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「来栖君」
「なんですか?」
夏が終わり、部室の窓には外を遮るかのように根を伸ばす大きな木が、夏とは違う色に葉を染め上げ始めていた。
部室の中は相変わらず二人だけで、窓と扇風機から流れてくる風は生暖かい。
寒い時は寒い時で早く暖かくなって欲しいが、夏は夏で早く涼しくなって欲しい。
パタパタと少しでも風が欲しくて下敷きで仰いでいると、さっきまで不規則に鳴っていたキーボードのカタカタという音が、ピタリと止んだ。
どうかしたのかと思って先輩を見たら、先輩の口の端が上った。
「金が高騰した」
ノートパソコンのモニターを此方に向けて、眼鏡を掛けた先輩はニコニコしている。
「先輩、金なんて持ってたんですか……」
株の次は金だ。
「売ったらね、結構ね、言い値が付いちゃった」
なんだろう、この感じ。
夏休み前にも一度、経験したことがある。
どうでも良いが先輩が此方にモニターを向ける際に、紙の束が何枚も落ちたのが気になって仕方がない。
「良かったですね」
立ち上がって、紙の束を拾い上げる。
紙を拾う為に下げていた顔を上げると、更に笑みを深くされた。
「来月の連休、空けておいてね」
「今度は、どんな話を見付けてきたんですか?」
紙の束を、空いているスペースの上に乗せる。
書類には文字がビッシリと印字してある。
公式やら科学記号やら社会情勢やらが羅列されている。細かい。
これ、大事な物なんじゃないのかな……。
うっかり忘れそうになるが、この人は凄く頭が良い。たまに放課後部室を空ける際には、教授の誘いを断れなかったと愚痴を零していた。
先輩は楽しそうに話を続ける。
「小さな人の冒険活劇」
「……それ、あの有名な御伽話じゃないですか?」
お椀に乗って冒険をするという……。
「ちょっと違うみたいだよ。面白そうだよ。いや絶対面白いよ」
文明は随分、発展をしたようだ。
大体はネットで解ってしまう。でも、先輩が言うのだから何か有るんだろうな。
本物の、隠れた御伽話が。
「今度は、全額出しますからね」
「折角、金、売ったのに……」
「勝手に売ってください」
不満そうに先輩は唇を尖らせている。
取り敢えず、バイトの時間を増やそうかな……。
「ねえねえ、丁度近くでお祭りが有るみたいだよ」
「へえ、何のお祭りですか?」
「収穫祭……、感謝祭だって」
大きく、眼を見開いてしまった。
先輩は、へらりと笑っている。
「行ってみようよ。林檎飴、食べたことないんだよね」
笑う先輩の眼は両眼共、薄い透明のレンズを通して同じ色をしている。
片方には、人工色を乗せて。
「なんか、グルメ旅行みたいですね」
「……本当だ」
僕が呆れたように呟くと、先輩は少し声を上げて笑った。
笑った顔は、あの時の面影を残していた。
なんか性格は変わってたけど。
それもまあ、お互い様なのだろう。
先輩の直ぐ後ろで白いカーテンが揺れて、葉の間から真っ青な空を覗かせた。
陽射しは強い。暑い日は、まだまだ続きそうだ。
「ところで先輩、その眼鏡、度は入ってるんですよね」
「入ってるけど、なんで?」
先輩が掛けている、黒縁眼鏡を覗き込む。
「コンタクトしながらうたた寝すると、眼球傷つけますよ」
一時間程前、先輩は椅子に座ったままうつらうつらとしていた。
先輩は口元を隠して、肩を小刻みに揺らした。
「……気を付けます。お母さん」
「……パソコンのコンセントとバッテリー、引き抜きますよ」
「ごめんなさい」
慌てて謝ってくる今の先輩の姿を見て、思わず僕も笑ってしまった。
今更になって廻ってきた約束が叶って嬉しくて、来月の連休が今から待ち遠しくて仕方なかった。




