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 朝食はバイキング形式になっていた。

 広間にはまだ早い時間にも関わらず、結構沢山の人で賑わっている。

 年配の、特に品の良さそうな老夫婦の方が多い気がする。

「お友達とご旅行かなにか?」

 取り皿に手を伸ばしながらゆっくりと振り返ると、年配の女性に声を掛けられていたのは僕だった。人違いだったらどうしようかと思った。

「あ、友達というか、あの大学の先輩と、です」

 背が低い、自分の胸元くらいから声は聞こえる。

 腰が少し曲がっているというよりも、元々低いのだろう。垂れた眼が可愛らしい、薄桃色のカーディガンを羽織った女性だった。

 多分、後ろでメニューを選んでいるのは男性は旦那さんなのだろうか。ご飯とパンの間を行ったり来たりしている。

 旦那さんに失礼かも知れないが、雰囲気の可愛いらしい人だった。

 「どっちにしようか?」と奥さんに声を掛けてきた。「それじゃ、お互い楽しみましょうね」とふわりと笑ってから、旦那さんのお皿に奥さんはパンを載せた。微笑ましい。二人で並ぶ姿を見ていると、こっちまで幸せな気分になれる二人だった。

「いいね」と、先輩も見ていたのか自分の耳よりも高い位置から声が聞こえる。「そうですね」と僕も笑った。

 穏やかな気持ちで振り向き、見上げた先輩の顔は眼が細められている。

 口調と表情が、どこかチグハグしている。

 なんというか、自分とは別のことを考えているような気がして思わず黙って先輩を見ていると「どうかした?」と言われた。首を振り「なんでもないです」と告げると、笑われた。

 口許は綺麗に弧を描くのに、先輩の顔はどうしても笑っているようには見えなかった。



 目当ての名前が印字されているプレートを見付け、主食以外の取り皿に食事を盛り付けて貰ってから席に着いた。

 料理が並ぶ皿の向こう側には、配膳の人が綺麗に料理を盛り付けて渡してくれた。 

 一人暮らしも四年目になると、ちょっとした感動を覚える。実家って、有難かったんだなあとこういうときに強く思う。


 どの席も大きな窓際にテーブルが設置されていて、白いレースのクロスが綺麗に掛けられている。

 今日もよく晴れているせいか光を受けた白を見ると、強い光の為か目がチカチカした。

 先輩も同じなようで、テーブルの反対側で何回か瞬きを繰り返している。

 眼が慣れ始めてから、先輩に話しかける。

「和洋中、何でも揃ってますね」

「そういえば、食事も売りの一つだと記載されていたなあ」

 次第に眼が慣れ始めて、箸に手を伸ばす。先輩も眼が慣れてきたようで、すんなりと箸に手を伸ばしている。

「ああ、お夕飯も美味しかったですもんね」

 魚メインの懐石料理だった。箸を伸ばす際にちょっと緊張した。

 先輩がジッと、こちらのお盆の上を見てくる。

「来栖君さ、見た目通りあんまり食べないよね」

 失礼だな。ヒョロイと言いたいのだろうか。

 僕のトレーにはお茶と、豆腐とワカメのお味噌汁一杯あと、小さなクロワッサンが一つ。以上である。

 朝は基本的にいつも抜いてしまっているので、見た目は関係ないと思う。

 だって、普段は食べないんだし。

「先輩も人の事、言えないですよ」

 先輩のトレーにはお茶と、白米と生卵がひとつ。あ、海苔も有るな。この味噌汁が加われば、立派なバランス食だっただろうに。味噌汁はトレーには乗っていない。でも、野菜が無いな。

