両親との面談
「お父様!、お母様!」
ドアを開けて入ってきた両親に、満面の笑みを浮かべてレイチェルが駆け寄る。手紙でのやり取りは数回あったものの、実際に会うのは8年ぶりだ。両親は美しく成長したレイチェルに驚き、そしてその屈託のない笑顔に安堵し、心から再会を喜んでいた。
そうして抱き合う彼女達を、少し離れた所からジン達は優しく見守っていた。
王都滞在3日目。昨晩は転生者の子孫と思われるケントとの思いがけない出会いがあったが、彼との約束はまた後日という事になった。今日は予定通り神殿に勤めるレイチェルの両親との面会の日だ。つい先程まで、案内された神殿内の一室で待機していた所だった。
「あたしも随分会ってないな……」
「…… ……」
ポツリと呟くエルザと、沈黙したまま何かを想うアリア。再会する家族を見て、それぞれに思う所があるのだろう。
勿論ジンも例外ではなかったが、彼は自分の両親だけではなく、現在も元の世界で生きている弟妹やその家族の事を懐かしく思い返していた。
「今度機会があったら、エルザが住んでいた村にも行こうか」
「え?! あ、ああ、いいって、そんな!」
先程はどうやら無意識に呟いていたらしく、エルザはジンから投げかけられて初めてその事実に気づいた様子だ。彼女は動揺しつつも否定したが、そこに照れ隠しの成分が多分に含まれている事は明白だった。だから当然ジンが言う事は決まっていた。
「うん、今度行こうな!」
いつになく少しだけ強引に言い切ったジンに、エルザは心臓を僅かに跳ね上がらせた。
「……はい。……(はっ!)機会があったらだぞ?!」
気が付くと自然とその言を受け入れてしまっていたエルザだったが、最後にそっぽを向きつつ一言付け加えたのがせめてもの抵抗だった。
ジンはそんなエルザに笑みを深くしつつ、もう一人アリアにも声をかける。
「アリアもリエンツに帰ったら一緒にお墓参りに行こうか。そうそう、ヒルダさんにお土産を買って帰らなきゃね」
ジンと同じく、アリアも両親は既に他界している。だが過去を偲び心を慰める事や、現在を共に生きる人との繋がりを確かめる事は可能だ。
「……はい」
やはり若干の寂しさを感じていたのは事実なのだろう。自分にも声をかけられた事に少し驚きつつも、アリアはジンの気遣いに僅かに頬を赤くしつつ俯いた。
「(頭を撫でたい……けど我慢、我慢)」
ジンがこうした事を思うのも実は初めてではなかったが、いつもの如くその気持ちを抑え込んでいた。
両親に抱きしめられて嬉しそうなレイチェルはちょっと遠かったが、エルザやアリアは手をのばせば届く範囲にいる。しかも彼女達との関係性を考えれば、そう難しいことではないはずだ。
ただ、ジンはそうは思わなかった。頭を撫でるという行為は、昔から女性が男性にされて嬉しい行為とされながらもその扱いは微妙で、仮に撫でる側の感情は別としても、受け入れる側が妙齢の女性であれば僅かでもその男性に恋愛感情を抱いてなければ成立しない行為だと昔からジンは思っていたのだ。だから信頼の意味での好意はあっても恋愛感情を持たれているわけでもない自分はやっては駄目だと、ジンは必要もないのに湧き上がった衝動を抑えていたという次第だ。
とは言え基本的にはそうだとしてもケースバイケースというのが実際の所だろうが、こと恋愛観においては老人の経験を持つが故に、逆にそれに囚われてしまう所がジンにはあった。……これまで決してモテるわけではなかったジンの人生を考えると、そう考えてしまうのも致し方ないことなのかもしれない。
しかし、今度は撫でる側ではなく撫でられる側の彼女達の感情は別にしたとしても、そもそもジンが頭を撫でたいと思ったその理由は何だったのだろうか。それは孫以上に年の離れた若人に対する慈しみの感情ゆえなのだろうか? それとも……。
実際の所は聞かれたとしてもこの時点ではジンは答えを持っていなかったが、彼がその衝動に耐えるのにそれなりに苦労していた事だけは、ここに明記しておこう。
そして幸いと言うべきか悩むところだが、ジンの苦悩はそれほど長くは続かなかった。再会を喜び合っていたレイチェル達もようやく落ち着き、ジン達がほったらかしになっていた現状に気付いたのだ。
