会食
少し長めです。
「皆さん、良くいらしてくださいました。急にお誘いして申し訳ありません」
孤児院から戻ったジン達がエルザやレイチェルと合流し、予定通り皆で王都観光を楽しんだその日の夕方、彼らは王都のとあるレストランの前でオルトに迎えられた。
今日の昼に集合場所である宿に戻ったジン達を待っていたのは、オルトからの夕食の誘いだった。
「いえ、お誘い頂いて嬉しいです。私達も今晩の食事をどうするか決めていませんでしたし、オルトさんお勧めのレストランなら期待できますから」
最後は少し冗談めかしながらジンは言った。
食事の誘いは絶対に今日と指定されていたわけではなかったが、明日以降はエルザやレイチェルの予定があったので今日にしたのだ。
「ありがとうございます。そのご期待には添えると思いますよ」
オルトは柔らかく微笑むと、ジンに合わせておどけるように返す。そしてその和やかな雰囲気のまま、彼らは連れだってレストランの中へと入っていった。
落ち着いた雰囲気の店内を進み、案内された先はテーブル席ではなく奥の個室だった。そこには4人の先客がいた。
「ジンおにいちゃん!」
大人達が椅子から腰を上げてジン達を迎える中、真っ先に駆け寄ってきたのはアイリスだった。
「こんばんわ、アイリス。今日はおめかししてるね。可愛いよ」
今日のアイリスはドレスを身に纏い、髪飾りなどのアクセサリーも身に付けている。幼い子供が背伸びしてお洒落をしている様子にジンは目を細め、らしくない褒め言葉をアイリスに掛けた。
……子供相手というのが若干情けないが、ジンとて全くの朴念仁ではないのだ。
「ようこそ、皆さん」
照れて嬉しそうに笑うアイリスの頭を撫でていると、次にアイリスの祖父であるシラクが近づいてきた。おそらくアイリスのおめかしは、彼の孫愛が爆発したせいだろう。
そのすぐ後ろでは微笑みながら佇んでいる二人の女性がいた。一人はジン達もよく知るアイリスの母イリスだが、シラクより少し若いくらいの年齢に見える女性は、初めて見る顔だった。
「初めまして。私はシラクの妻でオルトの母であるダーナです。ジンさん、アリアさん、エルザさん、レイチェルさん。どうぞよろしくお願いします」
ジン達が薄々感じていた通り、彼女はシラクの妻ダーナだった。ジン達全員の名前を読んで挨拶するところに、彼女がしっかりとした女性である事が感じられた。
「お招きいただきありがとうございます。ダーナさんには初めてお会いします。私がジン、そして……」
「アリアと申します」
「エルザです」
「レイチェルと申します」
既に相手が知っていたとしても、ジン達が自己紹介を省く理由にはならない。そうしてお互いの挨拶が済んだところで、各々が席に着くことになった。
「アイリス、お兄ちゃんの隣が良い!」
などとアイリスが言いだし、それまで隣だったシラクが打ちひしがれるという一幕もあったが、結局アイリスの席は無難にオルト夫妻に挟まれる形で落ち着いた。幼い子供の食事というのは、これで結構大変なのだ。
そんな一部例外はあるが全体的に和やかな雰囲気の中、食前酒での乾杯の後に食事会が始まった。
オードブルから始まるその食事は、高級レストランでお馴染みの所謂コース料理というやつだ。ジンは元の世界でもこういう料理を食べた経験は少なかったが、不思議と懐かしさを感じていた。
「こういうスタイルの料理は久しぶりなんで、ちょっと緊張します」
そう言いながらジンは、季節の野菜のゼリー寄せという洒落た料理を綺麗に切り分けて口に運ぶ。コンソメゼリーと歯ごたえのある野菜、そしてゆでた海老のぷりぷりとした食感が素晴らしい一品だ。流石にこういうメニューはジンの料理のレパートリーにはないので、ジンも含めアリア達も若干緊張気味だ。
「今ではこういうスタイルの店も増えてきましたが、元々はこの店が発祥なんです。この料理もそうですが、他にもこの店発祥の料理がたくさんあるんですよ」
笑顔でそう語るオルトには、どこか含みのある悪戯っぽい雰囲気があった。
