迷宮のある日常
迷宮が一般冒険者に開放されるようになってから十日が過ぎた。
迷宮出現の情報に近隣から冒険者が多くリエンツの街にやってくるようになり、リエンツは色んな意味で活気にあふれていた。
そうした『迷宮のある生活』もまた、リエンツの街で暮らす住民達にとって、そして勿論ジン達冒険者にとっても日常となりつつあった。
「いっちにーさんしー……」
清々しい朝の空気の中、自宅中庭ではジン達が日課のラジオ体操をしている。
最初の頃はバラバラで行っていたこのラジオ体操だが、いつの頃からか全員揃って始めるようになっていた。
この後に行う予定のストレッチでは、以前のように自分だけで行うのではなく、二人一組になって行うパターンも追加している。
ちなみに、身長の関係から言うとジンとエルザの二人が組むのが一番具合が良いのだが、実際は毎日ローテーションでペアが変わっている。
その理由はあえて言うまでもないだろうが、ある意味これはもう彼らのお約束と言えるのかもしれない。
また、こうした早朝にラジオ体操を行っている光景は、今ではリエンツの街のあちこちで見られるようになって来ていた。
勿論冒険者にはすでにその存在は知れ渡っており、ストレッチを含めて怪我や事故の予防策として実行している者も多い。やはり常に第一線で戦う者達は自分の体の調子にも敏感なのだろう。その評判は上々だ。
ただそれだけではなく、冒険者以外の一般人の間でも、ラジオ体操は健康に良い運動という意味で『健康体操』と名前を変えて徐々に広まってきていたのだ。
数か月前の話になるが、初心者講習が終わった後にジンがラジオ体操を含めた準備運動の考え方や手法をギルドに伝えた事を覚えておいでだろうか?
ギルドはジンから伝えられたこの『準備運動』という考え方を冒険者達に伝えるのは勿論のこと、『怪我や事故を減らし、個人のパフォーマンスを上げる方法』として各国や他のギルド等に伝えた。
ただし、冒険者に対しては無償だが、それ以外に対しては一部を除き有料だ。
そしてその無料で公開された一部というのが、デモンストレーションとして公開されたラジオ体操という訳だ。
結果として、この準備運動という考え方と手法は売れに売れた。
しかし、これらの情報の販売については冒険者ギルドのリエンツ支部長であるグレッグはほとんど関与していない。有益な情報としてギルド本部に伝えただけで、後は情報提供者であるジンの個人情報と利益を守る事に努めただけだ。
少しだけ違うとすれば、グレッグはいち早くリエンツの街にいる冒険者達にこの情報を伝え、事故や怪我の防止に努めたぐらいだ。それを見た一般人も真似を始めた為、リエンツの街ではラジオ体操が広まるのが他より少し早く、こうして現在では健康体操としてリエンツの住民達の間に定着してきたのだ。
ある意味では、現時点で一番健康に対する意識が高まっている街と言えるかもしれない。
「地下十八階に来たけど、特に前の階と違いはないみたいだね。敵の強さが極端に上がる事はないかもしれないけど、油断はしないようにしよう」
「「「了解」」」
ここは迷宮の地下十八階。前の階でほぼ全域の探索を終え、丁度この階に下りてきたところだ。こなした戦闘回数は少なくないが、肉体的疲労はほとんどない。
ただ、初日に地下五階まで進んでいた事を考えると若干遅いペースのようにも思えるが、実際『地図』のスキルを持つジン達ならばもっと早いペースで進むことも可能だった。
だが、スキルレベルの底上げや迷宮そのものに対する経験を積むために、あえて彼らは遠回りしていた。
「(前回と同じ種類。近接タイプ四匹。問題なし)」
偵察の為に少しだけ先行したジンが、ハンドサインで後ろに続くメンバーに敵の情報を伝える。『隠密』スキルのおかげで、ジンの斥候も堂にいったものだ。
事前に『地図』で確認した通り、その部屋には前の階でも遭遇した魔獣――剣を装備したゴブリンの姿があった。
「(全員攻撃。3、2、1、GO!)」
ジンの指がカウントダウンを刻み、終了すると同時にジンがグレイブを装備して突っ込む。僅かに遅れてエルザ、レイチェル、アリアの順で続き、ゴブリン達への奇襲を成功させる。そしてろくな抵抗にあう事もなく、あっという間に敵を殲滅した。
