を落とした。
ずっとずっと昔、竜がたくさん居た頃は、4つの海をそれぞれ異なる王が治めていたと言われている。「年が近いから」という理由で竜の娘の遊び相手に選ばれるまでは信じていなかったが、どうやらそれは本当らしい。現竜王は南の海の竜宮城を住処とする南海竜王の血統で、野心を隠した竜たちは未だに王座を狙ってる。竜王は竜の娘をかわいがるあまり余所の海へは連れて行かないのだという噂は本当だった。だってきっと、竜の娘を殺したって次の竜王にはなれないけれど、この美しい竜を人質に取ったならば南海竜王は直ぐさま王座を明け渡してしまうだろう。
竜は孤独な生き物だ。
竜という生き物は群れを作らない。竜は竜として生を受けたその瞬間から一人前で、たとえ子どもの竜だってその力には並みの生き物じゃ敵わない。――――だからこそ、竜は家族を持たない。産まれた子どもは一声鳴くと、飛び立ち親から離れてしまう。竜は孤独な生き物だ。独りでだって、生きてしまえる。
もうずっとずっと何十年何百年も生き続けてきた南海竜王は、竜の娘が産まれたその時に涙を流したのだという。
竜の娘は死んだ母の胎から一人前になる前に取り上げられて、それからずっと南海竜王の側に。
南海竜王が流した涙は悲しみか、喜びか、悲運か、幸運か、憂いか。
南海竜王はずっと一緒にいられる家族を得て、孤独では無くなった。
だからこそ、喪うことを怖れている。
「でもね、満足してるのよ。」
「――――ほんとうに?」
4つの海を自由に泳ぐわたし達人魚からしてみれば竜の娘の境遇は不憫であるように見えるのだ。だって竜の娘はあの北の海の冷たさも、東の海の鮮やかさも、西の海の美しさも知らないでいる。
でも、それでも竜の娘は穏やかだ。「わたくしは満足しているわ。」
「だって、ここにはあなただって、魔王陛下だって遊びに来て下さるんだから。」
「魔王陛下と同列に並べられるだなんて、恐れ多い!」
わたしが慌てたように言うと竜の娘は面白そうに楽しそうにわらった。
「この世界の神様とだって並べちゃうくらい、あなたのことが大好きなのよ!」
(ふと鏡を見ればわたしは見たことがないくらい美しく飾り立てられていて、竜の娘が右から左からわたしを美しい瞳で眺めてはにこにこ機嫌が良さそうに笑って幸せそうにしている。わたしはこの美しい竜が言うことは本当なのだと知って、恥ずかしくなった。竜の娘はここでこうしていることで、本当の本当に満足しているのだろう。竜の娘は、世界の美しさを知らずとも生きることの喜びを知っている。わたしのだいすきな友達がつむぐ物語は、愛に満ちあふれて、世界を優しくするのだろう。)