新しい同居人と意外な事実
グレッグ達との飲み会から数日後、アリアは惜しまれつつも冒険者ギルドを退職した。
有能かつ美人のアリアが退職する事に涙する独身職員も多かったが、同時に古参の職員ほどアリアの再出発を祝福する声も多く聞かれた。
ギルド職員は全員アリアが冒険者に復帰する事を知っており、今生の別れというわけではない事も理解していた。また、アリア自身が望まなかった事もあって、送別会なども開かれずに比較的あっさりとした別れであった。
しかし、もしこの時点でアリアが何処のパーティに所属するか等の情報が広まっていれば、もしかしたら一騒動あったのかもしれない。だがアリアだけでなくジンにとっても幸いな事に、多くの独身男性ギルド職員は勿論、一般の冒険者達もこの事実を知らなかった。
無論アリアの変化の原因を知る者達(ほとんどが女性もしくは既婚者)は推測できていたが、アリアを心穏やかに送り出したいという想いから口をつぐんでいたのだ。
近い将来、彼らがこの事実を知ってどう反応するのかは、何となく想像がつく方も多いだろう。
そんな近い将来に発生するであろう騒動を知らず、ジンはアリアを迎え入れる為に早朝から忙しく準備をしていた。
今日は朝からエルザとレイチェルの二人はアリアの引越しの手伝いにギルド宿舎へ向かい、ジンは夜に開かれるアリアの歓迎会の準備だ。当初はジンも引越しの手伝いにアリアが住んでいたギルド宿舎に向かうつもりだったが、そこが女性専用だったのでそういう訳にもいかなかったのだ。
また、今日の歓迎会は『魔力熱』解決の打ち上げも兼ねている為、グレッグやビーンなどの関係者も参加する予定だ。なので料理を提供する立場のジンが一番忙しく、引越しを手伝わないとはいっても暇なわけではなかった。
「よし、サラダはこれで良いな。次は……」
ジンは思いつく料理を片っ端から作っていた。特にフライや天ぷらに唐揚げ等の油物は面倒なので、これでもかという程の量を揚げていた。普通なら冷めると格段に味が落ちるそれらの料理も、『無限収納』で保存するから何時でも出来立ての状態で食べる事が出来るのだ。
「天ぷらは塩と天つゆの二種類でいいな。おっと、大根おろしも大量に作っておこう。後は……」
そうして料理をするジンは、忙しく動き回りながらもいい笑顔だ。今夜はジンが作る料理だけでなく、メリンダが『プッカ』というレストランのオードブルを、グレッグは酒やミートパイを、クラークもお手製のビーフシチューなどを持参する事になっている。それらが楽しみなのは勿論、ジンはこうして誰かの為に料理する事が好きなのだ。まだまだジンはこの世界の料理については知らない事が多いが、元の世界と似たような味の食材を見つけ、そして懐かしい味を再現するのも楽しんでいた。
「そうそう、今日は甘いものも作ろうかな~」
ジンは健康体となった今でこそ何でも自由に食べる事が出来るが、老人だった昔は病気で特に甘いものは摂取を制限されていた。だがそんな状態でも食べたくなるのが人間というもので、そんな時ジンは自らケーキやプリンなどの甘いものを作って食べていたのだ。そうする事で普通に食べるスイーツにどれ程大量の砂糖が使用されているかを知って自制する事が出来たし、自分用に極限まで砂糖を減らしたスイーツを作る事も可能だったからだ。
不健康な体の時は極たまにしか許されない贅沢だったが、今ならいくら食べても問題ない。ともあれ、そんな経験もあってジンは決して上手ではないが簡単なスイーツなら作ることが可能だった。
「生クリームは牛乳の濃いやつなのかな? とりあえずわかんないから今回は止めとくか。あ、でもカスタードなら出来るな。うん、プリンもいける」
ジンは皆が喜んでくれるのを想像し、自らもにやけながらスイーツ作りを始めた。
ただ、その想像の中に出てくるのはアリア達女性陣の顔ばかりで、グレッグ達親父組の顔が浮かばなかったのは至極当然で仕方のないことだろう。
そうして色々な料理を作っていると、ジンは敷地内に気配を感じた。ジンはすぐさま料理の手を止め、玄関先へと移動してドアを開ける。するとそこには今まさに玄関ドアを開けようとしていたアリア達の三人の姿があった。