「やれやれ、この階もゴブリンばっかりなのかな?」
小休止中にエルザがぼやく。
十一階以降に出る魔獣の多くがゴブリンだったので、この地下十八階もそうだとすると流石に若干食傷気味なのだ。
ここで言うゴブリンは、基本的には所謂RPGの定番である敵役の姿を思い浮かべてもらえばいいだろう。通常の魔獣と同じく真紅の目を持ち、当初は裸に腰巻と手には棍棒を持っただけの姿だったが、今では皮鎧や剣を装備したタイプや、魔法を使うタイプまで出てきていた。だた、それでもゴブリンに変わりはない。現在のジン達にとって敵ではなかった。
「ふふっ。お気持ちはわかりますが、私は戦鎚の良い訓練になると考えるようにしてます」
「そうですね。エルザと同じく私も正直言うと飽き飽きですが、昨日も槍のスキルが上がりましたし、我慢するしかないですね」
レイチェルの意見にアリアが同意するが、二人もエルザと似たような気持ちである事は間違いないようだ。ただ、敵が格下だからこそ彼女達はいつもと違って武器を手に戦う事が出来ている事もあり、ある一定の理解は示していた。
実際後衛が基本の彼女達でも、ゴブリンなら問題なく前に出て戦うことが出来るので、サブスキルである『槌術』や『槍術』のスキルを実戦で鍛え上げるにはもってこいの機会と言えるのだ。
勿論それは残り二人も例外ではなく、ジンはまだ習得したばかりで不慣れな『水魔法』や『火魔法』等の属性魔法を使ったり、エルザもまだスキルレベルが低い弓を使ったりしており、それぞれがこの機会を逃さないようにしていた。
とは言え、回数をこなすうちに慣れて緊張感が薄れていくのも否定しがたい事実だ。
実際手段はそれぞれだが、一人一殺以上でサクサク進むことが出来ているし、『地図』によって獲物をいち早く発見する事も、ほぼ毎回奇襲に近い形で戦いに臨む事も出来るので、一回にかかる戦闘時間はかなり短い。さらには、ジンの能力で素材回収に必要な剥ぎ取り時間も短縮されている為、ジン達は普通では考えられないほどのスピードで数多くの戦闘をこなしてきた。メンバーのスキルやレベルが上がるのも当然だろう。
「いや、私も大分弓をうまく使えるようになったし、例え格下との戦いでも学ぶことはあるとは思うんだが、こうも同じ敵が続くと、ついな」
エルザが頭を掻くが、確かに彼女の言う通りこの階層は既に彼らのレベルにあった狩場ではない。例え全員が直接攻撃に参加するような現在の形でも、もう一ランク上げても余裕だろう。
戦闘回数自体は多かったが、効率という面ではいまいちと言わざるを得ない状況だ。
それはストレスもたまるだろうと、ジンも反省する。
「皆ごめんね。ちょっと色々と気になっていたから、慎重になりすぎていたかもしれない。それじゃあスキルの底上げも出来た事だし、今日は寄り道をやめて二十階まで進んでみようか? そうすれば転移石で入口に戻れるし、区切りもいいからね」
ジンの提案に、他のメンバーも諸手を挙げて賛成した。階段の位置はすぐに分かるので、先に進むことは難しくない。
そうと決まれば後は早かった。元々ジン達には役不足の階層だった事もあり、彼らは一通りの戦闘を繰り返しつつあっさりと二十階まで探索を進め、次の階段を守るボスモンスターにも準備万端で挑んでこれも危なげなく倒した。そしてドロップアイテムを回収すると、本日の探索を終えてボス部屋の先にある石碑のような転移石を作動させて帰還した。
「(やっぱりおかしいよな)」
うきうきした気分で家路につくエルザ達を余所に、ジンはやはり迷宮に対する違和感が拭えなかった。
十階毎に存在するボスモンスターを最低一度は倒す必要があるとは言え、ボスがドロップする小さな石は石碑の転移システムを作動させるカギとなる。
今回ジン達は二十階のボスモンスターを倒したことで、今後直接一階から二十階に転移で移動する事が可能になった。以前も十階までは行き来が出来ていたので実感していたが、かなりの時間短縮になるので非常に便利な機能と言える。――そう、便利すぎるのだ。