「お、来ました。これを紹介したかったんですよ」
続けて給仕が持ってきた二品目は、彩野菜のサラダだ。そしてその隣には、見覚えのあるソースが添えられていた。
「お、これは!」
「はい。マヨネーズです」
若干酸味が強かったが、確かにそれはジンもよく知るマヨネーズだ。
「……なるほど、この店が以前おっしゃってたマヨネーズを出すお店だったんですね」
微笑みつつ確認するジンに、オルトも笑顔でうなずく。初めてジンがマヨネーズをオルト達に供した際に、彼が何処かで食べた事があると言っていたのが此処だった。
ジンを驚かすという小さな悪戯が成功し、オルトは勿論驚かされたジンも声を出して笑った。
そしてマヨネーズに反応したのは、ジン達だけではなかった。
「ジンお兄ちゃん、アイリスもうお野菜食べられるよ、見てて!」
そう言ってマヨネーズを付けた野菜を頬張るアイリス。ジンお手製のマヨネーズは、今でも定期的にオルト宅に持って行っている。その甲斐あってか、アイリスの野菜に対する苦手意識も大分改善されているようだ。自慢げなアイリスにジンは微笑みかける。
「えらいぞーアイリス。お野菜は栄養があるから、一杯食べような」
「うん!」
へへー褒められちゃったと嬉しそうなアイリスを、そこにいる誰もが優しく見つめた。それは彼女と離れて暮らしているシラク夫妻にとっては尚の事で、アイリスの成長に一層目を細めた。
その後もスープ、魚料理、肉料理そしてフルーツやデザートと、ジン達は存分に料理を楽しんだ。マヨネーズはこの店のオリジナルメニューとして他店では出していない為、この店の代名詞とも言える品だ。サラダ以外にも魚料理の皿でも登場し、ソテーした魚の切り身にマヨネーズを乗せて焼いたそれは、シンプルだが淡白な魚に濃厚なマヨネーズが絡んで美味しかった。
そうして食事を楽しみつつ、ジン達はお互いに親睦を深めた。
「ジンさん、アリアさん、エルザさん、レイチェルさん。改めてお礼を言わせてください」
一通りコースが終了し、最後のメニューであるデザートと紅茶が出たところで、シラクが改まって口を開いた。
「昨日はきちんとしたお礼を言えず申し訳ありませんでした。昨日初めて知りましたが、数か月前にアイリスは大きな病に罹ってしまったと聞いております。そして皆さんはその病気を治す為に奔走してくださったとか。また、貴方方のご尽力がなければ、こうして元気なアイリスと会う事は出来なかったとも聞いております。皆さん、本当にありがとうございました」
そう言って深く頭を下げるシラク。続けて妻ダーナも口を開く。
「しかも今のリエンツは迷宮が発生して、冒険者の方々はお忙しいはず。それなのに今回ここまでオルト達を護衛してくださった。こうして夫が元気になったのも、家族そろって無事に送り届けてくれた皆さんのおかげです。本当にありがとうございます」
今回の食事会は、そもそもこのお礼を伝える為に開いたものだった。単なる護衛の冒険者とその対象者という関係ではないのは昨日の別れ際の様子で察する事が出来たが、流石に家族ぐるみで長い付き合いがある事や、魔力熱の一件でひとかたならぬ恩を受けていたとは思ってもみなかったのだ。
冒険者に対する対応としては、昨日のそれも丁寧なものだった。しかし、息子達の友人であり孫娘の恩人でもある者達に対してと考えると、決して充分な物とは言えなかったと二人は考えたのだ。
そろって頭を下げるシラクとダーナの二人は、どこまでも真剣だった。
ただその雰囲気は、幼いアイリスを少し不安にさせてしまった様だ。ジンは心配そうなアイリスを安心させる為に微笑みかけると、二人に向き直って穏やかな声で語りかけた。
「どうか頭を上げてください。私達は当たり前の事をしただけですから」
その台詞に頭を上げるシラク夫妻に、続けてジンは口を開く。
「私達は冒険者です。依頼があれば全力でその解決に取り組むのは当たり前の事です。こうして感謝していただけるのは本当にうれしいですが、私達もやりたい事をやっただけなんです」
