迷宮
お待たせしました。
ジンにとっては意外な事に、ギルドには思っていた以上に多くの人間が集まっていた。早番のギルド職員は四名程度のはずだが、既に十名以上が出勤していた。元々ギルド職員は最低でもDランク以上の冒険者しかなる事が出来ないので、引退したとはいえ危険に対する反応は鈍っていないのだろう。
一方の冒険者もさすが現役と言うべきか、既に二十名以上は集まっていた。地震という異常事態の後ではあるが、そこに焦りの色はなく落ち着いたものだ。集まって情報交換をしている彼らの中には、見知った顔もあった。
「ジン。久しぶりだな」
「あ、お久しぶりです。エイブさん」
話しかけてきたのは、初心者講習の時に指導役としてジンが世話になった、『風を求める者』のエイブだ。他のメンバーは別のパーティと情報交換中だ。
彼らはCランクパーティの常としてあちこちを依頼で飛び回っていたので、こうして会うのも随分久しぶりになる。
「やっぱりお前も来たな。とりあえず、指示があるまで現状待機だってよ。……っていうか、やっぱマジだったんだな」
エイブはジンの周りに居る女性陣に目をやると、最後はため息をつくようにそう言った。そしてそのままジンに手招きして、彼女達と少し距離をとる。
誘われるままジンがエイブの近くに移動すると、彼はジンの肩に手を回して内緒話をするかのように小さな声で言った。
「お前、マジでアリアさんとパーティを組んだんだな」
「え? ええ。おかげさまで」
ジンがエイブとこうして話すのは、『魔力熱』解決の為に旅立つ少し前以来だ。だから、エイブはアリアがジンのパーティに加入した件は噂で聞いてはいたものの、実際に自分の目で確認したのはこれが初めてだった。
ジンが戸惑いつつも返事をすると、彼の肩を抱くエイブの腕の力が少し強くなった。
「お前ならいいかと思っていたが、実際見るとなんか腹が立ってきた」
肩を抱いている状態から、段々とヘッドロックに近い状態になってきた。
「ちょ、エイブさん」
「噂に聞いたが、『魔力熱』の件もお前なんだな?」
ヘッドロックに完全に移行する前にエイブの動きは止まり、より囁くような声で確認してきた。
「……はい」
「そうか。よくやってくれた、ありがとう。同じ冒険者として誇らしく思うぞ」
勿論本当はジン一人の力ではないが、エイブも分かった上で聞いているのだ。ジンの答えにエイブは満足そうに、そして真摯な想いを込めて礼を言った。
「――だが、それとこれとは話が別だ。綺麗どころを三人も侍らせやがって。お前もうちのリーダーと同じハーレム野郎か。この! この!」
若干しんみりしかけた空気が、あっという間に霧散する。完全にヘッドロックを決められ、ジンはエイブに振り回された。だが、本気で力を込めているわけではないので、見かけほどジンにダメージがあるわけではない。言ってみれば、男同士のじゃれあいのようなものだ。
「いいかげんにしなさい!」
パンという快音を響かせ、エイブの頭が勢いよく叩かれる。
ヘッドロックから解放されたジンが見たのは、面識のある姉御肌の女戦士だった。
「助かりました。ミラさん。ありがとうございます」
「いいのよ。こっちこそごめんね。うちの馬鹿が」
申し訳なさそうに答える彼女はミラ、初心者講習には参加しなかった『風を求める者』のメンバーの一人で、彼女ともう一人の回復魔法使いの女性を合わせた五人が彼らのパーティのフルメンバーだ。
「馬鹿とは何だ、馬鹿とは。俺は男達の怒りを代弁してだな……」
「黙らないと潰すよ?」
「……」
ミラの迫力に、反論しようとしたエイブが黙り込む。自ら両手で口を隠して話さない事をアピールし、下半身も思わず内股になっていた。
「よし。じゃあ、行くよ。ほんと、ごめんね」
ミラは最後にアリア達の方にも軽く手を振り、エイブを引きずるようにして仲間達の下に帰って行った。エイブも片手は口を隠したまま、もう一方の手を小さく振って別れを告げる。
「お手柔らかに~」
事実はともかく、ジンも自分が世の男どもの嫉妬の対象である事は自覚しているし、エイブのような嫌味のない絡み方であれば、甘んじて受ける気持ちはある。
ドナドナが聞こえてきそうな情景に、思わず情状酌量を求める声をかけてしまうジンだった。
その後も何組もの冒険者達が続々と集まってくる。その中にはダン達同期の姿もあり、ジン達は彼らと話をしながらそのまましばらく待機したが、さほど待つ必要もなかった。
「待たせたな! こんな朝早くに、こんだけの人数が集まってくれるとは思わなかったぞ。ありがとう!」
ギルドマスターであるグレッグが、職員を一人伴って現れた。職員が手に持っている書類は、恐らくこれから冒険者が取るべき対応に関係するものだろう。
