久々の依頼
「だいぶ依頼が溜まってるね」
掲示板に鈴なりになった依頼書を前に、ジンは深くため息を吐いた。
あれから数日後、気分転換も兼ねて久しぶりに一般依頼を受けようとギルドにやって来たところ、処理しきれずに溢れる依頼を目の当たりにして、今まで気づかなかった自分の鈍さに落ち込んでしまったのだ。
「やっぱり皆さん、迷宮にかかりきりなんでしょうね」
レイチェルが言う通り、確かに迷宮の出入りが制限されているFやEランクの依頼はいつも通りの量に近いが、Dランクや特にCランク以上の依頼が多く残っているようだ。
比較的短期間で出来る魔獣退治の依頼は少な目だが、それなりに時間を取られる採取や他の街への護衛依頼などが特に滞っている。
「私達も他人の事は言えないからな」
若干ばつが悪そうにエルザが頭を掻く。
彼女達の場合は特にジンの能力のおかげで探索が順調な為、迷宮は効率よく魔獣に遭遇できる絶好の稼ぎ場だったので尚更だ。
実際、ジン達の戦闘回数は他者とは比較にならないほど多く、それにともないレベルやスキルの成長は順調で、収入面でもかなりの額を稼ぎ出していた。
ただ、『地図』を持つジン達は同時に迷宮に入ったB級冒険者パーティよりも先行している為、目立つのを避ける為に『無限収納』に入れたまま換金していない素材も少なくない。
また、その他の素材はずっと迷宮前にある冒険者ギルドの出張所で換金していた為、こうして街の中にあるギルドへ来るのはひさしぶりだった。
「ある程度は予想していましたが、ここまでとは思いませんでした」
元ギルド職員であるアリアにとっては、ゆゆしき事態だ。迷宮が発見されて間もないので無理もないが、それでも下手をすればギルドの信用問題にもなりかねない状況だ。
ただ、もう少し時間が経つとこうした状況も改善される事になる。
というのも、ジン達のようにステータスやスキルに恵まれたパーティならともかく、一般的な殲滅力に欠けるパーティだと一回の戦闘に時間がかかるし、一回のダンジョンアタックで行う戦闘数はそこまで多くない。
また、怪我を負った場合は治療が必要になるが、その時に回復魔法が使えなければポーションを使う必要があり、その場合は必要経費が嵩むことになる。
通常の依頼よりかは戦闘経験を積むことが出来るというメリットはあるが、それは命の危険性が高い事の裏返しでもあり、収入の面では戦闘をこなさないとそこまで旨味が多いわけでもない。
そうした状況が実感として理解出来るようになると、迷宮をメインに活動する冒険者と一般依頼をメインに活動する者の住み分けが出来てくるのだが、今は良い意味でも悪い意味でも迷宮に皆が首ったけなのだ。
だが、例えもう少しの辛抱だとわかっていたとしても、今の状況のまま放っておくという選択肢はジンにはなかった。
「みんな。相談なんだけど、しばらく依頼をメインにやらないか? さすがに緊急性の高い案件はそれほど多くないみたいだけど、だからといって放っておいて良いわけじゃないからね。俺達なら早めに達成する事が可能だと思うし、どうだろう?」
そもそもジンが冒険者になった理由は、ゲーム好きとして冒険心を抑えきれなかったというのもあるが、「誰かの役に立ちたい。皆の笑顔が見たい」という想いが大きかったからだ。
確かに迷宮探索も街の人々の平和を守る為に大事ではあるが、かといって一般の依頼をおろそかにしていいはずもない。
ジンは大事なことを忘れかけていた自分に対し反省していた。
「それは私からもお願いしたいです。元ギルド職員として、この状況は見過ごせません」
アリアが珍しく勢い込んで同意を示したが、勿論エルザやレイチェルにも異存などあるはずもない。すぐにその場でパーティ方針を固めると、皆で早速依頼の選別に入った。
十数分後、ジン達は受付にいるサマンサの前にいた。
「おかげで助かるわ。でも、貧乏くじをひかせるみたいでごめんなさい」
依頼の受付処理は既に終えたサマンサが、ジン達に向けて頭を下げる。