そこでジンはアイリスに視線を移し、微笑みかける。
「それにアイリスとは友達なんですよ。友達が困っているなら助けるのも当たり前の事じゃないでしょうか?」
少し悪戯っぽく問いかけるジンに、シラク達もようやく笑顔を見せた。
「それでも言わせてくれ、ありがとう」
「はい。どういたしましてです」
今度はお互いに笑顔で、そう言った。
こうしてシラクやダーナとも一層親睦を深めたジン達は、その後お茶を飲みながら和気あいあいと会話を楽しんだ。その中で、ジンもお礼を言っておかなければならない事を思い出した。
「そう言えばオルトさんに紹介いただいた借家のオーナーさんは、元々シラクさん達のお知り合いの方だとか。おかげで快適に暮らせています。ありがとうございます」
「いや、儂はオルトに紹介しただけで何もしとらんよ。あの家にジンさん達が住んでいる事も、今知ったくらいだ。しかし成程、どうりで……」
シラクは腑に落ちたと言わんばかりに頷いている。その反応が気になったが、ジンより先にオルトが口を開いた。
「そうそう、父さん。あの家のオーナーさんは何処にお住まいなんだい? ジンさんに挨拶に行きたいから紹介してくれと頼まれていたんだけど」
それは王都までの旅の途中にジンがオルトに頼んだことだった。純粋にご挨拶したいという思いは勿論あったが、それ以外にも理由があった。
現在ジン達が住んでいるあの日本式の間取りの借家もそうだが、味噌や醤油など他にもジン以外の転生者の存在を匂わせる事がいくつもあった。もしかするとオーナ―さんはその子孫ではないかと考えていたのだ。
会ったからどうなるというものでもないはずだが、ジンはただ会いたいと思ったのだ。
「ん? 知らなかったのか。儂はてっきりわかった上でこの店で食事する事に決めたんだと思ったぞ」
「どういう事?」
「だからこの店の(コンコン)……」
言いかけたシラクを遮るかのように、ドアをノックする音が聞こえた。そしてドアを開けて入ってきた人物の顔を見て、シラクは歓迎の声を上げた。
「おお、ケントさん。お久しぶりですな!」
「今晩は、シラクさん。いらしていると聞いてお邪魔しました」
席を立ったシラクがケントに近づき、固い握手を交わす。その人物――ケントは黒髪に白髪が交じった60歳くらいの中肉中背の男性だ。そしてこのケントと言う名前に、「あっ!」とオルトが反応を見せた。
「この方はこの店のオーナーであるケントさんだ。オルトは直接お会いするのは初めてだな。ケントさん、これが三男のオルトです」
「お初にお目にかかります、ケントさん。息子のオルトです。……リエンツの借家の件ではお世話になりました」
ここで漸くジンも気づいた。さっとシラクの顔を見ると、彼も肯定するかのように笑顔でうなずいた。
先程シラクが言いかけた人物とは、まさにこの店のオーナーである彼の事だったのだ。
その後もお互いに自己紹介や挨拶を交えつつ、シラクがこの場にいる全員を紹介していき、最後にジン達の番になった。
「……それで彼らが息子達の友人でリエンツで冒険者をしているジンさん、アリアさん、エルザさん、レイチェルさんです」
「ほう、リエンツの……」
ケントの方は何か引っかかった様子だが、それもそのはず。オルトの友人でリエンツの冒険者となれば、借家の事を連想するのは当然の流れだ。
「初めましてケントさん。改めて自己紹介させていただきます。リエンツ所属のパーティ『フィーレンダンク』でリーダーを務めさせていただいております、ジンと申します。私達4人はシラクさんとオルトさんからご紹介いただいて、ケントさんが所有されているリエンツの借家を拠点として活動しております。その節は格別のご配慮を賜りありがとうございました。おかげ様で毎日快適に暮らす事が出来ております」
まずジンが礼を言ったのは、借家の家賃の件だ。本来なら小金貨3枚でもおかしくない広々とした庭付き一戸建ての物件が、破格の小金貨2枚(約20万円)で借りられているのだ。使い勝手もよく、どこか懐かしさを覚える造りはジンの癒しの一つだ。