「皆も感じたかと思うが、さっきの地震は何か変だった。だが、今のところは異常があるとの報告は上がってきていない。ただ、念の為に手分けして調査をしようと思う。まず、街の中に異常がないかを……」
「報告!」
いよいよ具体的な対応が発表されるというところで、そのグレッグの台詞を遮って一人の男がギルドに飛び込んできた。慌てた様子のその男は、ジンも見たことがある冒険者ギルドの職員だ。
その職員はそのままグレッグの元に駆け寄ると、彼の耳元で何事か囁いた。
「?! 確かか?」
一瞬でグレッグの顔色が変わり、その緊張感がギルド全体に伝わる。グレッグの確認に、その職員も真剣な表情でしっかりと頷いた。
「ご苦労。……お前を含め、職員を六名選出してくれ。準備が整い次第出発し、封鎖と設営を頼む」
再び無言で職員は頷くと、すぐに職員達が集まっている方へ向かった。一方の冒険者達も、そのただならぬ様子に緊張感を漲らせ、何が起きたのかと次に発せられるグレッグの発言に注目していた。
「まだ断定は出来ないが、先程の地震の原因と思われるものが確認された。これから俺の目で確かめてくるが、今日の夕方までには発表できるだろう。せっかく集まってもらったのに申し訳ないが、一旦解散してそれぞれが受けた依頼を達成してくれ。そしてもし可能であれば、夕方――五時に発表する内容を確認してくれ。それと、Cランク以上で、今日はまだ依頼を受けていないやつはいるか?」
グレッグの問いに、ジン達も含め数組の手が上がる。
「すまんが、お前らは今日はそのまま依頼は受けないでいて欲しい。……そうだな、昼の一時にまたここに集合してくれるか。それまでは出来るだけパーティ単位で行動し、連絡がつくようにさえしてくれれば待機場所は何処でも構わん。もし何か予定がある奴は仕方がない。出来るだけで良いので、待機可能な者は後で受付に報告を頼む」
手を上げていた者達が頷く。ジン達も今日は元々休日の予定だったので、一日の過ごし方は限定されるものの特に問題はない。
「よし、それでは他の奴らはいつもどおり依頼を頼む。それと、今回のお前達の対応は素晴らしかったぞ。今後はもっとお前達の力が必要になるかもしれん。これからもよろしく頼む。……解散!」
若干すっきりしないものを抱えつつも、グレッグの合図と共に冒険者達は動き始めた。やたらと騒がずにこうして理性的な対応がとれるのも、グレッグが言うのだから間違いはないだろうという信頼の証と言えるかもしれない。
ジン達もダン達と別れ、受付にて今日の予定を報告すると、一旦自宅へと戻る事にした。
そうして自宅に戻ったジン達だが、やはり意識の片隅から地震の事が離れない。自然とLDKに全員が集まって休日を過ごしていた。
「それにしても、一体何があったんでしょう? 怪我人など出ていなければいいのですが」
ダイニングテーブルの上は人数分のカップが並べてあり、そこにはかぐわしい香りを放つお茶が注がれている。両手で持ったそのカップに視線を落とし、どことなく不安そうにレイチェルが言った。
「大丈夫ですよ、レイチェル。何かあった事は確かですが、少なくとも地震で怪我をした人はほとんどいないでしょう」
「アリアの言うとおりだ。初めてだったから地震にはびっくりしたが、揺れ自体は大したことなかったからな。それに昼過ぎには分かる話だ。ほら、ジンが作ってくれたこれ美味いぞ。レイチェルも食べてみろ」
レイチェルを励ますアリアとエルザだったが、そんな彼女達の間には、正式にパーティを組んでから二十日が経過した仲間ならではの気安い雰囲気があった。
「ふふっ。エルザが言ったように、あのグレッグ教官が昼からで大丈夫と言うのですから、私達はそれまで英気を養っていればいいのです」
そうして微笑むアリアの笑顔も、仲間内ではもう珍しいものではなくなっていた。
「ありがとうございます。アリアさん、エルザさん」
レイチェルもにっこり笑って言った。
レイチェルとアリアはまだ敬語的なものが混じった話し方だが、これはこれで何の気負いもない自然なものだ。たまにしか敬語を使わないエルザはともかく、神殿やギルドで基本敬語で話すことが当たり前だった二人にとっては、今のところこれが一番楽な喋り方だった。
ジンはそんな彼女達の様子に目を細めながら、一人キッチンで作業を続けていた。今日のお昼ご飯を兼ねて『無限収納』で保管しておく用に大量のサンドイッチを作っていたが、こうして好きな料理をするのも、彼にとっては良い息抜きだった。
「「「「いただきます」」」」
「「「「ごちそうさま」」」」
美味しそうに食べる彼女達の姿を見るのは、その料理を作った者として最高の幸せだ。
そんなこんなで食事を済ませた彼らは、短い休暇を終えて再びギルドへと向かった。
ジン達が到着した時、まだ約束の時間には余裕があったが、ギルドの会議室には既に全員が集まっていた。これほど早く全員が集まったのも、やはりそれだけ気になっていたという事だろう。