「お待たせしてすみません。いつもレイチェルがお世話になっております。レイチェルの父、マクスウェルと申します」
「その妻、クラウディアです。ジンさん、先日はお手紙ありがとうございました」
若干気恥ずかしげなマクスウェルと、満面の笑顔で話すクラウディア。
彼女が言った手紙とは、レイチェルが同居を知らせる手紙を両親送った際にジンが添えた一筆の事だ。それはご両親に心配をかけない為の配慮であったが、結果としてそれが信用にも繋がっていた。
好意的な対応にほっと胸を撫で下ろすジン。続けて自分達も自己紹介しようと口を開きかけた時、先んじてレイチェルから提案があった。
「あ、皆さんの紹介は私にさせてください」
何故か少し自慢げなのが可愛らしい。ジン達にも特に異存はないので、すぐにその提案は受け入れられた。
「まずアリアさんです! 少し前までは冒険者ギルドの職員だったんですが、辞めて私達のパーティに入ってくれました。魔法が得意で、色んな事を知っていて頼りになるお姉さんです。大好きです!」
張り切って説明するレイチェルは若干空回り気味かにしれないが、それでもアリアに対する信頼や愛情が伝わってきた。それを聞かされるアリアは少し恥ずかしそうではあったが、口元にはっきりと笑みを浮かべており、明らかに嬉しそうなのが見て取れた。
「次にエルザさんです! 私より1年くらい先に冒険者になっていた先輩で、最初は初心者講習の指導役をしてくれたんですよ。特に大剣が得意で、私達のパーティの前衛を務めてくれています。努力家で、かっこいいお姉さんです。大好きです!」
身内に対してという事もあってか、堅苦しくなく、どちらかといえば拙い印象も受ける紹介だ。しかし、こうして嬉しそうに紹介されるのも悪くないなとジンは頬を緩める。実際、紹介を受けたエルザも照れ臭そうに笑っていた。
「そしてジンさんです! ジンさんは教会でお見かけしたのが初めてなんですけど、気になって一緒に初心者講習を受けて、そしてパーティを組んでもらいました。大人で格好良くて、色んな事を知ってて凄くて、そして優しいんです! しかも凄く強くて格好良くて、お祖父様みたいに頼れて、でも何かちょっと違ってて……あ、そうだ。お料理も上手で、ご飯はジンさん担当なんですよ。私も色々と教えてもらってます。それに……」
「(おおう、こいつは結構くるな……)」
まだレイチェルの紹介は続いていたが、もう既にジンはお腹一杯だった。自分がそんな大したものではないと思っているジンにとっては、こうまで褒められ過ぎると逆に褒め殺しの気分になってしまうのだ。ジンがふと横にいるアリアやエルザの方に視線をやると、少し苦笑いの彼女達と目が合った。
ジンもつられて苦笑いを返しながらも、レイチェルの言葉に嘘はないとも感じていたので、戸惑いはあったが内心は嬉しく思っていた。
「……で、強いだけじゃなくて優しい、私達の頼もしいリーダーです。勿論大好きです!」
などと「ムフーッ」という擬音が聞こえてきそうなほど小鼻を膨らませて言い切ったレイチェルだったが、言われた方はかなりの衝撃を受けていた。
「(かーっ、照れる! 恥ずかしすぎる! 好きなんて言われたのは何年ぶりだ?! いかん、顔が赤くなってしまうのが止められん)」
照れ臭さをごまかす為、頭を掻きつつ顔をそむけるジン。レイチェルの純粋な好意はジンにとっても嬉しいもので、その顔は赤く染まっていた。
一方で落ち着いたレイチェルもふと我に返って最後の自分の発言を反芻しており、ようやくその大胆さに気付いて同じく赤面していた。羞恥と戸惑い、そして言ってしまったという僅かな達成感等と、彼女の見せる表情は数瞬の間にめまぐるしく変化した。だが、その可愛らしく魅力的レイチェルの様子を、顔をそむけていたジンだけが見ていなかった。
そう、せめてこの時レイチェルの表情をジンが見ていたならば気付いた可能性も0ではないが、まったく度し難い事に、この期に及んでも未だジンはここで示された好意はあくまで友誼や信頼のそれだと思っていた。