「みんなお帰り!」
いきなり開いたドアに驚く三人に構わず、ジンが満面の笑顔でアリアを含む三人を迎える。ジンが彼女達を迎え入れる言葉はこれ以外になかった。
そしてアリア達三人も一瞬顔を見合わせ、すぐに顔を綻ばせた。
「「「ただいま!」」」
そうして彼女達から返されたその言葉は、アリアという新しい仲間を加えた生活の始まりを告げるものでもあった。
「いらっしゃい、クラークさん」
アリアの引越しも終わり、時刻も夕方6時を回った頃に最初のお客様が到着した。レイチェルを付き添って現れたのは、神官長のクラークだ。レイチェルの手には『ダズール山脈』へ出発する直前に約束していた、クラーク自らが調理したビーフシチューが入った鍋があった。
「ジンさん、これ本当に美味しいんですよ~。楽しみにしてくださいね」
「これ、レイチェル!」
はしゃぐレイチェルをたしなめるクラークだったが、褒められて悪い気がするはずもなく、若干頬が緩んでいる。
「はははっ。いやー、実際私も楽しみにしてたんですよ。じっくり堪能させていただきますね」
仲の良い祖父と孫のその姿は、ジンにとっても懐かしいものだ。勿論ジンは独身だったので弟妹の孫の話だが、それでも懐いてくれる子供達は可愛いものだった。
過去を思い出して懐かしく嬉しい気分になるジンだったが、ここで寂しさを感じないのは今が充実しているからだろうか。いずれにせよ今のジンは、過去を思い出しても寂しさを感じる事はほとんどなくなっていた。
ジンが預かった鍋を弱火にかけた頃には、ガンツやビーン夫妻も姿を見せた。今日はバークやアイリス達は招待していないので、残るはメリンダ教官とグレッグ夫妻だけだ。
残った料理の準備を進めつつグレッグ達の到着を待っていると、ほどなくしてメリンダとグレッグ夫妻が揃って現れた。
「いらっしゃい、ま……せ」
初めて会うグレッグの奥さんを笑顔で迎え入れようとしていたジンだったが、初めましての自己紹介の前に途中でその台詞が立ち消えてしまう。
奥様を伴って現れたグレッグの横にいる人物は、ジンにも見覚えのある女性だった。
「お招きありがとうございます。グレッグの妻のサマンサです」
そこにいたのはアリアと同じく受付業務をしていたサマンサだった。ジンもアリアが不在のときにお世話になった事もあり、会話も交わしたことのある女性だ。その時のジンの印象としては、20代後半のチャーミングな女性というものだ。一方グレッグの年齢は聞いたことはなかったが、それでも50歳以上だろうと思っていたので、若い奥さんの存在につい驚いてしまったのだ。しかもそれが面識のあったサマンサだから尚更だ。
「ぷっ、ふふふっ」
そんなジンの様子に堪えきれずにメリンダが吹き出し、グレッグはばつが悪そうに頭をかく。エルザやレイチェルもジンと同じく目を丸くしていたが、アリアは勿論知っていたので驚くことも無く、普通にサマンサから手土産のミートパイを受け取っていた。
「失礼しました。まさかグレッグさんにこんな若い奥さんがいるとは思っていませんでした」
再起動したジンが慌てて挨拶を交わす。
ジンは年の差婚にも驚いたが、無骨なグレッグとチャーミングなサマンサが夫婦であることにも驚いていた。
「(一体どんな顔をして口説いたんだろう?)」
少し余裕を取り戻したジンは、良い酒の肴ができたと呑気な事を考え始めていた。
サマンサはニッコリ笑ってジンの挨拶に答えると、まだ笑いが収まっていなかったメリンダに声をかける。
「ほら、姉さんもちゃんと言わなきゃ」
「(え?!)」
サマンサがメリンダに呼びかけるときに用いた呼称にジンは疑問を感じて戸惑う。そんなジンを見て悪戯っぽい笑顔でメリンダが挨拶をした。
「同じくグレッグの妻のメリンダよ。改めて宜しくね」
「「「……って、えええ~~?!」」」
「あーはっはっははは」
そこには一瞬の間の後に声を揃えて驚くジンとエルザとレイチェルの三人と、そんな様子に再び笑い出すメリンダ、そしてクスクスと笑うアリアとサマンサの二人に、再びばつが悪そうに顔を背けて頭をかくグレッグの姿があった。