そこにいたジン達を含む四組のパーティのうち、一組だけがBランクのパーティで、その他は全てCランクだ。
Bランクともなると、リエンツの街のような大陸の中心部から離れた地域で出るような魔獣では相手として不足で、彼らが受けるような依頼は数が少ない。だから自然と強い魔獣が出る開拓地に近いところへ拠点を移す事が多くなるのだが、様々な理由でその場にとどまる者や、帰ってくる者もいる。
ここに居る彼らの場合は、子供が産まれたのを機にこの街に里帰りしたという訳だ。
ちなみに彼らが依頼で街を離れる際の子供の預け先は、ギルドが運営する孤児院だ。ジンも時々顔を出すあそこは親を失った冒険者の子供の面倒を見る孤児院としてだけでなく、現役の冒険者が憂いなく依頼に専念できるように預かり所としての役割も果たしているのだ。
せっかくの機会なので情報交換でもと思い、ジンは他のパーティに話しかけようとしたが、その前にグレッグが現れた。
「よく集まってくれた。お前達も何が起こったのか気になっていたと思う。他の冒険者達にも夕方には発表するが、お前達には協力して欲しい事もあるので先に伝えておく」
グレッグは集まった一同の顔を見渡すと、早速口を開いた。その顔は真剣そのもので、何か余程な事が起こったのだと全員に予感させた。
「迷宮が出た」
単刀直入に言われたその台詞に、そこにいる者達全員に緊張が奔った。ジンも緊張すると共に、マグナ村の村長エランから聞いた迷宮についての話が脳裏に浮かんでいた。
「災害迷宮……」
誰ともなしに、そんな呟きが聞こえてくる。それにグレッグが答えた。
「そうだ。場所はこの街から数百メートルしか離れていない。恐らく地震はこいつが出現したせいだろう。こんな街の近くに迷宮が出るなんて話は、俺も聞いた事がない」
迷宮とは、簡単に言えば魔獣の巣のようなものだ。原理や詳しい事は不明だが、幾層にも分かれたその迷宮内部では常に魔獣が生み出される危険な場所だ。もし増えた魔獣を迷宮内で処理しきれなくなると、あふれ出た魔力は迷宮の外に魔獣を生み出す事になる。それは『暴走』の原因の一つとも言われており、『災害迷宮』と呼ばれる由縁でもある。
「……しかし、悪い事ばかりじゃない」
そこで初めてグレッグはニヤリと口を歪める。
「だってそうだろう? 本来なら発見に時間がかかるであろう迷宮を、こうして出現と同時に確認出来たんだ。これなら迷宮外に魔獣があふれ出すのは当分先だから落ち着いて対応できるし、しかも街からこれだけ近いんだ。迷宮に潜る準備も整えやすいし、迷宮内で狩った素材も処理し易い。移動距離が短い分、迷宮の探索に専念できる。違うか?」
グレッグの言葉に頷く者も多いが、まだ不安そうな顔をしている者もいた。そんな顔をした冒険者の顔を見ながら、グレッグは更に言葉をつなぐ。
「ああ、不安に思う事はわかる。街に近いという事は、万一の場合の被害がでかいという事でもあるからな」
迷宮に対する対応策は二つだ。一つは最深部に存在する極大魔石を取り除き、『災害迷宮』を『祝福迷宮』へと変える事だが、それが最上の結果であるだけあって当然その難易度は高い。
そしてより現実的なもう一つの方法が、定期的に迷宮内の魔獣を減らし続け、いつか訪れる迷宮の移動を待つという方法だ。迷宮が移動するのが半年後か、それとも数十年後かはわからないが、少なくともそれまで魔獣が迷宮外に生み出される事を防ぐ事が出来る。
とは言え、一つ間違えれば街の直近で魔獣が発生する可能性があるのも事実だ。確かにそんな危険がある迷宮の出現を心配するのも理解できる話だ。
だが、ここでグレッグはその顔に獰猛な笑顔を浮かべた。
「だが、俺達は何だ? 魔獣を狩り、得た素材で社会をまわす俺達は」
グレッグは会議室に集まった冒険者達の顔を見回す。
「……そうだ、冒険者だ」
その顔には自信と誇りが満ちていた。
「そう考えると、やる事はいつもと同じだ。いつもどおり俺達が迷宮内の魔獣を倒してさえいれば、迷宮の外にあいつらがもれ出る事もない。そして、それは俺達しか出来ない事だ」
グレッグの言葉に、全員の顔が一気に引き締まる。
「俺達冒険者の腕の見せどころだ。俺たちで街を守るぞ。いいな?」
「「「「はい!」」」
「「「おう!」」」
答える冒険者達の声は力強く、それはジン達も例外ではなかった。
読んでいただき、ありがとうございます。遅くなって申し訳ありませんでした。
しかも、今後もまだお待たせする日々が続きそうです。
時間が出来れば書きますが、どうかご了承下さい。
今回更新した迷宮については、38話の「世界の約束と調合」にふれてありますので、気になった方はご確認ください。
次回は一応15日を目処に更新という事にさせてください。出来るだけ前倒しで更新出来るようにがんばります。
ありがとうございました。