彼らが順調に迷宮を攻略している事は聞いていたので、その邪魔をしてしまうようで気が引けてしまったのだ。
「いえいえ、私達が望んでやっている事ですから。それに、こちらこそ便宜を図ってもらえて助かりました。迷宮の方は順調ですので、気にしないでください」
「そうですよ。ただ、気付かなかった私達もいけませんが、こうなる前に一言いってくれてもよかったと思います。水臭いですよ」
ジンに続き、アリアが元同僚で友人という気安さもあって若干すねたように話す。だが、こうした事を言えるようになったのも、アリアが変わったという事の証明の一つだと言える。
サマンサはその事を実感しつつ、アリアとジンに向けて笑顔で謝意を示した。
今回ジン達が受注したのは、採取依頼と討伐依頼をそれぞれ複数だ。
こうした依頼の同時受注は別に珍しい事ではないが、それでも多くても三件程度が限界とされている。だが、今回はその倍以上となる七件の依頼だ。
「今回受けてくれた分が片付けば、少し余裕が出来るので一息つけるわ。でも本当に大丈夫なの? 下手すれば一月近くかかると思うんだけど」
「大丈夫です。私達は結構探し物が得意なんで」
そうジンが笑顔で請け負うが、普通なら採取は勿論の事、討伐依頼であっても対象を見つけるのに時間がかかる場合が多い。
なのでサマンサが心配するのはもっともだったが、ジンには『地図』という便利なスキルがあるのでその点は問題ない。
どうせ若干遠出をするのは変わらないので、ジン達は往復の無駄を省いて効率よく回り、十日以内にすべての依頼を達成するつもりで計画していた。
「そう。まあ、確かにあなたたちなら大丈夫そうね。でも無理して怪我なんかしないように気を付けてね」
ジンの笑顔につられたサマンサだったが、最後はそう心配そうに伝えてきた。
「はい。ありがとうございます。では、行ってきます」
「「「行ってきます」」」
「いってらっしゃい」
ジンに続いてアリア達も出発の挨拶をサマンサと交わすと、彼らはいくつかの準備の後に、街を出発したのだった。
「ご飯が出来たよ~」
野原にジンの呼ぶ声がこだまする。
今夜で街を出てから六回目の夜となったが、彼らはすでに五件の依頼を終わらせており、予定通り順調に進んでいた。
ちょっとした強行軍と言ってもいいペースだが、決して無理をしているわけではない。一つの依頼にかかる時間が短いだけだ。
それに、ずっと迷宮に籠っていたジン達にとっては、良いリフレッシュになったようだ。彼らに疲労している様子は見られなかった。
「さっきから良い匂いがしてたけど、やっぱり今日は生姜焼きか。これは米と合うんだよな~」
「うふふっ。エルザはお米が好きですよね。確かにお米も美味しいですが、私はマヨネーズを付けて野菜と一緒にパンで挟んで食べるのも好きです」
「大丈夫ですよ。今日はお米ですが、肉は多めに焼いたので残りはサンドイッチにして後日昼食にするそうです。ちなみに今回の生姜焼きは私が焼いたんです! ジンさんにお墨付きももらったので、多分美味しいはずです」
結界装置を作動させ、エルザに続いてアリアが見張りから戻ってくる。その彼女達を迎えるレイチェルの張り切りようも微笑ましく、草原のど真ん中に設置されたテーブルセットと共に、場違いなほど和やかな団欒の雰囲気がそこにはあった。
「ふふっ。レイチェルは大分料理が上手になってきたと思うよ。さっきちょっとだけ味見したけど、ちゃんと美味しかったしね」
食卓に集まる彼女たちが笑顔なのは言うまでもないだろうが、それを眺めるジンの顔も自然とほころんでいた。
「「「「いただきます!」」」」
こうして旅の空の下、ジン達にとっては日常の夕食が始まった。
「レイチェル、美味しいですよ」
「うん。美味い。(パクパクモグモグ)」
「えへへー。なんか照れますね。ありがとうございます、アリアさん、エルザさん」
二人の率直な賞賛に、レイチェルは照れ臭そうにしながらも実に嬉しそうだ。