「いやー、驚きました。まさかメリンダさんやサマンサさんがグレッグさんの奥さんだったとは」
グレッグ達の到着で全員揃ったので宴は始まり、既に30分ほどが過ぎている。ジンはサマンサお手製のミートパイを堪能しつつ、向かいに座っているメリンダに話しかけていた。
「ふふふっ。別に隠していた訳じゃないけど、そういう話をする機会も無かったからね」
悪戯っぽく笑ってメリンダは言うが、一番近しい関係だったエルザも知らなかったとなると分かっていてやったとしかジンには思えなかった。だが考えてみれば初心者講習でのグレッグに対する気安い態度など、言われて見ればそうなのかもしれないと納得できる気もした。
とは言え、まさかあのグレッグに二人も奥さんがいるとは想像すらしていなかった為、ジンは心底驚いていた。
この世界の夫婦はほとんどが一夫一妻だが、王侯貴族や高レベル到達者(その多くは冒険者)には一夫多妻、もしくは多夫一妻が認められている。それは王侯貴族であれば血筋を確実に遺す為であり、高レベル到達者であれば優秀な血を出来るだけ多く遺すという意味でもある。
特に高レベル到達者に限ってみた場合、レベルが高いという事は寿命も延びるということも意味するが、それは伴侶が一般人であればより早く老いるという事でもある。つまり高レベル到達者は生殖能力や受胎能力があるにもかかわらず、パートナーの老いによってそれが不可能となるのは損失だという考え方だ。
勿論例え立場が多夫や多妻を許されるものでも、あえて一夫一妻に拘る夫婦も少なくない。ただ、制度としては一夫多妻、もしくは多夫一妻が認められているというだけだ。
実際のところグレッグやメリンダ、そしてガンツやクラークは皆高レベルと言えるが、この中で複数のパートナーを持つのはグレッグだけだ。ガンツもクラークも同時に複数の妻を持ったことも無いし、それぞれ妻と死別してからも新しい妻を迎え入れたりはしていない。
複数のパートナーを持つ高レベル到達者も多いが、ジンの周りの夫婦事情は概ねこんな感じだった。
「くっくっく、グレッグのやつがサマンサ嬢ちゃんを嫁にもらった時は俺も驚いたがな」
「おい、ガンツ! てめえ余計な事を言うんじゃねえ!」
笑いながら言ったガンツにグレッグが焦って待ったをかけるが、メリンダがニヤニヤ笑いながら追撃する。
「え~、私も聞きたいな~」
「おまっ!」
グレッグが再び焦るが、さすがにジンもここでグレッグを晒し者にするのは気が引けた。なので、少しフォローを入れる事にした。
「まあまあ、そういうのは聞きたい人だけこっそりと聞けばいいじゃないですか。それに私はメリンダさんとグレッグさんの馴れ初めにも興味があるんですけど?」
「ちょっ。いえ、そうね。こういう事は内緒にしといたほうがいいわよね。あー、このビーフシチュー美味しいわね~」
「ふふふ」「あはははっ」「うふふふふ」
このまま話を続ければ自分にも飛び火することに気付いたメリンダが慌てて話を逸らし、その様子に皆は楽しそうに笑った。
同時にグレッグからは感謝の視線がジンに送られるが、ジンも笑顔で返しつつ「分かっていますよね?」と視線で伝えた。そのジンの視線にグレッグは引きつった頷きを返し、がっくりと肩を落とす。ジンは皆の前で聞き出す事はしなかったが、別の機会では個人的に根掘り葉掘り聞くつもりなのだ。
ジンは鼻歌交じりにグレッグが持ってきたとっておきの酒が入ったグラスを手に持つと、香りを楽しみながらゆっくりとその酒を飲み干す。
「(あ~、お酒が美味しい)」
美味しい料理に美味しいお酒、心を許せる人達と楽しい酒の肴。今日もジンは良い気分だった。
いつも読んでいただき、ありがとうございます。
お待たせして申し訳ありません。
次回は続きみたいなものですので、出来れば2~3日中に更新したいと思います。
宜しければご感想や評価などでどう思われたかを教えていただけると嬉しいです。
ありがとうございました。