……まあ、ある意味ジンの反応には慣れっこのアリア達からすれば、赤面するジンに一瞬動揺はしたものの、大きな動揺を見せることなく満更でもない様子のジンを見れば、その内心は何となく想像がつくものだ。流石に当事者であるレイチェルは一歩遅かったが、既にアリアとエルザは顔を見合わせて苦笑していた。
だが、傍から見ればそう見えないというのが問題だった。
「いかーん! 許しません! 結婚なんてまだ早い! お父さんは許しませんよ!」
そう突然激昂したのは、レイチェルの父マクスウェルだ。盛大な勘違いからの発言だが、それも無理はない。
8年ぶりに娘と再会した喜びに浸るのもつかの間、娘が連れてきた男を惚気まくって紹介し始めたかと思えば、最後は親の目の前で告白して互いに赤面して照れあう姿など、傍から見れば想いが通じ合っているとしか思えない。男親にとっては、まさに悪夢以外の何物でもないだろう。ましてや、まだ10歳にもなっていない過去のレイチェルの姿が脳裏に残っているから尚更だ。
そこで一気に結婚まで話が飛んだのはマクスウェルの早合点だが、シチュエーションを考えれば仕方がないと思えるところもあった。
ただ、そう誤解されたことにレイチェルは更に真っ赤になり、一方そんな事は欠片も思っていなかったジンは慌てて弁解し始めた。
「いや、違うんです。誤解ですお父さん!「お父さん???!!!」あ……」
こうしてしばらく騒がしい時間が続いたが、これもまたある意味平和な証拠とも言えるだろう。
「すいませんでした」「いえいえこちらこそ」「いえいえ……」「いえいえ……」
少し後、そこには誤解が解けて平謝りのマクスウェルと、何故か同様に頭を下げるジンの姿があった。
結局ジンが何を言っても誤解する材料が増えるだけだったが、当事者であるレイチェルの一喝と、母クラウディアの援護射撃があってようやく誤解が解けた次第だ。もしジンが以前同居報告の手紙に一筆添えるような律儀な行為をしていなかったり、クラークからジンの人となりを知らせる手紙をマクスウェルが受け取っていなかったならば、これほど早く信用を回復するのは不可能だっただろう。
「ほら、あなた。もうそれくらいにしないと。あんまりしつこいと、レイチェルに嫌われますよ」
散々恥ずかしい思いをしたレイチェルの顔には、流石に未だ不満や不機嫌な感情が色濃く残っていた。マクスウェルは慌てて咳払いすると、打って変わって真剣な面持ちで語り始めた。
「わ、わかった。……んんっ、ジンさん、アリアさん、エルザさん、お見苦しい所をお見せして申し訳ありません。皆さんもご存じの通り、この8年間、私達はレイチェルに親らしいことを何もしてやれませんでした。ただ遠くから心配するだけで何も……。ですが、あのリエンツの街でレイチェルは貴方達と出会う事が出来た。図らずも今日この娘の色んな表情を見れたのも、全て貴方達のおかげです。ありがとうございます。そして、これからもレイチェルの事をどうかよろしくお願いします」
それはマクスウェル夫妻がジン達に会ったら必ず言わなくてはと思っていた事だった。
8年前に『加護』の重さに苦しんでいたレイチェルを、父でありこの国でも5本の指に入る神官でもあるクラークに預けたのは苦渋の選択だった。だが、そこまでしてもレイチェルの屈託が晴れる事はなかった。
ただ、それもジン達と出会う前までの話だ。ジンと出会って以降、レイチェルはどんどん変わっていった。生来の明るさや笑顔を取り戻し、何事にも積極的に動くようになった。クラークからの手紙でその事実は知っていたが、今日自分達の目で確認することが出来た。先程レイチェルが見せた笑顔は勿論、怒り顔さえも彼らにとっては嬉しいものだった。それらも全てはジンと、アリアと、エルザと出会えたおかげだ。彼らにとってどんなに感謝しても、し過ぎるという事はなかった。
そしてその想いに対するジン達の答えは、頼まれるまでもなくとっくに決まっていた。レイチェルの為にジン達の存在が必要だったように、ジン達にとってもレイチェルの存在なしに現在の自分はないのだ。
笑顔で視線を交わす4人には、既に確かな絆があった。
うーん、伝わりますかね? 感情の表現に悩みます。
今回は何とか1週間以内に更新できました。次も頑張ります。
ありがとうございました。