少し意地悪な言い方をすると、今回レイチェルが行ったのは単に焼いただけとも言えるが、それだけでもレイチェルにとっては大きな進歩なのだ。
「家に帰ったらタレとかをまた作り置きするから、今度は味付けも教えるね」
「はい! 頑張ってお手伝いさせていただきます!」
まるで師弟のようなジンとレイチェルだったが、ジンは先日念願の『料理』スキルを習得していたので、素人に毛が生えた程度の腕前とは言え、こうした状況もそこまで可笑しいものでもなかった。
このスキルを習得したのは、知り合いの奥様方や商店街の店主さん達にこの世界の食材や調味料に料理法等を一通り教えてもらってから少し経った頃だ。この習得タイミングから考えても、おそらくスキルを習得する為には実践だけでなく、知識や理論の面も重要なのだろう。
この考察に関してはジンだけでなく他のメンバーにも色々な成果が出ているが、それらについてはまた別の機会に触れることにする。
ともあれジンの『料理』スキルのランクは1なので、何となく料理に対して勘が働くようになったくらいで何か劇的な変化があるわけではない。ただ、それでもジンは料理上手になれたようで嬉しかった。
「お替り! このスライスした黒いニンニクがいいな。ご飯が進んで仕方がないぞ」
早くも一皿目のご飯を平らげたエルザがジンに皿を差し出し、ジンも笑顔で受け取ってご飯をよそう。
料理を作った人間からすると、こうして美味しく食べてもらえる事が一番の幸せだ。
「ふふっ。好きなだけ食ってくれ。それは醤油に漬けたニンニクなんだけど、醤油にもニンニクの香りが移って美味しくなるんだよね。今日の生姜焼きに使ったのもそのニンニク醤油だよ。はい、お待たせ」
剥いたニンニクを醤油に漬け込んだだけの簡単なものだが、これが色々な料理に使える優れもので重宝しているのだ。今回使ったのは二十日ほど漬けた物だが、このニンニク醤油の他にもニンニク油やショウガ酢など、自宅にはこうした食材がいくつか保存してあった。
『無限収納』の中に入れると時間が止まったようにそのままの状態で保存されるので、漬けたり馴染ませたりするにはそうするしかなかった。
「ありがとう。醤油って色々使えて凄いな。しかし、ジンのおかげで色々美味しいものが食べられて嬉しいよ」
「ほんとうにそうですね。醤油にしろ、味噌にしろ、ジンさんに料理を出されるまでは食べたことがありませんでしたしね。マヨネーズだってそうですし、ほんと美味しい物が食べられて幸せです」
この世界では、醤油や味噌はいささか値段が高めであまり一般的ではない調味料だが、ジンが好んで色々な料理に使うので、今ではエルザ達にもすっかりお馴染みの味になっていた。
また、マヨネーズに関しては王都にあるレストランの秘伝のメニューになっているという話もあり、迷惑をかけない為にもレシピは誰にも教えていない。ただ、幼いアイリスの野菜嫌い克服の為に時々マヨネーズを届けているし、自宅で誰かに食事をご馳走する時も普通にメニューに出している。自分達で楽しむ分には問題ないだろうという考えだ。
「そう言ってもらえると嬉しいよ。なんなら今度、二人も料理に参加してみる?」
「いや、食べるだけでいい」「いえ、遠慮しておきます」
「ぷふっ」
「「「「あはははははは」」」」
ジンの問いに間髪を容れずに答える二人。その顔はどこかすましているようでもあり、そのタイミングの良さも相まって思わずレイチェルが吹き出す。僅かに遅れてジンが、そしてすぐにエルザとアリアの二人も続き、草原に皆の笑い声がこだました。
ご覧いただきありがとうございます。
もう少し話を続けるつもりでしたが、今回はここまでにさせていただきました。
次回も二週間前後を目途に更新したいと思います。
いつも感想や評価をありがとうございます。返信は出来ていませんが、いつも元気をいただいております。
よろしければ次回もおつきあいください。ありがとうございました。