「卵の栄養価は凄いんだぞ、ビタミンB1は凄いんだぞ」

「味噌汁も負けてませんよ、大豆にもビタミンB1が含まれてますしね。ところで先輩、箸をこちらに向けないで下さい。行儀が悪いですよ」

「失礼」

 小さく頭を下げた先輩は箸を白米に差込み、米だけを先に食べ始める。

 卵、忘れてるんじゃあと思って声を掛けようとしたら、半分くらいまで減らしたところで箸を一度置き、卵を割りいれて嬉しそうに再び食べ始めた。何の拘りだ。

 殆んど放課後くらいしか合わないので、小さなことでも新鮮に感じる。

 掛けようとした声を飲み込んで、自分も今度は特に緊張はせずに箸を進めた。


 短時間で食事は済ませ、早々に部屋へ戻る。

 目的が有って此処まで来たのだ。

 取り敢えず、先輩の筋肉痛は今日は、大丈夫そうだ。来るとしたら多分、明日以降になるだろう。ビタミンB1は筋肉痛に効果的らしいから。昨日の夕飯の温泉卵もダシが効いていて美味しかった。



 外の風は幾分か涼しいが陽が高いせいもあり、やはり暑いものは暑い。

 じわりと背中に荷物以外の重みが加わる。自然と足が、木陰の方に向いてしまう。

 土は乾いてサラサラしているので、ちょっと動かすと小さな砂埃が足元に舞う。

 ここに来る為に通ってきた旅館前のアスファルトには、打ち水が掛けられていた。それがやけに涼しそうだったのを思い出す。

 旅行が終わったら、プールにでも行こうかな。ああでも、先にレポートも上げてしまいたい。バイトももう少し入りたいな。これといった趣味が有るわけでもないが、したいことが結構ある。


 足元に落ちていた小枝を踏んだらしく、パチンと乾いた音が耳に入る。

 それ以外の乾いた音が自分の後方から聞こえてきた。パリパリと、乾いた音だ。

 何となく、予測は付いていた。

 少し溜息混じりに、音の方へ声を掛ける。

「そこに自販機が有りますから、お茶とか買っておいた方がいいですよ」

 先ほど部屋に持ち帰っていた白い長方形の小さな袋から海苔を取り出して、口に加えながら此方に先輩は歩いて来る。袋には宿泊先の旅館名が印字されている。

 昨日とは違って至って軽装の先輩は、少しだけ大きめのウエストポーチを腰に巻き付けているだけだった。

 身軽なのは良い。

 だがそのポーチには飲み物が入っているようにはどうしても見受けられない。ペタンと凹んでいる。

 初日に旅館まで歩いて来る際に、自販機なんて途中に幾らでも有るだろうと着いて三十分ほどで飲み物を飲み干し、人の分まで飲み干したのに。山道に、そんなホイホイ自販機は無いですよって言ったのに。

 また同じパターンは勘弁して戴きたい。

 普通に有ると思っているものほど、意識すると見当たらない。

 今日も暑いし、それに脱水症状でも起こされたら溜まらない。自分よりも背の高い先輩を、担いで歩くなんてしたくない。


 素直に自販機の前で指を左右に動かしながら先輩がぼそりと呟いた台詞が、耳にすんなり入り込んできた。

「炭酸系……」

「お茶か水かスポーツ飲料!」

「水にしようかな」

 先輩は携帯をジーンズのポケットから取り出し、自販機に二回翳す。ピピッと電子音が鳴り大きな音が二回聞こえ、自販機から取り出した二本のうちの一本を、僕に手渡す。

 水が入った、よく見るメーカーのペットボトルだった。

「ありがとう、ございます」

「どういたしまして」

 にこりと笑った先輩は、クルリと前方に向き直り、軽快に自分の前を歩いて行く。

 さっき、先輩の分も買っておけば良かった。

 受け取ったペットボトルを、リュックの脇に付いているホルダーに差し込む。

 揺れて、もう一本のリュックの中の水音がやたら大きく聞こえた。

 その音を聞きながら、先輩の後ろを早歩きで追いかけた。




 山頂へと続く林道はハイキングコースになっているようで、土が階段のように積まれ、丸木で崩れないように等間隔に止め木が埋め込まれている。

 最後の段を踏むと、眼に入り込む光りに眼を細めた。

 ああ空が、近くなった。山頂だ。

 一時間ほど山を登ると視界が開けた。整備されたこの場所は見晴台のようになっている。観光スポットになっているらしく、休憩所や土産物屋が数件、軒を連ねている。人も割りと多く、賑やかだ。