「(これじゃあ、まるで迷宮を攻略しやすいように、わざとそうしているみたいだ)」
他にも気になる事がジンにはあった。
ゴブリンを代表とする、迷宮でしか見られない魔獣の存在についてだ。
これまでジンが遭遇した魔獣は、ほとんどが獣が狂暴化したような姿をしていた。『魔力草』がある場所を守っていた樹木型の魔獣という例外はあったが、そうした大きく変異したような姿の魔獣は、基本Bランク以上にしか存在しない。
だが、迷宮の五階以降になって初めて人型の魔獣と遭遇した。しかもそれは、ジンが昔やっていたRPGでもお馴染みのゴブリンだった。
勿論その姿はゲームとは違って可愛らしさの欠片もない醜悪なものだ、魔獣特有の真っ赤な眼も変わらないし、他の魔獣と姿以外に何か大きな違いがあるわけでもない。所持しているように見える武器や防具も実際は肉体と一体化したもので、死ぬとドロップアイテムを残して溶けて消えるのも変わらない。
だが、だからこそなぜ元の世界の伝説や伝承などを元にして作り上げられたイメージの姿をしたゴブリンが、迷宮限定とはいえこの世界にも存在するのかジンにはわからなかった。
「どうかしましたか? ジンさん」
敬語を使いつつもエルザやレイチェルに対しては呼び捨てで呼ぶようになっていたアリアだったが、まだジンに対してはさん付けで呼ぶことが多かった。
「ずっと何か考えていたみたいだな」
エルザが続き、レイチェルも心配そうにジンを見つめる。
「あー、ごめんごめん。ちょっと気になる事があってさ。特に問題という訳でもないから心配しないで」
「「「無理(です)」」」
「……」
即答され、ジンが言葉に詰まる。
「あんな顔をしておいて心配するななんて、出来るはずないじゃないですか」
「だな。鏡があったら見せてやりたかったぜ」
「二人の言う通りです。ジンさん、もし今頭を悩ませている事が私達に話せる内容なのであれば、ぜひ私達にも話してみてください。私たちは仲間なんですから、あんな心ここにあらずみたいな顔を見せられて気にしないなんて無理ですよ」
レイチェルが少し怒ったような顔で言えば、エルザはどこかあきれたように続く。そして最後はアリアがまとめて自分たちの気持ちをジンに伝えた。
ジンは彼女たちの気遣いがうれしくて、思わず顔を伏せて照れを隠す。
「ありがとう。アリア、エルザ、レイチェル。夕食の後にでも話すよ」
少ししてジンは顔をあげて彼女たちに向き合うと、笑顔でそう伝えた。
そして夕食後の団欒兼ミーティングの時間に、ジンが感じていた違和感は彼女達に伝えられた。転移システムやゴブリンの件だけでなく、迷宮の仕組み自体の根本的なものに対する疑問も、ジンは彼女たちに話した。
それは彼女達にとって青天の霹靂とも言うべきものではあったが、確かにジンが感じている違和感の一端を知る事が出来たようだ。
とは言え現在のところは転移でショートカットが出来るのは便利だし、ゴブリンに関しても何か困る事があるわけでもない。また、迷宮の仕組みに関しては考えても仕方のない話だ。
最初から分かっていた事だが、今回ジンはアリア達に相談したが、だからといって疑念が晴れたわけではない。これからもこうした違和感はジンの心に残り続けるだろう。
だが、それでも自分が感じていた疑念を共有する事が出来て、ジンはどこかホッとするものを感じていた。
「(一人ではないという事は、本当にありがたい事だな)」
ジンは改めて仲間のありがたさや大事さを感じていた。
これからもジン達『フィーレンダンク』は、時々一般依頼や休みを挟みつつ迷宮の探索を続けていくだろうし、同時に迷宮の謎にも挑むことになるだろう。現在では迷宮のある生活が、彼らの日常なのだ。
そしてジン達が迷宮の攻略を完了した時、彼らが感じている疑念の答えも明らかになるのだ。
お待たせしました。
変わらずお付き合いいただき、本当にありがとうございます。
今後は最低でも二週間に一度のペースを守っていきたいと思っております。
もちろん、早めに更新することを目指します。
何かあれば、これまで通り活動報告でお知らせします。
今後ともお付き合いいただければ本当にうれしいです。
ありがとうございました。