「やはりそうでしたか。いえ、現役の冒険者の方達に使って頂けているのなら、曾祖父もきっと喜んでいる事でしょう。こうして引退後は王都でレストランを開いておりましたが、冒険者時代の事は良い思い出だったようですし」
そう語るケントに日本人の面影はない。しいて言えば黒髪だが、その瞳は青だ。また、その口ぶりからすると、転生者と思われる人物はどうやら存命ではないようだ。
少しだけ残念な気もするジンだったが、同時にどこかスッキリしたものを感じていた。
「そうそう、今夜の料理はいかがでしたでしょう。お楽しみいただけたでしょうか?」
一通り挨拶がすみ、いよいよ本題にはいった。
そもそもケントがこの部屋に来た目的がこの確認だ。友人であるシラクに会う事も目的の一つだが、時にこうして直接お客に評価を聞くのも、オーナーである彼の務めの一つだ。
無論ジン達は今夜の料理に満足していたし、何も問題は無かった。無かったのだが、ここでアイリスが小さな爆弾を落とす。
「美味しかった! お兄ちゃんのマヨネーズも好きだけど、ここのも美味しかった」
「「「「「………… …………」」」」」
確認しておくが、マヨネーズはこの店にしかないオリジナルのソースで、その製法は門外不出の極秘事項だ。アイリス以外のジンがマヨネーズを作れる事を知っている者達は目をそらし、知らないシラク夫妻は目を丸くしてジンを見つめていた。
「……えーっと。あくまで個人で楽しむだけにしておりますので……」
実際その通りなのでやましい事は一つもないはずだが、ジンはどこか気まずそうだ。少し顎に手を当てて考えていたケントが口を開く。
「……もしかして、ジンさんは曾祖父と同じ故郷のご出身なのでしょうか?」
「……はい。恐らく」
何故か必要のない罪悪感を感じつつ、神妙な様子でジンが答える。その答えに対するケントの反応は、納得だった。
「なるほど、そういう事でしたか。……詳しくは語らなかったそうですが、マヨネーズ等の調味料は曾祖父の故郷では珍しくなかったそうです。確かに積極的にこのレシピを広めるつもりはありませんでしたが、ジンさんが既にご存じな以上、私どもに気兼ねする必要はありませんよ」
ここでケントは勘違いしていたが、ジンが知るマヨネーズの作り方はごく一般的なものだ。確かにレシピを知っていればマヨネーズを作る事は誰でも比較的簡単に出来るが、実際は気を付けなければならない事がある。それは食中毒の問題だ。
ジンも衛生管理が大事という事は理解していたので、レイチェルの『浄化』によって殺菌し、さらに『鑑定』で状態を確認していた。こうすれば確かに安全だが、勿論、普通はそんな事は出来ない。
これはジンも知らない事実だが、本来なら卵黄はお湯で湯煎をして殺菌する必要があったし、菌が繁殖しないPHに調整するための酢の分量もかなり重要だった。元々ジンにそのつもりはなかったが、実際とても一般に広めていいレベルの知識ではなかった。
「そのつもりはありませんので、ご安心ください」
現物を解析して再現するのは、このレストラン以外の料理人の仕事だ。それを安易に邪魔するつもりはジンにはなかった。
「しかし同郷とは不思議な縁だな! 驚いたよ」
どうやら一安心なようだと、シラクがわざと大きな声を出して場の緊張感をほぐす。実際はジン達が勝手に緊張していただけだったのだが、何事もなく穏便に済んでほっとしていた。
そんな反動で弛緩した雰囲気の中、さらにケントは笑顔で口を開いた。
「……ジンさん、曽祖父と同郷の貴方に是非お見せしたいものがあります。今度我が家においでになりませんか?」
どうやらジン達の王都滞在は、何かと忙しい毎日になりそうだった。
予定よりかなり遅れ、お待たせして申し訳ありませんでした。
こうした話はテンポよく更新した方が良いのはわかっているんですが…。
宜しければ次回もお付き合いください。
ありがとうございました。