 辺りをゆっくりと見渡していると、視界の先にお社と文字が記された石碑があった。お社と石碑に周りには花が囲うように群生している。人工的に植えられたのかもしれない。きちんと配列されている。

 白い小さな花が風に揺れると、線のようだ。

 ふと、先輩が隣に居ない事に気付いた。

 ポケットに手を入れ携帯を取り出し、電波が入っているか確認をする。

 アンテナは三本はいかないが、二本は確実に立っている。何とか為るだろう、そんなに広い場所でもないし。

 少し見て回ろうと思い、お社の方まで歩いて行く。花が囲うお社は小さい。隣の石碑に目を通していると、その石碑の後ろから突然声を掛けられた。

「来栖君、こっち」

 銀次先輩の声だ。

 そこに人が居るとは思っていなかったので吃驚して、一歩後退してしまった。

 先輩は石碑の後ろから顔を出さないので、自分が石碑の後ろに回りこむ。

「先輩、そこ、大丈夫なんですか?」

「行けるよ。土産物屋のお姉さんが教えてくれた」

 ちょっと急斜面の、獣道のような通りが石碑の後ろから下へ延びている。

 木からは枝が幾つも枝分かれをし葉が重なり合う。太陽の強い光も地面を小さな斑模様を映しているだけなので、全体的に薄暗い。

「でもね、あまり人が使わないらしいから気を付けてね」

 そう告げると先輩は細い、古い道なりに張られているロープを掴み今度は登るわけでは無く、下ってゆく。

 ちょっと不安ではあるが、自分もそのロープを頼りにゆっくりと薄暗い道に入り込んだ。

 足場が見た目通り悪い。最後にここを人が通ったのは、一体いつなのだろうか。簡単に足を取られそうになる。

 梅雨の時期から一ヶ月程しか経っていないからか、はたまた元々の地質のせいなのか、夏なのに足元の土は少し湿っている。砂埃が上がらない。

 途中、黄色い花が足元に偶に映りこんだ。足を取られそうに為る度に、手元のロープをしっかりと握り直す。

 先輩も何度か足を取られているのかもしれない。下る途中でロープがピンと張られる度に、寒くも無いのに指先が冷えていく感覚が取れなくて、片手は頼りないロープをしっかりと握ったまま交互に片手ずつ何度も手をグーパーした。

 湿度が高いのか、ジトリと纏わりつく暑さが気持ち悪くて首筋に汗が伝う度に小さく息を吐いた。



「来栖君、こっち」

 やっと足場が安定し、「はい」と小さな返事をするのがやっとだ。

 BGMみたいにジイジイと鳴く、油蝉の声で届いてないかもしれない。先輩の声も所々しか聞こえなかった。

 先輩も僕も黙ったままだったので、久々に会話をした気分だ。

 小さな革細工製のクローバーが付いたストラップを引っ張って、ジーンズから携帯を取り出して時間を確認しても三十分程しか経っていない。もっと時間が経っていると思っていた。


 足元ばかり見ていた目を一度空へ向けると、木々が一点を取り囲むように円になっているせいなのか鬱蒼とするこの場所の上空は、ぽっかりと天井に穴が空いているみたいだ。雲が余り無い。天気はいい。差し込む日差しが足元を照らす。

 意識してぐるりと辺りを見渡しても、やはり今は自分達しか居ない。

 人工的な音がしない。静か、と言ってもいいのかもしれない。

 葉の擦れる音が風が吹く度に耳に心地よい音を届ける。重なりある葉の隙間から陽の光が細く、糸のように注がれている。地面と空を繋いでいるかのようだ。

 静かに、一点を見詰める先輩に声を掛けた。

「小さな、お社ですね」

「そうだね」

 場所が場所なだけに、大分傷んでいるお社がポツンと一つ、取り残された様に建っている。山頂のお社とは大分違う。もっと小さい。

 前に誰か同じように来たのだろう。枯れた花束の残骸が目に付いた。夏の暑さで、いつ置かれたものかは推測出来ない。

 先輩は隣に有る、小さな石に刻まれた文字をなぞるように指を滑らせると、土が入り込んだ箇所を軽く、爪で弾く。

「花売り少女のお話だ」

「どんな話なんですか?」

 自分の目で確認するわけでもなく、先輩に直接聞く。

「上にあった石碑と同じ話だね。毎日、町に花を売りに行っていた少女が、大切な人の薬代を稼ぐ為に花を摘みに危険な山に一人で通い続けた。結果、大切な人の病気が治る頃には山から帰る事はなく、お互いが一人になってしまった。いつ少女が帰って来てもいいように、此処が帰る場所だと判るように少女の大切な人は、花が芽吹き難いこの地で花を育て続けた。という話が上にも此処にも記されているね。おそらく、この辺りに伝わる小話だ。不思議だよね。町では花は育たないのに、山には花が一年中咲いていたんだろうね。もしくは、特別な場所でも有ったんだろうね」

「哀しい話、なんですかね」

 結局はお互い、一人ぼっちになってしまったのだから。

 見上げた先輩の顔は、薄く笑っている。

「どうなんだろうね。有る意味、少女には幸福な話かもしれないよ」

「なんでですか?」

「彼女はやっと、自分の役目を終えることが出来たのだから」

「役目?」

「もう怖い思いをしなくて済むだろう」

 先輩はそっと、ポーチから小さな花を取り出した。先程、土産物屋の前を通り過ぎる際に見たものとよく似ていた、一輪の薄桃色の花はお社にではなく、石碑の前に添えている。

 今は、夏でなくても向日葵は手に入る。少女がこの時代に生きていたら、さぞ驚いたのだろう。

「なんで、こっちに供えるんですか?」

 特に何も考えず伝えた言葉に返事が返ってこなくて先輩の顔を覗き込むと、丁度視線がぶつかった。

 眼を反らされて、なにか不味いことを聞いてしまったのかと思ったら先輩は首を傾げた。

「んー、もう花が置かれていたから?」

 何てことはない返事に、小さく息を吐き出した。

「そうですか」

「うん、そうだよ」

 こちらを見ない先輩の顔は笑っている。

 僕も先輩も、けしてお喋りな方ではない。いつも部室では、沈黙の方が多いかもしれない。なのに、先輩と一緒にいると居心地は良かった。遠い声の混じる部室で、先輩のパソコンのキーを叩く音はいつも綺麗に聞こえてきた。

 距離を取り合っていると、何となくそう感じることもあったけれど。まあただの先輩と後輩なだけなのだけれども。

 だけど今日の先輩は、いつもよりもどこか変な感じがする。どこが、かは解からないけれど。

「僕も、花を持ってくれば良かったです」

「一輪で充分だと思うよ。花はもう、見飽きてるんじゃないかな」

 先輩は石碑の後ろに回ったので、僕もその後に着いて行く。

 また、道だ。

 奥へ伸びているが、今度は上に伸びている。このまま行くと連なっているもう一つの山へ入っていてしまうのではないだろうか?

 鬱蒼としているこの先を見ていると、薄ぼんやりとした暗がりとシンクロするように先へ進みたくないと思ってしまう。暗い場所は余り得意ではない。

 自分がいかに視界に頼って生きているのかが、こういう時よく解かる。

 重い足を踏み出す為に、頼りないロープを探す。しかし目を凝らして見ても、ロープが張られていない。

 コクリと、渇いた咽喉に唾が通り過ぎていく。 

 だからこそ、先輩の探している場所がこの奥に在るのかもしれない。

 先輩は先程よりも早い歩調で、薄闇の中に入り込んで行く。

 独りで行く気はやはり無いようで、立ち止まる僕に小さく手招きをしている。

 そのことに少し、安心した。

 足を取られそうになりながら、僕は先輩をまた追いかけた。

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